第四十八話「二面作戦」
天文10年(1542年)11月
蘆名盛氏の調略に乗った揚北の諸将を討つため、晴景は兵を動かす。
晴景は与板の直江景綱と坂戸の長尾政景の軍と合わせて2,000の兵で揚北に入り、安田長秀・中条藤資等が率いる1,000の軍と合流する。
この動きに気付いた反乱組も黒川清実を中心に兵を集めるが、晴景が動くのが早かった事もあり、1,000程しか兵を集められずに居た。
黒川は伊達晴宗に援軍を頼むが、田村・二階堂との戦に兵を出している為余力が無かった。
そして当然蘆名にも援軍の依頼が来ており、盛氏は苦渋の決断を迫られることになる。
-蘆名盛氏-
これは困ったね。まさか全部晴景に筒抜けとは思わなかったよ。
長尾家の国力を甘く見たつもりはなかったけど、諜報力がこれほど高いとは思わなかった。
うちも見習いたいくらいだね。
しかし、これは不味い事になった。
今兵を出せば、おそらく戦をしている内に冬を迎えるため、越後で冬を越すか命がけで山を越えて帰るかしか無くなる。
長尾家を相手にして一月程度で戦が終わるとも思えないしね。
ならば兵を出さなければ良いかと言うとこれも不味い。
『蘆名家は長尾家の家臣を叛かせておいて、平気で見捨てる』と吹聴されると、うちの国内の国人達に疑念を抱かせてしまう。
そうなれば統治が厳しくなるばかりか、戦の時の兵も集まり難くなり士気も上がらないだろう。
まいったね。“戦わずして勝つが最上”とは孫氏の兵法にあるが、うちは戦わずして負けそうになっているわけだ。
長尾晴景が参加した大きな戦は上条の乱と越中の一向一揆征伐だけど、それぞれ長尾為景や宇佐美定満が居てこその勝利だと思っていた。
“今孫武”なんて大層な名前も、周囲を牽制する為に過大に誇張されたものだと思ったしね。
今更ながらに長尾晴景を甘く見ていたことを思い知らされた訳だね。
さて決断を迫られたわけだけど僕の選択肢は決まっている。
「金上、今すぐ動かせる兵はどれくらいかな?」
「はっ、恐らく1,500程が限界かと……」
1,500か。越後の連中と合わせれば、何とか勝負にはなるかな?
「集められるだけの兵で越後に侵攻します。諸将には冬を越後で過ごす覚悟で居るように言って下さい」
「はっ……」
戦わずして負けるくらいなら、戦ってやりましょう。
-長尾晴景-
俺達は安田長秀の安田城で軍を合流させていた。
今は主要な将を集めて、軍議を始めようと言う所だ。
始まる前の時間、俺は蘆名が動くかについて考える。
俺は揚北の討伐に蘆名の介入は無いと見ていた。
蘆名領から越後へ進軍する為には、奥阿賀の山地を越えねばならないため、冬を迎えれば自領への帰還が困難である為だ。
しかし、俺の脳裏に不安が過ぎる。
『兄上、蘆名が動く事を考えないと不味いと思う』
出かける前に虎千代がそう言っていた。
何でそう思うのか理由を聞くと、『蘆名盛氏が軍を率いてから、蘆名は領地を広げている。王手をかけられて動かないほど無能じゃない』って事だ。
確かにここで動かないと蘆名は不味い事になる。
十分な準備時間が有ればうちの方が国力が高いのは確実であり、それを埋める為に調略をした結果が無に帰すのだ。
晴宗殿に援軍を依頼することは出来るだろうが、そうなれば今度は稙宗殿や相馬に押されかねない。
うん、確かにこの状況で動かないほど蘆名盛氏は甘くないだろう。
勿論蘆名領では軒猿達が諜報をしているが、万が一にだが情報が届かなかったり遅れる可能性もある。
さて軍議の方も始まるが、まずは長秀が黒川達の動きについて話す。
「晴景様、黒川達はそれぞれの城に篭っても各個撃破されると見たのか、黒川城に集結しております」
どうやら黒川達は兵力差もある事から、篭城をするらしい。
恐らく冬まで耐えるか、蘆名の援軍を期待しての事だろう。
もし俺達が包囲している際に意識していない蘆名の援軍が現れれば、大きな混乱になる。
河越夜戦や耳川の戦いの様に黒川達に討って出られる可能性もある。
これに対する一番良い対策は、蘆名の進軍ルートを監視する事と増援が来ても問題ないようにこちらの軍も増員する事。
速度と情報が漏れない事を優先したが、栃尾城の本庄実乃や北条城の北条高広、それに千坂や山吉などの揚北以外の越後北部の者にも動員をかけるべきだな。
後は兵站の問題だが、その辺は景綱に任せているから聞いて見る事にする。
「景綱、兵糧は足りているよな?」
「えぇ、与板に備蓄してある分で補給線も大丈夫ですから、軍が倍になっても春まで戦えますよ」
景綱も俺が考えている事を察したようだ。
「蘆名の動きに警戒して、ここに兵を残そうと思う」
この安田城は阿賀にあり、越後に侵攻してきた蘆名を迎え撃つのにも良い位置にある。
「それは良いけど、どう分けるかい晴景?」
そうだな、包囲に回す人数が少なければ意味を成さないし、残す兵が少なければそれだけ蘆名に負ける危険性が高くなる。
俺は援軍まで考慮に入れて決断をする。
「黒川城に侵攻する軍は大将として景康とその補佐で政景と中条の軍。兵2,000で黒川城を包囲し、山吉と千坂の援軍を待て」
初陣の景康であるが、いずれは長尾家の一員として一地方を任せることになるだろう。
その為にも将の将としての経験を積む機会は必須だ。
相手の援軍は俺達が押さえれば無い上に、山吉と千坂の兵を合わせれば3倍の兵が用意できるから、こっちの方がまだ安全だ。
それに政景はじっちゃんに聞いても軍学の筋は良いし、経験豊富な中条もつけたから心配無いだろう。
「と言う事は……」
景康は驚いたのか固まっていたが、俺の言葉の裏を感じ取ったようだ。
そう、蘆名と対する軍の方についてだ。
「残るのはまずここの城主でこの地に詳しい長秀」
ここは地の利を得る為にも外せない人選。
そして……
「そして俺の軍の合わせて1,000だ」
合わせて3,000の軍勢なのだから、2,000を景康に付ければ残りは1,000だ。
「兄上! 少な過ぎます!」
「そうです! 晴景殿に何か有れば綾が悲しみます」
景康と政景の二人が心配して声をあげる。
お前達は自分の初陣の事を心配しなさいと言いたいが、年長者として安心させるように言葉をかける。
「北条や本庄にも援軍を頼むから大丈夫だ。それにお前達が早く黒川を倒してくれれば良いのだぞ?」
まぁ初陣の景康や政景に蘆名盛氏の相手は厳しいだろうし、こう分けるのが良いんだ。
長尾家の当主としても、家族としても二人が討たれてもらっては困るしな。
まぁ俺の方は数が少なくても、最悪ここで篭城すればそう簡単に負けはしないからな。
「中条、経験豊富なお前だからこそ二人を任せられる。頼んだぞ」
「……はっ!」
俺は初陣の二人を任せる中条にも声を掛ける。
だが一瞬中条が固まった様な感じがしたがどうかしたかな?
……いや、表情は返事をする前よりも良いし大丈夫かな。
さぁ来るなら来い盛氏よ、お前が望んだ戦だぞ。
―冬を待たずして始まろうとしている長尾と蘆名の決戦。
天文の乱全体から見ればまだ序盤であるが、両家にとっては最も重要な戦が始まる。
-中条藤資-
俺は為景様の大志に引かれて長尾家の下に付いた。
だがそれと同時に鎌倉より続く中条の家を守る役目も俺にはあった。
だからこそ、時には長尾家に対してでも自分の利を選ばなければならなかったのだ。
しかしその結果として、俺は為景様にそれほど重んじられなくなり、一貫して為景様に付いて行った安田長秀が揚北の取り纏めを任された。
俺は愚直に為景様に付いて行く安田がうらやましかった。
そして為景様が隠居され、長尾家の当主が晴景様に代わってもその状況は変わらなかった。
晴景様は若い者達を積極的に使い、越後は大きく変貌していく。
俺は自分がその変化に取り残されている様な気分を感じていた。
俺は家を守る為に伊達家に接近した。
都合が良い事に俺の妹が稙宗殿の元に嫁いでいた事もあり、話が早かった。
そんな中で出た長尾家と伊達家の縁談の話、奥羽で勢力を伸ばす稙宗殿の威光を上手く使えば長尾家中での自分の立場も上がると思い、俺は積極的に晴景様に了承するよう迫った。
しかし晴景様は一向に首を縦に振らず、稙宗殿が諦めたと思った途端に今回の乱だ。
自分の利だけを考えて動いた結果が、越後の安寧を乱したのでは無いか?
それはかつて自分が憧れた為景様なら許しはしない事だろう。
揚北の大半が蘆名に通じ、晴景様は討伐を決める。
きっと今回の乱が終われば、越後国内の大幅な転封もあるだろう。
あるいは俺が守ろうとした中条の先祖代々の地からも離されるかも知れないと覚悟をした。
「中条、経験豊富なお前だからこそ二人を任せられる。頼んだぞ」
俺は晴景様の声に一瞬我を忘れた。
そうか俺の経験は若者達にとって、長尾家にとって必要なのか。
……思えば期待されるなんて声を掛けて貰うのも久方ぶりの事だ。
「……はっ!」
ならば期待に応えてこそ武士と言えるな。
先に動いた方が負けるとは言いますが、晴景が先に動いたせいで蘆名盛氏にワンチャンが生まれた感じになりました。
もちろん厳しいのはまだ蘆名の方ですけどね。




