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第五十二話「託された思い」

天文10年(1542年)11月

 景家達が蘆名軍との決着を付けようとしている頃、直江景綱・本庄実乃の軍は揚北衆を相手にひたすら時を稼いでいた。

 『蘆名軍が崩れれば援軍が来る』、間違ようがないその事実は、彼らの士気を高く保っていた。

 しかし、後が無い揚北衆の猛攻に押されているのも確かであった。





-長尾晴景-

 ……相手を先入観で見ないと思ったばかりなのに、それでもまだ敵を侮っていたか?


 守勢に徹する景綱が指揮し、相手より兵も多い。

 この状況で相手に更に押されるとは。


 とにかく相手の勢いが強い。

 命を捨てているかの様に、彼らは俺達を執拗に攻める。


 これと同じ物は以前にも感じたことがある。

 そう、忘れもしない一向一揆との戦いだ。


 “死兵”


 死を恐れずに、ひたすらこちらを討つ為に攻撃をしてくる軍。

 揚北を追い詰めすぎた結果、彼らを死兵としてしまったのか?


 何にせよ簡単に行く相手じゃない。



 それにしてもこのままじゃ敵の勢いを殺しきれないな。

 蘆名軍と当たっている将の誰かをこっちに回すか?


「晴景様」

「どうした? 段蔵」


 控えていた段蔵が俺に声を掛けて来る。

 その傍らには、確か景康達に着いていた軒猿がいる。


「景康様の軍は、敵の策にはまり500程の兵を損ねたとの事です。更に竹俣清忠ら将も討たれた様ですが、まだ誰が討たれたのか全員は把握できていない様子」

「……頭が痛くなるな」


 俺は被害の大きさに本当に頭痛がした。

 ……景康に大将を任せたのは失敗だったか?


 いや景康には経験ある将を付けていたし、誰にやらせても引っかかっていたかも知れない。


 渋い顔をする俺に対して、段蔵は更に口を開く。


「それともう一点……」


 バタバタバタッ


 段蔵が更に何かを告げようとしたその時、俺の元に慌てた伝令が駆け寄る。


「黒川らの後ろに新たに影があり! 旗印は片喰・酢漿草です!!」

「おや、先に言われてしまいましたな」


 伝令が伝えたのは新たなる軍の到着。

 その旗印が意味するものは……


「景康様より、被害が軽微である中条の軍を援軍として送るそうです」


 俺達は中条軍の到着で一息を付くことになる。

 だが俺達は敵だけで無く、味方の思いも理解出来ていなかった。





-中条藤資-

 晴景様の下へ辿り着く為に、昼夜を問わずに俺の軍は駆けて行く。

 元々500居た軍は100人近くが既に脱落した。

 それでも今は少しでも早く辿り着く事が何よりも肝心だ。


 敵の策を見破れず、不甲斐なくも多くの兵を失ってしまった。

 この上で万が一にでも晴景様を討たれる様な事があれば、俺は武士としての矜持を失う事になるだろう。


「中条様! あれを!!」


 視線の先は軍勢同士が争う戦場であった。

 俺達から見て手前の軍は、見間違えようも無い憎き黒川の軍。

 そして奥には晴景様の陣と思われる物も見える。


 ……見る限り晴景様の軍はやや押されており、恐らく黒川の退く事の出来ない蛮勇が功をそうしてしまっているのだろう。


 ならば我らの軍は割って入ってでも晴景様の壁にならねばなるまい。


「いいか、敵に晴景様の影すら踏ませぬな! 全軍突撃!!」

「「「「おぉ!!」」」」


 それは俺だけじゃなく、俺の軍の総意だ。



 俺は敵陣へ突撃し、最短距離で晴景様の軍に合流しようとする。

 背後から攻めたて、次々と敵を討ち取っていく。




 だが、そこで俺の前に立ちはだかる男が居る。

 そいつの名は黒川清実。


「中条! お前だけはせめて道連れだ!!」


 そう言って奴の軍は晴景様の軍に背を向け、俺の軍を包囲にかかる。

 言葉通り、俺を討つ為だけの行動だ。


 俺の中条家と黒川家は、遥か昔から争い続けた宿敵。

 晴景様よりも俺を狙う気持ちも良く解る。


 ……俺が逆の立場でも、そうしたかも知れないからな。



 だが、これで晴景様の軍は一安心だろう。

 俺が敵の意識を引けば引くだけ、晴景様は安全になる。


 ならばもはや思い残す事は無い。

 為景様…… お先に涅槃まで行かせて頂きます。





-長尾晴景-

 俺の眼の前で中条の軍が敵の軍に突撃し……そして囲まれていた。

 その結果、敵の大半の意識が俺達から逸れて軍を整えるだけ時間を得た。


「馬鹿な!! あんな無理をする必要はないだろうが!!」

「いえ、あのまま押されていれば、あるいは晴景が討たれる事もあったかも知れませんよ。中条が命をかけてくれたこそ、僕達にも余裕が生まれたんです」


 景綱の顔からはいつもの笑みが無く、悔しそうな顔をしていた。

 自分がもっと上手くやれていれば、中条に無理をさせる事も無かったとでも思ってるのかも知れない。


 ……俺も同じ気持ちだから良く解る。


 そして中条がくれたこの機会を逃してしまっては、中条を無駄死にさせてしまう。


「……このまま敵を包囲して殲滅する。段蔵、実乃にもそう伝えてくれ」

「御意に」




・・・・・


「そうか、中条が死んだか」


 俺の眼の前には中条藤資の息子の景資が居る。


 結局、中条の軍は敵を殲滅するまでに半数の200を減らす。

 その代わりに中条が来てからの俺達の軍はほとんど損害を受けずに、敵を殲滅する事が出来た。


 そして大将の中条藤資は流れ矢に当たり、苦痛に怯んだ所を押し切られたらしい。



 ……俺が色々と判断を誤ったせいで、俺はこいつの父親を奪ってしまったようなもんだ。

 だが、景資は俺に謝るなと言う。


「父は普段から『俺が晴景様に逆らっても、お前は逆らうな』と言ってました。父は長尾家の忠誠と中条の当主としての責務の板ばさみに苦悩しておりました」


 ……確かに中条は元々父上が一番信を置いており、彼自身もそれに応えていたにも関わらず上条や伊達稙宗と親交を深めるなど、ある意味で長尾家を裏切るような行為をとっている。

 家を守る為には冷静に状況を見て、冷徹に考えをまとめ、冷酷に判断を下さねばならない事もある。


 義理と人情とは、主家と運命を共にすることであり、もしも主家が没落すれば自分も没落する。

 それを中条の当主としての責任が許さなかったのだろう。


「ならばこそ、長尾家の為に死ねた事が本望だったのかも知れません」


 中条家の当主としてでは無く、中条藤資として死ねたと言う事か……

 それはすなわち、俺に中条家の未来を託したと言うことでもある。


 俺の歩く道にはこれまでも、そしてこれからも多くの思いが託されているのだろう。

 ならばその託された思いを無駄にしてはならないな。





―勝ち戦ながらも多くの犠牲を払う事になった長尾家。

 中でも為景の時代から長尾家を支えた宿将の死は、周りの物に少なからず影響を与えるのであった。


 そしてこの時、初めて晴景は自分の意思で天下を目指す事になる。

中条は史実で晴景の代に上杉家へ伊達家から養子を貰う事を進めるなど真っ向から対立してます。

弱い主家では自分の家を任せるに足らないから強い家に付くと言うのは、中条だけで無くこの時代は良くある事ですね。


そして歴史が変わる事で長く生きる人も言えば、早く亡くなる人も当然居ます。

中条は晴景に叛かなかった事が、返ってこの様な結果になってしまいました。

歴史を変えるというのは本当に難しいことだと思います。

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