88.鉄の令嬢と魔女
「ふう……緊張いたしましたわ」
法務卿であり帝国のスパイでもあったエイブ・マクベスとの非公式の会談を終えて、メルティナ・マーセルは深々と溜息をついた。
メルティナは事前に用意しておいた馬車に乗り込んで帰路についている。馬車の中には彼女を除いて、メイドが一人座っているだけだった。
「見事な説得でしたよー、メルティナさん。私にはああいう交渉事はできないので助かりました」
「お誉めいただき光栄ですわ。ネイミリア様」
メイドの口から放たれた賞賛の言葉。メルティナはやや緊張した顔つきで答えた。
ドレスを着た令嬢とメイド服の使用人。傍目から見れば前者が上位者であるように見えるのだが、この二人の上下関係は真逆である。
メルティナはネイミリアの機嫌を損ねないように細心の注意を払いながら、上目遣いで口を開く。
「これで王宮の上位貴族の一人であるマクベス法務卿はレイドール殿下のために動いてくれるでしょう。ご満足いただけましたか?」
「はい、きっとご主人様もお喜びになりますよ」
「そうですか、それはよかった」
朗らかな笑みを浮かべるネイミリアに、メルティナはほっと胸を撫で下ろした。
ネイミリアは終始、能天気な笑顔を浮かべているものの、それが表面的なものでしかないことをメルティナは知っていた。
ネイミリアはかつて世界を滅ぼしかけた『破滅の六魔女』の一人であり、この世で最も恐るべき怪物の一角なのだから。
マクベスを追い詰めた内通の証拠品も、ネイミリアが影の使い魔を召喚して探し出したものである。
闇に潜み、どこにでも潜り込むことができる影に隠し事などできない。
マクベスを筆頭に、すでに王都にいる有力な貴族の屋敷は丸裸にされており、彼らの弱みはことごとく握られている。
(恐ろしい人。本当に、恐ろしい……)
かつて、メルティナはレイドールに呪いをかけて操ろうとして失敗して、そのまま開拓都市の牢屋に閉じ込められることになった。
もともとメルティナは父親であるロックウッド・マーセルから捨て駒として放たれたのだ。捕らえられることも、無礼討ちされることすらも覚悟の上だった。
しかし――虜囚となったメルティナを襲ったのは、殺されるよりも恐ろしい生き地獄であった。
(国王陛下、父上――申し訳ございません。私にはもう、こうするしかないのです)
メルティナはドレスの胸元にそっと触れながら顔を伏せ、睫毛で憂いを帯びた瞳を隠す。
メルティナの左胸にはネイミリアによって呪いの刻印が彫られている。
グラナードに刻まれたのとよく似たデザインの刻印は、日夜メルティナの心を苛んでいた。
「ああ、メルティナさんはご主人様のために良く働いてくれましたから、ご褒美をあげないといけませんよね?」
「そんな…………ああっ!?」
「遠慮しないでください。ほらほら、気持ちいいですよー」
「くっ……ふっ……やめ、アアアアアアッ……!」
メルティナは身体を襲う激しい快楽に身をよじらせて、舌を出して嬌声を上げた。
全身を蝕む激しい快楽は数えられないほど味わったものだが、今だに慣れることを許さずメルティナの理性を削ぎ落としていく。
計画に失敗して虜囚となってからというもの、メルティナは呪いに悩まされ、狂わされる毎日を送っていた。
それはレイドールとネイミリアが開拓都市から王都へと旅立ってからも変わらない。
開拓都市の牢屋に置き去りにされたメルティナは、鉄格子の向こうで孤独に己を慰める日々を送っていたのである。
(いっそのこと、死んでしまえばいいと何度も思った。だけど……この魔女はそれすらも許してくれない……)
メルティナが自害をしようとするたび、得も言われぬ激しい衝撃が身体を貫いて気を失ってしまうのだ。
そして、目を覚ませばまた呪いが身体を毒してくる。それが無限に続くのだ。
メルティナは宰相である父親から、ザイン王国のために生きて、死ぬことができる人間であれと教育を受けている。
その一環として、拷問に耐える訓練も受けていた。
しかし、このおぞましい魔女の手練手管の前にはそんなものは何の役にも立たないことを痛感させられてしまう。
『苦痛は訓練すれば耐えることができるんですよねー。辛い物も食べているうちにクセになっちゃうのと一緒ですよ。だけど、愛情や幸福、快楽に逆らえる人なんていないんですよ。私だって、『あの人』を愛したせいで二百年も封印されちゃったんですから』
それは開拓都市から離れる直前、ネイミリアが言い残した言葉である。
そして、その言葉の通りにメルティナは快楽という地獄の前に屈することになってしまった。
毎日のように襲い来る性の衝動はメルティナから誇りや信念、理性を削り落としていき、されど完全に狂うことがないように絶妙に力加減をされている。
最初の頃こそ刷り込まれた愛国心のために反発していたメルティナも、やがて呪いの前に膝をつき、魔女に慈悲を乞うようになってしまった。
『私は宰相の娘。マーセル家の娘』
『国のために生きる義務がある。国のために死ぬ義務がある』
『本当にそうなの?』
『私がこんなに苦しんでいるのに、王国は私のことを助けてくれない』
『お父様だって私のことを見捨てた』
『それなのに、どうして国に尽くさないといけないの?』
終わることのない快楽の地獄の前にメルティナの信念は熱された鉄のように溶かされていき、やがて新しい形で固まって生まれ変わることになった。
『国のため、国のため、国のため』
『レイドール殿下が王になったほうが国のためになる』
『私をここまで変えてしまった殿下だったら、この国をもっと良くすることができる』
『どうせ帝国に滅ぼされるはずだったんだ。だったら、そんな王国をすくった殿下こそが王になるべきだ』
歪められた信念はやがてメルティナの中で確固たる形を持っていく。
数ヵ月の牢屋での生活の後、ネイミリアが迎えにやってきたときには、メルティナは迷うことなく平伏していた。
『レイドール殿下に忠誠を誓います。どうか私の忠義を受け取ってください』
両手両足をついて、頭まで地べたにこすりつけるという人生で最も情けない姿をさらしたメルティナに、ネイミリアは満足そうに頷いた。
『あなたは見込みがあると思っていましたよ。メルティナさんだったら、立派な犬になれる』
そのときネイミリアが浮かべていた表情を、メルティナは生涯忘れることはないだろう。
聖母のごとく優しい笑み。慈母のごとく穏やかな笑み。
それはメルティナにとってレイドールの犬になることが幸福なものであると疑ってもいない、悪魔のごとく優しい笑顔であった。
「……最初から勝てるわけがなかった。私も、お父様も。国王陛下だって」
「何かおっしゃいましたか、メルティナさん?」
「いいえ、何も言ってはおりませんわ。ネイミリア様」
ネイミリアからのご褒美を強制的に堪能させられ、追想を終えたメルティナが首を振って応える。
「それで、次は何をすればよろしいのでしょう? レイドール殿下のためだったら何だっていたしますわ」
「それじゃあ、今度は商人を切り崩しましょうか。ご主人様が戻ってくる前に、王都の有力者をみんなご主人様の味方にしましょう!」
太陽のように表情を輝かせて言い放つ魔女に、メルティナはそっと瞳を閉じた。
再び目を開いた時には先ほどの憂いも迷いも消えていた。
「かしこまりました。全ては我らが主――レイドール殿下の御為に」
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