第二十六話「畠山義総の覚悟」
天文2年(1533年)4月初旬
まだ雪が残る春日山にて、長尾家の嫡男である晴景に息子が誕生する。
幼名を“虎夜叉丸”とつけられた子は、両親と祖父母やその家臣たち、それに血縁上は叔父になる子供達に祝福されてスクスクと育っていく。
特に虎千代は自分より下の子が出来た事で、小さいながらにお姉ちゃんぽく振舞っていた。
これは姉の綾や夏が自分にする事を真似しているだけなのだが、周囲の大人は微笑ましく見守っていた。
ちなみに柿崎景家は虎夜叉丸をコロコロしたので、一月ほど晴景夫妻から口を聞いて貰えなかった。
だが、吉兆があれば凶兆もある。
それは天文4年(1535年)9月に能登で起こった。
-畠山義総-
私の治める能登と越中半国は一向宗の脅威に常に怯えている。
為景殿は随分前に領内の一向宗をすべて排除したが、私の土地では同じ事は出来ない。
何故なら、私が為景殿の様に国を掌握できていないからだ。
温井や遊佐らの重臣の土地に口出ししても、“守護不入”を盾にとって、私の意見などほとんど聞き入れない。
それでも多くの家臣は私に付いて来てくれるため、決を取れば実施は出来るだろうが、それぞれの領内を各自でやるとか言って結局やらないのが眼に見えている。
奴らには一向宗の恐ろしさが解っていない。
『一向宗など所詮は農民。棒や農具を手にして来た所で蹴散らしてやりますわ!』
なんて事を言う奴まで出てくる始末だ。
確かに20年前の、越中半国を手に入れる切欠となった戦は我々の大勝利だった。
だがそれは精強な為景殿の軍があっての事。
能登の軍だけで相手をした際に無様にも負けた事は、彼等の記憶にはもう無いらしい。
だから、いつかこんな日が来ると思っていた。
「義総様! 勝興寺に一向宗が次々に集まっています!! その数……およそ一万五千!! 尚も増え続けている様子!!」
さて、でかい口を叩いた連中は、さぞ活躍してくれるのだろうな?
だが私にはそうなるとは思えない。
だから私は託す。
私が知る限り、もっとも戦が強い男へ。
―能登では畠山義総が悲痛な決意を固めていた。
少し時間を前に戻そう。
享禄4年(1531年)5月
晴景が夕子との祝言を行っていた頃、加賀の一向一揆と本願寺の仲は悪化し、ついに戦となり本願寺側の勝利に終わる。
加賀の一向一揆には本願寺から指導者が派遣されることとなった。
その際に越中の一向一揆を統括する勝興寺・瑞泉寺は本願寺側に付いた事により独立を続けていた。
明くる天文元年(1532年)8月
本願寺は畿内の法華宗門徒や“管領”細川と対立し、総本山である山科本願寺が炎上する事態になっていた。
本願寺の宗主である証如は、石山に本山を移し対抗するが戦況は悪かった。
そして一月前の天文4年(1535年)6月
本願寺軍は細川軍の総攻撃を受け、壊滅状態となった。
これによって一時的にではあるが、本願寺は全国の門徒への影響力が大幅に減少し、その間に自分達の利益を拡大させるために、越中一向一揆は動いたのである。
越中一向一揆が放棄したのは、長い眼で見れば晴景が歴史を変えた影響でもあった。
為景が越中半国を手に入れ、一向宗を領外に退去させた事により、結果的に越中一向一揆は能登や残り半国の越中で影響力を増し、力を大きくしていったのだ。
-宇佐美定満-
私の元へ、勝興寺に一向宗が集まっているとの連絡が来ました。
集まっているのが勝興寺と言う事は、おそらく狙いは能登でしょう。
(勝興寺は能登と越中の境目の能登寄りにある)
能登の畠山義総殿とはかつて共に戦った事もあり、助けられるものなら助けたいが……
私の役目はあくまでこの越中を守る事。為景殿の判断を待たずに勝手な事は出来ない。
次々と報告を持ってくる伝令たちに混じり、軒猿の者も情報を届けてくれる。
すでに軒猿は春日山にも向かっているので、時期に為景殿にも情報は届くでしょう。
私が出来る事はいつでも出陣出来るように準備を整える事。
一向宗がこちらに来ないとも限りませんしね。
バタバタバタッ
「定満様! 大変です、能登の畠山様から……」
私の元に伝令が駆け寄ってくる。
その慌てようは一向宗が動いたかと思ったが、義総殿の行動は予想を超えていた。
伝令の話を聞き、私は義総殿の寄越した使者のもとに急ぎ向かう。
そこに居たのは一人の青年と、そして10歳ほどの子供だった。
二人は悲壮な表情をしており、特に子の方は今にも泣き出しそうであった。
「越中を任されている宇佐美定満です。よく起こし頂きました。」
「畠山家臣、三宅総広です。こちらは義総様の嫡男の義続様です。」
三宅殿は畠山家の重臣。それにやはり義総殿の息子か。
元服するのには早い年齢であるのに、義続と元服させたという事は恐らく義総殿は覚悟しているのだろう。
「して、義総殿はなんと?」
「……義総様より、宇佐美様と長尾様への書状を預かっております」
そう言って三宅殿は懐より二通の書状を取り出し、私に差し出す。
私は自分宛の方の書状を、すぐに開き読む。
『宇佐美殿、能登は恐らく持たないでしょう。能登が落ちれば次にやつらは長尾家を狙うと思います。私が一向宗を抑えきれないばかりに迷惑をおかけしますが、何とか息子の命だけはお助け願いたい。
くれぐれも為景殿と十分な準備が出来るまでは、私の援軍等には来られませんよう。そして私が死んだ場合は、息子を家臣の末席にでも加えて頂ける様に為景殿にお力添えして頂ければ幸いです』
……予想通りですね。
「……義総殿は死ぬ気ですね」
「!?」
「やはりそうですか……」
三宅殿は内容を予想していたのか、落ちついていた。
だが義続殿は、父の死が近づいている事実にうろたえている様子だ。
「お願いします、父上を助けてください!」
「若! 無理を言ってはいけません!!」
「でも、このままじゃ父上が死んじゃう……」
涙を浮かべつつ私に訴えてくる義続殿。
この子も心根の優しい子だ、そんな子の思いを無碍にしたくない。
しかし先ほども考えていたが、われらの領地に攻めてきている訳でないのに、私の一存で兵を動かすのは家中に要らぬ疑いを立てかねない。
為景殿はともかく、私が功を立てるのを面白がらない人もいるでしょうしね。
それに私の軍は3,000ほどであり、一向宗が15,000から増えないとしても5分の1ほどだ。
戦うとしたら戦力比を広げないためにも、損害をなるべく抑えるように慎重に動く必要がある。
一向宗が能登を取れば戦力差は更に広がる可能性があるので、出来れば今の内に少しでも叩いておきたいのですがね……
そんな事を考えていると、私のもとに伝令が駆け寄り耳打ちをする。
「宇佐美様、先触れが参りました。晴景様の軍およそ1,500がすでに越中に向けて出発されており、10日もあればこの富山城に到着するとのこと」
何と、すでにそれだけの軍を向けているとは……
おそらく晴景殿の常備している兵を動かしたのでしょう。
この様な利点を見ると、銭はかかりますが、うちでも常備兵を揃えたくなりますね。
「更に北条殿、安田景元殿らの軍を、準備でき次第派遣する予定とのこと。それと為景様より伝言です“任せた”と」
ふふふ、あの人らしい言い草だ。
しかしこれで私が動くのに支障が無くなりました。
この状況で私を信頼して頂ける以上は、全力を尽くしましょう。
「三宅殿、すみませんが私の書状と家中の者共に、越後まで向かって頂けますか?義総殿の書状と義続殿の件は直接為景殿へお願いしたいのですが」
「わかりました」
「では、書状を用意するまで少しお休みください」
三宅殿と義続殿は家中の者に案内させて退席して頂いた。
さて書状の用意も必要だが、戦の準備も必要ですね。
「色部・新発田・本庄に連絡をしてください。10日後に出陣するので良く準備するようにと!」
―宇佐美定満は出陣を決意する。
兵の数に差がある中でどの様な戦をするのか?
越後流軍学の祖と言われる定満の脳裏には、すでに勝つための戦略が考えられていた。
と言うわけで新章です。
今度は一向一揆だ! てな感じでいきなりクライマックスです。
そして何気に初の主人公視点が一切出てこない話です。
はっきり言うとしばらく主人公と虎千代の影が薄くなります(爆)




