第四十一話「虎千代の悩み」
天文8年(1540年)10月
虎千代は密かに悩んでいた。
虎千代は兄を支え、越後を守りたいと考えていた。だが兄・晴景や柿崎景家に力が及ばない事に対して、自分を過小評価していたのである。
齢十にして、軍学や武芸で大人達と渡り合える時点で凄い事なのであるが、周りの者達が優秀すぎる事もあっての悩みである。
-虎千代-
私は今、春日山を出て山道を歩いている。
隣には家来の長重もいる。
「で、今日はどこへ行くのですか?」
「言ってなかったっけ? 林泉寺だよ!」
そう、私の今日の目的地は林泉寺。
春日山城の近くにある寺だ。
「……なんで急に寺に行こうと?」
「そこの和尚様が、学が高いと評判だから、師事したいと思って」
“林泉寺六代住職“天室光育和尚。
学問全般に知識が深いと評判の和尚様だ。
そんな事を話していると、林泉寺の山門に着いた。
私はすぅーっと息を吸い、声をあげる。
「たのもぉ~!」
「……それは間違ってますよ! 虎千代さま!」
しばらくすると、門が開いていく。
そして老齢の僧が私達を出迎えてくれる。
「ほほほ、長尾家のお嬢さんがわざわざいらっしゃるとは」
「こんにちは和尚様!」
「あれ? 知り合いですか?」
長重は意外そうな顔をしている。
しょうがない、説明してあげよう。
「林泉寺は長尾家の菩提寺(先祖代々の墓がある寺)じゃし、わしも春日山へ何度も足を運んでますからな。」
「父上が年に数回は御爺様(能景)の墓を参ってるから、何度も来てるしね」
私達兄弟も揃って来てるし、和尚様に挨拶もして行くしね。
ちなみに和尚様はお菓子をくれるから大好きだ!
「それで何用ですかな?その様子じゃ墓参りと言うわけでも無いでしょうに」
「和尚様が知者と聞き、一手師事させて貰いにきました!」
その言葉に、和尚は少し困った顔をする。
「ふむ、師事と言いましても色々ありますが、お嬢さんは何を目標とされるか?」
「私は兄上に勝ちたいの!」
そう、私は一番になりたいの!
「それは軍学ですかな?」
「そう! そうすれば兄上は戦に出ずに政に集中できる」
私が一番なら、兄上は戦でまで無理をしないで良い。
当主としてだけでなく、色々な事業を景綱とかと進めているから兄上は大忙しなんだし。
そんな私の答えに、和尚様と長重が意外な顔をしている。
……馬鹿にされてる?
「ふむ、では将棋は指せますかな?」
「はい! 兄上や叔父上(宇佐美定満)等には敵いませんが……」
「ではまずは将棋でお相手願えますかな?」
「喜んで!」
和尚様は将棋を指す事を提案する。
良い機会だから和尚様がどれだけの知恵者か見せてもらおう!
パチッ
私は和尚様と将棋をするが、序盤から中盤に入っても明らかに私の形勢が悪い。
「さてお嬢さん、将棋の駒と言うのは人と同じ様な物です。それぞれの駒を自分が思う人物に置き換えてみると、良く見えることもありますぞ」
和尚様は指す合間にも様々な助言をくれている。
駒を人に置き換えてか…… 誰になるかな?
「将棋の戦略は戦にも通じています。お嬢さんは将棋で重要なのは何だと思いますかな?」
「う~ん、上手く相手の駒を取ることかな?」
相手の駒を取れば自分の駒として好きな所に置ける。
相手の王将を狙う上でも、駒をどれだけ持ってるかが重要だ。
パチッ
「それも重要だとは思いますが、何より重要なのは王を取られない事。王さえ取られなければ再起する道は僅かでも有るのですから」
王、この越後で言えば晴景兄上の事かな?
確かに兄上が居なくなれば、国内で争いも起きるかも。
「王の側近である金将は、王から離れれば離れるだけ王の守りが手薄になりますぞ」
うっ、金将が上がった隙を飛車が突く。
金将は景綱か、もしくは叔父上(宇佐美定満)とかかな?
叔父上は越中へ離れているため、王の守りには向かないって事だよね。
「機動力がある飛車は盤上で最強の駒ですが、その代わり周りが見えてないと桂馬辺りに取られてしまう。ほれ、この通りに」
パチッ
「あっ!」
相手の駒を取ったまま放置していた私の飛車が、いつの間にか動いていた桂馬に取られる。
飛車はどこまでも突撃するのは景家みたいだけど、戦で突撃が止まれば不意打ちでこうやって討たれる事もあるという事ね。
「そして盤上で最弱の駒である歩ですが、攻めにも守りにも重要なのですよ」
私が逆転を狙って王手をかけるが、王の横に歩を打たれて止まってしまう。
そして私の王将が逃げる先にはと金が待ち構えている。
ただ前にしか進めない歩兵でも、成れば金になり王を追い詰める。
歩はまるで越後の民ね。
将棋では全員付いて来てくれるけど、こちらが失策をすれば相手に簡単に付く。
パチッ
「投了ですね」
「……負けました」
和尚様は思った以上に強い!
将棋だけなら兄上より強いかも知れない。
「将棋の駒のように、人にもそれぞれの役割があります。貴女は少し焦り過ぎてますが、まずは自分の役割を見つけることです。これはそちらの少年も同じことですぞ」
和尚様の言葉に、私と長重は考え込んでしまった。
・・・・・
林泉寺から戻った私は、ずっと考え続けているが答えは出ない。
「虎千代、どうしたんだ?」
すると晴景兄上が声をかけてくる。
兄上なら私にも解らない答えを教えてくれるかな?
「兄上……私は兄上にとって何なのでしょうか? 兄上を支えるべき将か、兄上を守るべき側近か、それとも戦略を考える軍師か」
私の言葉に、兄上は少し驚いた顔を見せるが、すぐに笑顔になって私の頭を撫でる。
「虎千代は俺の大事な妹だよ。それはどんな立場になっても変わらないよ」
兄上の妹か。
うん、そうだよね。妹何だから兄上に甘えても良いんだよね!
「兄上、久しぶりに遊んで!」
・・・・・
「今日も林泉寺へ行くのですか?」
「うん、答えは全部は出てないけど、だからこそ答えを探しに行くの!」
光育師匠は噂以上の切れ者だと思う。
あの人の下なら、私はもっと成長できる気がする!
でも、それに付き合わせるのも可哀想かな?
「長重は春日山に居ても良いよ?」
「いえ、主君を一人にして、万が一にも危険に晒したら家臣の名折れですから」
……何か家来っぽい感じになってきたかも。
ちょっと嬉しいけど、ちょっと寂しいかな?
そんな事を考えてると、今日も山門まで辿り着いた。
「たのもぉー!」
「だからそれは間違ってますって!」
―晴景達の次の世代も確実に成長していく。
だが歴史の波は、彼らの成長を待ってはくれない。
その荒波を運ぶ使者は、奥州より来たれり。
-長尾晴景-
俺の元には伊達家からの使者が来ている。
「伊達家家臣、小梁川宗朝にございます」
……伊達家の一門衆じゃねぇか。
それだけ伊達家はこの越後を重要視しているという事か?
書状を送るだけでなく、わざわざ使者をたてる時点でもそう思うが。
「それで、伊達家が越後に何のようでしょうか? 定実様に養子でも送ろうと言うのですかな?」
俺は実際の歴史で伊達家がそれを計っていた事を知っているから、先手を打ってみる。
だが、使者の小梁川は驚きもせずに口元をニヤリとする。
「それも考え無くは無かったのですが、我らは長尾家との縁を望んでいます」
なるほど、史実よりも長尾家の力が強く、上杉家を乗っ取っても利が薄いと見たか。
上杉家の家督を得た後に、奥羽の総力を持って長尾家を排除するという案もあるだろう。
しかし犠牲を考えると、それなら最初から長尾家にと言うことか。
まてよ。
縁って事はうちの誰かと……
「伊達家としましては、当主・稙宗様の三男・時宗丸様を、晴景様の妹のどなたかに婿入りさせたいと考えております」
―歴史が変わった影響はここにも現れる。
伊達家が狙うは上杉で無く長尾。
だがそれは奥羽を舞台にした大乱の幕開けであった。
今回でこの章は終わりになります。虎千代の成長は少しは見えましたかね?
ちなみに天室光育を毘沙門天にする案もありましたが、余りにもふざけた内容になりそうだったので没にしました(爆)
次話からは新章”天文の乱編”です。
奥羽の争いに乗じて、勢力の拡大は出来るのか?




