エピローグ 2◇???の来訪
一人の少女が道を歩く。
「おお! 見えて来たのじゃ! あれがローグシーの街!」
鍔の広い帽子を被り、旅人らしい服装に身を包み、リュックを背負う歳の頃、十二、三歳くらいの少女は、小さく身体を震わせる。
「長かった……、長かったのじゃ……」
青く晴れた空の下、喜びに震える少女は目に涙を潤ませる。
「道に迷い、見つかって連れ戻され、お仕置きされて、また逃げ出して森を抜けて、人間に会ったら、なんでか精霊様とか崇められて、なんか怖くてまた逃げ出して、クインに見つかって連れ戻されて、怒られて……」
少女はハッと気がついたように自分の身体を見下ろす。身体をねじり腰の後ろを見たり、足を上げてズボンの裾を上げて足首を見たり。
「人化の魔法は上手くいってるのじゃ。これならなんとかなるじゃろ」
一通り確認すると弾むような足取りで、白い街壁に囲まれた街へと進む。
「クインとアシェばっかりズルイのじゃ、ワシだって騒ぎなど起こさんのじゃ。待っとれよ、ワシの姪、おっぱいいっぱい男」
呟きながら楽しみに胸を膨らませて、鼻歌しながら浮かれて歩く。
ローグシーの街の門、そこでは守備隊が街に出入りする人を調べている。人が多く列ができている。
守備隊は見慣れない顔の人には、ようこそローグシーへ、と、にこやかに挨拶し、魔獣深森に向かう顔見知りのハンターとは、軽口を叩いて拳を合わせて送り出す。
列に並ぶ人達に果実水を売る少年が声をかけたり、列に並ぶ人を整理する隊員が、旅芸人に明るく挨拶する。
「うう、緊張するのじゃ……」
街に入る列に並ぶ少女は、リュックの肩紐を握り締め、帽子の下の表情を固くする。街に入る人の列は進み、いよいよ少女の番に。前にローグシーの街の守備隊の隊員が立つ。
「ようこそ、ローグシーの街へ」
隊員の声に少女が顔を上げる。
「お、おう、よろしくなのじゃ」
「お、男の子かと思ったら声は女の子。お嬢さん、家族は?」
「か、家族はおらん。ワシ一人なのじゃ」
「一人? 連れはいないのかい?」
「そうじゃが?」
「女の子が一人で? ここは魔獣深森からも近くて危ないのに、ローグシーまで一人で来たのか?」
「そ、その通りじゃ」
少女は胸を張り、動揺を隠して返事をする。
――ぬぬ、見た目で小さい娘扱いされとる、もしかして、子供の一人旅って不味いのじゃ?――
訝しげに見る守備隊の男は、あ、と声を出し気がついたように言う。
「もしかして、家族がいないというのは、魔獣に襲われて?」
「そ、そうじゃ、そうなのじゃ。天涯孤独の身となり、頼る者も無く、一人でローグシーの街に来たのじゃ」
「そうだったのか……、解った、ローグシーの孤児院に連絡しよう。お嬢さん一人なら」
「いやいや、心配無用、ワシは、そう、この街の親戚を頼りに来たのじゃ!」
「親戚がこのローグシーの街に居るのか。お嬢さんとはどんな関係の親戚かな?」
「ええっと、ええっと、父の弟の妻の息子の姉の母の夫の兄で、」
「随分遠い親戚だなあ、ローグシーの何処に住んでる? 名前は?」
「名前は、えーと、なんと言ったかのお」
「名前も解らない親戚? お嬢さん、そんな親戚に頼るのかい?」
「名前は、そうじゃ思い出した、オパカダ、という名前なんじゃ」
「オパカダ? 変わった名前だな。そう言えばお嬢さんの喋り方も、なんだかじいさんみたいで変わってるけれど、こんなちっちゃいのに自分のことワシって」
「いやいやぁ、ワシの田舎じゃあ、皆こんな喋り方じゃぞ? これ、おかしいのじゃ?」
「このローグシーも西の果ての辺境って言われるけれど、お嬢さんはよっぽど辺鄙なとこから来たのか。じゃあ、帽子をとって顔を見せて」
「お、おう、しばし待っとれ」
「なんだろ? この見た目と話し方のギャップは……、ちょっと可愛いかも」
少女は帽子の顎紐に手をかけてほどき、鍔の広い帽子を頭から外す。帽子に詰められていた金の髪がバサリと流れる。腰まである巻き毛の髪は、根本が金色で毛先に行くと濃い赤色という、不思議な二色の髪の色。
その髪と帽子の下の顔を見た隊員、目の前の男も、近くで様子を見ていた守備隊の隊員達も、反射的にスッと腰を沈め、左手を腰の剣の鞘に運ぶ。一瞬の緊張が走る。
――な、なんじゃ? バレたか? いやワシの気配隠蔽が人に見破れるハズが――
少女は狼狽し目を泳がせる。
ウィラーイン領には猛者が揃う。ローグシーの守備隊の隊員は魔獣深森で鍛えられた兵ばかり。少女の魔法が見破れなくとも、カンで何事かを察知した隊員の身体が、反射的に動いた。
少女の相手をしていた男は、左手を剣の鞘からそっと離し、姿勢を直して顔に笑顔を取り戻す。
「いや、ごめんごめん、珍しい色の髪を見て、驚いた。金と赤の二色の髪というのは、初めて見たから」
「そ、そうかのー? ワシの田舎じゃ、珍しくも無いんじゃがのー?」
少女の話を聞く隊員は腕を組み、少し大きな声で、注目する人の列にも聞こえるように言う。
「南方のジャスパル王国では、精霊の加護を持つ人は、精霊に染められた変わった髪色をしているというけれど、お嬢さんも?」
「そうじゃ、そうじゃ、ワシの祖母がよく精霊様をおがんどったのじゃー」
「そうか、やっぱり。お嬢さんは南の方から来たのかい?」
「あの、もう帽子被っても良いのじゃ?」
「あぁ、いいよ。っと、待たせたね。お嬢さん、街に入ってもいいよ」
「うむ、お務め、大儀ぃなのじゃ」
――ふー、なんとか誤魔化せたのじゃ、ほれ見たか、ワシも人に紛れるとかできるのじゃ――
少女は門をくぐり、意気揚々とローグシーの街中へと足を進める。
少女の様子を離れて見ていた守備隊の副隊長は、近くに立つ旅の詩人風の女――偽装したウィラーイン諜報部隊フクロウの一人――に向かって、拳を握り、開いて、少女の背中を指差す。女はひとつ頷き、少女の後をつけて行く。
少女と話をしていた隊員が、守備隊の制服を隠すように外套を羽織りながら、にやにやと笑みを浮かべて副隊長のところに来る。
「副隊長、俺も行きます」
「お願いします。気付かれないように、刺激しないように」
「ふっふ、解ってますよ」
「そのにやけた顔を隠して下さい」
「おっとっと、いけないいけない。では、行きます」
そして守備隊の隊員も一人、少女の後を追う。二人の人につけられた少女は気づきもせずに、街の中に進んでいく。
「な、なんじゃ? 祭りか? 賑やかなのじゃー」
帽子を被った頭をキョロキョロさせて、少女はローグシーの街の大通りを進む。足を止めては通りで歌う詩人や似顔絵描き、黒の聖獣関連のハンカチやアクセサリーを売る屋台、広場の紙芝居に足を止める。
「人が多いのじゃー。人の街とはこういうものなのじゃ?」
ローグシーの街に来る人は多い。黒の聖獣を一目見ようという巡礼者、ハンターを目指す若者、中には黒の聖獣と黒蜘蛛の騎士を調べようという、他国の間者もいる。
ローグシーの演芸場ではここから『蜘蛛の姫恩返し』ミュージカルが誕生し、これが王都で人気の女優アイシーの出世作となった。旅の芸人や旅回りの劇団も、このローグシーで公演すると当たると噂になって来るようになった。
長年の持病に悩む者も、黒の聖獣の癒しを求めて訪れる。
いかにも初めて街に来た、という風情で足を止めてはあちこち見る少女に、声をかける男がいる。
「おーい、そこの帽子のお嬢ちゃん」
「ぬ? ワシか? な、なんじゃ?」
「飴はいらねーかい?」
飾り飴を売る屋台の親父が、客をむかえる笑顔で言う。
「飴? これが飴なのじゃ?」
少女は目を丸くする。串の先には色とりどりの様々な動物。猫、リス、犬、小鳥、蜘蛛、トンボ、蝶。
「ほおー、これ、食べられるのじゃ?」
「当たり前よ、食えねえもんは売ってねえよ。なんだお嬢ちゃん、飾り飴を見るのは初めてか?」
「飾り飴、ほおー、これどうやって作っとるのじゃ?」
「俺ぁ、これでも火系の魔術が使えんだよ。だからこう、火で飴を炙ってだなー、ほいほいほいっと」
「おおおおお! みるみる形ができるのじゃー? 魔法のようじゃ!」
「なんだ、ノリがいいな、お嬢ちゃん。どうだいひとつ。この蝶の飴は蜘蛛の姫様もお気に入りの、自慢の一品なんだぜ」
「お、おう。あ、ワシ、金を持って無いのじゃ」
「ありゃ、残念」
「ちょ、ちょっと待つのじゃ」
少女は服の中から、首から下げた袋を取り出すと、その中に手を入れて屋台の親父に差し出す。
「これで買うのじゃ」
「……あのな、お嬢ちゃん」
少女の差し出すものに目を丸くする屋台の親父。少女が指に挟むのは、大人の指の長さ程もある、大きな金剛石。宝石に縁の無い親父でも、とんでもない品と一目で解る。
――こいつでこの屋台、百個は買えるんじゃね?――
屋台の親父は手を伸ばすと、少女の手に大きな金剛石を握らせて。
「あのな、お嬢ちゃん。そんなもんここで出すんじゃねーの。手癖の悪い奴に見つかったらどうすんだよ」
「ぬぬ、これでは買えんのじゃ?」
「釣りが足りねえよ」
「これ売って金に変えるつもりなんじゃが……」
「だったらな、お嬢ちゃん」
親父が通りの向こうを指差して。
「この通りを真っ直ぐ行くと、ハンターギルドがあってな、その近くには魔獣素材を売り買いする店とか、遺跡迷宮の発掘品を買い取る店があるからよ。そこで売ってくりゃいい」
「おー、そうなのじゃ? そこならコレ売れるのじゃー?」
「おおよ。だけどな、先にハンターギルドに行った方がいい。剣と楯と牙の看板ですぐ解る。ローグシーのハンターはお節介な奴が多いから、そこで宝石売れるとこまで連れてって、と頼むといい」
「解ったのじゃ、お前はいい奴なのじゃ」
「この街はお人好しが多いって言われてるらしいじゃねえか。ずっと住んでるとわかんねーけどよ、ほい」
「むぐ?」
少女は驚きで目を見開く。
――なんじゃこの男? 不意を突かれたとはいえ、一瞬でワシの口の中に串を? 気配が読めんかった、もしこれが目でも狙われとったら、ワシは、いや、ワシの口に何を入れた? コレ、甘い?――
目を白黒させる少女を見て、飴屋の屋台の親父が、がはは、と笑う。
「どうだ? 俺の自慢の飴の味は?」
「あ、甘いのじゃ……」
「うちは辛い飴は売ってねーな」
「あの、ワシ、金持って無いんじゃが」
「ツケにしとくわ。小銭ができたら、また来てくれ」
「お、おう。感謝なのじゃ、お前は仁徳ある良き男なのじゃ」
少女は串に手をかけて口から飴を出す。唾液に濡れた赤い蝶の飴がキラリと光る。
――キレイなのじゃー、甘いのじゃー、よし、早いとここの石売って金にするのじゃ。そしたら、もう一個買えるんじゃ――
飾り飴の串を片手に満面の笑みで通りを進む少女。その少女をそっと詩人の女と守備隊の隊員が後をつける。
屋台の飴屋の親父は、その三人を見送る。
――守備隊の若造が後をつける。それが、屋台で飴を買うのに宝石出すような世間知らず。その上、人間離れした感じの美少女とくりゃあ――
屋台の飴屋の親父はニヤニヤと笑い、次の飾り飴を作り始める。
「あなた~を~、追いかけて~、森を~さ迷い~」
『蜘蛛の姫の恩返し』ミュージカル第一章で流れる歌。この街の住人なら誰でも知っている歌を、音程の外れた声で歌いながら、屋台の親父は飾り飴を作る。その顔は笑みを堪えきれないまま。
――これで、今月は三人目か? これでまた伯爵様の館の屋根が、吹っ飛ぶ騒ぎにならなけりゃいいが。うくく、まったくおもしれえ街だ――
「あなた~の~赤い髪が~、みちし~るぅべ~」
笑みをこぼし歌いながら、屋台の親父は飾り飴を作る。
この歌はローグシーの街の住人は誰でも知っているが、蜘蛛の姫と黒蜘蛛の騎士をよく知るローグシーの街の住人は、歌詞を変えて歌う。
自分達がよく知る二人のお伽噺になぞらえて。
「あなた~の~ためな~ら~、ドラゴンだってぇ~」
飴屋の屋台の親父が歌う、音程の外れた歌がローグシーの街の通りに流れる。
大陸西方、楯の国、スピルードル王国。
ウィラーイン伯爵領の街、ローグシー。
魔獣深森に近いこの地には魔獣が多く、その魔獣を狩るハンターも多い。
領民は強く鍛えられ、鎌と鍬でゴブリンもコボルトも追い返すと伝わる。
この街には蜘蛛の姫と黒蜘蛛の騎士とその娘達、双子の小さな蜘蛛姫が、寄り添うように住んでいる。
そして、ときおりこの街には、人ならざる者がこっそりと訪れると言う。
読了感謝
スペシャルありがとう
蜘蛛意吐トークショー『カセユキさんの別荘』
別荘の主人 カセユキさん
レギュラー K John・Smith様
m(_ _)m ありがとうございました。
そして、ラストまでお付き合いいただいた、
あなたに感謝を。




