第五話 夢を悔いる
「慎?」
「っ、あ……柚、希?」
「それ以外の何かになった覚えはないわ」
訝しげな声に引っ張られ、ようやく僕は我に返った。顔を上げると、心配そうに僕を覗き込む金髪の少女と目が合う。けれどどこかぼんやりしたまま問い掛ければ、それは瞬時に呆れるような表情に変わった。
「で、どうしたのよ。慎がぼーっとしてるなんて珍し……く、もないか。よく考えりゃあんた、しょっちゅうそうやって考え込んでるわよね。歩きながらは流石に止めた方が良いと思うけど」
「……よく見てるね」
苦笑してみせると、柚希は不満げに目を細める。けれどその表情を見る限り、本気で機嫌を損ねたのではないようで、僕は密かに安堵の息を吐いた。
確かに、幼馴染たちにもよく指摘される。彼らから見れば、僕はしょっちゅうぼーっとしている、らしい。ふとしたことで考え込んでしまうのは僕自身も自覚しているけれど、流石にこうも色々な人に言われるとなると、少しは気を付けた方が良いらしい。同時に、いつだったか似たような話題になったときに真澄から言われた言葉を思い出して、僕は柚希を見た。
「僕の考えていること、って、分かりにくいのかな」
「は? どうしたのよいきなり」
「一年くらい前だったかな、真澄に言われたんだよ。考えてることが読みにくすぎる、とか……もう少し分かりやすくなれ、って」
僕の問いに、柚希は難しい顔で首を傾げる。しばらくして、彼女はその顔のまま僕を見上げ、どこか厳しい口調で答えた。
「大多数の人間にとっては、そうなんじゃない? だってあんた、あまり考えてること顔に出さないでしょ」
「そう、かな」
「ずっと笑ってるじゃない。それで頭ん中じゃ深刻なこと考えてますって言われたって、大抵の人間は納得しないわよ。この間の進路希望調査だって、アタシが言わなかったらあいつら気付かなかっただろうし。そういや、結局どうしたの? あれ」
「……とりあえず、地元のままで出したよ」
思いもよらない問いに、僕は苦い微笑みを返す。彼らから離れたい、その願いは痛いほど強くなっていたし、実際に離れられるかもしれないという『希望』を目の前に示されたことでその痛みは強くなったけれど、その幼馴染たちが離れたくないというのだ。三人一緒、という言葉はまるで鎖のようで、けれどその鎖に縋って生きてきた僕にとって、それを振り払うには相応の勇気が必要だった。今の僕には、そこまで強くなることは出来ない。柚希の言う通り、あれで決定というわけでも無いのだから、まだ時間はあるだろうと……また、逃げたのだ。
僕の答えを聴いて、柚希は何か言いたそうに眉を顰めた。けれど僕が恐れた反応は無く、彼女は「そう」とだけ頷いて話を再開する。
「でもさ、例外ってのはあるわけじゃん。あんたが深刻な悩みを抱えていたとして、咲月や倉橋含めた大多数は気付かないかもしれないけど、おじさんやおばさんは多分気付くわよね。椎名もそうだわ、あいつあんたのこととなると無駄に鋭いから」
「柚希も気付いてくれたよね」
この間も、今も。そう言えば、柚希は驚いたように目を瞬かせた。
「……そうね。慎だって、アタシや椎名がいつもと違ったら気付くでしょ。アタシらだって、他の奴らからしたら分かりにくいんじゃない?」
「でも、それは……他の人より一緒にいる時間が長ければ、分かるようになるよ」
「だから、慎だって同じよ。アタシや椎名から見れば、あんたは十分分かりやすいわ。大体、咲月や倉橋みたいにすぐ顔に出る奴ばっかりだったら、世の中終わりじゃない。ってか、あんたは無理しすぎなのよ。ちょっとくらい頼りなさい」
「容赦ないなぁ」
けれど、少し気分が軽くなったのも事実だ。「ありがとう」と微笑みかけると、柚希は一瞬硬直し、けれどすぐに深く嘆息する。心なしか、その頬が僅かに赤く染まっているように見えた。
「あんたさぁ、……いや、やっぱ良いわ。何つーか、そう言う奴よね慎は」
「え?」
「何でもないわ。それにしても、あんた生徒会長でしょ。いつもこんな雑用やってるわけ? 備品の買い出しなんて下級生に押し付けちゃえばいいのに」
僕の問いに対して首を横に振り、柚希は話をはぐらかす。気になりはしたけれど、それ以上追及する理由も僕には無かった。だから彼女の言葉に、曖昧な笑みを返す。
「そういうわけにもいかないよ。普段はみんなで行くんだけど、文化祭までもう一ヶ月無いだろう? だからみんな忙しくて。これくらいなら一人でも大丈夫だから、って引き受けたんだけど……ごめんね、付き合わせて」
うちの学校は秋に色々と学校行事が詰まっているから、夏休みから秋にかけて、生徒会はそれはもう地獄のような忙しさに追われているのだ。休み明けすぐに文化祭で、試験を挟んで秋に修学旅行。修学旅行の実行委員も引き受けてしまったから僕もそれなりにやることはあるのだけれど、そちらの仕事はほとんど冬哉が引き受けてくれたから、逆に他の役員よりも暇になってしまっている。もちろん、もう少しすればそんなことも言っていられないくらい忙しくなるのだろうけど。
「バイト無い日は暇だし、むしろありがたいくらいだわ。っつーか、手伝いもせずに夕飯だけご馳走になるのもどうなのよ」
「僕は大歓迎だよ、父さんも母さんも喜ぶし。今日だって、どうせ母さんが根回ししたんだろう? それと柚希、言葉遣い」
「はいはい。……根回しっていうか、おばさんに言われると断れないのよね。別に嫌じゃないし」
「なら良かった」
前方に視線を戻し、静かに微笑む。ふっと訪れた沈黙は、さっきのやり取りを思い出させるのには十分だった。
無理しすぎ、というのは昔から、色々な人に言われる言葉だ。両親や悠だけじゃない、咲月や真澄にもしょっちゅう指摘される。それでも、心配をかけてしまうのが申し訳なくてあまり表には出さないようになったから、言われる頻度は減ったのだけれど……彼女の目は、どうやら誤魔化せなかったらしい。
頼れ、と柚希は言った。けれどそれは僕という人間の弱さを、加波慎という人間の欠陥を彼女に暴露することに他ならなくて、……柚希や悠にまで見捨てられてしまうのが、恐ろしくて堪らなかった。結局、僕は二人のことすらも、信じきってはいないのだろう。だから心のどこかで、失うことを恐れている。見捨てないという彼の言葉に、頼れという彼女の言葉に、怯えている。
「慎? また考え事?」
「……いや、何でもないよ」
だから、壁は最後まで、分厚いままだったのだ。
◆◇◆
恥も何もかもかなぐり捨てて床を転がり回りたい、そんな衝動を抑えて、代わりに頭を抱える。漏れたのは、苦い溜息だった。
生前の僕はまるで自覚していなかったのだけれど、どうやら加波慎は、無意識のうちに宝城柚希の好意を悟っていたらしい。いや、好かれていると断定はしていなくても、「好かれる可能性がある」ことを分かっていて、その上で適度に距離を置いたのだ。様々なことにおいて自分がそうしていたことは流石に分かっているから、恐らく柚希に対しても、そうだったのだろう。
「最悪じゃないか……」
加波慎は愚かだった。それは、僕自身が一番よく知っている。前世からの知り合いがどう弁護しようと、どうしようもなく臆病で愚かだったから、『僕』はあんな結末を迎えたのだ。……その臆病さが、柚希を苦しめただろう。それなのに、僕はリザに何も返せないままで。
はあ、と再び重い息を吐いたところで、ノックの音が響いた。「どうぞ」と答えると、扉の向こうからは予想通りの人物が顔を覗かせる。
「おはよう、リザ」
「ええ、……どうしたの?」
「ちょっと自己嫌悪、かなぁ」
様子がおかしいのが分かったのだろう、彼女は僕を見るなり、眉を顰めてそう訊ねてきた。乾いた笑みを浮かべて答えると、リザが怒るように目を細める。
「ジル?」
「ごめん、何でもないよ。君が心配しているようなことじゃない」
「じゃあ何よ。どうせまた前世の夢でも見たんでしょ?」
「それは、そうなんだけど……」
どう答えたものか、と少し悩んでみたものの良い言葉は浮かばず、曖昧に笑って誤魔化す。すると彼女もそれ以上追及はせず、どこか躊躇いがちに話を切り替えた。
「なら良いわ。それで本題なんだけど、神子のことでちょっと、話というか……聴いてほしいことがあって」
「聴いてほしいこと?」
「多分ね、杞憂だと思うのよ。それか、あんなことがあったから過剰に反応しちゃうってだけ。だから独り言みたいなものなんだけど、でもやっぱり、言わないでいるのも落ち着かないっていうか」
自分に言い聞かせるように早口で呟くと、リザは再び顔を上げる。
「さっきね、何か早く目が覚めちゃったから外をうろついてたら、神官引き連れた王子と出くわしたのよ。朝の祈りがどうとか、って。で、あいつら昨日アネモスから帰ってきたとこじゃない? ちょうど良いから、神子について訊いてみたわけ」
王子、というのはフィリップ殿下のことだろう。確かに、彼は昨日までアネモスに行っていたと聴いた。他国の式典や行事に王族が参加するのは、普段から仲の良い国同士でもない限り珍しいことである。けれど神子が初めて公の場に姿を現すとなれば、どの国もクローウィンと同じように王族や貴族が参加したことだろう。その光景は少し見たかったな、と残念に思いつつ、僕は黙ってリザに続きを促す。
「人格の方は何ていうか、いかにも神子って感じのお人好しみたいだけど、そっちは問題じゃなくてね。話によると神子は黒髪黒目で、名前を『ニナ』っていうらしいわよ」
「それって……」
「何度か話したでしょ? 慎の妹と同じ名前だわ」
「……そうだったね」
加波慎が死んだ後で生まれたという、実妹。当然僕は顔も見たことが無いけれど、柚希としてその子と関わった彼女には、何やら特別な思いがあるようだった。
「偶然、だと思うのよ。同じ名前なんてたくさんいるだろうし、そもそもその神子があの世界から来たとも、誰も言ってないわけだし。だからどうこうってわけじゃなくて、やっぱり何か、こう……とりあえず、誰でも良いから吐き出したかったっていうか」
「なるほどね。かといって僕以外には話せない、と。……リザは、『ニナ』に会いたくはないの?」
加波慎の妹だったという、柚希にとっても妹のような存在だったという、その少女に。リザの口調は、どこかそれを望んでいないような、そんな色が滲むものだったから。案の定、僕の問いに対して彼女は、答え辛そうに口を噤んだのだった。
こんばんは、高良です。
久々の前世編。何でもない日常書いててもシリアスになるのはなぜでしょうね? さておき、前世の自分の過ちは、改心(?)したジルにとってもだいぶ痛かったようです。
そして実はこの時点で出ていた、神子に関する疑惑。これについて分かるのはまだ先、と思いきや次話かその次辺りでアネモス帰りますよ。早いね。
では、また次回!




