第三十三話 平和な日々の終わり
この世界に帰ってきてから二週間。最初の頃は向こうの世界に帰る方法の手がかりを求めて町中を歩き回っていたのだけれど、カタリナの一言でその日々は終わりを告げた。曰く、私が向こうに飛ばされたとき最後にいた場所、それとこっちに帰ってきたとき最初に目が覚めた廃病院で、何か違和感のようなものを感じたらしい。彼女はそれを「世界を繋げた痕跡」と称していたけれど、とにかくそれを調べれば帰る方法が分かるかもしれない、というのだ。
ならば、とカタリナに任せたは良いものの、そうなると私とシリルは完璧に暇を持て余してしまう。何しろ、私もシリルも魔法に関しては初心者なのだ。夜になったら彼女の息抜きついでに魔法や神子としての力の使い方を教えてもらうくらいはしているけれど、それでも生前はお兄ちゃんと張り合うレベルの魔法使いで、今では精霊という存在と成ったカタリナには及ばない。だから家でのんびりしたり、シリルにこの町を案内したりと、まぁ危機感なんて忘れて楽しんでいた。向こうの世界には無いものも多いから、シリルの反応も面白い。
「もう少しで分かるって言ってたね、帰る方法。こうものんびり過ごしてると実感湧かないけど」
「そう、だね……ねえニナ」
不意に、シリルがこっちを振り向いた。その表情は少しだけ真面目なもので、続く言葉は何となく予想は出来る。それでも私は首を傾げ……「何?」という問い掛けは、どこか悲鳴のような声に掻き消された。
「ニナ! ねえ、ニナでしょ!」
「え?」
聞き覚えのある声に、思わず目を見開く。視線の先には数か月前まで毎日のように会っていたこっちでの友人が二人、信じられないとでも言いたげな顔で立っていた。今まで遭遇しなかったのにどうして、と一瞬焦ったが、考えるまでもない。日付の感覚が麻痺していたけれど、そろそろ学校は夏休みだ。どこかに遊びにでも行くつもりだったのだろう、二人とも私服だった。
「え、えっと……久しぶり?」
「久しぶり、じゃないわよこの馬鹿っ!」
二人のうち一人、アネモスに降りる前の私が最後に会った友人が駆け寄ってきて、そのまま勢いよく私に抱き着く。
「馬鹿、ニナの馬鹿……急にいなくなったりして、すっごく心配したんだから! あのとき、途中で別れないでついて行けば良かったって……」
「うん、ごめんね」
「軽いわ馬鹿」
歩いてきて私たちを見ていたもう一人の友人が、顔を顰めて私の頭を叩いた。けれど次の瞬間彼女は微笑み、横から私に抱き着いてくる。……うん、二人とも、道のど真ん中で女の子が抱き合ってるのは色々とまずいんじゃないかな。自分が心配をかけた自覚はあるから、流石に言えないけれど。そんなことを考えながら、少し離れて面白そうにやり取りを見ているシリルに対して、視線だけでちょっと待っててと告げた。
「でも良かった、ニナが元気そうで。おかえり、ニナ」
「うん、ただいま。二人とも元気そうだね」
「ちょっ、それだけ? 泣き喚いてる私が馬鹿みたいじゃん! 大体ニナ、今までどこで何してたの?」
やっぱり訊かれるよなぁ、と私はこっそり乾いた笑みを浮かべる。来実さんとも話したけれど、異世界がどうとか説明したところで信じてもらえるわけがない。いや、この二人なら信じてくれるかもしれないけれど、信じた後でどう反応するかもわからない以上、二人に対しても作り話を貫いた方が良いだろう。そう思って、私は疲れたような苦笑を浮かべて見せる。
「お父さんとお母さんの実家がちょっと色々事情あるの、知ってるよね? そこの……何ていうか、お家騒動みたいなのに巻き込まれちゃって。詳しくは言えないんだけど、それで外国の遠い親戚に匿ってもらってた感じ」
来実さんに捏造してもらうことになっていたシナリオを、すらすらと二人に告げる。両親の実家がちょっと訳ありなのは事実だし、全部嘘ってわけじゃない。
「おじさんやおばさんにも言わないで?」
「言う時間もなくて……すっごい遠くの国で、連絡とかも出来ないようなところだったから」
「どんな辺境に籠ってたのよ」
呆れ顔だけど一応は納得してくれた様子の二人を見て、私は安堵の息を吐いた。友人に嘘を吐く罪悪感はあったけれど、本当のことを話すわけにもいかないだろう。そんなことを考えているうちに、二人の興味は別な対象へと移っていた。
「へぇ、じゃあこのイケメン君とはそっちで知り合ったわけ? どう見ても外国人よね」
「それにしたって、普通持ち帰ってきたりするぅ?」
――つまりは、シリルに。
「も、持ち帰ったって、人聞きの悪い言い方しないでよ!」
二人とシリルの間に割り込み、慌てて抗議する。いや、私が巻き込んじゃったようなものだからある意味間違いじゃないんだけど、でもそういうことじゃなくて! 焦っている私が珍しいからか、友人たちは面白そうな笑みを浮かべる。これはまずい、と思ったところで、すっと肩に手が置かれた。もちろん、手の主は言うまでもないだろう。
「すみません、ニナのご友人ですよね? シリルと言います、初めまして」
「……あら」
「びっくり。日本語喋れるんだ」
にこりと微笑んだシリルに対し、友人二人は僅かに頬を染め、驚いたように顔を見合わせる。うん分かるよ、シリルのこの笑顔は格好良いよね。けどこれ営業用の王子様スマイルだからね。あと日本語に聞こえるけど実はこれ日本語じゃないからね。私が向こうで言葉が通じるのは神子だからだと思っていたけれど、シリルも大丈夫だった理由は分からない。カタリナは、神子の傍にいるからだろうなんて言っていたけれど。
二人の問いに対し、彼は表情一つ変えずに頷いた。
「はい、ニナに教わったのもありますが、昔からニホンに興味があって。ニナが家に帰れるようになったと聞いて、僕の方から頼み込んだんです」
すらすらと経緯を捏造するシリルを見つつ、再び息を吐く。……この二週間でシリルに色々教えておいて良かった。この程度なら矛盾も無いし、実際二人も納得したように笑った。
「そっか、それで……じゃあニナ、二学期からは戻ってくるの?」
「あ……えっと、今から戻っても留年は確定でしょ? それならいっそ留学してこないか、って向こうの親戚に誘われてて」
その話を両親にしようと思って帰ってきたんだ、と付け足す。ここまでが来実さんと決めた作り話だ。予想通り友人たちはショックを受けたように目を見開いた。
「留学? そんな、連絡も取れないような国に?」
「うん。で、でもほら、たまには帰ってくるし――」
「……それ、理由は本当にそれだけ? シリル君のため、とかじゃないの?」
疑うような言葉に、私はぎくりと身を強張らせる。そんな私を見て、二人は悲鳴のような歓声を上げた。
「嘘っ、本当に? 冗談で言ったのに!」
「い、いや、あの」
「お兄ちゃんとお姉ちゃん超えてからー、なんてあんなに言ってたのに! 凄いねぇニナも女の子だったんだね、何か私感動したわ!」
「それは酷――」
「確かにシリル君イケメンだけど、一体どうやったら難攻不落のニナを落とせるのよ! ほら何があったの吐きなさい! 吐け!」
友人たちに詰め寄られ、助けを求めるようにちらりとシリルを見る。彼の苦笑は、それはもう分かりやすいほどに「諦めろ」と言いたげなものだった。
◆◇◆
「それにしても、面白かったね」
「シリルはね……」
ニナの家へ続く道を歩きつつ、隣のニナを見る。彼女は疲れたように嘆息すると、「でも」と笑顔で僕を見上げた。
「二人には納得してもらえたし、良かったと言えば良かったのかな。学校のみんなには、二人から説明してくれるだろうし」
「……ニナ、本当に」
「シリル。しつこい」
半眼で放たれた言葉に、僕は「う」と黙り込む。……冗談、だよね? うん、彼女が本気でそう言ったわけではないだろう。そう信じたい。いや、本音も混じっていたのかもしれないけれど、愛想を尽かされるほどではないはずだ。何も言わない僕を見て、ニナはくすりと笑みを零した。
「大丈夫だよ、シリルが私のことを思って言ってくれてるのは知ってる。……それでも私は、シリルと一緒にいたいから」
「ニナ……」
「はいはい、甘ったるいのはそこまでですわ」
突然、気怠そうな声と共に黒髪の精霊が舞い降りる。僕とニナは一瞬だけ固まり、互いに反射的に距離を取った。そんな僕たちを見て、カタリナさんは呆れたように目を細める。
「人が必死になって解析している間に……昼間からやましい行為でもしていましたの?」
「していません!」
「してない!」
二人で真っ赤になって否定すると、彼女は楽しそうにくすくすと笑った。しかし次の瞬間、カタリナさんは表情を引き締め、冷たくも見える表情で僕たちを見下ろした。
「でしたら、悪い知らせよ。……帰る方法、明日の夜には完成出来ると思いますわ。向こうの世界に魔力を繋げることには成功したので、ついさっき向こうを覗いてみましたの」
「それのどこが、悪い知らせなの?」
不安そうなニナの言葉に、僕も頷くことで同意する。帰る方法が見つかったのなら、それは良いことじゃないか。そんな僕たちに対し、帰ってきたのは嘆息だった。
「あれが本当に正しい光景なのかは分かりませんし、詳しいことは説明致しません。けれど、この世界ですべきことは明日までに終えておいた方がよろしいですわ。……ニナが早く帰らなければ、多くの人間がその命を落とすことになるかもしれません」
――アネモスだけでなく、他の国でも。
その言葉は、異様なほど辺りに響いて聞こえた。
こんばんは、高良です。他のことに熱中し出すと執筆出来ない癖を何とかしたいです。
そんなわけでちょっと時間が経過。シリル君も少しこちらの世界に馴染んだようです。しっかしニナの友人テンション高い。
そんな二人に、唐突に告げられる言葉。その意味は……
では、また次回。




