土の日の報告
「ハンネローレ様、今日はせっかくのお休みなので一緒に東屋へ行きませんか?」
ラザンタルクから誘いを受けたのは土の日の朝食後でした。今日は一日勉強するように言われていたわたくしは、勉強から離れる口実としてラザンタルクからの誘いに応じたくてコルドゥラにチラリと視線を向けました。
「あの、コルドゥラ。婚約者候補からの誘いを無下にするのはどうかと思うのですけれど……」
「ラザンタルク、残念ながら昨日ジークリンデ様から届いた木札によって、本日のハンネローレ姫様の予定はお勉強と決まっています。女神の降臨による遅れを取り戻すことは世界平和のために必要ですからね」
しれっとした顔で断るコルドゥラにラザンタルクが呆気に取られた顔になりました。
「世界平和とはいくら何でも大袈裟過ぎでは……」
「今回の会合の原因を考えれば決して大袈裟とも言えませんよ」
ローゼマイン様が今回の会合を思いついた原因は、女神降臨によるわたくしの講義の遅れでした。これ以上、ローゼマイン様の突飛な思いつきで振り回されては困ると考えたお母様から「土の日は遊んでいないで勉強するように」と木札による連絡があったのです。
……最終試験までには終わると思いますし、特に問題ないと思うのですけれどね。
「コルドゥラ、お母様から連絡がありましたけれど、今までラザンタルクからの誘いは何度も延期になっているでしょう? わたくし、何度も断るのが心苦しく思えますし、今日は……」
「お二人とも現実逃避はほどほどになさいませ」
コルドゥラはぴしゃりとわたくしの言葉を遮りました。「お二人とも」と言われたことで、わたくしだけではなくラザンタルクも息を呑んで姿勢を正します。
「姫様のことです。最終試験までに終えれば問題ないとお考えかもしれませんが、嫁盗りディッター関連で他領からの情報が入りにくくなっている今、姫様は社交期間に精力的に動く必要があります」
「うぅ……」
「ローゼマイン様が気を揉んで再び会合など、思いもしないことを言い出したら困るのです」
……それはそうかもしれませんけれど。
「そして、ラザンタルク。姫様をお誘いするくらいです。もう全て講義を終えているのでしょうね?」
「あ、いや、それは……」
明らかにまだ終わっていないことがわかるタジタジとしたラザンタルクの表情に、エルーシアが首を傾げ、アンドレアが心配そうな顔になりました。
「まぁ……。今まで面倒を見てくれていたケントリプス様が今年はお忙しいようですけれど、ラザンタルク様は土の日にお出かけできるほど余裕があるのですか?」
「側近仲間の護衛騎士達は嫁盗りディッターの方に心を惹かれているでしょう? ケントリプス様以外で、教えてくれる方に心当たりはありますの?」
異母兄としてケントリプスがラザンタルクの座学の面倒を見ていたことは、この寮内ではよく知られています。
「ラザンタルクには姫様の婚約者候補として恥ずかしくない成績を収めていただかなければなりません。お二人とも講義を終えるまで外出や自主訓練はお預けです」
「はい……」
仕方なく勉強をしていると昼食の時間になりました。
昼食を終えると、コルドゥラとアンドレアは領地へ戻ります。午後から会合があり、会合の報告会があるからです。二人は城の側仕え達と報告会までに卒業式の衣装や装飾の準備をするそうです。
「ハンネローレ姫様、土の日に休めないとご不満そうですが、それは姫様に付き従う側近も同じですよ。皆、姫様のために動いていることをご理解くださいね」
土の日に領地へ戻って卒業式の衣装を準備するアンドレアも、わたくしのお勉強に付き合うエルーシアも、交代で部屋に詰める護衛騎士達もお休みではないと言われ、わたくしは側近達を見回します。
「……できるだけ早く講義を終えられるように本日はお勉強します」
理解はしたけれど、それほど前向きにはなれない気持ちでわたくしは返事をしました。コルドゥラはやれやれと言わんばかりの目でわたくしを見た後、「よろしい」と一つ頷きます。
「では、いってまいります。エルーシア、頼みましたよ」
コルドゥラとアンドレアを見送ると、わたくしは自室で午前に引き続いてエルーシアと講義の勉強を始めました。いくつか試験の予約をしているので、そちらを優先的に行います。
「それほど困ったお顔をしなくても、姫様でしたら合格は難しくないでしょう?」
「合格だけでしたら、ね。第二の女神の化身となってしまった以上、それに相応しい成績を……とお母様に言われたのです」
エルーシアが「女神の化身ということはローゼマイン様と……?」と小さく声を漏らします。
「えぇ、ほとんどの講義で満点を取るローゼマイン様と同程度の成績を求められても、できることとできないことがあると言いたくなると思いません?」
一年生の頃は早々に講義を終えるお姿に「ダンケルフェルガーの領主候補生がエーレンフェストのような下位の領主候補生に負けるなんて……」と言われました。しかし、表彰式で知の領地の領主候補生オルトヴィーン様を抑え、ローゼマイン様が最優秀となったことで陰口は鳴りを潜めたのです。
二年生になると、ダンケルフェルガーではフェルディナンド様の愛弟子であると広く知られており、「ローゼマイン様と同学年であったことが不幸。ハンネローレ様が最優秀を取れることはあるまい」と同情されるようになっていました。
「ローゼマイン様は特殊だからと比べられることもなくなって安堵していたのに、まさか五年生になって女神の化身として並べと言われるとは思いませんでした。……こんなはずではなかったのです」
わたくしが肩を落とすと、エルーシアが苦笑しました。
「ハンネローレ様は思い込みによる細かな間違いや問題の聞き違いが多いだけで、理解できていないわけではありません。その点に気を付ければ大丈夫ですよ」
「それが難しいのですけれど……」
ポソポソと不満を漏らしつつ勉強していると、五の鐘が鳴る少し前にアンドレアが衣装の入った木箱などと共に戻ってきました。
「ただいま戻りました、ハンネローレ様」
「ハンネローレ様、五の鐘に合わせて休憩するついでに、アンドレアから報告を受けませんか?」
「えぇ。アンドレア、一緒にお茶をしながら城の様子を教えてくださいませ」
エルーシアの提案に頷き、わたくしは低学年の側仕え達にお茶の準備をしてもらいます。アンドレアは彼女達に指導しつつ席に着きました。
「城に残っていた側近達から話を聞く限り、とても大変そうでしたよ」
今回の会合が突然決まってから本日まで、城は苦労が絶えなかったそうです。アンドレアは城に残っている側近達から聞いたらしく、その混乱ぶりを教えてくれました。
突然アレキサンドリアからの水鏡で土の日の会合について知らされたこと。それがツェントからの許可を得ているという事後承諾だったこと。
境界門のあるライトーアへアウブが転移陣を動かして城の側仕え達を移動させ、会議室や騎士の休憩室を整えたこと。
国境門の開閉を見に行きたいと騒ぐ貴族を城に留めるため、本日城ではディッターが行われていること。
「アウブが会合よりディッターに出席したいとおっしゃったり、レスティラウト様が会合へ行きたいのにディッターの調整をするように言われて不貞腐れていらっしゃったりと城の者は大変だったようです」
話を聞くだけでげんなりとしてしまいます。そのような城にいたくありません。冬の社交界の最中に突発的なツェントとの会合が入って忙しくなったお父様やお兄様の機嫌を取ったり、お母様の八つ当たりめいた愚痴を聞いたりすることを思えば、勉強する方がよほど有意義です。わたくしは貴族院にいられてよかったとしみじみ思いました。
「コルドゥラはいつ頃戻るでしょうね? 会合は終わったのですか?」
「わたくしが城を出る直前に会合の終わりを知らせるオルドナンツが届き、領主夫妻の出迎えや報告会の準備が始まりました。コルドゥラが戻るのは六の鐘の頃になると思いますよ」
六の鐘が近付き、そろそろコルドゥラが戻る頃かとそわそわしていると、転移陣の間に詰めている騎士からオルドナンツが届きました。
「転移の間です。コルドゥラ様からハンネローレ様へ伝言が届きました。会議室を準備し、側近を集めてください、とのことです」
「急ぎましょう。アンドレアは会議室の準備を、他の者は手分けして側近全員にオルドナンツを飛ばしてください。六の鐘が近いので他領の方とのお約束があってもそろそろ寮に戻っていると思うのですが、寮の外にいたらコルドゥラが戻るまでに会議室へ集合するのは難しい可能性があります」
本日は土の日でわたくしは自室での勉強を命じられていたため、男性の側近達がどのように過ごしているのかわかりません。わたくしの言葉にエルーシアがクスと笑いました。
「ハンネローレ様がそのように気を回さなくても、本日の会合とコルドゥラ様が報告会に出席することはわかっているのです。皆、寮で待機していますよ」
エルーシアの言う通り、コルドゥラが戻り次第報告があるだろうと寮で待機していたらしく、全員からすぐに了承の返事がありました。
急いで準備したつもりですが、わたくし達が会議室へ到着するのとコルドゥラが戻ってくるのはほぼ同時でした。
「ただいま戻りました、ハンネローレ姫様。急がせて申し訳ありませんが、夕食まであまり時間がありません」
コルドゥラはそう言うと報告を始めました。
「神々の世界から戻ったローゼマイン様より重要な知らせがあるという名目で、再び全領地の領主候補生と上級貴族を集め、ツェントから全領地に向けて通達することが決まりました。日時は後日寮監から伝えられるそうです」
わたくしがお願いした通り、男神がディッターを望んでいることをローゼマイン様から伝えてくださることが決まったようで、ホッと胸を撫で下ろしました。
「貴族院の社交への影響が大きくなっている現状についてはどのように?」
ルイポルトの問いにコルドゥラが小さく頷き、説明します。
「嫁盗りディッターをツェントの管理下に置き、貴族院で行うと決定したことが、無関係な領地の者達の不安と緊張を募らせていること。中途半端な知識と思い込みで嫁盗りディッターに申し込んだ無礼に対し、ダンケルフェルガーの将来的な対応がわからなくて疑心暗鬼を生じていること……。これらが社交を滞らせる原因だとされました」
「ですが、それは……」
「ルイポルト、ツェントの介入と勧めがなければ他領のアウブにとって辞退の申し入れが難しく、別の点で様々な支障があったのは事実です」
コリンツダウムに踊らされてどこまで増えるかわからなかったディッターの申し込み、実態を知らないまま申し込んできた者達が実際にディッターを行った際の被害とユルゲンシュミットへの影響は計りしれません。半数以上の領地を相手に自領で戦えば、ダンケルフェルガーの土地や民にも相応の被害があったでしょう。ツェントの介入は確かに利もあったのです。
「貴族院の学生達が不安や緊張を募らせているのは、嫁盗りディッターは嫁側と婿側の一族の戦いであるため、それ以外の者に影響は及ばないというダンケルフェルガーでの常識が他領と共有できていないこと、最終的に出場する領地がどこなのかわからないこと、辞退したところでダンケルフェルガーに対する無礼が許されるのかわからないことが原因だとされました」
「まぁ、それではダンケルフェルガーが悪いように聞こえません? ディッターを申し込んできたのも、勝手に騒いでいるのも他領ですのに……。もしかしてツェント達はジギスヴァルト様が暗躍していることをご存じないのですか?」
ハイルリーゼの言い分に側近達は頷きます。一連の騒動を大きくした最大の原因は、ジギスヴァルト様だと思います。
「もちろん元王族であるコリンツダウムが世論を動かして暗躍していることも話し合いに出たそうです。それに加えて、ブルーメフェルトがディッターに関わった領地との交流を断っていることも今回の社交の断絶に関係しているという意見もあったらしく……」
「え? どういうことですか?」
「ブルーメフェルトが?」
コルドゥラの言葉に会議室内がざわりとしました。ブルーメフェルトに関しては理解できません。わたくし達の困惑をチラリと見ただけで、コルドゥラは先に話を進めます。
「ジギスヴァルト様が暗躍していることに関しては、ツェントやアナスタージウス様から叱責すると決まったそうです。そして、ブルーメフェルトには後ろ盾として援助しているダンケルフェルガーから注意することになりました」
そこでまた皆がざわつきます。わたくしもコルドゥラの言っている意味がわかりません。コリンツダウムはともかく、ブルーメフェルトは嫁盗りディッターから距離を置いているだけで何もしていらっしゃいません。
「ブルーメフェルトに何を注意するのですか? ヒルデブラント様達の対応の何が間違っていたのでしょう?」
「嫁盗りディッターに詳しいマグダレーナ様の対応は、ダンケルフェルガーから見れば間違っているわけではありません。しかし、元王族の断交宣言がどれほど他領に影響を及ぼすのか考慮できていなかったという点には注意が必要とされたそうです」
わたくし達と同じように、城での報告会では理解できない者が多かったようです。彼等に対してお父様は「コリンツダウムは元王族の立場を過大に利用していて、ブルーメフェルトは元王族の影響力を過小評価している。それが問題なのだ」とおっしゃったそうです。
……わたくし、他領との常識の違いが全然理解できていないのですね。
あれほどディッターが好きで、少しは周囲の迷惑を考えてほしいと思っていたはずのお父様の方がよほど自領と他領の感じ方の違いや、周囲に及ぼす影響について考えています。
「謝罪の済んだ領地の領主一族は不問とすること。また、嫁盗りディッターは嫁側と婿側の一族による戦いなので、嫁盗りディッターを申し込んでいる領地であっても領主一族以外の一般学生には無関係。社交や交際で影響を考える必要はないことも周知されるそうです」
それならば、貴族院の学生達の不安は解消されるでしょうし、全く無関係な学生達からオルトヴィーン様お一人が敵意を向けられることもなくなると思います。わたくしは胸を撫で下ろしました。
「それから、社交への影響を抑えるため、領地対抗戦でアウブに辞退を正式に申し出るのではなく、緊急用の水鏡による辞退の申し入れに期限を付けることになったそうです」
「それならば早々に無関係な領地の者が明確になりますね。緊急用の水鏡による辞退の申し入れという点も良いと思います。ジギスヴァルト様が邪魔しようとしても、アウブの判断だけで辞退が可能ということですもの」
元王族の命令に逆らえない……とルーツィンデ様はおっしゃっていたようですが、アウブ同士で話し合うことを推奨されればギレッセンマイアーやハウフレッツェも辞退が可能になるでしょう。
……アウブが悪縁を絶つ決意さえしてくだされば……。
「コルドゥラ、その期限はいつですか?」
「ツェントの通達から三日後とのことです」
コルドゥラの答えを聞いたルイポルトが「これでダンケルフェルガーの社交や情報収集も楽になります」と安堵の表情を見せました。
ツェントからの伝達がいつになるのかわかりませんが、ローゼマイン様の帰還も知らせるのですから社交期間の始まりに間に合わせるのではないでしょうか。
「姫様にはアウブとジークリンデ様からお言葉がございます」
「……何でしょう?」
このような会合の報告回でわたくしに名指しするなど、非常に嫌な予感がします。
「ローゼマイン様が社交を楽しみにしているそうです。なるべく社交期間までに講義を終えるように……とのことです」
「さすがに、それは……」
……いくら何でも無理です。ひどいです、お母様!
「姫様の学業に何の心配もないことをローゼマイン様に見せなければ、次に何を言い出すかわからないと皆が考えています。フェルディナンド様によると、ローゼマイン様がいくつか挙げた選択肢で最も穏便だったのが、国境門を使った会合だったそうですから」
……うぅ、ローゼマイン様……。
お心遣いはありがたいのですけれど、もうお母様を責められなくなりました。フェルディナンド様が抑えてくださっていて助かったと言うより他に仕方ありません。
「ユルゲンシュミットの平穏のため、何をおいても講義を終えるように……とのことです」
わたくしがガックリと項垂れていると、エルーシアがコテリと首を傾げました。
「ハンネローレ様、女神の化身に相応しい成績と、社交期間に間に合わせるのと、どちらを優先すべきかジークリンデ様にお問い合わせしてはいかがですか? 何をおいても、とおっしゃるくらいです。成績の縛りが緩むのではございません?」
「エルーシア、素晴らしい提案です!」
わたくしは感激のあまり声を上げてしまいました。お母様に交渉するなんて、自分では全く思いつきませんでした。勉強している時に言っていた通り、女神の化身ではなく領主候補生に相応しい成績ならば、社交期間までに何とか終えられるでしょう。
お母様から許可を得て、わたくしは講義を終えることを目標に試験を次々と受け、申し込みをします。そんな中、ツェントの文官から寮監へオルドナンツが届きました。
「全領地の領主候補生と上級貴族は明日の三の鐘に講堂へ集合してください」
会合当日まで大変だったダンケルフェルガーの城内。
出席するツェント達も当然大変でした。
講義を終えるのに期限ができてしまったハンネローレも大変。
ローゼマインだけはやりきった得意顔です。
次は、お知らせと周囲の変化 です。




