第十四話 神話は未だ終焉を見ず
今世ではノーマン=エイヴァリーと名乗っていたあの男は、ルフィノが永遠を得た少し後に神によって与えられた、正に彼の『駒』である。その魂は、原初の時代に騎士に心酔していた一人の青年のものだった。神は一体どんな手を使ったのか、彼はかつての騎士の言うことに決して逆らわなかったその記憶だけを受け継ぎ、同じ世界に生きている間はルフィノの思い通りに動くようになったのだ。自分が生まれる前や死んだ後はそれを忘れ、普通の人間として生きているという。神によってルフィノに与えられた『永遠』の、その欠片を得たようなものかと彼は勝手に納得していた。たとえそうではないのだとしても、自分に答えを教えてくれる人間はもういない。かつて全てを知っていた賢者は、この手で殺したのだから。
負けるくらいなら死ね、とルフィノは自らの忠実な駒に言い含めていたが、そもそもこの展開は彼にとっても予想外だった。実際、あと少しで目的は達成出来そうだったのだ。自分の指示通り彼らから魔法を奪い無力化に成功したと、あれはそう報告してきたのだから。しかしその後で何かが起きて、駒は自害し、彼らは逃げおおせた。この焦燥感が自分を苛み始めたのは、ちょうどその時からである。何故かは分からない。ただ、一つ前の世界のようにひたすら機会を待つ心の余裕は、今のルフィノにはなかった。
彼らが風の国に移ったことは知っている。賢者はネヴェイアの王にまでルフィノのことを明かしはしなかったようで、火の国の騎士、と呼ばれるその立場を利用して謁見すれば、国王はあっさり彼らの行き先を自分に教えた。しかし、アネモスではそうはいかないだろう。余程かの国の人々を信頼しているのでなければ、わざわざ逃亡先に選ぶはずがない。当然、何から逃げているのかも明かしていると思われた。だとすれば、ネヴェイアでそうしたように正攻法で城に入り込むことは出来ない。見張りの騎士にもルフィノの特徴は伝えられているだろう。
ならば見られないようにするか、見られたところで自分に向かってこられないようにするかのどちらかしかなかった。
「優秀だな」
ぱたり、と倒れて動かない騎士たちに向かって、ルフィノは小さく呟く。自分の姿に気付いた瞬間、彼らはあっと声を上げた。それはつまり、予想通り自分を……ルフィノ=ウルティアを城に入れるなと命令されていて、それを正しく覚えていたということだ。そんな彼らを傷つけず無力化するには、剣を抜かれる前に眠らせるしかなかった。賢者ほど魔法に長けているわけではないが、それでも原初の人間である時点で、持っている魔力は規格外に多い。城にいる彼女以外の人間を全て眠らせる程度のことは容易かった。現存する魔法ではなく古代魔法を選べば、魔法の使える人間だろうと抵抗することは出来ないだろう。
城内の気配を探れば、どうやら賢者は今ここにはいないらしい。好都合だ、とルフィノは足を進める。あの男は確かに憎いが、いつでも殺せるし、放っておけばそのうち死ぬ。ずっとそうだった。優先すべきは歌姫の死だ。それが自分たちにとっての始まりで、終わりなのだから。
不意に聞こえた「何、で」という掠れた声に、ルフィノは顔を上げる。意識を失った侍女の傍らに屈み込んで、紅髪の少女は蒼白な顔でこちらを見つめていた。
「ああ……久しぶりだな」
常のように湧き上がる狂気に身を任せ、数か月前に彼らが自分から逃げたことの皮肉も込めて薄く笑う。彼女は信じられないとでも言いたげに一度だけ目を瞬くと、怯えたように立ち上がり、身を翻して走り出した。しかし逃げたところで、今この城の中で起きて動いているのはルフィノと歌姫の魂を持つあの少女の二人だけで、身体能力では圧倒的にこちらが上回っている。そもそも城全体に敷地内を出入り出来ないよう魔法をかけたのだから、いくら彼女でも逃げ切れるわけがないのだ。魔法で小さな刃を作りだし、彼女の背に投げつける。しかし、少女は斬りつけられた衝撃で一瞬よろめいたものの、決して浅くはない傷を負っても足を止めることはしなかった。ちっ、と小さく舌打ちし、同じものを今度は彼女の足下に放つ。足首の後ろを深く裂かれて、少女はようやく姿勢を崩した。倒れた彼女の傍に膝をついて、その細い首に手をかける。
「っ、やめ――」
「今回は時間が無いんだ」
手駒を失ったこの世界で、前回ほど悠長に遊んではいられない。ならばさっさと彼女を殺すというその目的を果たしてしまうべきなのだ。そもそも戦う力をほとんど持たない歌姫の抵抗など、逆にその力を与えられた『騎士』の魂を持つルフィノにとっては無いも同然だった。しかし少女の体から力が抜けかけたところで、背筋にぞくっと冷たいものが走る。咄嗟に飛び退けば、そこに金と薄青の光がばちばちと弾けた。
「リザ!」
続いて聞こえたのはある意味予想通りの声で、思わずちっと小さく舌打ちする。少女に息があるのを確かめると、賢者は静かに振り返った。
◆◇◆
不意打ちに近いその魔法を、避けられたことを悔しがる余裕もない。彼の手が離れたことで地面に倒れ込んだリザに駆け寄って、彼女が咳き込むのを見てほっと息を吐いた。リザ、と声をかければ、彼女は薄く目を開ける。
「……ジル」
「うん。ごめんね、来るのが遅くなって」
あと少し遅ければ、永遠に彼女を喪っていたかもしれないのだ。やはりリザのことも連れて行くべきだったのだろうかと、その背中と片足に走る深い切り傷を見て顔を歪めれば、彼女は僅かに微笑んで「平気」と呟いた。
「言ったでしょ? 信じてたもの」
そんなことよりあいつを、とリザはルフィノに目を向ける。突然現れた僕を警戒してか、それとも何か企んでいるのか、彼はじっと佇んで、暗く冷たい目でこちらを窺っていた。確かにリザの言う通り、この状況を何とかするにはルフィノを捕らえるか追い払うか、あるいは殺すしかない。彼がここにいたままでは城の人たちは目覚めないし、城全体に張られた結界のような魔法も解けないのだから。リザの傷は決して軽いものではないし、放置すれば失血死する危険もあるけれど、彼女ほどの治癒魔法の使い手がすぐにその域に至ることはないだろう。目の前の少年をどうにかしなければ、彼女を治癒の塔に連れて行くことも出来ない。
ばちっ、と片腕に纏わせた金色の火花は、そのまま勢いよくルフィノの方に走って行く。横に跳ぶようにしてそれを避けると、彼は忌々しげに顔を歪めた。
「お前……その力は」
「……そう。やはり、君には分かるんだね」
それどころか、古代魔法を当然のように使いこなしてみせる。それは僕のように原初の記憶の欠片を追憶したか、その時代に生きた自分自身から真実を告げられたか――あるいは当時の記憶をそのまま引き継いでいるのか。一つ前の記憶を彼が持っているのは間違いない。それに対して違和感を覚えたり苦しんだりする様子も見られないから、彼は元から『そう』なのだろう。何故かは分からないけれど、ルフィノ=ウルティアはずっと、前世の記憶を抱えて廻り続けているのだ。恐らくは、原初からずっと。
かつての賢者と騎士の能力は、その方向こそ違えど、全く同等と言えるものだったである。半年ほど前にリザに言った、普通に戦えば互角だが魔法無しなら彼が勝つという言葉は、そういう意味では間違ってはいなかった。けれどそれはあくまでも同じ条件で戦った時の話で、原初の記憶を持っていたルフィノとあの時はまだ何も知らなかった僕が戦えば、恐らく彼が勝っていたのだろう。今もそう、全て思い出したわけではない僕よりも、最初から全て知っているルフィノの方が優勢に決まっている。武器が無くとも彼が戦えるのは、リザの傷を見れば分かった。そのはずなのに、彼はどこか焦っているように見える。今も僕の放った魔法は難なく避けているけれど、その表情には余裕がない。
とはいえ、だからといって僕に分があるとも言い切れなかった。そもそも城の中では大きな魔法は使い辛い。あまり派手にやれば、意識を失ったリザや城の人たちを巻き込んでしまう。彼が逃げる機会を窺っているのなら、この場は逃がしてしまう方が早いかもしれない。聞こえるはずのない声が聞こえたのは、僕がそう判断したその時だった。
「お兄ちゃん!」
「……ニナ?」
ルフィノを挟んだ反対側の廊下から現れた神子の姿に、何故、と思わず呟く。本来ならあり得ないはずの第三者の介入は、僕とルフィノの動きを止めるには十分すぎた。けれどそれは一瞬のことで、二人ともすぐに我に返る。動いたのは、彼の方が僅かに早かった。迷いなく僕に背を向けた彼の狙いを、わざわざ考えるまでもない。
「っ、駄目だ!」
ここで僕がリザの傍を離れれば、彼はすぐに標的を変えるだろう。それが分かっているから、動くことは出来ない。叫ぶのと同時に放った魔法を、ルフィノはどこからともなく取り出した剣で、振り返りもせず切り裂いた。もっと威力の高い魔法であればそんな芸当は不可能だろうけれど、それではニナを巻き込んでしまう。そもそも万が一彼に避けられたときのことを考えれば、そう簡単に攻撃など出来なかった。「え?」と驚いたように目を瞬くニナの腕をルフィノが掴んだ途端、射るような眩い光が視界を覆う。しばらくして光が薄れると同時に、城にかけられた魔法も解かれたのが分かった。
やられた、と小さく呻く。彼がわざわざ目くらましの魔法で僕たちを足止めしたのは、城の外に出なければ転移が出来ないからだろう。城全体に彼が張った結界が消えたということは、つまりもうその必要が無くなったということで、今から追いかけても彼らの行方は分からない。もう一つの魔法も消えたはずだから、じきに城の人たちも目を覚ますだろうけれど、その時彼らにどう説明しようかと考えると頭が痛かった。アネモス以外の場所では僕は間に合わなかった可能性が高いし、古代魔法が無ければルフィノには勝てないだろうという予想も真実だったのだから、聖地に行ったのが悪いことだったとは思っていない。けれど、やはりリザをここに置いて行くべきではなかったのかと、少しだけ後悔した。
ニナには仮にも精霊がついているのだから、最悪の事態にはならないだろう。そもそも、『原初の騎士』である彼が神子を傷つける可能性はかなり低い。だとすれば彼はまたこの城に来るはずで……その時には決着をつけなければならないだろうと、僕は静かに目を閉じた。
このままでは僕たちは、きっと何度廻っても、幸せになどなれないのだから。
こんばんは、高良です。
追憶は近い過去から、遠い昔へ。ある意味ここからが本番と言えるのかもしれません。ここから語られるのは「彼ら」の始まりの物語であり、そんな「三人」が終わりに至るまでの物語です。
他の部より短い上に他と違って次に続きますが、これにて第六部は完結となります。番外編……は何を書こうかまだ決めていないのですが、それが終わったら最終章である第八部に向けてひたすら突っ走っていきますので、第七部以降もよろしくお願いします。
では、また次回。




