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第四十四話「それぞれの事情~伊達家」

天文9年(1541年)8月

 長尾晴景は義兄である関白・近衛稙家を通して朝廷に働きかけ、伊達家との和議を申し入れる。

 中央の権力を利用し、奥羽での立場を固めていた伊達稙宗にとって、それは断る事が出来なかった。

 ここで初めて晴景と稙宗が直接会談を行うことになる。





-伊達稙宗-

 わしらと和睦をする為に朝廷を動かす手は、考えんでも無かったがこれほど早く手を打ってくるとはのぅ。


 為景が動いたか? 宇佐美辺りの策か?

 それとも晴景が自分で決めたのか?


 何にせよ、長尾家の当主を見定めなければならんじゃろ。


「長尾晴景にございます」

「伊達稙宗ですじゃ」


 わしの前に長尾晴景が座る。

 うむ最初の対応の印象からすればもっと弱腰かと思ったが、わしにも気負うこと無く挨拶をしてきおる。


 わしが見誤ったか、それとも一皮向けたのか。

 どちらにせよ、相手にし難いわい。


「この度は互いのすれ違いで諍いが起こりましたが、我らとしても伊達との争いは本意ではないです」

「わしも長尾家と縁を組むつもりであり、戦をするつもりでは無かったですぞ」


 これは正真正銘の本音じゃ。

 越後を攻めることは出来ようが、万が一負けては、せっかくここまで作り上げた物が全て水の泡となる。

 大崎は息子が後継となるが、まだ家臣は反抗的じゃし、最上辺りも羽州を取り返さんと動き出さんとも限らん。

 

「それでじゃ、今一度だけ問うが、伊達家と長尾家の縁談を結ぶつもりはないですかな?」


 わしは長尾家と言う不確定要素を排除しておきたいのじゃ。

 わしらの本拠地である米沢と接する相手じゃし、まだ若いと言える晴景がこの様子なら、中々付け込む隙も少ないじゃろう。


「長尾は奥羽に野心を持ちません。そして伊達家も越後を狙うつもりは無い。それで良いじゃないですか?」


 その眼はまっすぐわしを見つめる。

 もしもそれで駄目なら、戦も辞さないと眼が言うておる。


「ふふははは。まぁわしとしてもそれに相違無いわ。より確実な縁をと思っておったが、かえって押し付けては不興を買いそうじゃな」


 ほんに肝が据わっておるわい。これは晴宗にも手を出さないように言うた方が良いかも知れんな。

 まぁ人となりを見る限りは、簡単に約定を破る事をするまい。

 縁を組めないのは残念じゃが、不可侵の約束を出来ただけでも良しとせねばならんかな?


 何にせよわしの当面の目標は越後ではないからのぅ。



・・・・・


「父上、お帰りなさいませ」


 桑折西山城に戻ると、息子の晴宗が出迎えに出てきおった。


「おぉ晴宗。留守中はなんぞ変わりないか?」

「はい、特に何もありませんでした」


 わしも晴宗を信頼するからこそ越後まで出向いたが、わしが居らずとも無難にこなせる様なら、わしが退く日も近いかも知れんな。


「それで縁組の件はどうなりましたか?」

「うむ、残念じゃが長尾家との話は白紙になった。お前の娘は……そうじゃな、佐竹にでも嫁がせるとするか」


 元々佐竹は次の縁組の候補じゃった。

 義篤殿の息子は確か十くらいじゃったか? まぁ妻が若い分には、子が出来るから良いじゃろ。


「別にその様に急がせることも無いのでは?」

「馬鹿者! 手をこまねいては遅きに失するわ!」


 我らが縁組で勢力を広げたように、同じ手で勢力を広げようとする者は山ほどおる。

 そう言った輩に先んじるには、時には大胆に決めねばならん。

 晴宗に足らんのはそう言った所かの。


「そうじゃな。佐竹と縁続きになるなら(相馬)顕胤に迷惑をかけるじゃろうし、少し領土を分けるのも良いかな」


 娘の夫の顕胤は義に厚く、間接的にじゃが佐竹家と縁が繋がることで常陸に兵を出す機会も増えるじゃろう。

 ならば米や兵は幾らあっても良かろう。


「は? 失点も無いのにわざわざ我が家の領地を減らすのですか?」

「うむ、そうする事で南の守りは顕胤に任せられるし、大宝寺や斯波等との争いに集中できるじゃろ」


 相馬や佐竹との関係を深め、蘆名と合わせて南を全て伊達の味方とする。

 そして越後が不可侵であれば、われらは北へ集中できる。


 わしが健在な内に奥州すべては無理であっても、何とか陸中くらいまでは勢力を広げたいからのぅ。

 息子や孫を楽にさせる為にも、まだまだ頑張らなければいかんな。





-伊達晴宗-

 父はいつだって勝手だ。


 父のやり方で伊達家がここまで大きくなった事は理解できる。

だが父ももう五十三であり、人間五十年と言うだけにいつ死んでもおかしく無い年だ。現に長尾の為景殿は父より若いのに倒れ、晴景殿が家督を継いでいる。


 俺の下に先ごろ生まれた子は、生まれた瞬間に長尾家への嫁入りさせると言われ、今また白紙に戻ったと思えばすぐに別の家への嫁入りを一人で決める。

 何故私の子の嫁ぎ先を父に決められねばならん?

 父が当主だと言うのならば、俺は嫡男である。

いずれ俺が家督を継ぐ際に、すでに何もかもが決められていては、動きづらくもなるであろう。


 それに領土を割譲すると言うのはそれだけ伊達家の力を減らす事だ。

 大体相馬に渡すとすれば行方か或いは宇多までだと思うが、そこはわが伊達の本拠地である米沢と“奥州探題”である大崎の領地を繋ぐ重要な場所である。

 弟が養子として入り、実質的に伊達家の参加に入った大崎も、我らの眼が届かなければ再び反抗的になってもおかしくあるまい。


 ……父よ、老いたのか?

 それならば俺は立ち上がらねばならないのか?



「(中野)宗時と(桑折)景長を呼んでくれ」

「はっ」


 俺は小姓に二人の重臣を呼ぶ様に頼む。

 彼らの共通点は、長尾家との縁組に疑問を抱いていたと言う点だ。


「晴宗様、我らを呼ばれるということはまさか……」

「あぁ」


 俺は決断する。

 例え父であっても、伊達家にとって不利益となるのなら排除せねばならない。


「父にはそろそろ隠居してもらおうと思う」





―伊達家の親子はすれ違いを続ける。

 父は息子の為を考えて行動をし、息子は家の為を考えて父を排除しようとする。

 奥羽中を巻き込む大乱の火種は黙々と燃え上がっていた。

伊達稙宗は中央集権を進め、息子達を悉く養子に出したり別の家を立ち上げたりしました。

自分は恐らく後の伊達家の為、息子に代替わりする時に混乱が起きない為の手段でもあったと思います。

と言うかこの辺りはやってる事が徳川家康に近い物もあるんですよね。


しかし解り晴宗には父の気持ちを全て理解することは出来ず、伊達家の家中ですれ違ってしまったのだと思ってます。

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