第十一話 歪み始めたのはいつ
「真澄ー、一緒に帰ろ!」
教室の扉を勢いよく開け、真澄の姿を探す。彼の席で荷物をまとめているのを見つけるなり、私は教室に駆け込んだ。
「お前さ……失礼しますくらい言っとけって、一応他クラスの教室なんだからさぁ」
「真澄のクラスだからいいじゃない」
「良くねえよ。慎は?」
「生徒会。慎も大変だよね、こんな時期になっても召集されるなんて」
私たちももう中三。受験に向けて、どの部活でも三年生は引退済みである。それなのに、幼馴染である少年は頻繁に生徒会に顔を出していた。
「ま、元会長だしなー。慎以上の奴はいねーだろ。あのチート野郎」
「褒めてないわよね、それ」
慎がいたら呆れられそう。でも、こればかりは慎が悪いわよね? あれだけ何でも出来るのに、何で私たちと一緒にいるんだろうとたまに不思議に思うくらいだ。
「慎のことだから入試も推薦で余裕だろうしなぁ」
「だよねぇ。ほんと化物」
慎の志望している高校は、県内でも有数の進学校。私も真澄も何となく慎と同じ学校を受験することにしたけれど、そう決めてから何度後悔したことか。だって私たちは慎と違って凡人なのに! よりによっての学校を受けることないでしょうに!
「でも、慎が余裕そうなおかげで教えてもらえるのは助かったわ」
「……いや、そうでもしてもらわないと俺ら、高校行けるかどうかすら怪しいけどな」
「それを言っちゃ駄目だってばー! 私ずっと心配なんだから」
遠い目をする真澄の腕を軽く叩くと、真澄は怪訝そうに眉を顰める。
「何が?」
「私だけ落ちたらどうしよう、とか……真澄とも慎とも、離れたくないもの」
言葉の裏に、僅かに込めた本音。ずっと一緒にいたから、というのもあるけれど、真澄に限ってはもう一つ理由があった。
いつからだろう。気付けば、私にとっての真澄は単なる『幼馴染の少年』ではなくなっていた。小さい頃は真澄も慎も同じくらい大切に想っていたはずなのに、いつからか天秤の片皿が沈んでいた。
それを伝えられれば、と何度思っただろう。だけど、真澄が答えてくれるとは限らない。幼馴染として傍にいることすら出来なくなるくらいなら、私は今のままで十分なのだ。今のままでも、幸せだし楽しいし。
「どしたー、咲月。そんなに心配なのか?」
ハッと我に返ると、覗き込んできていた真澄と目が合った。
「きゃっ!? び、びっくりさせないでよ!」
「ぼーっとしてる方が悪いっつの。大丈夫だって、何たって俺らの教師はあの慎だぞ? あいつなら絶対俺たちのこと受からせてくれるって。……スパルタだけど」
「スパルタってレベルじゃないけど、まぁそれはいいわ」
嘆息したところで、彼がもう帰る準備を終えていることに気づく。
「終わった?」
「おぅ、とっくに終わってるっつの。帰ろうぜ、腹減った」
二人で教室を出て、階段を降りる。校舎を出て少ししたところで、私はふとあることに気づいた。
「珍しいよね、二人で帰るのって」
「へ? あーそうだな、いつもは慎がいるし」
慎は今日と同じように生徒会で残ることも多かったけど、少し前までは私たちも部活で同じくらい残っていたから一緒に帰っていたし。そうじゃなくても、私たちのどっちかが他の友達と帰ったりすることもあるし。
「……私たちのこと知らない人が見たら、恋人同士とか思われるのかなぁ」
本当に何気なく出た言葉。少しだけ、そうであればいいな、という本音も混じっていたけど。
しかしその言葉に対し、真澄は嫌そうに顔を歪めた。
「うわ……ないわーお前と恋人とか、やめてほしいよなぁ」
「……何それ」
ムッとして思わず言い返すと、真澄もまたジト目で私を見てくる。
「だってなー。付き合うならもっと可愛い子がいいし」
「わ、私だって真澄みたいな普通の奴はお断りよ!」
売り言葉に買い言葉。慎がいたらきっと、呆れて嘆息していることだろう。
小さい頃から、いつもこう。大好きで堪らないのに、喧嘩ばかりしてしまう。今のは真澄が悪かったけど、だけど私が原因なこともしょっちゅうで、それが告白への躊躇に拍車をかけていた。
「大体、もっと可愛い子が良いって何様なの!? 自意識過剰っていうか、ちょっと欲張りすぎじゃないの! 真澄のくせに!」
「俺のくせにって何だよ! 咲月だって俺にそんなこと言う資格ねーだろ、自分だって十分普通のくせに!」
「何それ偉そうに! 真澄なんて私がいなかったら一生女子と仲良くなれないままなんだから!」
「偉そうなのはどっちだよ! そっちこそ、そんなんだからいつまで経っても彼氏とか出来ないんじゃねーの!」
「っ! ……うるさい、真澄の馬鹿っ!」
思わず、手に持っていた鞄を投げつける。腕で顔を庇う真澄に涙目で叫んで、私は逃げるようにその場を走り去った。
「だって、何もあんなこと言わなくても良いじゃない!」
「とりあえず落ち着いてね、咲月」
その日の夜のこと。叫ぶ私に、慎は自分の机の前に座り、椅子をこちらに向けて、呆れたように嘆息した。
「喧嘩するたびに僕のところに避難してくるのはどうかと思うな」
「だって、こんなこと愚痴れるの慎くらいしかいないもの」
ふてくされながら言うと、慎は再び嘆息し、机に向き直る。
「あまり遅くならないうちに帰りなよ? いくら向かいの家でも、女の子が遅くまで出かけているのはどうかと思う。それと、明日ちゃんと真澄に謝ること」
「どうして? 私は悪くないのに」
「本当に?」
静かな慎の声に、私はうっと声を詰まらせる。
「……そりゃ、ちょっと言い返しちゃったりはした、けど」
「だったらそれについては謝らないとね」
「で、でもあれは真澄が!」
「もちろん、真澄にも謝らせるけど。だけど、それは君が謝らなくていい理由にはならないよ」
「はぁい」
渋々返事をすると、慎は「よろしい」と微笑む。彼に対しては恋愛感情なんて抱いていないけど、それでも一瞬見惚れてしまった。
というか、慎に見惚れない女子なんていないと思うのだ。そこらのアイドルやモデル顔負けの容姿だし。少し親しくなれば、本当に非の打ちどころがないことが分かる。
……何で、彼女とか作らないんだろ。
「ねー、慎」
「何?」
「彼女いないの?」
直球で訊ねると、慎は驚いたように目を丸くし、そして苦笑。
「いないよ。咲月が一番よく知ってるだろ」
「そうねー、彼女いたらここまで私や真澄の相手は出来ないかぁ。じゃあ好きな人とか、いないの?」
そんな私の質問に、慎は一瞬硬直する。続く微笑みは、どこかぎこちなかった。
「……いないよ」
「嘘だぁ」
首を横に振る慎の言葉を思わず否定すると、案の定、慎は困ったように笑う。
「本当なんだけどなぁ」
「ふぅん。健全な男子がそれでいいの? 煩悩溜まるでしょ中学生」
「どこでそんなこと覚えてくるの」
「女子をなめないでよね!」
ふふん、と笑ったところであることを思いだし、私の心は再び沈んだ。
……真澄は、どうなんだろ。
「やっぱり、真澄も綺麗な子の方が好きなのかなぁ?」
「どうして?」
「だって、さっきそう言ってたし……あ、もしかして綺麗な子より可愛い子の方が良いのかな。私は、綺麗でも可愛くもないけど……」
「そんなことは無いと思うよ」
「慎に言われると逆に傷つくわ」
イケメンのくせに。可愛い女の子も綺麗な女の子も見慣れてるくせにっ!
「でも、真澄にちゃんと訊いたわけじゃないだろ? 売り言葉に買い言葉、ってこともあるんじゃないかな。真澄も割と挑発に乗りやすい人間だし」
「そーだけどぉ」
頬を膨らませると、慎は苦笑。そして立ち上がり、こっちに来て私の腕を掴む。そのまま彼は私の腕を引き、立ち上がるよう促した。
「ほら、そろそろ帰りなさい。明日にはちゃんと真澄と仲直りすること、いいね?」
「うん」
その言葉に私は頷き、ドアへと向かう。部屋を出る直前、私は振り返った。
「あ、あの、慎。ありがとう。いつもごめんね」
「……いや、気にしなくていいよ」
どうしてだろうか。
その顔が、どこか辛そうに見えたのは。
◆◇◆
「あ、ハル様。ちょうど良かった、聴きたいことがあったの」
「クレア? どうしたんだよ、一体」
一人で歩いていたときのこと、不意にそんなやりとりが聴こえた。両方とも聞き覚えのある声だったため、思わず物陰に身を隠し、意識をそっちに向ける。……うん、何か既視感を覚えるけれど、そこは無視しておこう。
予想通り、そこにいたのは双子の妹とその婚約者だった。珍しく、クレアは少し怖い顔でハルを睨んでいる。
……いや、珍しくも無いか。割と感情が出やすいタイプだし、気も短いから。けれど、あそこまで真面目な顔というのも珍しい。
「どうした、はわたしの台詞だわ! ついこの間まで先生と仲良さそうだったくせに、最近おかしいよ」
「おかしいって……どこが?」
「先生のこと避けているみたい、ハル様。たまにばったり出会っても、どこかぎこちないっていうか、冷たいっていうか……とにかく、前と違うもの! 一体何があったの?」
「……ああ、それか」
僅かに。恐らくクレアも、彼自身すら気づいていないであろうほど少しだけ、ハルの声が低くなった。
「別に、何でもない。クレアには関係ないだろ」
「関係ないって、そんな言い方」
元々厳しかったクレアの声が、更に厳しくなる。生まれてからずっと一緒なのだ、妹のことは見なくたって手に取るように分かる。
対し、ハルの声は僅かに穏やかになった。
「なら言い方を変えたって良い。クレアに心配かけたくないから、言えない」
「言ってくれない方が心配だわ!」
クレアの叫び声。そこまでは良いのだけれど、続く言葉が少しまずかった。
「気づいていないなら言っておくけど、わたしはまだハルのこと、好きでも何でもないんだから! お父様やシリルが……先生が、会うべきだってしつこいから会ってみるって言っただけで、本当は婚約だって――」
「知ってるよ」
強張ったハルの声。けれど彼は最後まで、クレアに対しては穏やかに話そうとする。
「知ってる。流石に俺だって、これだけ見てりゃ気付くさ。それでも俺は、クレアを愛してるから」
「……っ」
妹が顔を歪ませる。恐らく、罪悪感から……だろう。
クレアだって、気付いていないわけがないのだ。彼の、クレアに対する愛情の深さに。毎日一緒にいるのに、気付けないわけがないのだ。それを認めるのを邪魔する先生への想の存在は、クレアだけではなくハルだって知っている。
気まずい雰囲気に陥った二人に気づかれないよう、僕はそっとその場を離れ、足早に歩きだした。
……この間は大丈夫そうだと思ったけれど、この様子じゃハルが耐えきれるかどうか。
「何も、起きなければ良いんだけど」
思わず、気弱な本音を漏らす。何か起きてしまったところで、今の僕にはそれを止めることなど出来ないのだから。
だから……どうか、何も起きませんように。
こんばんは、高良です。ああああストック切れる怖い。
前半は今までとは視点を変え、幼馴染カップルで中学生時代のお話。高校時代に焦点を当てていた慎視点の話からも分かったかと思いますが、このときはそれ以上に仲が悪かった二人。そんな二人が無事結ばれたのはもちろん慎が頑張ったからですが……
後半は盗み聞きシリル君。この時点ではっきりと不安を覚えているのは、彼だけ。
では、また次回。




