四の十九
「ようこそ、ハイラスマート領へ!」
街道を通りハイラスマート領に入ると早々に歓迎された。小高い丘の上で街道を見ていたであろう兵士の一団。掲げる旗を見るとハイラスマート領兵団か。
アルケニー監視部隊が近づくと丘から下り、整列して出迎える。薄い金色の髪をショートカットにした女騎士が馬から下りて、手を開いて歓迎の意を示す。
エクアドが馬から下りて女騎士の前へと。
「出迎えありがとうございます。アルケニー監視部隊、隊長のエクアド=オストールです。エルアーリュ王子の命により、ハイラスマート領での支援を行います」
儀礼的にエクアドがエルアーリュ王子の命令書を出して見せる。女騎士はそれを確認して、
「スピルードル王国に誉れあれ。私はハイラスマート伯爵が長女、ティラステアです。我ら青風隊がこの地でのアルケニー監視部隊の道案内と護衛を務めさせていただきます」
女騎士、ティラステアが右手を左肩にあてキッチリと礼をする。エクアドも隊長としてその礼を受ける。一通りの挨拶が終わるとティラステアはニヤリと笑みを浮かべる。
「エクアド君もこれは出世ってこと? 相変わらず君らコンビは妙なことになるね」
「なかなか楽しいぞティラス。飽きるということとは無縁だ」
アルケニー監視部隊は騎馬の一団、青風隊と合流し近くの町へと向かう。
この地のハイラスマート伯爵領はウィラーイン領の隣。父上の妹が今のハイラスマート伯爵婦人で、ティラスとはいとこになる。王都の騎士訓練校では男女別だが年一回の交流戦、通称紅白戦でエクアドとも面識はある。
町への移動中、馬に乗りゆるりと進みながらティラスが話をする。
「カダール君が黒蜘蛛の騎士になるとはね」
「ティラスこそハイラスマート領兵団の隊長になっていたとは」
「いいえ? 私は青風隊の隊長。今回のアルケニー監視部隊のお世話係の隊の隊長ね」
「臨時の部隊か?」
「そういうこと。私の父上がね、私にそろそろ嫁に行くか婿を取るかしろって。それで今回、青風隊の隊長の立場を使って、エクアド君かカダール君にアピールしてこい、というね」
「ハイラスマート伯爵はそんなことを本気で言う方では無いだろう」
「うちの父上は本気では無くても、冗談でそういうことは言う人でしょう。という訳でこの私、ティラステアをひとつよろしく」
ウインクして微笑むティラスの言うことは、本気で結婚を焦っているようには聞こえない。昔から負けず嫌いなところがあり、男に負けるか、と、それで騎士になった女。ティラスについてはゼラにも説明してある。
「カダールの、友達?」
「幼馴染みとも言うかな? ゼラさん、よろしくね」
ティラスは初めて見るゼラのことを上から下までジロジロと見る。
「噂のアルケニーを初めて見るけれど、蜘蛛の身体が大きいね。馬が怯えるかと思ったけれど、意外とそうでも無いのは不思議ね」
「それはゼラの特技らしい」
人、というか主に俺に怖がられたく無いというのと、人に気づかれないように魔獣特有の魔力を隠蔽しているゼラ。強い魔獣の持つ畏怖や威圧、そういう気配を隠している。
かと言って全ての獣がゼラを怯えないということは無い。ゼラが見て、美味しそう食べたい、と思ったときには動物はそれを感づいて怯え出したりする。
これまで美味しいお肉を父上がゼラに与えてきたこともあり、ゼラは家畜を襲わないと決めていることもあって、馬に犬や猫を見てゼラがヨダレを垂らすことは無い。ゼラが日頃の食事に満足していると、馬はゼラに怯えない。
半分人型と身体のサイズのこともあるが、灰龍を倒せるほどの怖い魔獣に見えない、というのがゼラの隠蔽能力のひとつらしい。以上はルブセィラ女史の観察からの仮説。
「ゼラが気を使って人や馬を怯えさせないようにしてるんだ。そのせいでゼラが強そうに見えない。そこを勘違いされると困る」
「ゴスメル平原での戦闘は父上に聞いたよ。あれはオーバードドラゴンだ。絶対に機嫌を損ねないように気をつけろってね。可愛い顔してるのに」
ティラスを見ていたゼラが、
「ゼラ、可愛い?」
「あぁ、可愛い。スピルードルじゃ褐色の肌ってあんまり見ないけど、それがまた神秘的だね。声も可愛い」
「ありがとう、ティラス」
「こうやって魔獣とお話ができるなんてね。青風隊はアルケニーを見るのが初めてというのが多いから、失礼があったらゴメンね」
「ウン、ゼラも人のこと勉強中で解らないことおおいの」
「そこはお互い様? カダール君、いつのまにこんな凄い娘、見つけたの」
「見つけたのは八歳のときになるか。む? そうなるとゼラとも幼馴染みとなるのか?」
町に到着。回りに草原の広がる中に町壁に囲まれたハイラスマート領、北端の町。ここで今後の予定を話し合うつもりが、
「今日のところはアルケニー監視部隊歓迎ということで、簡単に歓迎の宴を用意してるよ」
「いや、支援しに来て歓迎の宴って」
「ハイラスマートの羊で焼き肉パーティ、酒もあるし宿も用意できてる」
「それはありがたいが、宿ってゼラの入れる建物なのか?」
馬から下りたティラスはゼラの下半身の蜘蛛体をじっくり見て申し訳無さそうに。
「ちょっと無理かな。扉が通れないよね」
「こちらはテントを用意しているから、夜営してもいいところを教えてくれ」
予想通りというか町の住人はゼラを見に来てざわついている。町中の広場に鉄板と炭を用意して屋外焼き肉パーティと。青風隊と交流するにはいいのか。
このハイラスマート領では森から離れたところで羊の放牧が盛んなところ。羊毛と羊の肉が名産。町の住人、飯屋に酒屋も参加して料理を作る。
エクアドと顔を寄せて少し話す。
「歓迎されるのは有り難いが、こうして人が集まるとそこにラミアとかどこぞの密偵が侵入しても解らんか」
「かと言って歓待を断るのもな。今回は俺達はある意味で、エルアーリュ王子の慈善活動の看板でもあるし」
「そうなると警備は難しいか」
「カダールが気にするのも解る。だが、ゼラを隠し過ぎてもいろいろ勘繰られる」
「人に見られ無ければ恐ろしい魔獣と噂が広まるかもしれんし。それに教会の聖獣認定の為には、こうして評判を上げるのも有効か」
「なんだかアルケニーの監視というよりは、有名な詩人か女優の護衛のようだな」
青風隊と町の住人と、羊の焼き肉を食べて酒を飲む。ゼラのところに人が集まるのを数人ごとに分けて交代にする。
ゼラも焼き肉を食べて甘めのお酒を飲みながら人と話をする。酒なら問題無い。ゼラは酒精には酔わないのだから。お茶をゼラに飲ませないようにしていればいい。
俺とエクアド、ルブセィラ女史にアルケニー監視部隊が目を離さないようにしながら、屋外焼き肉パーティを楽しむことに。
ゼラは初対面の人が相手でも、昔のルブセィラ女史のように迫る人物で無ければ、あまり警戒はしない。気楽に青風隊の兵に聞かれたことに応えている。
「チチウエがね、ゼラに乗るのが好きなの」
「そのチチウエってのは、ウィラーイン伯爵のことで?」
「ウン、ゼラに乗って横になってモフモフするの。ゼラの背中は極上だって」
「へー、義の貴人ハラード様がねぇ。アルケニーの蜘蛛の背って、そんなにいいものなのかい?」
「それでね、カダールがたまに怒るの。チチウエ、いい加減に下りてくださいって。そしたらチチウエ、しょんぼりするの。かわいいの」
ゼラの話に聞いていた者がドッと笑う。
「無双伯爵もアルケニーには形無しか?」
「いや、息子の彼女に甘えて息子に怒られる親父ってなんなんだ」
「ウィラーイン伯爵家っておもしろいな」
むぅ、ゼラがいつの間にか人の心を掴むトークを身に付けている。その為にネタにされるのは俺と父上になってしまうが。だが、これでゼラが人と上手く話ができるのなら、父上も本望だろう。父上に限らず母上もアルケニー監視部隊も、ゼラの蜘蛛の背を撫でたり顔を埋めたりするのが好きだったりするのだが。
ティラスが笑顔で俺の杯にワインを注ぐ。
「カダール君は黒蜘蛛の騎士になった訳だけど、ゼラさんとはどうなの? あの絵本みたいに二人で人になる魔法を探してるの?」
「あの絵本って、『蜘蛛の姫の恩返し』か? 人になる魔法なんてあるわけ無いだろう」
「ふうん? カダール君のことは昔から知ってるし、親同士の付き合いもあるし。私か妹がカダール君に嫁ぐことになるかと思ってたんだけどね」
「灰龍被害復興の為に結婚する予定だったのだがな」
「バストルン商会のお嬢さんとね。急に決まったから驚いたけど」
「それも無しになって、今の俺にはゼラがいる。今のところ結婚する気は無い」
「世の中、何が起きるか解らないね。父上が、ハイラスマート領でのことが一通り終わったら屋敷に来いって。晩餐会するからって」
「大げさにしなくとも良いのに」
「噂の黒蜘蛛の騎士と縁を繋ぎたいっていうのが父上のところにお願いに来てるのよ。面倒だけどちょっとだけ相手をしてくれない?」
「それは本当に面倒だ」
「妹のフェルマティアは憧れの剣雷が蜘蛛の姫に取られたって泣くかもしれないけれど、そっちもどうにかしてね」
「それは俺ではどうにもならないと思うのだが」
ティラスと旧交を暖める話をしつつ、ゼラの様子を窺う。ゼラはゼラでこっちをチラチラ見ながらも、集まる人と話をする。こういうところでちゃんとできると立派な妻だ、と母上に教えられて、それを頑張っている。偉いぞ、ゼラ。
「それでね、こうして肩を下げて首を傾けるの。首を長く見せるようにして、この首の線が綺麗に見えるように、うふんってすると色気が出るって。ハハウエが教えてくれたの」
「赤炎の貴人は何をアルケニーに教えてんだ?」
「流石ウィラーイン伯爵家、怖れるものは何も無し、か」
ゼラのトークで場が盛り上がる。その度にウィラーイン伯爵家の内情が晒されているようだが、まぁいいか。
この辺りがどう伝わったのか。ウィラーイン伯爵家はアルケニーに物怖じしない。それどころか家族のように迎える剛胆なる一家だと噂に。スピルードル王家はそれを見抜いてアルケニーのゼラをウィラーイン伯爵家に預けた、と、まことしやかに伝わることに。




