いつかどこかで
そこは、暗く深き森の中。
オオカミですらも避けて通る。ヒグマですらも立ち入れない。
暗く深き、魔女の領域。
夜空のように美しい黒髪。男を狂わせる妖艶な姿。
しかしその相貌に湛えるのは蠱惑的な笑みではなく、悲し気な瞳。
もう何十年も昔から、たった一人で住んでいるという。元々は冒険者だっただとか、カルゴシアの町を守るために戦っただとか、そんな噂もあるのだが、何しろ人と交わろうとしないので確かなことは何も分からない。
時々近くの村の人間が森に迷い込むことがあるけれども、しかし魔女は黙して語らず、ただ追い払うのみだという。
謎に包まれた美しい魔女。噂では死者を生き返らせる研究をしていると……
そんな深い森の中、木々に隠れるようにひっそりと建つ粗末な小屋。
中では小さな、人一人やっと横になれる小さな寝台の上に若い男性が仰向けに寝ていた。
美しい黄金色の髪に、均整の取れた涼しげな顔、そして筋骨隆々たるその体は戦士のそれである。
「これで……きっと、出来るはず」
その寝台の横に跪いて祈るような視線を送る黒髪の魔女。
「目を覚まして……私の勇者」
ゆっくりと。
ゆっくりと若者は目を開いた。それと同時に魔女の頬に紅が差し、瞳はみるみる内に潤っていく。
「アルグス……」
「こ……こは……?」
アルグスと呼ばれた若者は、眼球の移動だけで周りを確認し、そしてそれからゆっくりと首をひねって魔女の方を見た。
「アン……セ?」
若者は肘で体を支えて起き上がろうとする。しかし筋肉質ではあるものの、まるで体の使い方を忘れてしまったかのようにバランスを崩し、寝台から落ちてしまった。魔女は慌てて彼の体を抱きかかえ、支える。
「アンセ……なぜ?
そうだ、僕は……死んだはず」
魔女は涙をこぼしながら若者を強く抱きしめた。
「よかった……ッ! よかった、アルグス! 目を覚ましてくれて」
しかしアルグスの方は絶望の色にその顔を染めている。
「何故こんなことを! 僕を生き返らせたのか、アンセ!」
「アルグス! アルグスッ!!」
しかしアンセはえづきながら涙を流し、彼を抱きしめるだけである。
「あれほど言ったのになぜ!? なぜこんなことをしたんだ!! こんなことをして僕が喜ぶとでも思ったのか!!」
だいぶ口調もしっかりしてきている。体の動かし方も思い出したのか、アンセの両肩を掴んで押しのけるように距離を取った。
「僕がクオスを生き返らせなかったのはオリジナルが生きていると思ったからじゃないんだ! それなのに……それなのに!!」
小さく嗚呼、と声を漏らしてアルグスは自分の顔を両手で覆った。
「なんて、ことを」
先ほどの怒鳴る様な声とは違った、消え入りそうなほどに小さい、絶望に溢れた声。
「僕のために……こんな恐ろしいことを、してしまうなんて」
「違うわ」
ようやく涙が収まり、喋れるようになったアンセが口を挟んだ。
「違うの。あなたのためじゃないの」
「なにを……?」
アルグスは彼女が何を言っているのか分からない、といった風である。
あれから……あの戦い、アルグスがガスタルデッロに破れ死んだカルゴシアの町での戦い。その戦いからいったいどれほどの時が経ったのかは分からない。
不老長寿であるはずのアンセが少し年を取っているように見えるが、そこから正確にどれだけの時が経ったのかは分からない。
しかし想像は出来る。きっと何十年もかけて、転生法とは違う方法で、アルグスの魂と肉体を復活させたのだろう。おそらくはアンセの独力で。
それは恋人である自分を助けるため、生き返らせるためという事ではないのか。
同時に外すことのできない重い十字架をアルグスに背負わせてしまうことになるのだと、彼女は知っていたはずなのに……
しかしアンセは首を振った。
「違うわ。全部私のためなの」
ゆっくりとアンセは話し出す。
「私が生きていくことができないから、私の自分勝手な理由で、あなたを生き返らせたの」
アンセは、真っ直ぐな瞳でアルグスを見つめてくる。縋るように、祈るように。
ここが彼女の分水嶺なのだ。
正気と狂気の。
生と死の。
愛と憎しみの、分水嶺なのだ。
そして、そう言われてしまったら、アルグスはもう何も言うことは出来ない。彼の問題ではなく、彼女の問題なのだから。
おそらくは唯一、彼がこの世界で生きていくことのできる「言い訳」なのだ。
「お願い、アルグス……」
か弱い力で、彼の手を握る。
「私を……助けて」
あまりにも、弱い力だった。手を握っているというよりは、まるで添えているだけのようだった。
それがそのまま、今の彼女の不安な気持ちを代弁していたのだ。
きっと必死で。
研究し続けて、反魂の法を見つけ、そしてそれ以上に腐心したことが、彼のための言い訳を用意することだったのだ。
もう勇者ではない。
戦士でもない。
ただ、彼女のために。
愛する人のためだけに、生きたいと、アルグスは考えた。
ゆっくりと、彼女の乱れた髪を指で梳き、そして頭に手を回して抱き寄せる。
二人の影は寄り添うように重なり、そして唇を重ねた。
暗く深き森の中。
森には魔女が住む。
美しい魔女と、それに傅く従者がいるという。




