番外編・五 かくして少女は受け入れた
「この腑抜けが」
「腑抜っ、……うるさい。余とて分かっている」
顔を見るなり罵倒してきたドミニクに苦い顔で反論すれば、彼は呆れるように目を細めた。
「分かっている奴が一週間何もしないわけがあるか」
「それは――いや、そうだな」
「……言い訳をしなかった辺りは褒めてやる」
実際、あれから一週間経つのに大した進展がないのは事実である。求婚どころか、シルヴィアとろくに会話もしていないという現状すら変わってはいなかった。嘆息した僕を見てドミニクは一瞬だけ驚いたように目を見開くと、満足げに唇の端を釣り上げる。まったく、どっちが主だか分かったものではなかった。
「確かにここ一週間政務が多かったのも事実だがな。少し会いに行く時間くらいはあっただろうに」
「行ってまた逃げられたらどうするんだ」
思わず口をついて出た言葉に、これはまずいと気付いても遅い。案の定、「やはり腑抜けか」と痛い言葉が返ってくる。しかし言われっぱなしというのはやはり癪だった。
「お前は良いだろうな」
吐き捨てるように呟いたのは彼を羨むようなそんな言葉で、ドミニクは訝しげに眉を顰め、僕を見る。
「私がどうかしたのか」
「アドリエンヌに想いを告げた時点で、お前は向こうも同じ想いを抱いていると知っていたのだろう」
「は?」
留学中に二人の間に起こった出来事については、双方から聞いているのだ。流石に告白やらそういったことについては二人とも詳しくは語らなかったが、その口調からドミニクの方には断られない自信があったことは想像出来た。
「だから告白出来たのだろうが、僕は違う! 断られるだけならまだしも、もし嫌われでもしたら――」
「嫌われ……お前、あのシルヴィア殿下の様子を見て何も……いや、フェリクスにそれを期待するのは間違いだろうな」
何故か信じられないようなものを見るような目で僕を見て、彼はさらりと失礼な言葉を吐く。思わずむっと眉を寄せるものの、反論する前にドミニクに先手を打たれた。
「私とアドリエンヌの話し方も悪かったが、勘違いしているようだから教えておいてやる。想いを告げたとき、私はアドリエンヌの考えていることなどまるで分からなかった。流石に嫌われてはいないだろう、くらいは思っていたが、それ以上のことは知るか」
「何だと?」
予想外の言葉に、僕は思わず目を丸くする。そう反応すると分かっていたのだろう、彼はふんと鼻を鳴らすと、「大体」と目を細めた。
「愛している、という言葉に対してあれが何と言ったと思っているんだ。正気か、と訊いてきたんだぞ。信じられないようなものでも見るような目で」
「それは……また」
アドリエンヌらしいな、と乾いた笑みを漏らす。僕がシルヴィアにそんなことを言われたら間違いなくしばらく立ち直れないだろう。
「当時のアドリエンヌにとって恋愛とは書物の中の出来事で、私が言うまでは意識すらしなかったのだろうな。まさか求婚したときにも似たような反応をされるとは思わなかったが」
「なら、お前は彼女に拒絶されたらどうするつもりだった?」
懐かしそうに語るドミニクに恐る恐る訊ねれば、呆れるような馬鹿にするような、何とも形容しがたい視線が返ってきた。
「そもそも断られたらそこまでだという考え方が理解出来ん」
「どういうことだ?」
「何とも思われていなかったとしても、こちらの想いを告げることで相手の中に自分という存在を刻めるんだ。そういう意味では、告白という行為は宣戦布告に等しいだろうな。そこから全てを始めるものであって、そこが終わりではない。終わるのなら、所詮その程度の想いだろう。お前はどうか知らんが、私はあの時点で絶対にアドリエンヌを手に入れると決めていた。どんな手を使ってもな」
「……お前がそう言うなら、本当にそのつもりだったのだろうな」
本気を出したこいつの恐ろしさは嫌というほどよく分かっている。絶対、と言うからには、ドミニクは本当に手段を選ばないだろう。僕にもそれをするだけの権力はあるが、実際に行動に移すだけの度胸は無い。
「覚悟を決めたのではなかったのか、フェリクス。殿下を王妃にと願うなら、それ以外のことは考えるな。嫌われても憎まれても、彼女をその座に据えることだけを考えろ。心など後でどうにでもなる」
「だが……」
シルヴィアの想いを無視するなど。そう思って躊躇うと、目の前の青年は低く舌打ちした。見上げれば彼の顔はここしばらく見たことが無かったくらい不機嫌そうに顰められていて、まずい、と顔を強張らせる。咄嗟に何か言おうと口を開くも、言葉が見つかる前に思い切り首根っこを掴まれた。
「なっ、ドミニク――」
「いいから来い、この小胆王。腰抜け。軟弱者。腑抜け」
「お前何もそこまで、……分かった、分かったからとりあえず手を離せ、自分で歩く!」
そのまま廊下に出たところで、流石に人に見られたらまずいだろうと慌てて騒ぐ。彼もそこまでして押さえつけておく気はなかったのか、それとも僕に逃げる度胸はないだろうと判断したのか、思ったよりあっさり手を離した。どこへ行くのか、と問うように伺っても、ドミニクはこちらに視線を向けすらしない。何となく嫌な予感がしたが、ここで逃げ出して余計に怒らせることは出来なかった。子供の頃は喧嘩するたびにこいつの顔色を伺っていたな、などとどうでもいいことを思い出す。
やがて、ドミニクは予想通り――当たって欲しくはない予想だったが、シルヴィアの部屋の前で足を止めた。僕の抗議の視線を無視し、彼は平然と扉を叩く。
「シルヴィア殿下、いらっしゃいますか」
「あら、ドミニク様」
開いた扉の向こうから顔を覗かせたのは、シルヴィアではなくその友人、ドミニクの妻だった。アドリエンヌがいることはわかっていたのだろう、ドミニクは驚く様子もなく、僅かに表情を緩める。
「少し話があるのだが構わないか、アドリエンヌ」
「ええ、もちろん」
意味ありげに夫と視線を交わし、彼女はあっさりと頷いた。察しの良いアドリエンヌのことだ、恐らくドミニクの企みを見抜いたのだろう。……今の僕にとっては、ありがたいこととは言い難いが。
「そういうわけですので、少々失礼しますね、シルヴィア様」
「ほら、行け」
「っ!」
アドリエンヌがそう断って部屋を出るのと入れ違うように、思い切り背中を突き飛ばされる。……誰に、など言うまでもないだろう。勢いで部屋に入り、よろめきながらも何とか踏みとどまったところで、背後から追い打ちに近い言葉がかけられた。
「先に言っておくが、次は無いからな、フェリクス」
次いでばたん、と扉の閉まる音。後で覚えていろよドミニク、と心の中で呟いて顔を上げると、驚いたような顔で僕を見つめるシルヴィアと目が合った。しかし次の瞬間、彼女は慌ててその目を逸らす。心なしかその頬が赤くなったように見えたが、訊ねる前にシルヴィアの方が口を開いた。
「……ドミニク様も、フェリクス様に向かってああいった言葉遣いをなさるのですね。驚きました」
「周りに誰もいない時はいつもああだ。いや、最近はアドリエンヌがいても猫を被らなくなったが……」
答えながら、ドミニクの意図したことを何となく悟る。奴が僕に対して敬語を使わないのは、幼い頃から友人同士であるというこの関係のせいだ。彼の妻になったことで、アドリエンヌもその中に組み込まれたのだろう。実際、僕は彼女もまた友人だと思っているし、彼女も僕に対して遠慮が無い。アドリエンヌの友人であるシルヴィアも同じだ、と言いたいのか……いや、彼女が王妃になるならばという、ドミニクなりの激励か。どちらにしろ分かりにくい。
そんなことを考えていると、シルヴィアが「あの」とどこか不安そうに見上げてきた。
「先日は申し訳ありませんでした、フェリクス様。突然逃げてしまったりして」
「ああ、いや……悪気はなかったのだろう」
気にしていないわけではないがな、と笑ってみせれば、彼女もまたおかしそうに微笑む。そんな少女をじっと見つめれば、僕の表情に気付いたのだろう、シルヴィアは訝しげに首を傾げた。
「フェリクス様?」
「……一旦、クローウィンに帰還すると聞いた」
「あ、……っ、はい」
絞り出した言葉に、王女はびくっと肩を震わせ、泣きそうな顔で頷く。さて何と言おうか、と少し考えて、僕は彼女を見下ろした。
「だが、帰ってくるのだろう?」
「え?」
「いや……これでは流石に伝わらないな。すまん」
自分の口から出たあまりに遠回しな言葉に、僕は嘆息交じりに首を振る。逃げるにもほどがあるだろう。これだからドミニクに言いたい放題言われるのだ。覚悟を決めたのは僕自身なのだから、いい加減に腹を括らねば。深く息を吐いて気持ちを落ち着かせ、シルヴィアの目の前に片膝をつけば、彼女は驚いたように見下ろしてきた。
「シルヴィア。余は……僕は、貴女に帰ってほしくはない。許されるのならばずっとこの国にいてほしいと、ずっと共にいたいと、そう思っているんだ」
真っ赤に頬を染めた彼女は、驚いたようにぱちりと瞬く。そんな少女を真っ直ぐに見つめ、僕は「だから」と微笑した。
「もし貴女も、同じ気持ちを抱いているというのなら――この一年で、アネモスを愛してくれたのなら。……この国の、王妃になってくれないか」
「…………わたくしが、フェリクス様、と?」
目を見開くシルヴィアを見て、もしや駄目だろうか、と僅かに表情を暗くする。しかしどうやらその予想は外れていたらしく、僕の表情の変化にも幸い気付かなかったらしい彼女は、不安そうに僕を見た。
「よろしいのですか? こんな……病弱で、何も出来ない子供で。迷惑では、ありませんか?」
「迷惑なわけがあるか。貴女が良いんだ、シルヴィア。愛している」
僕の必死さが伝わったのだろう、シルヴィアはくすっと嬉しそうに微笑む。見上げた僕の手に自分の白い手を重ねて、頬を染めた少女は「はい」と囁いた。
◆◇◆
「手のかかる奴らだ」
「まったくです」
部屋の外で話を聞いていようかとも思ったが、流石にそこまで下世話な真似は気が引けた。フェリクスも馬鹿じゃない、あそこまで追い詰めれば流石に腹を括るだろう。そういう奴でなければとうの昔に見限っている。アドリエンヌを伴って執務室に戻り、深く嘆息すると、妻も呆れるように目を細めた。自分の椅子に腰を下ろし、そのまま片手でアドリエンヌを抱き寄せれば、抗議するような視線が返ってくる。
「いちゃつくためにわざわざこの部屋に来たのですか?」
「それも良いかもしれんな。奴のためにこれだけ苦労してやったのだから、少しくらい労ってほしいものだ」
「そういうのは貴方に貸しを作った本人にどうぞ」
肩を竦める彼女に、私は苦笑を返した。甘い空気にならないのもそうだが、王への敬意が微塵も感じられない辺りがアドリエンヌらしい。いや、私のせいだろうか。ふざけるのはこれくらいにしておこうと手を離し、手近な椅子にアドリエンヌが座ったところで、私は少しだけ口調を真面目なものにした。
「アドリエンヌ。シルヴィア殿下が王妃となられること、どう思う」
「そうですね……お優しい方ですし、悪いことにはならないでしょう。私は歓迎ですよ。むしろフェリクス様にあの方はもったいないくらいです」
「そうか」
冗談混じりに付け足されたそんな言葉に、思わず笑みを浮かべる。それは私も考えたことだった。美しく、心優しく、教養もある神国の王女。病弱で成年に達していないがゆえに表に出てくることは少なかったが、あと数年もすれば他国の王族や貴族から数え切れないほどの求婚を受けていたことだろう。その前にアネモスを訪れたのは、あの平凡な王にとってはまさに僥倖だった。
「あの二人が想い合っているのは良いが、殿下は未成年だ。今のうちに婚約して、彼女が十六になったら結婚という形になるだろうな」
「ええ、そうでしょうね。……クロ―ウィンへは、ドミニク様が?」
首を傾げるアドリエンヌに、私は苦い顔で頷いてみせる。風の国に面と向かって逆らうような命知らずな国はそう無いが、神国の王がとても娘を愛していることは知っている。書物や使者に任せるのではなく、誰かが行って事情を――王女の意志でもあって無理強いしたわけではない、という事実を説明する必要があるだろう。
「……そうなるだろうな。明日にでも使者を送って婚約のことを知らせて、シルヴィア殿下の帰還に合わせてあちらに赴く。良い機会だ、アドリエンヌも来い。ついでに智の国辺りに寄っても文句は言われないだろう」
「それは、ついでという距離ではないのでは……政務はよろしいのですか?」
「あの腑抜けは少し苦労すべきだ」
吐き捨てれば、アドリエンヌはおかしそうに微笑んだ。
それから一年と少し後に、彼女はアネモス王妃シルヴィア=ルニエ・ロウ=アネモスとして正式に王家に名を連ねる。彼女の病弱さも関係していたのだろう、後に賢王と呼ばれることになる世継ぎの王子とその双子の妹が生まれたのは、それから八年以上経ってからのことだった。
こんばんは、高良です。
相変わらずドミニクさんの格好良さに突っ込むべきかフェリクス陛下のヘタレっぷりに呆れるべきか迷うところですが、そんなわけでようやくくっついた二人。っていうかフェリシル編と言っておきながら公爵夫妻がいちゃついて終わっているのはどういうことでしょうね。双子っていうのは言うまでもなくあの双子ですが奴らが生まれてからシルヴィア様はまた体調を崩しがちになります。
さて、第五部はこれで番外編を含めて無事終了。次回更新からは第六部となります。メインは恐らくジルリザしか登場せず、五部で顔を見せた色々な謎に更に迫っていく、七部への繋ぎ回……の、予定。
では、また次回!




