第五十八話「少女の進む道」
天文11年(1543年)8月
稙宗派と晴宗派の激突が間近となっている頃、越後では虎千代がある一人の男に呼び出されていた。
-虎千代-
私が呼び出されるなんて、何か不味い事でもしただろうか?
「よぉ虎千代、随分暴れてるみてぇじゃねぇか」
「父上、何の御用でしょうか?」
私を呼んだのは父上だ。
父上は正直苦手だ。
私は小さい頃から父上に遊んで貰った記憶が余り無い。
今は長尾家の当主としてしょうがない事だと解るが、私を一番見てくれたのは晴景兄上だ。
それに父上の眼は私の隅々まで見透かされている様に見える。
良い部分も、悪い部分もだ。
「俺は回りくどいのは嫌いだから単刀直入に言うぞ? お前何か勘違いしてないか?」
「何の事です?」
私は本当に何のことか解らなかった。
「お前は随分と色んな所から人を集めてるみたいじゃねぇか。お前は長尾家を割る気か?」
「父上! 私は兄上に逆らう気など……」
「お前がそう思って無くても、周りがそう見るんだよ! 現にお前を頭に立てて晴景に反抗しようとしている奴も居る」
私は父上の言葉に驚く。
それは揚北の末路を見ても尚も兄上に逆らおうとする奴がいる事と、その原因の一端に私が居るということにだ。
言葉に詰まる私に、父上は更に厳しい言葉を告げる。
「俺とお前は似たもの同士だから良く解る。お前は自分が一番であると信じて、他の奴は全部自分に従ってれば大丈夫だと思っている」
「父上、それは……」
「違うというなら、何で晴景の許可を貰わずに好き勝手やってる? 自分の行動の結果が晴景の為になると思い込んでるから、何をやっても良いと思ってるんだろ?」
!?
父上の言う事に私は体が震える。
私は確かに兄上の為と言って、私のやりたい事をやっている。
自分で解っているのに見ない振りをしていた部分を、父上は的確に突いてくる。
「お前が行こうとしているのは修羅の道だ。その道の先に待つのは、誰にも頼ることができねぇ孤独と、誰も信じることができねぇ不信だ。お前が求めるのは本当にそんなものか?」
「……私は兄上の役に立ちたいだけです」
「誰かの役に立つと言うことはそんな簡単なことじゃねぇ。人を信頼出来ない奴が人から信頼されると思うなよ」
本当に父上は何もかもお見通しだ。
私の醜い部分を責められて、私は体の震えが止まらない。
だけど、そんな私の身体を父上は優しく抱きしめる。
父上の温もりが身体に伝わり、私の震えは止まっていく。
「俺には定満が居た、妻やお前達子供が居た。だからその道を進まないねぇで済んだ。お前も、もう少し周りを見てみろ」
その後、私は自分の部屋に戻って父の言葉を何度も考える事になる。
・・・・・
私は父上に言われた事を一人で考えた。
そして一つの結論が出た。
「虎千代、今日は何をやりましょうか?」
「いえ、今日はお別れの挨拶に来たの」
私の言葉に、皆がざわめく。
私が選んだ彼らは優秀だ。きっと兄上ならもっと上手に彼らを使うことが出来るだろう。
そう、これは本来兄上に仕えるべき者達を返すだけなんだ。
だから彼らが言葉を発する前に、更に私は言葉を続ける。
「私はこれから修行する事にするわ。あなた達ももう自由にして良いのよ」
「姐さん! それは……」
私は彼らの顔を見ることが出来ず、その場から逃げるように立ち去る。
・・・・・
私は一人で山道を歩く。
和尚様には迷惑をかけるが、林泉寺で修行をさえて貰おうと思ったからだ。
「兄上には本当に合わせる顔が無いな……」
私の頭を様々なことが過ぎ、気がつけば林泉寺に到着していた。
山門の前で私はスーッと一息吸い声をあげる。
「たのもぉ~!」
「だからそれは間違ってるって何度も言ってるじゃないですか!」
不意に聞こえる声に、私はドキッとする。
山門が開いて見えるのは、私を待っていただろう大勢の姿だった。
「まったく、虎千代は一人で暴走するんだから」
「私を誘っておいて、あっさり捨てるなんて許しませんよ」
「姐さん、鍛錬はどこでもできますよ!」
「みんな……」
私の軍団。
それは私が中心になって支えなきゃならない物だと思っていた。
だけど、実際は私がこんなに支えられてたんだ。
「虎千代、これを」
長重が私に一枚の手紙を渡す。
私はその内容に、嬉しさがあふれる。
“気が済んだら帰って来るんだぞ。 兄より”
ここにこの手紙があると言うことは、兄上は私のやってる事を全て理解して居たのだろう。
それでも私が、私のやることが長尾家の為になると信じてくれたのだと思う。
無条件に私を信頼してくれる優しい兄上。そんな甘いとも言われる兄上が私は大好きだ。
だから私は兄上の邪魔をする気は本当に無い。
王将は二人要らない。
ならば私は王将の為に、必ず成長するんだ!
―為景の助言があったとは言え、自ら林泉寺にて修行を行うことを決める虎千代。
少女は大人へと成長して行く。
それは楽しい時間との別れでもあるが、代わりに得られる物は真に虎千代を強くするのであった。
-長尾為景-
虎千代と話した日から数日、俺は虎千代が林泉寺に篭っていると聞いた。
あいつは戦の才能だけは一級品だが、精神面が子供のままだった。
だが恐らく、これで虎千代は大きく成長するだろう。
へへっ、何だかんだ言って子供の成長は嬉しいもんだぜ。
だが良い事ばかりでは無く、俺の元に悪い報告が来る。
「為景様、村上と海野が随分と動いている様子です」
「まぁ晴景の眼が他に行ってるからしょうがねぇだろう」
こいつは戸隠衆の者だ。
晴景が軒猿を使う様子から、俺も独自の諜報網を得ようと思い、高梨を通して取り込むことに成功した。
北信濃に本拠地を置く戸隠衆は、当然北信濃の事情に詳しい。
「恐らく村上達を動かしてる奴と黒幕は別だろうな」
「はっ、申し訳ないですが、未だその影を掴ませません。黒幕は恐らく我々や軒猿と同類の者を使っているのでしょう」
これだけ尻尾を掴ませない相手だ。
相当の切れ者と思って良いだろうな。
下手したら晴景や虎千代以上かも知れねぇ。
「しかし、村上らを動かしている者は掴みました」
「解ってる。恐らく俺の考えと同じだろう」
俺とこいつは同時に言葉を発する。
「「関東管領」」
……やはりか。これはちょっとばかし不味いかもしんねぇな。
―天文の乱とは別に蠢く長尾家の敵の存在。
それは長尾家を確実に追い詰める為に手を広げているのであった。
史実の上杉謙信は孤独ゆえに酒量も増えて早死にしたと思います。
父に嫌われ、兄を隠居させ、反乱が次々に起こり姉の夫すら信頼できない状況は、短気で部下の言う事を聞かない謙信の性格も関係したでしょう。
虎千代の最大の欠点である我侭な部分が改善された時、最強の将は最良の将ともなるでしょう。




