第五十一話「晴景の矛と盾」
天文10年(1542年)11月
長尾家と蘆名家の戦は新たな局面を迎えていた。
晴景は蘆名軍に突撃している軍勢を一度退き、後方に迫る揚北衆に備えて陣形を整えようとする。
だが蘆名盛氏はこれを好機と捉え、猛烈な反撃にでる。
-蘆名盛氏-
晴景の攻撃が緩んだと思ったら、どうやら黒川達がこちらに向かっているようですね。
ふふっ、まさか助けに来たつもりが助けられる事になるとはね。
もしも援軍が来ると解っていれば、戦力の温存に努めていただろう。
そうすればこの状況は、晴景を討ち取る絶好の機会であっただろうね。
結局は自分で全ての決着をつけようとした、僕の驕りがこの状況を生み出したのでしょう。
……いや、今はそんな事を言ってる場合じゃないね。
失敗を悔いるよりも、次の成功へとつなげる事こそが重要なのだから
「金上に連絡を。敵が退くのに合わせて突撃をせよと」
「はっ!」
これが僕達が勝つための、最後の機会だ。
-長尾晴景-
少しだけ不味い事になったな。
まさかこのタイミングで揚北衆がこの場に現れるとは……
軒猿衆による監視は続けていた。
だが軒猿達が情報を得る手段は、主に相手の内側に潜入しての事。段蔵の様に単身で忍び込めるほどの腕を持った者はそう多くない。
潜入による情報収集は長期に渡る潜入ならともかく、平時なら奥深くまで探れても戦時では即斬られるだろう。
もちろんそれとは別に、遠見による監視は行っている。
だが揚北衆達が軒猿の事に気付いて、逆手に取られた可能性もある。
そもそも彼らも一応は長尾家の家臣であったのだから、軒猿の存在自体は知っている。(初陣の時に景綱が暗殺について話したって言うしな)
俺は揚北衆の能力、そして執念を甘く見ていたと言うことだ。
……これから先も相手に対する先入観は、出来るだけ捨てた方が良いと感じる。
「道兄ぃ、一度退いて体勢を立て直すか?」
景家が俺に退く事を提案する。
普段の景家なら考えられない提案だが、俺が傍にいると言うことで慎重になっているのだろう。
それは景家の将としての視野を広げる結果になっているが、一番の持ち味を失わせてもいる。
「いや、これ以上退けば余計に蘆名軍を勢いづける」
「と言う事は……」
「簡単な事だな」
だから俺は景家の持ち味を生かす為に、たった一言の命令をする。
「押し返せ」
「任せるんだぞ! 俺はそっちの方が得意だぞ!」
俺の指示を受け、周囲が慌しくなる。
景家は自分の陣を鋒矢の形に素早く変化させる。
これだけ早く陣を変えられるのも、景家の軍が普段の模擬戦からこの鋒矢への変化を何度も練習しているためだ。
当然の様に兵達も慣れ親しんでいる。
“正面突破”
ただひたすらにその戦術だけを鍛え続けた景家の軍を止める事は、同じく鍛え上げた軍で無ければ俺や景綱どころか虎千代を持ってしても難しいだろう。
来ると解っていても、罠ごと食い破るだけの威力を持つ越後最強の矛。
それが柿崎景家と言う将が率いる軍なのだ。
さっきも言ったように、俺が傍に居る事で景家の思い切りが減るし、俺自身も景家の隊に付いて行けるほど武芸に自信も無いので、景綱の所まで下がる事にする。
部隊を動かし始める景家に、俺は一つのお願いをする。
「景家、蘆名盛氏は出来れば捕らえてくれ。ただし無理をせずに逃がすくらいならば斬れ」
蘆名盛氏を捕らえれば、蘆名盛舜殿が当主として復帰しても会津国内は混乱し、蘆名領の制圧も上手く行くだろう。
しかし斬ってしまえば、盛舜殿の元で会津が一致団結する可能性もある。
隠居に追い込まれたとは言え、息子を斬られて喜ぶ親は俺には考え難い。
盛舜殿も凡将では無く、盛氏が飛びぬけて優秀だっただけなのだし、団結することで人の和を得て地の利もある蘆名家攻めは困難になるだろう。
「う~ん…… 難しいけど道兄ぃの頼みならやってみるぞ」
「よし、頼んだぞ景家」
さて、蘆名は景家に任せて、俺は後方から来る揚北衆を何とかしないとな。
・・・・・
後方へ下がると、すでに景綱の軍は本庄実乃の軍と連携して揚北衆と当たっていた。
景家の用兵が比類なき剛ならば、景綱の用兵は正に柔だ。
相手の動きや戦術に合わせて対応する事を得意とし、敵の攻撃を受け流して時を稼ぐ技術は越後一じゃないかと思う。
そもそも未来において直江景綱と言う将の評価は少し誤解されていると思う。
政治や外交においての功績ばかりが評価されているが、真に評価されるべきは守勢時の強さなのだ。
あの謙信もとにかく重要な場面での守りに景綱を使っていた。
例えば第四次川中島の合戦では小荷駄奉行を任されている。
これは奉行と言う名前から誤解されがちだが、軍の兵糧を守る最も重要な役目と言ってもいい。
しかもその戦の中で景綱は武田義信の軍を敗走させている。
武田の嫡男が率いる軍に、精鋭を揃えないわけが無いにも関わらずだ。
他にも北条氏康討伐の際の春日山の守りや、能登攻めの際に攻略目標の七尾城と織田の勢力地である加賀の間にある石動城の守りを任されている。
いかに謙信が守戦においての景綱を信頼しているかが解る。
「晴景、何か指示があって来ましたか?」
「いや、こっちは今のままで時を稼いでくれれば良い」
俺は景綱には特に指示を出さない。
今景綱がしている事が、そのまま俺の策に繋がるからだ。
俺はそのまま景綱に全体の作戦についてを話す。
「現状で俺達が危険な点は一点。挟み撃ちにされていることだ。だが蘆名家と揚北衆の兵は共に1,000を割っている。どちらかから順番に倒せば良い」
恐らく揚北衆は囮の為に多くの兵を置いてきたのだろう。
景康の軍と一戦して逃げて来た事も考えられるが、それなら更に後ろから景康達の追撃が来るはずだ。
何にせよ重要なのは兵が700~800前後しか無いという事。
そして蘆名の軍も激戦の中で多くが討たれ、1,500あった兵は1,000を切ろうかと言う程に減っている。
うちの軍は温存していたこの三陣目は1,000の兵が丸々残っており、残りも 負傷して下げている兵等を考えれば、蘆名よりやや少ない程の500前後は減っている。
だが元々の兵数の差があることからまだ1,500は残っているのだ。
前と後ろのそれぞれが相手より多い兵数で戦っているのだから、挟まれてはいるが壊滅の危機と言うほどではない。
勿論兵が多い方が必ず勝つわけではないので、油断は出来ないが。
俺の言葉から作戦を察した景綱は、確認する為に聞いてくる。
「と言う事は、前を先に討つつもりですね?」
“後方は時を稼ぐ”“順番に倒す”と言う辺りで察したようだ。
俺は肯定する言葉を返す。
「あぁ、景家が突っ込むからな」
「それは蘆名も気の毒に……」
景綱は景家の相手を最もして来たことから、その恐ろしさを良く知っている。
そしてそれは同時に、景綱の守戦の技術を磨く事にも繋がっていたと言えるだろうな。
-蘆名盛氏-
僕の作戦は決して間違っていたわけじゃない…… と思う。
攻めるにしろ退くにしろ、あの状況で体勢を立て直すよりは相手の動揺に付け込む方が良かったはずだ。
しかしそれは圧倒的な武力によって打ち砕かれる。
恐ろしい突破力を見せる一軍が、僕らと対峙している味方を迂回し僕らの側面に回りこむ。
そしてそのまま、文字通り突き抜けた。
動揺が走る僕の軍は突撃してくる軍に討たれ、前方に対峙する軍に討たれ、そして会津の方向へ向かい逃げ出す者も多く見られた。
……僕は一体どこで間違えたのだろうか?
揚北衆の到着に合わせて反撃を決めた時か?
決死隊でむざむざと精鋭を失った時か?
今、この越後に攻め入る事を決めた事か?
それとも……
父上の意に反し、晴宗殿に組して長尾家を攻めると決めた時か?
頭を過ぎるのは後悔ばかりで、まともな考えが浮かびません
もはや僕の命は無いでしょう。
「盛氏様!早くお逃げください!!」
僕の馬周りの一人は僕を馬に乗せて逃がそうとする。
だけど、僕が騎乗した時にはすでに敵の手はそこまで迫っていた。
「お前、蘆名盛氏だな?」
「えぇ、そうですよ」
僕の本陣に突入してきた一人の騎馬武者の前に、僕の馬周り達が成す術も無く斬られる。
……強い。
これだけの剛の者は会津中を探しても見当たらないですね。
「悪いけど、逃がすわけにはいかないんだぞ!」
そう言って目の前の男は僕に向かって槍を振るう。
僕は、その時の状況を後から聞くことになる。
もしも僕が戦おうとしたり、逃げようとしたりしていたら、恐らくその槍は僕を突き刺していたと言う。
しかし僕は命を諦めて動かなかった事が幸いしたのか、槍の柄の部分があたって馬から突き落とされるだけで済んだらしい。
「しまった! 道兄ぃに、出来れば捕らえるように言われてたんだぞ!」
騎馬から飛び降りた彼は、止めを刺すわけでも無く僕の様子を見たらしい。
「……落ちた際に気を失っただけ見たいだぞ。ふぅ、ついているんだぞ俺もお前も」
―盛氏が捕らえられた蘆名軍には、もはや組織的な抵抗が出来なかった。
そして盛氏が捕らえられた事を知った金上盛備らは長尾軍に降伏するのであった。
蘆名軍との決着はついた。残るは揚北衆との決着だけであるが……
解る人はあの作品のファン・解らない人は置いてきぼりな、自分の考える戦場での上杉四天王のイメージ。
柿崎景家:黒猪 直江景綱:鉄壁+伊達と酔狂 宇佐美定満:亡命の宿将 甘粕景持:??
と言うわけで蘆名家との決着はつきましたが、次回は揚北衆との決着です。




