表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
枯花廻りの籠の中  作者: 高良あおい
第四部
118/173

番外編・一 不本意な出会い

「……正気ですか、父上?」

「ああ、もちろん正気だとも」

 どこか呆然と問いかけたものの、父から返ってきたのはやはりいつも通りの、意地の悪い笑みだった。怒りを鎮めようと深く嘆息し、再び口を開く。

「そうは思えません。俺は次期公爵として、学ぶべきことはしっかり学んでいるつもりです。わざわざ遠い智の国に留学する意味など……」

「お前の勉強嫌いも筋金入りだな、ドミニク。知ることは好きだが学ぶのは嫌い、だったか? 難儀なものだ」

 からかうような彼の口調に、俺は再び拳を握りしめる。元々人をからかうときが一番生き生きしているという嫌な性格の父だが、今日のはここ最近の中でも特に性質が悪かった。今も俺の反応を楽しんでいるのだろう、父は唐突に立ち上がると、机をぐるりと回ってきて俺の目の前に立つ。……俺もここ一年ほどで急激に伸びたとはいえ、未だ父上の方が高いことに変わりはない。見上げなければならないのが癪で、自然と睨むような目つきになった。そんな俺に対し、父は一通の封筒を差し出す。宛名は知らない名だったが、封蝋にはトゥルヌミールの紋章が捺されていて、グリモワールの有力者か何かの名前だろうと予想はついた。

「もう十四だろう、そろそろ爵位を継ぐときのことも考えねばなるまい。お前は留学する意味を問うたが、知識が多いに越したことはない。アネモスだけでは得られぬ経験もある。それと、グリモワールは別段遠い国でもないな」

「……それは、そうですが」

「ついでに、向こうでその女嫌いも治してこい」

 その言葉に、俺は思わず黙り込む。いくら父の言うことでも、そればかりは克服で出来る気がしない。母を除いて、女という生き物はこの世で一番苦手だった。侍女たちは仕事は出来るが、姦しくてとても傍に置けたものじゃない。同年代の貴族の令嬢たちに至ってはもっと酷くて、奴らは次期公爵という俺の立場に群がってきているにすぎないのだ。媚びるような目、口調、心にもない賛辞、むせ返るような香水の匂い。俺も立場上、表向きは紳士然として彼女らに接していたが、内心では吐き気すら覚えていた。

 色々と嫌なことを思い出して顔を顰めた俺に、父は苦笑を向ける。……それすら馬鹿にしているように見えて、更に苛立った。

「お前の言いたいことも分かるが、いつまでもそのままではいられないだろう。とにかく行ってこい。案外、行ったらすんなりと馴染むかもしれん」

「……ああもう、分かりましたよ!」

 吐き捨てるように承諾し、父の手から封筒を奪い取る。キッと彼を睨むと、俺は低い声で訊ねた。

「期間は?」

「知らん。好きなだけ滞在してこい。もっともすぐに帰ってきたところで、お前に成長が見受けられなければ家には入れないがな」

「……失礼しますっ」

 ろくな返事も返さず踵を返し、早足で部屋を出て、八つ当たりのように勢いよく扉を閉める。父に振り回されるのはいつものことだが、今回に限っては俺も許せなかった。手に持った封筒に視線を落とし、僅かに恨みを込めて呟く。

「何も学ばないなら帰ってくるな、と。……俺に嫌がらせするのはそんなに楽しいか?」

 見知らぬ地で、何を得られるとも思えない。ただ、どこにいてもつまらない日々を送るのに変わりはないだろうと、そう思ってしまったから承諾したのだ。それだけだった。



「……本当に夏なのか、ここは」

 あの不本意すぎるやり取りから三日。思い立ったが吉日とばかりに父上に追い出され、生まれ育った故国を後にした俺は、馬車と転移魔法を使って智の国グリモワールへと辿り着いた。とても夏の二とは思えない肌寒さに身を竦め、僅かに嘆息する。……従者の一人くらいつけてくれても良いものを、完璧に俺一人で送り出す辺りがまた嫌がらせにしか思えなかった。とはいえ、これから俺が住む場所やすることについてはある程度手を回してくれたらしいから、見捨てられたわけではないのだろう。それはそうか、仮にも跡継ぎを何の当ても無しに放り出すわけがない。

 さて、智の国と呼ばれるグリモワールであるが、学校と呼べる施設は一つしか存在しないという。何でもここの連中は基本的に自分の知的好奇心が最優先で、その知識を他人に伝えるという行為には関心が無いらしい。そんな中でただの一つの例外が、ただ『学舎』とだけ呼ばれるその場所だった。学年や卒業という概念はなく、十三歳以上という入学資格さえ満たせば誰でも入学出来て、自分の学びたい知識だけを存分に学んで、飽きたら勝手に出て行けと言う――グリモワールらしいと言えばそれまでだが、何とも個性的な学校である。もっとも、十代前半で入学する者はほんの僅からしいが。

 グリモワールの知識を享受出来る、というのは他国の人間にとっても魅力的なのだろう。留学してきてまでそこに通う者は多い。だがやはり教える側にとっては不満だったのか、あと十年も経てば閉校すると聞いた。……つまり、遅くとも十年後にはアネモスに帰れるということである。

「いや、喜ぶことじゃないだろう」

 十年は長い。長すぎる。父はあんなことを言っていたが、流石に嫌がらせのためだけにそこまで放置はしないはず。要は認めさせればいいのだ、俺が学ぶ意志とその成果を見せれば帰る日は早まる。……それが俺にとって一番の問題というか、苦行なのだが。

「きゃっ」

「痛っ」

 考え事をしていたせいだろう、前から歩いてくる人影に気付かず、軽い衝撃が伝わってきた。見れば、立っているのは俺より僅かに身長の低い、同い年くらいの少女である。彼女も転びはしなかったようだが、抱えていたらしい本が数冊、ばさばさと地面に落ちた。俺はちっと舌打ちすると、無言で屈み込み、本を拾い集める。……この留学は不本意でしかないものだったが、女に対して本音を隠さなくていい、という点だけは素晴らしい。

「ほら」

「あ……ありがとうございます。すみません、少し余所見をしていて」

 顔を上げた少女は、客観的に見れば十分に整った容姿の持ち主だった。吸い込まれそうなほど深い藍色の瞳。無表情というほどでもないがその顔は落ち着き払っていて、見た目よりも年上に見える。灰藍の髪は肩の辺りまでしか無く、化粧の類もどうやらしていないようだった。その辺りは故郷の女たちより好感が持てたが、女は女だ。

「前くらい見て歩くんだな。ただでさえ小さいんだ、相手によっては転ぶだけじゃすまないぞ」

 故郷で女に対して浮かべていたような笑みの類は一切浮かべず、馬鹿にするようにそう言い放って、俺はくるりと彼女に背を向ける。そのまま立ち去ろうとしたところで、片腕を掴まれた。……誰か、など考えるまでもないだろう。女に触られている、と気付いた途端に鳥肌が立って、思わずその手を振り払う。驚いたようにこちらを見てくる少女を睨み、俺は苛立ちを隠そうともせず吐き捨てた。

「まだ何か用か?」

「確かにわたくしは身長が低い方ですが、貴方も大して変わらないように見えます」

「っ……まさか、そんなことを言うためだけに呼び止めたんじゃないだろうな」

 睨んでも彼女は動じず、それどころかどこか呆れたように首を振る。

「ええ。まだ貴方からの謝罪を聴いていません。私が謝ったのですから、貴方も謝るべきです」

「お前の前方不注意が原因だろう? 何故俺が謝る必要があるんだ」

「貴方も余所見をしていたように思えました。双方に非があるのなら、二人とも謝るべきでしょう」

「……馬鹿馬鹿しい」

 彼女は何一つ間違ったことを言っていない。俺が考え事をしていたのは事実で、俺も謝るべきだというその言葉も正しい。正しいからこそ、余計に腹が立った。認めようとも謝ろうともしない俺を見て少女は嘆息すると、俺が去ろうとしたのとは逆方向に体を向ける。

「貴方がそうしたくないなら、構いませんけれど。……それと、学舎に行きたいのならそちらは反対方向ですよ。目的地はそこでしょう? この時期に来る留学生は大体そうですから。非常に不本意ですが、連れて行って差し上げます」

「待て、どうしてお前が」

「分かりませんか?」

 眉を顰めた俺に対し、彼女は目を細めて見せた。その表情には確かに馬鹿にしているような色が見えて、反論しようと口を開きかける。しかし、少女はそれを遮るように言葉を続けた。

「私の名は、アドリエンヌ=エルヴァスティと言います。これでもうお分かりでしょう」

「……まさか」

 学舎の創設者が、確か同じ苗字だったはずだ。今の学舎の長はその息子だと聴いていたから、つまり彼女は創設者の孫……国を治める者が公式には存在せず、身分というものもないグリモワールにおいて、数少ない『権力者』と呼べる人間の血縁。道理で落ち着き払っているはずだ、そんな知識人に囲まれて育ったのなら、これくらいは彼女にとっては当然なのかもしれない。思わず少女を凝視すると、彼女――アドリエンヌは「ええ、そのまさかです」と頷く。

「ついでに、明日をもって学舎に入学する人間の一人でもありますね。貴方とは同期生、ということになります」

「…………は?」

 表情を引き攣らせる俺に対し、アドリエンヌは「よろしくお願いしますね」と僅かに微笑んだ。その笑みは確かに魅力的ではあったが、それよりも動揺の方が遥かに大きい。彼女が悪い人間じゃないのは、何となく感じられる。そうでなければさっきのやり取りの後にも関わらず俺を学舎に案内しようなどとは思わないだろう。だが、それとこれとは話が別だ。こんな掴めない奴と同じ場所で何かを学ぶなんて遠慮願いたい。しかも女だ。女なんてろくな奴がいないだろう。

 ……だが。そう思う一方で、彼女の態度を新鮮に感じる自分がいることも否めなかった。同年代の女で俺に色目を使わない、それどころかこうもずけずけと物を言ってくるのは、彼女が初めてだったのだから。


 ◆◇◆


「そういえば、貴方の名前をまだ聞いていません」

「そんなものを聴いてどうする」

 ふと思い出して声を上げると、隣、と言っても少し私から離れたところを歩く彼は、不機嫌そうに眉を顰めた。さっきからずっとそうだ、まるで私が存在すること自体が不愉快だとでも言わんばかりに。いや、実際彼にとってはそうなのだろう、少し話せば、彼の女性に対する偏見は言葉の端々から読み取れる。……悪い人では、無いと思うのだけれど。

「私が名乗ったのに貴方が名乗らないなんて、不公平です。明日からは同じ場所で学ぶ友人同士でもありますし」

「俺はお前の友人になった覚えはない。……ドミニク=ダリエ=トゥルヌミールだ」

 深い嘆息と共に告げられた名に、私は思わず首を傾げる。その苗字は、確かにどこかで聞いたような気がしたのだ。やがてその答えに辿り着き、私は彼を見上げる。

「ドミニク、もしかして、トゥルヌミールと言うのは――」

「呼び捨てにするな。女のくせに」

「貴方がそういうグリモワールらしからぬ発言をあちこちでして回る前に私に出会えたのは、本当に幸運なことだったと思いますよ」

 吐き捨てられた言葉に嘆息を返すと、彼は不服そうに押し黙った。そんな彼に、私は淡々と言葉を重ねる。

「このグリモワールにおいて、年齢も性別も関係ありませんから。貴方が故郷の国でどれほど偉くても、それはここでは何の意味も持ちません。例えば貴方より年下でも、貴方の国では蔑まれるような身分の人間であっても、貴方より知識があるのなら、それこそがこの国における価値の証明ですから」

「うるさい、黙れ。それで、何を言いかけた?」

「いえ、大したことではないんです。トゥルヌミールというのは確か、アネモスの大貴族の名では?」

 私の問いに、ドミニクは足を止め、驚いたように私を見た。その反応が何よりも如実に正解だと語っていて、私はほんの少しだけ頬を緩める。対して彼はまた顔を顰めると、前に視線を戻して呟いた。

「ああ。いくつか存在する公爵家の中でも一番の権力を持つ特殊な家だ」

「道理で、ドミニクが偉そうなわけです」

 嘆息してみせると、彼は再び口を開きかけ、けれど何も言わず諦めたようにその口を閉じる。……変わった瞳だとは思っていたけど、なるほど、そういえば何かで読んだことがあった気がした。風の国の、夜空の瞳の一族。

 それにしても、と黙り込んだドミニクを見上げる。やはり彼は、根は良い人なのだろう。こうしてちゃんと会話してくれるし、勉強は嫌いだと言っていたけれどその知識量はかなりのものに思えた。……そんな面白い人間と知り合えたという幸運に、僅かに胸を弾ませる。それはきっと、私の糧になるから。

「どうかしたのか?」

「いえ、何でも。ああ、つきましたよ。ここがグリモワールの『学舎』です」

 訝しげな視線から逃げるように、私は目の前に現れた建物を指差す。

 ……私と彼の長い長い付き合いの、これが始まりだった。


こんばんは、高良です。


かなりギリギリで滑り込みましたが、予告通り本日から番外編開始。読んでくださった方には分かったと思いますが、リオネルさんやジルの両親、ドミニクさんとアドリエンヌさんの馴れ初めの話です。

ちなみに第三部番外の一話目は本編の二十年ほど前でしたが、この話は何と本編より三十年程前です。若い頃の親世代をお楽しみくださいませ。


では、また次回。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ