第11話:母の気持ち
あの後必死に走って駅に向かい、鞄を投げつけてしまったから財布は無かったけど、定期はコートのポケットに入れたままでなんとか電車には乗れた。
けど、泣いて化粧の落ちた私の顔は周りの人から見ればなんとも無様だったに違いない。
家には帰ってこれたのはいいが、肝心の鍵が無い。しかも私の方が早く帰ってきたから当然祐樹は居ない。
これじゃ、家に入れないじゃない!!
なんて馬鹿なんだろう…穴があったら入りたいぐらいだ。
どうしようと考えた挙句、私はお母さん達が住む家に行く事にした。
ピンポーン
チャイムを鳴らすと、「はーい」と言う言葉と共に扉が開いてお母さんの顔が覗いた。
「あら。亜子じゃない。珍しいわね?」
「ごめん…。鍵なくしちゃって家入れなくて…」
「そうなの?寒いし、上がりなさいよ」
そう言ってお母さんは突然やってきた娘に嫌な顔一つせずに家の中へ入れてくれた。
家の中には義父さんがいると思っていたら、残業でまだ帰ってきてなかったらしい。
リビングに通されて、ソファに座るとお母さんがお茶を出してくれる。
一息ついていると案の定お母さんが私の顔を見て指摘してきた。
「それにしても、あんたその顔どうしたって言うのよ?」
「うん…ちょっと…」
「まぁ、何が原因かは聞かないであげるから、とりあえず顔洗ってらっしゃい」
「うん…」
理由を聞かない母さんに感謝しつつ洗面所へ向うと、中途半端に取れかかった化粧をしている自分の顔が鏡に映る。こんな顔でよく電車に乗れたもんだと思った。
リビングへ戻ると何やら母さんはどこかへ電話を掛けている。
そんな様子をボーっとソファで見ていると、電話を切った母さんがこちらへやって来た。
「今、あんたの家に電話したら祐樹君が出て帰ってきてるみたいだから、暫くしたら帰りなさい。明日も会社でしょ?」
正直、祐樹に会いたくはなかったが、ここには私の服も鞄もない。
「わかった…もう少ししたら帰るよ…」
そう言ってため息をついていると、私の隣にお母さんは座ってきた。
「ねぇ、さっきは聞かないつもりで居たけど、祐樹君となんかあったんでしょ?」
「……」
「さっき、電話した時ね、祐樹君ったら挨拶もしないでいきなり「亜子はそこに居ますか!?」って。あんた鍵なくしただなんて嘘でしょう?」
「か、鍵が無いのはホントよ!!」
「あらそう。でも、自分の気持ちには正直になったほうがいいわよ?」
この母親は一体何が言いたいのだろうか?自分の気持ちには正直になったほうがいい?
私だって正直になれたらどんなに救われるか。
姉弟にならなかったら、こんな苦しい思いを抱く事もなかった。
しかし、次の瞬間お母さんが言った言葉に私は耳を疑った。
「あんた、祐樹君のこと好きでしょ?」
「……っ!な、なんで!?」
「何年あんたの母親やってると思う?それぐらい見てればわかるわよ」
あははと笑うお母さんを私は呆然と見つめていた。
なんだか言葉が出てこなかった。
まさか、自分の母親に自分の気持ちを知られてただなんて…。
「さすが、私の娘よねぇ。あんないい男に目をつけるなんて!」
などと言ってクスクス笑っている。
「あ、あのお母さん…」
「なぁに?」
「い、いつから気がついてたの?」
「それは、ひ・み・つ!」
「はぁ?何よそれ!」
半ば呆れてしまった私は大きくため息を吐くとテーブルに突っ伏した。
そんな娘がおかしいのかまだ笑っている。
「まぁ、あんたの事だから意地張って正直には言い出してこないとは思ってたけどね。でも、自分の気持ちに嘘はダメよ。私たちの事を気にしてるのかもしれないけど、あんた達は血が繋がってるわけでもないんだから、どうせなら祐樹君をものにしちゃいなさい!」
「なっ!そんなの無理よ!祐樹には彼女が居て…、私の事なんてなんとも思ってないわよ!」
「あーもー!何て情けない娘なの!?そんなの直接聞いてもいないんだからわからないじゃないの。とにかく、もう家に帰りなさい!」
そう言ってコートを掴むと私に押し付けてきた。
ソファからたつように促され玄関にやってきた時にお母さんは言った。
「私はあんたの事応援してるから、いますぐにとは言わないけど、頑張って気持ちぶつけてみなさい。」
義理とはいえ、祐樹とは、姉と弟で。
どうしてもそのことが頭にあり必死に気持ちを隠して、言う事もできないと思っていた。
しかし、お母さんのその言葉を聞いて、なんだか胸につっかえていたものが取れた気がした。
お母さんの気持ちが嬉しくて、次々に流れ出る涙を止めることが出来ず、暫くお母さんの胸で泣いた。




