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枯花廻りの籠の中  作者: 高良あおい
第四部
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第二十五話 記憶を連ね

 さっき一瞬だけ先生が見せた笑顔は、彼が僕の教育係だった数年の間にも何度か見たことがあるものだった。先生は怒るときだろうと笑顔を崩さないから、あの頃はそれが余計に怖かったのだ。いや、本当に余裕が無いときは笑顔じゃないこともあるけれど、それは本当に珍しいことなのだろう。今目の前を歩いている彼の表情はもういつもの穏やかな笑顔に戻っていたけれど、さっき見た顔は今まで叱られた中でも一番恐ろしくて、それを思い出すと声をかけることなど出来なかった。

 やがて、この神殿で先生に与えられた部屋へと辿り着く。先生の後に続いて中へ入ろうと扉を潜った瞬間、肌に触れた空気が僅かに震えたような気がした。思わず振り返る僕を見て、彼は苦笑する。

「申し訳ありません。シリル様のお部屋でも良かったのですが、あまり人に聞かれたい話でもないでしょう。この部屋なら、その心配はありませんから」

「魔法、ですか? 部屋全体に、何か……」

 躊躇いがちに訊ねると、先生は感心したように目を細める。

「そういえば、魔法も学び始めたと仰っていましたね。思ったより頑張っていらっしゃるようで、安心しました。……この部屋と、隣のリザの部屋にはいくつか魔法をかけています。情けないことですが、あれ以来少し警戒心が強くなってしまって。もちろん、ヴラディミーラに許可は取っていますよ」

 あれ、というのは間違いなく、数か月前の戦争のことだろう。ニナも言っていたけれど、やはり先生にとって当時のことはあまり思い出したくないことらしい。それはそうか、カタリナさんと話しているときの彼の表情を見ていれば分かることだ。

「さて、そんなところに立っていないで座って下さい、シリル様。長くなるでしょうから」

 先生の言葉に、僕はここに来た理由を思い出す。自分の表情が強張ったのを自覚しつつ、恐る恐る腰を下ろすと、対面に座った先生はどこか読めない笑顔で僕を見た。

「では、まず一つ質問を。……シリル様は、後悔なさっていますか?」

「……しているに、決まってます」

 その問いに、僕は体を硬くしたまま、どこか呻くように呟く。すると彼は僅かに目を細め、質問を重ねてきた。

「何に対して?」

「え?」

「僕たちの忠告を聞かなかったことに対してですか? いずれ一国を背負うその身を危険に晒したことに対して? それとも、自分の代わりにニナに怪我をさせてしまったこと? ニナに護られたこと? ……そもそも、彼女にそんな行動を取らせてしまったことに対して、でしょうか」

「それは」

 最後に付け足された言葉に、思わず目を見開く。本当に、一体どこまで見通せば気が済むのだろう。先生に隠し事なんて出来やしない。けれどそれについて訊ねても、今の先生は答えてくれないだろう。彼の表情に促されて、僕は力なく頷いた。

「全て、だと思います。ニナは自分が悪いと言っていましたけど、でもやっぱり僕が悪くて、そのせいでニナは――」

「……では、僕がこれ以上貴方を叱ることはありません」

 僕の言葉を遮るように、先生は首を横に振る。抗議の目を向けると、彼はどこか力なく微笑んだ。

「正直に申し上げますと、僕はニナと同じ考えなのですよ。勝手に護って怪我をした方が悪いのであって、護られた側が傷つく必要などどこにもないのです。……もっとも、その考え方がかつての僕を殺して、たくさんの人を哀しませてしまったわけですが」

 その言葉に、僕は師の『前世』の話を思い出す。そうだ、さっきリザさんだってそう言っていた。黙り込んだ僕に対して、先生は続ける。

「ただ、忠告されたにも関わらず、そのつもりは無かったにせよ危険に身を晒したという点では、貴方にも非はあるのでしょう。シリル様自身が自覚していらっしゃるのならば、僕からしつこく言う必要はありません。それに、本題は別にありますから」

「本題、ですか?」

 今の話がそうではなかったのか。思わず訊ね返すと、首肯が返ってきた。

「ええ。……先ほどの話に戻りましょう。全て、と貴方は仰りましたね。ニナに貴方を護るという行動を取らせてしまったことに対しても、後悔していらっしゃるのでしょうか?」

 さっきも僕を揺らした言葉が、再度投げかけられる。どうして今、と思ったけれど、言葉は全て喉の奥に詰まって、そんな問いすらも出てこなかった。再び読めなくなった彼の笑顔から目を逸らし、僕は何とか言葉を絞り出す。

「僕を護ろうと、そう彼女が思ってしまうほどニナと親しくなったこと、ですか?」

「ええ。アネモスに神子を繋ぎ留めることを考えれば、シリル様とニナが結ばれるのが一番手っ取り早い方法ではあるでしょう。陛下や兄様も、恐らくそう考えているはずです。ですが、貴方は――」

「ニナを元の世界に帰そうとしている。今もそのつもりです。……だから、親しくなったことを後悔しているんじゃないですか」

 どこか八つ当たりに近い口調で、僕はそう返していた。先生から目を逸らして俯いたまま、ずっと抱いてきた迷いを吐き出す。

「いつか、ニナが帰る方法を見つけたら……それがいつになるかは分かりませんけど、とにかくそうしたら彼女は向こうに帰って、彼女の日常に戻って、僕たちと会うことはもう二度とないんです。彼女のためにも、かつての先生のご両親のためにも、その方が良いはずでしょう」

 いつの間にか、彼を真正面から見つめて話していた。僕の言葉に、先生は困ったように瞳を揺らす。何も言葉が返ってこないのをいいことに、僕はどこか自嘲気味に続けた。

「僕は、ニナと親しくなるべきでは無かったんです。彼女の頼みを聞くべきでは無かった。もっと、あの子の頼みに対してはどこまでも冷酷に応えるべきだった。アネモスのことを思うなら、風の国の王子でいたいなら、王になろうとするのなら、僕はあの子に本当の意味で心を許してはいけなかったんです。……後悔、しているに決まっています」

「本当に?」

 静かな問いに、僕はびくりと肩を揺らす。彼の顔には微笑が浮かんだままだったけれど、その夜空の瞳は真剣な色を伴って、真っ直ぐに僕に向けられていた。右目の眼帯のせいだろう、昔から読みにくかったその表情は、あの頃より更に分かりにくい。目を逸らすことなど出来なくて、ただ表情を歪める。

「だって、……だって、そうでしょう?」

「アネモスの第一王子としての貴方ではなく、シリル様個人の意見をお訪ねしているのですよ」

「……でも、先生、僕は」

「王たれ、としつこく貴方に言い聞かせてきた僕が言っても、説得力はないかもしれませんね」

 ただ首を横に振り続ける僕を見て、先生は苦く笑った。無言を返すと、ふと彼は遠くを見るように――どこか懐かしむように、そっと目を細める。

「少し、昔話をしましょうか」

「昔話、ですか?」

「ええ。自分の心も周りの心も見えないまま、全てを失った愚かな少年の話です」

 先生の言葉に、僕は思わず目を見開いた。……それが何のことかは、訊かずとも分かる。分からないはずが無かった。先生の、『前世』の話だ。

「逸脱しているが故の孤独は、シリル様もよくご存知でしょう。僕は決して、幼馴染たちのようには振る舞えなかった。彼らと同じ世界を見ることも、同じ感情を抱くことも、かつての僕にはどうしても出来なかったのです。それを周囲に知られることが、何よりも恐ろしかった」

 自分だけが違うのだ、という感覚。幼い頃は僕にも付きまとっていたものだけど、先生と出会ってそうではなかったのだと知った。……なら、先生は?

「今思えば、リザは――柚希は、あの頃から僕を心配してくれていたのでしょうね。けれど僕はそれにも気付けずに、結局自分の命を捨てて、同時に彼女だけでなくたくさんの人を哀しませてしまった」

 返す言葉が見つからず、沈黙を返す。僕は一体どんな表情をしていたのか、先生はふっと苦笑した。

「申し訳ありません、話が逸れてしまいましたね。……シリル様は、ニナと出会って、親しくなって、どう思われましたか?」

「……どう、って」

「僕は貴方の理解者にはなれますし、こうして助言や忠告をすることも出来ますが、それだけです。ニナは、違ったでしょう」

 その言葉に、思わず俯く。肯定するのは躊躇われたけれど、確かにその通りだった。誰よりも近くに、今まで誰も来られなかったはずの僕の隣という場所に、あっさり入ってきてしまった少女。一度その温もりを知ってしまったら、もう捨てられるはずがない。全て見抜かれているのに、これ以上隠そうとしても滑稽なだけだろう。

「傍に、いてほしくても……それを伝えて嫌われたら、本末転倒じゃないですか」

「ええ、そうですね」

 抗議のような僕の呟きを、先生はあっさり肯定する。驚いて見上げると、彼は自嘲するような微笑みと共に言葉を続けた。

「ですから、忠告ですよ、シリル様。決めるのは貴方です。……後悔だけは、決してなさらないように。一度手放した物は、そう簡単に返ってはこないのですから」

「……はい」

 どうして彼が、そんなことを言ってきたのか。少し考えれば察するのはそう難しいことでもなかった。そっと頷く僕を見て、先生は「よろしい」と頷く。

「では、ついでと言っては何ですが、報告を。例の爆発についてですが、シリル様とニナが発見された辺りから残留魔力が発見されました。イグニスの魔法でしたが、恐らくグリモワールから先日持ち出された魔法道具を介したのだと考えられます。恐らく、シリル様が特定の場所に立つか、指定の時間になれば魔法が起動するようになっていたのでしょう」

「魔法道具、ですか?」

「ええ、智の国の人間には、何と言いますか……自分の作ったものに責任を持たず、放置するか売り払うかしてしまう困った研究者もおりまして。心当たりは何人かいますから、彼らをあたればネルヴァル侯との繋がりも洗い出せるでしょう。そこから先は、兄様の仕事です」

 あの侯爵が怪しいということは、ニナが目覚める前に全て伝えていた。だからこその発言なのだろうけど、先生の瞳の奥が笑っていないことに気付いて、僕は思わず硬直する。リオネルだけに任せるつもりは、恐らく無いのだろう。さっきはあんなことを言っていたけれど、先生も今回の件は我慢ならなかったらしい。……トゥルヌミール家の兄弟が協力するとなれば、もうネルヴァル侯爵家は終わりだろう。あの侯爵に同情する気は皆無だが、それでも背筋に冷たいものが走った。

 そんな僕を見ておかしそうに微笑むと、先生は続ける。

「それと、アネモスには予定通り明日帰国しますが、シリル様とニナは転移の魔法を用いて移動することになります。もちろん僕とリザも一緒ですし、魔法自体僕が管理致しますから、その点でのご心配はいりません」

「……そうなるだろうとは思っていました」

 こんな事件があった後で、悠長に馬車を使って帰国するわけもないだろう。もし先生とリザさんが同行していなければニナが重体のまま、聖地にあらかじめ用意された転移の魔法で二人だけ帰らされていた可能性なんかもあるわけで、そういう意味では本当に助かった。

 そこまで考えたところで、ふと思い出す。

「そういえば、先生とリザさんはどうして聖地に? 調べ物があると言っていましたよね。アネモスに帰ってくる前はクローウィンにいたと聞きましたけど、それと関係があるんですか?」

「ええ、ご名答です。正しくは、かの国で受けた依頼に、と言うべきでしょうか」

 隠すつもりも無かったのだろう、僕の問いに先生は首肯を返してきた。

「シリル様、ニナが降りてから、神泉を訪れたことはありますか? ……神子がアネモスに降りた、という噂が広まって少しした頃のことです。クローウィンの神泉の様子がおかしいのだ、とかの国の国王陛下から相談を受けまして」

「様子が、おかしい?」

「はい。それが神国だけであればいいと思ったのですが、アネモスもまた同じような状態になっていたのは確認済みです。もっともこちらは魔法が使えなければ分からない程度の、些細な異変でしたが」

「……気づきませんでした」

 神子を神子であると判断する――そして同時にその神子が国にとって『有害』ではないか判断する、聖なる泉。神殿自体が存在しないという智の国を除く全ての国の、最も大きい神殿の中に必ず作られている。普段はただ恐ろしく澄んでいるだけの何の変哲もない泉だが、神子が降りているとだけは例外だった。その国の神泉には神の力が満ち溢れ、泉に祈った人間は一時的に能力が増大するという。国によって祝福だとか神が降りるだとか色々な呼ばれ方をされているけれど、神官たちはそうなった神泉を畏れ多いと言ってあまり近づかない。元々一般人が軽々しく入れる場所ではないし、それなら様子がおかしくなっても分からないだろう。

「ここでも色々と調べていたのですが、どうやら異変は全ての泉で起こっているようですね。……ついでに言っておきますがシリル様、原因が分かるまでは、軽はずみな行動は避けてくださいね」

「……どうして今言うんですか、先生」

 クレアじゃあるまいし、そんな……いや、小さい頃はクレアと悪巧みばかりしていたから、むしろそのせいだろうか。まだ何もしていないのに呆れ顔の先生から、僕はそっと目を逸らした。


こんばんは、高良です。


リザとニナが話しているのと同じ頃、部屋を出て行ったこの二人もまた、似たような会話をしていました。後悔するな、という二人の言葉は、果たして……


ところで今日(四月六日)は慎の誕生日です。あとがきまで読んでくださっている読者さんなら、少し前に柚希の誕生日があったことを覚えてくださっているでしょうか。同い年でいられる期間が短いのって萌えませんか私は萌えます。


では、また次回。

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