第十六話 たった一つの我侭
「転生、か……なるほど、道理で小さい頃から異常なほど大人びていたわけだ」
僕に前世の記憶があること――かつて加波慎であった頃のことを話すと、父は感心したように含み笑いを浮かべながら、そんな言葉を漏らした。
「……思ったより、驚かないんですね」
「む、驚いたぞ? 人の魂が廻るものであるとは知っていたが、まさかその記憶を持って生まれてくる者もいるとはな。それも我が息子として」
「いえ、そうじゃないんです。……前世の記憶があると知っても、父様は僕を息子だと思ってくださるんですね」
そう、それがずっと心配だった。自分の子供が、自分以外の『親』の記憶を持っているというのは……自分たちの元に生まれてくるより前の出来事も覚えているというのは、今の両親からしてみれば微妙な心境なのではないかと。実は別人でした、と告げられたようなものだ。
かつての父さんと母さんはあくまでも『加波慎の両親』であって、僕にとっての親とは父様と母様だけ。そう割り切ってはいるけれど、向こうはどう思うのだろうか……今までずっと転生のことを話さなかったのには、そんな事情もあった。
けれど、僕の言葉に父はおかしそうに笑う。
「相変わらず、お前は真面目すぎるのが欠点だな。お前はお前だろう、ジルベルト=フラル=トゥルヌミール。私とアドリエンヌの間に生まれた、私たちの誇りだ。それ以外に何がある」
「……ありがとう、ございます」
目を閉じて、父様の言葉を噛み締める。右目の引き攣るような痛みはまだ続いているけれど、そのせいで慣れてしまったのか目覚めた直後ほど辛くはなかった。
僕は、僕だ。その言葉を、心の中で繰り返す。生まれたときから不安定だった、そしてハーロルト様の登場で更に揺らいでいた『ジル』が、その足場が少しだけ強くなる。
僕が顔を上げたところで、父上は僅かに顔を引き締め、話の続きを促してきた。
「それで、その話が今回の件に一体どう関係する?」
「かつて幼馴染が二人いた、とお話しましたよね」
そんな僕の言葉に、父様は黙って首肯を返してくる。僕らの微妙な関係のことも、その終わりも、全てさっき話してあったから。
「それが、クレア様とハーロルト様です」
「……何?」
眉を顰める父に、僕は自嘲気味に続けた。
「クレア様の前世は、かつての僕が想いを寄せていた幼馴染の少女。ハーロルト様の前世は、その恋人であり、かつての僕にとっては親友とも呼べる仲だった幼馴染の少年……前世の記憶があるからかは分かりませんが、僕には一目見ただけでそれが分かってしまった」
クレア様と初めて出会った時も、ハーロルト様と出会った時も。その笑顔に一瞬だけ、かつての幼馴染たちの笑顔が重なったのだ。
「お前が死んだ後、彼らもまた何らかの原因で命を落とし、同じ世界に来たというわけか……お二人は、そのことを知っているのか?」
「知っていたら、僕はとっくに逃げ出していたでしょうね」
父の問いに僕は苦笑し、首を横に振る。
「お二人とも、何も知りません。前世で起きたことも、僕たちのかつての関係も、僕たちが転生してきたことも……何も、知らないはずでした」
無言で眉を顰め、父は続きを促してくる。
「父様は、ハーロルト様が何故クレア様に求婚してきたか、ご存知ですか?」
「一目惚れした、と聴いているが……いや、違ったな。夢で見たのだと、誰かが言っていたか」
「ええ、その通りです」
首肯。まったく、嫌になる。あんなに喧嘩ばかりだったのに、彼らは魂レベルで繋がっていたというのだから。
「ハーロルト様にはかつての記憶はありませんでしたが、恋人だった少女のことだけは毎日夢に見て、覚えていた。クレア様を見た瞬間、それが彼女であると直感したそうです」
「お前がお二人を見てすぐに分かったように、か」
「そうですね、恐らく同じようなものかと。そしてハーロルト様はこの城にやってきて、僕と出会ってしまった」
……ここから先が、僕たちにとっての不幸。
「ここからは推測になりますが……クレア様が僕を好いてくださっている、という噂は父様もご存知でしょう。僕はそんなつもりはないのですが、それでもその噂が事実であるということに、ハーロルト様は気が付いてしまった。ずっと探していた想い人が別の人間を好いていると聴いたが、心中穏やかではいられないでしょうね。いつの間にか、彼は僕を避けるようになりました。ですが、最初の頃は耐えていらした」
「しかし耐え切れなくなった、というわけか」
「恐らくは。クレア様に呼び出された先に、様子のおかしいハーロルト様がいて……そこから先は、父様がお聴きになった話と変わらないかと」
「では、やはりお二人の仰っていたことの方が事実か。よくもまぁ、陛下相手にあそこまで堂々と嘘を吐けたものだ」
そんな父の口調は、しかし僕を責めるものではなく。
「お前もまたクレア様を想っている、と聴いていたが……何故、それをクレア様に言わなかった? そうすれば、ハーロルト様がこの国に来ることもなかっただろうに」
「実は、ハーロルト様の求婚を受け入れるよう陛下に進言したのも僕なのですよ」
「ほう」
悪戯っぽく言うと、父は目を細める。
「何故、クレア様の想いを受け入れなかった?」
「真澄……かつてのハーロルト様への、裏切りになるような気がして」
父様の問いに答え、僕は自嘲気味に笑った。
「それに、かつて二人の恋を応援していたのに……死んでまで貫いたその決意をあっさり曲げてしまうのも、悔しいでしょう。ハーロルト様が何も知らなかったらその時は奪い取っていたかもしれませんが、彼は彼女のことだけは覚えていた。完敗ですよ」
真澄が咲月を想っている以上、それだけはどうしても出来なかったのだ。
話し終えた僕は、一体どんな表情をしていたのか……僅かに沈黙を挟み、父は静かに僕に訊ねた。
「一つ質問だ、ジル。お前はどうしたい」
「どう、とは?」
「あそこまで堂々と嘘を吐いたということは、罪に問われないことは避けたかったのだろう。そこまでして私にさせたいことは、一体何だ?」
「……」
思わず俯く。ずっと企んでいたことではあったけれど、それでも僕を心配してくれる父に更に心配をかけるであろうその言葉を告げるのは、やはり気が引けて。
しかし父様はそんな僕を見ると、やれやれとでも言いたげに苦笑した。
「ならば、言い方を変えよう。お前は、この国にいたいか?」
「っ」
目を見開く僕に、父はなおも続ける。
「お前が心からアネモスのことを考えて陛下に仕えているのは、よく知っている。だが、こんなことがあっても……ハーロルト様が前世のことを思いだした今でも、まだこの国に留まりたいと思えるか」
顔を上げると、真剣な表情の父と目が合った。黙り込む僕の答えを待つように、父もまた口を閉じる。
やがて、僕は微かに首を横に振った。
「…………いいえ」
僅かに震える声。続きを待つ父に向けて、絞り出すように言葉を紡ぐ。
「ごめんなさい父様、僕はそんなに強い人間ではないんです。ここに、これ以上アネモスにいるのは、耐えられない」
父から目を逸らし、左手を上げて、包帯に隠されていない左目を覆う。そこから零れそうな、熱い何かを隠すように。実際に涙が流れることなど決して無いだろうと分かってはいたけれど、それでも表情が歪むのを隠すように。
「あの二人の傍にいるのは、辛いんです……! だからお願いです父様、どうか」
途切れた言葉の先は、果たして伝わったのか。少しして、父は僅かに面白そうな、そしてどこか嬉しそうな笑みを浮かべた。
「お前のそんな顔は見たことが無かったな。少し安心したぞ」
「……誰にも言わないでくださいね」
「ああ、言わんとも」
手をずらして父を睨むように視線をやると、彼は再び笑った。
「そう、だな。……お前が私に頼み事など初めてだ、叶えないわけにもいくまい」
「父様」
思わず目を見開き、父を見る。父様は立ち上がり、扉に向けて数歩歩いたところで振り返って、僕をまっすぐに見つめた。僅かな笑み、その中に険しさを織り交ぜた、形容し難い表情で。
「ジル。お前の体調が良くなり次第、お前からトゥルヌミールの名を剥奪する。もう二度と、公爵家の人間だと名乗ることは許さん。良いな」
「はい」
勘当された、とも取れる父の言葉。しかしそれは待ち望んでいた言葉でもあったから、僕は微笑を返した。
これで、僕を縛るものは何もない。陛下の命令に逆らうことで家族に何かある、そんな心配をせずに済むのだ。もちろん陛下がそんなことを言ったことは一度も無いけれど、それでも公爵家が王家に仕えているのは事実。ならばその公爵家から外れてしまえば、アネモスに留まらなければいけない理由もまた無くなるのだから。
「だが、親子の縁までは切ってやらんぞ。お前が私たちの家族であることに変わりはない。アネモスを出るというのならば止めはしないが、お前の帰る場所がアネモスにあることは変わらん」
「はい。……ありがとうございます、父様」
「家を追い出したことで喜ばれるというのも複雑だな。……陛下には、私から話しておこう。しこたま文句を言われるだろうがな。ああ、もちろん転生については言わん。とにかく今は休め。夜が明ければアドリエンヌやリオも来るだろう。説教くらいは覚悟しておくことだな」
「説教、なんて優しいもので済めばいいのですが」
遠い目で呟くと、父はおかしそうに笑って部屋を出る。
残された僕は、静かに目を閉じた。
本当は、分かっていた。この国から離れたところで、辛さは和らぐだけで、決してなくなってはくれないのだと。けれど、叶うことの無い想いを抱えて生きていく覚悟は、とっくの昔に出来ていたから――
「さて、一体何人を説得すればいいのやら」
引き留めてきそうな知り合いを思い浮かべて、僕は一人苦笑した。
こんにちは、高良です。
父である公爵に対し、ジルがずっと抱いていた負い目。ですがどんな事情があろうと公爵にとってジルは息子であり、ゆえに彼は息子の最初で最後の我侭を聞き入れました。
ですが、ジルはアネモスが誇る『賢者』。彼の旅立ちに反対する人間は、きっとたくさんいることでしょう。
では、また次回。




