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枯花廻りの籠の中  作者: 高良あおい
第七部
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第五話 やっと見られた未来の話を

 原初、と後に呼ばれる時代に、当然その呼び名はまだない。

 そこに住まう人々はただ彼らの祖の導くままに、狭い世界を少しずつ広げていた。


 ◆


 姫、と呼びかければ、彼女は柔らかい笑顔を携えて振り返る。

「おかえりなさい、リト」

 彼女の周りに集まるものは皆、彼女と同じ燃えるような紅の髪を持つ。けれどその中でも、一筋一筋が宝石のような歌姫の髪を俺が見紛うわけがなかった。

「ああ。……すまない、邪魔をしたか?」

「いいえ、今日しなきゃいけないことは、もうとっくに終わってるの。退屈だからお喋りに付き合ってもらっていただけよ。ねえみんな?」

 姫がぐるりと見回せば、そうです、お気になさらず、と口々に同意の声が返ってくる。彼らは立ち上がって俺と彼女に挨拶を告げると、一人また一人と部屋を後にした。最後の一人が出ていったところで、姫は「リトの方こそ」とこちらを見上げる。

「今日はもう終わりなの?」

「ああ。あいつらは体力が無さすぎる」

「……貴方と比べるのは酷なことだと思うわ、騎士リティエル

 その言葉に、彼女は呆れたような困ったような苦笑を返してきた。

「でも、そうね。戦う機会がないから、緊張感も持てないのかもしれないわね。たまに『外』から獣が迷い込んできても、貴方とヴィーがあっという間にどうにかしてしまうじゃない」

「それが俺たちの役目だからな、仕方ない」

 分かってはいるのだが、と小さく肩を竦める。全て俺や歌姫、それに賢者に連なる大切な子供たちなのだから、共に戦わせるなどという危険なことも、出来ることならさせたくはなかった。俺も彼らも自分の持つ技術や知識は教えているが、しかし、それだけでいい。彼らはやがて飛び立つその日まで、親鳥の羽に守られて、辛いことなど何も知らずに、ただ楽園を享受していればいいのだ。

 そんな日が果たして来るのだろうかと、片割れと話したことがあったと、ふと思い出した。あれは数年前、この世界が今の形で落ち着いてしばらく経った頃だったか。永遠の安寧を憂う言葉を、彼は今も時折口にする。このままだといずれこの世界は停滞しきって、得られるものなどなくなってしまう、と。そのたびにお前は考えすぎだと笑い飛ばすのが俺の役目だった。確かに傍から見れば代わり映えのない毎日でも、愛し子たちが少しずつ成長するのを見守る日々は充実している。賢者アルヴィースと呼ばれる片割れは、その知識と賢さゆえに余計なことまで考えすぎてしまうのだろう。本人も、それが自分の悪い癖だと自覚しているようだった。

 そこでようやく片割れがいないことに気付き、姫に視線を戻して目を瞬く。

「ヴィーはどうしたんだ?」

「そういえば遅いわね。青の子たちはさっき帰ってきていたから、一人でどこかに行っているのかしら……ああ、噂をすれば」

 顔を上げた彼女の視線を追えば、どこからともかく姿を現した片割れが、ちょうど地面に降り立つところだった。鮮やかな青い髪を持つその青年は、俺たちの視線に気付くと小さく微笑んで歩いてくる。

「ただいま帰りました、姫。リトももう戻ってきていたんだね」

「おかえりなさい、ヴィー」

「さっき戻ってきたばかりだ。……お前は遅かったな」

 そう声をかければ、ヴィーは「少しね」と俺や歌姫と同じ金色の瞳を細めた。

「遠出していたものだから」

「ヴィー、まさか貴方、また『外』に行っていたの?」

「うん。そんな顔をしなくとも、他の子たちは誰も連れていっていないよ、姫」

 姫の呆れたような眼差しを受け流すように、賢者は微笑んで頷く。

 創世の神インウィディアによってこの世界が生み出されてから、もう数十年が経った。人が増えるにつれ住む場所も少しずつその広さを増してきたものの、俺たちの守りから離れればそこは未だ知られざる土地で、獰猛な獣のうろつく危険な場所である。出ようと思ったことはなかったし、子供たちには絶対に出てはいけないと言い含めてきた。

 その『外』に片割れが興味を示し始めたのは、つい一年ほど前、こことは違う世界から迷い込んできた幼子を迎えたときのことである。その子供は更に数年前に不慮の事故で命を落とした、賢者の力を濃く受け継いだ彼の教え子――俺たちが『青の子』と呼ぶ子供たちの一人と全く同じ魂を持っていた。にも関わらず、この地に存在し得ないはずの煌めく銀の髪を持ち、ここで過ごした記憶を全て失っていた。

 曰く、世界はここ以外にも無数にあり、肉体が最期おわりを迎えた魂は時折、生まれたのとは違う世界に転生してしまうのだという。その幼子の世界では、そうして別の世界で生まれ育ちながらも世界を超え、魂の生まれ故郷へと渡った人間のことを『帰り子』と呼んだらしい。それはそう頻繁には起こらない現象で、普通なら他の世界に生まれたものはそのまま他の世界で一生を終え、改めて元の世界に生まれ直すものである。しかし元の世界が何かしらの問題を抱えているとき、あるいは平和だが変革を必要としているときに、彼らは何か大きな力によって呼び戻されるのだという。

 俺や姫にとってそれは、そういうものなのかと納得して受け流せる事実だった。しかし知識を司る賢者アルヴィースがその話を聞いて、異なる世界に興味を持ってしまったのも無理はないだろう。「それで」と、小さく嘆息して片割れに視線を移す。

「何か面白いものは見つかったのか、ヴィー」

「それが何も。あまり遠くには行かなかったから仕方がないのかな。いっそのこと別な帰り子の訪れを待って話を聞いた方が早いのかもしれないけれど、あの子が生きている間は別な子が帰ってくることは無いという話だったから」

「子供たちは俺たちとは違って、いずれ老いて死ぬこともあるとインウィディアが仰っていただろう。それは帰り子には当てはまらないのか?」

「それは世界に……というよりは、生まれた種族によるそうだよ」

「そうか」

 ヴィーが面倒を見ている帰り子は、異なる世界から来たということを除けば普通の人間だと聞いている。なら普通に年老いて、数十年後にはこの世界を去ることだろう。その後で別な子供が来るかどうかは分からないが、もうそろそろ最初期に生まれた子供たちが寿命を迎える頃だから、可能性は低くはない。

 小さく頷いた俺とは逆に、姫はどこか心配そうに賢者を見つめ、「ヴィー」とその名を呼んだ。

「まさかとは思うけれど……あの子をわざと死なせてしまうようなことは、しないわよね?」

「流石にしないよ、姫」

 その問いに、ヴィーは思わず、といった様子で苦笑する。彼女の気持ちも分からないでもない、と思わずまた嘆息した。

「どうだか。お前は知識欲に負けて時折とんでもないことをしでかすからな、姫が心配するのも無理はない」

「リトまでそんなことを言う。心外だな」

「自業自得だ」

 心外、という割にそうは見えない表情で肩を竦める彼に、目を細めてそう言い放つ。

 今は多少改善されたが、この片割れは創世神インウィディアによって生み出されたそのときから、俺や歌姫に比べて情というものが薄かった。初めの頃は自分たちの血を引く子供たちのことも何とも思っていなかったと、本人が認めているほどである。それを自覚できるようになっただけ、確かによくなったのだろう。それでも、彼の中で最も優先されるものは常に知識欲なのだ。俺や姫のことは大切に想っているようだし、子供たちのことも最近は気にかけるようになったが、彼は知りたいという衝動には逆らえないのだろう。俺が、平和なこの世界でも戦う術を磨くことをやめられないように。

「大丈夫だよ。君たちを悲しませるようなことは、僕だってしたくないのだから」

「……そういうことではなくて、貴方を心配しているのよ、ヴィー」

 同じことを思ったのだろう。歌姫が呆れたように、小さく息を吐いた。


 ◆◇◆


 コンコン、と控えめなノックの音に、思わず苦笑する。「起きてるわ、ジル」と声をかければ、扉を開いた彼は意外そうに微笑んだ。

「よく分かったね」

「誰かさんほど正確じゃないけどね。ジルは分かりやすいわ」

 治癒魔法に特化しすぎたのだろう、あたしはそれ以外の魔法が致命的に苦手である。それはこういう、直接魔法を使うわけではないような細かいところにも如実に表れていた。そんなあたしでも、ジルの薄青の魔力は扉越しにもはっきりそうと感じられる。常に彼と一緒にいるおかげなのか、それともその魔力が高すぎるせいなのかは分からないけれど。

 肩を竦めるあたしを見て、ジルは寝台の傍に椅子を引き寄せて腰を下ろしながら「そう」と目を細める。

「体調はどう?」

「どうも何も、ジルもここの奴らも過保護すぎだわ。退屈で死にそう」

「僕が怪我をしたときの君も似たようなものだけれど」

「あんたはあれくらい言わないと無理して悪化させるでしょ」

 そもそもあたしと反対に治癒の類の魔法が不得意な彼は、自己治癒力も普通の人間と対して変わらない。他人の治癒魔法が効かない代わりに傷の治りが早いあたしと一緒にするな、という話である。

「あれからもう十日よ? もう傷はほとんど塞がったし、寝てる方が不自然だわ。ウィクトリアのときなんて、治りきってなくともトゥルヌミール領からここまで移動してきたのに」

「……それについては、僕は未だに兄様と君に文句を言いたいところだけれど」

 あれは緊急事態だったから仕方ないと思うし、実際あたしも余程のことがない限りやりたくないと思うものの、その反応は流石にどうなのか。あの当時ならまあ、ジルの精神状態的にも納得出来るけど、でも今は多少まともになったはずなのに。

 睨むように見上げれば、ジルも自覚はあるのかはぐらかすように小さく笑って、不意にその表情を引き締めた。

「足のことは、聞いた?」

「……ジルより前にね」

 その言葉に、小さく頷く。あたしは彼ほど表情が作るのが上手いわけじゃないから、浮かべた笑みは少し歪んでいることだろう。

 ルフィノによって負った傷は背中と左足首の二か所で、より出血が多かったのは背中の傷の方だった。だからあたしが意識を失った後、あたしの魔力は背中の傷を優先的に治すよう働いたのだ。あくまでも治りを早める程度のもので、他人に対して治癒魔法を使ったときのように劇的に回復するわけじゃないから、目覚めたときはまだ背中の傷も塞がり切ってはいなかったのだが。

 問題は、ルフィノの攻撃が傷つけてはいけない部分まで傷つけていたらしいことである。治癒魔法なら後遺症の類も割とどうにか出来るのだが、それはあくまで他人の傷を治すならの話で、自分たちには効かないことに変わりはない。だから後遺症が残るような怪我には意識して魔力を回せと、治癒を習うときに一緒に教えられるのだ。それが出来なかった時点で何となく予想はしていたから、驚いたりはしなかった。

「平気よ。全然歩けなくなるとかじゃないし、普通に生活する分には支障はないから。まぁ、無茶はするなって言われたけど」

 走るのも避けた方がいい……というか、そもそも走ろうとして走れるのかも怪しい。まだ試してはいないけれど、この感覚だと普段から少し引きずるようになるだろう。「ごめん」と目を伏せるジルに、思わず苦笑を向けた。

「あんたは悪くないでしょ」

「僕がずっと傍についていれば、守れたかもしれない」

「古代魔法が無ければ、二人ともあいつに殺されて終わりだったわ。……でも、謝るのはあたしの方ね」

 小さく肩を竦めて、そのままの表情でジルを見る。考えてみればあの再会から、まだ二年と半年しか経っていないのだ。

「連れていって、って言ったのはあたしだけど、こうなってまで我侭を通すのは流石に無理だわ。流石にそこまで馬鹿にはなれない。だから、置いて行ったっていいのよ、ジル。ルフィノのことさえどうにかすれば、アネモスは安全だし、信頼出来る奴も多いし――」

「……リザ」

 あたしの言葉に、彼は一度だけその左目を瞬く。次いでその顔に浮かんだのは、どこか呆れるような、けれど暖かく柔らかな微笑だった。

「君は、僕がそういう選択をすると思っているの?」

「思ってないから言ってるのよ」

「そう、良かった」

 何が良かっただ、と思わず嘆息する。足手まといにはなりたくないと、あれだけ言ったのに。あたしが表情を歪めたからだろう、ジルは笑みの中にどこか困ったような色を浮かべて、「リザ」と小さく囁いた。

「大丈夫。リザが心配する必要はないよ」

「でも……」

「僕も、そろそろ潮時だとは思っていたから……君の怪我はきっかけに過ぎないんだ。最初にこの国を飛び出した理由については、リザが解決してくれたからね。ルフィノの件が解決したら、もう僕が旅を続ける理由なんてない」

 だから、と彼はそっとあたしの手を握る。

「そろそろどこかの国に落ち着いて、一緒に暮らそうか、リザ。あちこち首を突っ込んで溜まったお金で君一人くらいは養えるし、いくらだって贅沢をさせてあげる」

「プロポーズにしては、随分遠回しね」

「……今ここではっきり言ってしまうと、色々と良くない気がして」

 複雑そうな彼の表情に、あたしは思わず吹き出した。確かに、ニナが聞いたら「フラグ」だなんだと騒ぎ立てるところだろう。くすくすと零れる笑みを抑えもせず、それもそうだとジルを見上げる。

「どこかの国に、ってことは、アネモスに戻る気はないのね」

「うん、ごめん。昔ほど居心地が悪いとは思わなくなったけれど、まだ割り切ることは出来なくて。頻繁に戻ってくるつもりではいるよ」

「ジルがいない間にこの国に何かあってもいい、ってこと?」

 我ながら意地の悪い質問だ、と思う。あたしの表情を見て本気ではないと悟ったのだろう、唐突な質問に驚いた表情は一瞬だけで、ジルはすぐに困ったように苦笑を浮かべた。

「何かあったら助けにくるよ、もちろん。ここが僕の故郷であることに変わりはないから。……けれど、そうだね」

 どこか寂しそうにその目を細めて、彼は小さく頷く。

「昔は、全てを救わなければならないと、思い込んでいたんだ。今はそうは思わない。この手の届く範囲は限られているから、ただ魔力が人より強いだけの僕には、みんなを救うことは出来ない。選ばなければならないのなら、僕はリザを守るために、その他の全てを捨てられるよ。……そう、決めたんだ。失望した?」

「まさか。あんたがそのために自分を犠牲にしたりしないならね」

 失望も何も、長い長い時間をかけてそう焚き付けたのはあたしである。多少偏ってはいても、選べるようになったのは進歩だ。肩を竦め、「なら」と顔を上げる。

「あたしも我侭言うけど、……ネヴェイアとイグニスには住みたくないわ」

「それは僕もだよ」

 一ヶ月前に酷い目に遭った雪国と、ルフィノ=ウルティアの生まれ育った国。土地が悪いわけではないのは分かっていても、嫌なものは嫌だった。そう告げれば、彼はまたおかしそうに笑って、そっとあたしを抱き締める。

「君の行きたいところに行こう、リザ。どこへだってついていくから」

 前世むかしとは違うのだといくら自分に言い聞かせても、あたしもジルもそれを心から信じることは出来なくて、結局何もかも手探りになってしまうのだけど。ずっと一緒にいるという彼の言葉は、昔よりは余程信じられるようになったと、そう思った。

ご無沙汰しております。

……いえ、本当に、まさかここまで間が空いているとは、という感じで。オフの方で別の話をたくさん書いていたので、サボっている自覚がありませんでした。

しばらく落ち着いているはずなので、今のうちに枯花を進めたいところです……。


さて、そんなわけで、前半は何度か話題に上がった「彼ら」のお話。一番最初の、まだ平和だった頃のエピソード。見知った某キャラたちの面影を感じて頂ければ嬉しいです。いえ、順番的には逆なのですけれども。

対し、後半はある決断を迫られたジルリザ。まさかと思いますがこの男、プロポーズをこれで済ませる気じゃないでしょうね……笑


次は流石に早めにお届けできればいいなぁ、と思います。

それでは、また次回。

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