表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
枯花廻りの籠の中  作者: 高良あおい
第一部
18/173

第十八話 少年の決意

「まるで逃亡者、ですね」

「まぁ、あながち間違ってはいませんけれど」

 背後から声をかけると、先生は苦笑気味に振り返った。

「おはようございます、シリル様。どうなさったのですか、こんな朝早くに」

「それはこっちの台詞ですよ、先生。おはようございます」

 僕は笑顔で挨拶を返し、ふと気づく。ここは城門の目の前、少し歩けば城を出られる場所。早朝にこんなところにいる以上、先生はこっそりと城を発つ気だったのだろうと予想はつく。実際そう思って僕は出てきたのだから。それなのに、彼は荷物らしい荷物を持っていなかった。

「先生。旅に出るなら、色々と必要なものは多いと思うんですけど」

「おや、ある程度でしたら行く先々でどうにでもなりますよ」

 僅かに笑みを浮かべ、とんでもない答えを返してくる先生。彼にしては珍しく、と言うか初めて見るレベルに行き当たりばったりだった。

「馬車とか、使わないんですか? それだけでも随分違うんじゃ」

「ええ。……そうでなければ、本当の意味でアネモスを出ることは出来ませんから。自分の足で、アネモスを出たい。それを自分の目で確かめたいのです」

 切なく笑う先生に、言葉を失う。同時に思い出す、ここに来た目的。きっと先生はそろそろ出て行こうとするだろう、という予想が当たったのは良いけれど、本題を告げられなくては意味がないのだ。

「……僕、後悔しているんです」

 突然の言葉に、先生は驚く様子も無く僕に視線を向けてくる。真っ先に目を引くのは、やはり眼帯で覆われた右目。隠されていないもう片方の夜空の瞳に促され、僕は続ける。

「知っていたんです。ハルが来てから先生が辛そうにしていることも、いつの間にかハルの様子がおかしくなっていたことも、全部知っていた。何も起こらないようにと、祈ることしか出来ませんでした。だけど、『何か』は起きてしまった」

 そして、僕は思い知ったのだ。王族で……王位継承者であっても、普段どんなに賢いと褒められようと、今の僕には力は無いのだ。僕は、恩師と親友を救うことすら出来ない、無力な子供に過ぎないのだ。

 そっと目を閉じ、考える。例えばこのまま国王になったとして、何が出来るだろう。無知で愚かな子供のまま権力を手にしたところで、出来ることなど無い。

 だから僕は目を開き、静かに先生を見上げた。絶望などしない。自分の愚かさに気づいたときから今まで、浮かぶのは悔しさだけ。

「もっと強く、賢く……王にふさわしい人間に、なってみせます。いつか先生が帰ってきたら、もう大丈夫だって、立派な王になれるって認めてもらえるくらい、頑張りますから」

 黙って僕の言葉を聴く彼を、真っ直ぐ見据える。

「先生。ハルとクレアはきっと、先生の旅立ちを止めたでしょう? 二人だけじゃない、みんな先生にここにいてほしいはずです」

「ええ、そのようですね」

 苦笑する先生に、僕は笑みを返した。

「僕だってそれは変わりません。だから、お願いです。いつか絶対、アネモスに帰ってきてください」

「……それは、旅立つこと自体には反対しないと?」

「はい」

 先生の問いに、僕は深く首肯。

「本当は、アネモスに帰ってきてというのも、少し違うんです。……この国を、捨てないでください。僕らにとって、先生は『賢者』です。『風の国の賢者』なんです。アネモスを離れても、その名は捨てないでください。お願い、……いえ」

 僕は言葉を切り、悪戯っぽく笑う。そう、先生に何度も注意されたっけ。人の上に立つ人間が気安く頭を下げてはいけない、と。こういうときは、お願いじゃなくて。

「命令、です」

 そんな僕の言葉に、先生は驚いたように目を見開いた。次いで彼は感心するようにその目を細め、僕の前に片膝をつく。頭を下げたまま、先生は普段と同じ口調で呟いた。

「初めてお会いしたときの貴方は、城の中という狭い世界を冷めた目で見ているだけの子供でいらした。……大きくなられましたね、シリル様」

 そこで先生は顔を上げ、驚きで見開いた僕の目を見る。整った顔に、彼は僅かに微笑を浮かべた。

「大丈夫。心配なさらなくても、僕はアネモスの人間です。いつか帰ってくる、と言うことは、今の僕には出来ませんが……この国に何かあれば、すぐに駆けつけましょう」

「本当に?」

「はい。ですからどうか、僕が誇れる王になってくださいね。シリル様なら、それが出来ますから」

 試すような目で見てくる先生に、僕は黙って強く頷いた。


 ◆◇◆


 初めてシリル様と出会ったのは、僕が双子の教育係になる数年前のこと。物心ついたばかりの幼い子供だった彼は、しかし年齢に似合わない、全てを諦めたような冷たい目で子供を演じていた。僕の前に二人の教育係になったたくさんの大人に対し、彼は見下すように距離を置くばかりだったという。実際に彼の賢さはかなりのもので、みんなそれを畏怖して教育係を辞めたいと申し出たと、その一人である父に聴いたことがある。

 僕に白羽の矢が立ったのは、その数年後。小さい頃はそれでもたまに笑顔を見せていたというシリル様は、その頃には滅多に笑わない子供になっていた。そんな彼に僕が初めて教えたのが、笑顔を武器として使うこと。気付けば彼は僕に心を開いてくれて、そうして二人は僕の生徒になった。

「……あれから、もうすぐ五年も経つんですね」

 呟いたシリル様に、同じことを考えていたのかと苦笑する。それをどう受け取ったのか、シリル様もまた苦い笑みを浮かべた。

「あの時はごめんなさい、先生。扱いにくい子供だったでしょう、僕は」

「ええ、とても」

「そこは嘘でも否定するところです」

 呆れるような顔で、シリル様は嘆息する。そのまま、彼は語り始めた。

「もううんざりだったんです。シリル様は凄いですね、ってみんな褒めてくれて、だけどそんな言葉はもう嫌になってしまっていて……それなのに先生は、真っ先に僕を叱ったでしょう。父上と母上以外でこの人は凄いって思えたのは、先生が初めてでしたから」

「単純ですね」

「そんなものですよ、子供なんて」

 おかしそうに笑い、彼は笑顔のまま僕を見る。子供、と彼は言ったけれど、今も昔もシリル様が年相応の幼さを見せることは少ない。今だって、どこか大人びた笑顔で。

「だけど、それは間違ってはいませんでした。……先生。先生はずっと、僕の先生ですよね?」

 僅かに子供らしい不安の入り混じった少年の表情に、僕は苦笑した。なるほど、本当の目的はそっちの質問か。

「教育係、という意味でしたら、答えはいいえですが」

「違います、そうじゃなくて」

 もどかしそうに首を横に振る彼に、僕は再び苦笑を返す。

「ええ、分かっています。よろしいですかシリル様、僕がまたこの国に来たときに怠けていたら酷い目に遭いますからね」

「……その脅しはマリルーシャみたいで嫌です、先生」

 疲れたように嘆息し、しかし少年は嬉しそうに笑ったのだった。


 ◆◇◆


 風の国から少し離れたところに位置する、とある国。名高い職人やその作品目当ての大商人たちが集まるためか、アネモスやグラキエスのような長い歴史は無いにも関わらずそれと同等以上の規模と権力を誇る大国。その城下街では毎日のように市が開かれ、今日もまたいつものように、目当てのものを探す人間で賑わっていた。

「そういや知ってるか嬢ちゃん、風の国が賢者を手放したらしいぞ」

「アネモスが?」

 彼らが求めるものは、形ある『物』だけではない。形無き情報もまた、国を巡る行商人たちにとっては大きな武器である。

 鍛えられた体つきの、見るからに職人側である男。その彼の言葉に眉を顰めたのは、まだ十代前半ほどであろう、恐ろしく整った容姿の少女だった。癖の無い鮮やかな紅髪を後頭部の上の方で一つに括り、彼女は深い紫の瞳に懐疑の色を浮かべて男を見る。

「どこで聴いたのよ、そんな話」

「さっき向こうで商人が騒いでたんだよ。俺は知らねぇ奴だったが、何でもついこの間までアネモスにいたらしい」

「そう、なら信憑性はあるわね。……けど、アネモスがそう簡単に賢者を手放すかしら。あの国の最大の武器でしょ」

 訝しげに目を細める彼女に、男は呆れ顔を浮かべる。いつもそう、少女には年相応の子供らしさがまるで無かった。仮にも少女の倍の年月を生きている彼だが、少女の方が年上なのではと疑うことも多い。もちろんそれがありえないこととは分かっていたが、それほどまでに少女は大人びていたのだ。

「色々囁かれてるぜ。賢者の方がアネモスを捨てたんだとか、大罪を犯した賢者にアネモスが激怒したんだとか、実は手放したって噂自体が嘘で賢者はスパイに出たんだとか」

「相変わらず暇人が多いわね、この国」

 呆れたように肩を竦め、少女は自らの目の前に視線をやる。立てられた板に、所狭しと並ぶ女性用の装飾品。

「で、あんたは何しに来たのよ。買うの? 買わないの?」

「ああそう、それだそれ。実は、うちの嫁さんが今日誕生日でなぁ。何か良いのは無いか?」

「……祝う派なのね、珍しい。でも、あたしに選ばせたら意味無いわよ」

「それは分かってるんだが、女が喜ぶものなんて知らねぇよ」

 目を逸らす男に、少女は呆れ顔で肩を竦めた。

「でしょうね。あんたの奥さん、確かあまりこういうのはつけない人だったはずよ。そうね、クリスタは知ってるでしょ? あの人ならあんたの奥さんと仲良いし、良いもの売ってくれるんじゃないの」

「ああ、雑貨屋のか。詳しいな、嬢ちゃん」

「常識」

 バッサリと切り捨てる少女に、男は苦笑いを浮かべる。しかしそこで彼はふとあることに気づき、首を傾げた。

「しかし良いのか? 嬢ちゃんだって一応商売してるわけだろう、商人って奴らは、お人好しっぷりを発揮する暇があったら出来るだけ多く売りたいとか思うもんなんじゃねぇのか?」

「そうね、あたしもそうしたいんだけど……あたしなんかよりずっとお人好しな知り合いを思い出して、つい」

 そこで彼女が浮かべた笑みに、男は言葉を失う。たった十年やそこらしか生きていない子供が浮かべるにはあまりにも不釣り合いな、切なげな微笑。しかし気付いた瞬間その笑みは消え、そこには不機嫌そうに男を見る少女がいた。

「さて、他の客が来ないからさっさと消えてくれるかしら」

「お、おぅ……助かったぜ嬢ちゃん、ありがとな」

「それよ」

 少女は大きく嘆息し、男を睨みつけた。立っている男と座っている少女では当然男の方が見下ろす形になるはずが、何故か彼は自分が見下ろされているような感覚に陥る。

「何度も言ってるでしょ、あたしはリザよ。嬢ちゃん、は止めてくれるかしら」

 言い放つ少女の胸元。

 手作りと思わしき細かい装飾のネックレスが、光を映した。


こんにちは、高良です。


旅立つことを決めた賢者に、シリルだけは周りと違う言葉をかけました。全てはジルを信じ、尊敬しているがゆえに。彼のジル盲信も後で重要になってくるので、覚えておくと良いかも。

後半はがらりと舞台が変わり、見慣れぬ少女が――いえ、実は無い真凄く悶えてる作者がここにいるんですが、何も言わないでおきましょう。第二部で絡んできます。


さて、第一部はこれにて完結となります。ハッピーエンドには程遠い……けどそれが「枯花」(待て)

第二部に行く前に何話か番外編を挟ませて頂きます。ついったー見ている方は分かるかもしれませんが、とある二人が主役のお話。そちらも楽しんで頂けると幸いです。


では、また次回。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ