試すか否か
わたくしの顔色が変わったことがわかったのでしょう。周囲の者達の目が険しくなりました。
「ハンネローレ様、何か思い当たることがあるのですね?」
「いいえ、ローゼマイン様の長い不在の後は物事が急激に動くというシャルロッテ様のお言葉を思い出しただけで、お茶会での出来事は本当に報告書に書いた通りなのです。ローゼマイン様が女神の降臨による講義への影響をずいぶんと気に病んでいらっしゃって、嫁盗りディッターはわたくしが思い悩むことではない、とおっしゃったくらいで……」
わたくしはローゼマイン様がお父様やツェントが対処すべきことだとおっしゃったことや「わたくしにお任せくださいませ」と口にしていたこと、それに対して自分は「貴族院に大人の出入りが難しいため、領主候補生の責任である」と説明したことなどを主張します。
「その程度の会話で、ローゼマイン様が国境門にアウブ・ダンケルフェルガーやツェントを招集して会合を行うことを決めたと誰が想像できるのですか?」
わたくしの主張に側近達は納得の表情になりました。
「確かに、それだけで国境門に招集がかかると予想するのは無理でしょう」
「そもそも大人が貴族院に出入りできないならば国境門に集まればよいなど、グルトリスハイトを持つローゼマイン様でなければ考えつきませんね」
ケントリプスもコルドゥラも呆れたような困ったような顔になりました。わかります。それほど気楽に国境門を使おうと考える者はローゼマイン様以外にいないでしょう。
「予想外の会合ですが、嫁盗りディッターの調整で領主候補生であるハンネローレ様にかかるご負担は大きいです。女神の降臨で講義もかなり遅れていますよね? ハンネローレ様個人のことだけを考えると助かるのでは?」
ルイポルトの言葉は間違いではありません。ローゼマイン様がわたくしの負担を減らすために考えてくださっているのですから、わたくし個人は非常に助かります。
……周囲の者は大変だと思いますけれどね。
「えぇ、姫様の負担は減るでしょう。何より、アウブとツェントが直接話し合う方が早く進みますし、誤解なども少ないですからね。急で強引で突飛ではありますが、有効な手段だと思います」
コルドゥラが納得してくれたので、理不尽に叱られることはなさそうです。わたくしはホッとしました。
「急であろうと、会合の場所が想定外であろうと、ローゼマイン様が申し出て、お父様とツェントが受け入れたのですよね? ならば、今からわたくしが覆せるわけがありません」
お父様からの書簡は経緯を問うものですが、会合を取り止めたいとか拒否するものではなく、わたくしの同行を求めるものでもありませんでした。つまり、わたくしが思い悩むことではないのです。この会合で嫁盗りディッターと無関係の領地が普通の社交期間を過ごせるようになり、ダンケルフェルガーの学生達の情報収集が捗るならば、わたくしから何も言うことはありません。
「コルドゥラ、会合の場にわたくしの側近の同行をお父様にお願いしたいのですが、それは受け入れられると思いますか?」
「問題ないかと。姫様が貴族院で領主候補生として動かなければならない以上、事態の把握は必要ですから」
コルドゥラの返事に頷き、わたくしは城に残っている自分の文官の同行をお願いする手紙を書くことにしました。
そして、翌日。お母様から返事が来たのですが、国境門を使って集まる面々との会合にはその手前にある境界門の中にある会議室を使うそうです。それほど広くないため、参加者や部屋に入れる側近を制限するらしく、わたくしの側近を同行させることはできないと断られました。
「お兄様とその側近も同行できないのですって。会合が終わったら領主一族と上層部への報告会を行うそうです。参加させたい側近を城で待機させておきなさいと書かれています。わたくしは貴族院で待機を命じられているのですけれど……」
「姫様の負担を減らすためにローゼマイン様から提案された会合なので、姫様を動かすことはできないとアウブやジークリンデ様はお考えのようですね。ローゼマイン様のご意向に反することになりますから」
自分のいないところで自分のことが話題になるのです。非常に内容が気になるではありませんか。それでも、ツェントとアウブの会合とされ、お兄様も参加できずに城での報告会を待つしかないならば、わたくしの側近の同行が許されるわけがありません。
「コルドゥラ、いつも通りに筆頭三名で報告会に参加してください。わたくしはローゼマイン様と貴族院の社交期間を楽しむためにできるだけ早く講義を終えられるように努力します」
「かしこまりました。では、わたくしは城へ戻るついでに、姫様の衣装や装飾品を持ち帰りましょう。土の日まで日数はございませんし、早々に決めなければ……」
「何の衣装でしょう?」
わたくしが首を傾げると、コルドゥラだけではなくアンドレアやイドナリッテも目を剥きました。
「姫様、そこまで意識にないと、さすがにケントリプスが可哀想ですよ」
「ハンネローレ様はケントリプスのエスコート相手として卒業式に出席すると決めたのですよね? ケントリプス様に合わせた卒業式用の衣装など誂えていませんし、貴族院にございません」
確かに卒業式の衣装のことは意識になかったかもしれませんが、ケントリプスのことだって少しは考えています。ローゼマイン様に「少なくとも口付ければ合うか合わないかわかる」と言われたせいで、油断するとそのことばかり考えてしまうのですから。
「あ、それは、その……ローゼマイン様のお茶会のことと、会合のことで頭がいっぱいだっただけです。全く意識にないわけではありません」
誤魔化そうとしたせいでしょうか、視線が泳いでしまったせいでしょうか、余計なことを考えて顔が熱くなってしまったせいでしょうか。コルドゥラにジロリと睨まれました。
「ハンネローレ姫様、まさかとは思いますが、ローゼマイン様がおっしゃったことを試そうなどと考えていらっしゃいませんね?」
……どうしてわかったのでしょう!?
コルドゥラの鋭い指摘にビクリとしてしまいそうになるのを必死に抑え、わたくしは「まさか……」と微笑んで返します。
「クラリッサの行いでエーレンフェストやアレキサンドリアの方々に、ダンケルフェルガーの女性全員が殿方に口付けて魔力を確認するなどと誤解されているのです。姫様が仮に試そうなどとすれば、その噂が間違いではないと肯定することになります。決して試そうなどと考えませんように」
できるだけ神妙な顔をしてわたくしは頷きました。わたくしもダンケルフェルガーの女性が他領の方々からそのように思われるのは心外です。
……けれど、わたくし個人としては色々と知りたいと思うのです。恋愛感情とか、魔力の相性とか、その、口付けでローゼマイン様は何がわかったのか、非常に気になるではありませんか!
どのような言い訳をしても叱られることが目に見えています。内心の気持ちはおくびにも出さず、わたくしは卒業式の衣装へ話題を逸らしました。
「講義が終わっていないので、卒業式に意識が向いていなかったのは事実です。でも、卒業生は貴族院へ行く前から準備するのですから、ケントリプスの衣装は決まっていますよね? それに合わせればよいのではございません?」
「ですから、姫様がケントリプスに直接それを尋ねることで交流の時間を持ちたいのか、側仕え同士で情報交換をするだけで済ませたいのか確認したかったのです」
……交流の時間ですか。
今のケントリプスは騎士コースの資格を得るために忙しく、食堂で食事をしている姿は見ますが、講義へのエスコートも時間が合わないようで顔を合わせる時間がほとんどありません。
「忙しい中、衣装に関する質問で時間を取ってもらうのは悪い気がするのですけれど……」
「卒業式の衣装を口実に、少しでも交流を持った方がよいですよ。婚約者候補との関係を深めるのは大事ですから」
エルーシアがニコリとした顔でケントリプスとの交流を推奨したかと思えば、アンドレアが妙に真剣な目でわたくしを見つめました。
「ハンネローレ様、尊重と放置は違うのです。忙しい相手だからこそ、一度は声をかけてあげてくださいませ。忙しいと断られたならばともかく、気を回したつもりで後から卒業式の衣装について希望があったと言われる方が困りますよ」
「アンドレア、何だかずいぶんと実感が……」
「わたくしの経験がハンネローレ様のお役に立つようで何よりです」
アンドレアの笑顔が「これ以上は聞かないでください」と言っているようで、わたくしは一度口を噤みました。周囲を見回せば、側近の皆がわたくしとケントリプスとの交流を求めていると察せられます。
「ケントリプスに直接尋ねようと思います」
「わかりました。そのように手配しましょう」
すぐに側近達がケントリプスへ予定を問うオルドナンツを送ります。夕食後という答えに合わせて会議室が準備されました。予定していた時間になると、ケントリプスと共に彼の側仕えが衣装の入った箱を会議室に持ってきて、机の上に衣装を広げます。
「この緑色でしたら、ハンネローレ様も緑色にしませんか? 去年誂えた衣装が合うと思います」
「卒業式は冬の終わりですし、ハンネローレ様の誕生季に合わせても赤系にした方がよいのではありません? その緑は春を寿ぐ宴で使う方がよいですよ。嫁盗りディッターの勝利宣言と共に婚約式になるでしょうから」
「では、冬の始まりの宴で使った衣装にします? お二人で小物の色を合わせれば統一感を出せるのでは?」
「わたくしは冬の社交のために誂えたピンク色の衣装が一番ハンネローレ様にお似合いだと思いますけれど。貴族院から戻った後の社交用なので、まだ使っていませんし……」
机の上に広げられた衣装を見ながら、わたくしの側仕え達がそれぞれ意見を出し合います。勢いに気圧されて、わたくしは一歩下がりました。ケントリプスが自分の側仕えを部屋に帰す様子が見えます。
「長引きそうだから終わるまでここで待機する必要はないよ。終わったら呼ぶから其方は部屋へ戻ってくれて構わない」
「かしこまりました」
……コルドゥラ達の話し合いが長引くことはわたくしでも予想できます。衣装が決まっても、装飾品や靴の相談がありますからね。
衣装だけ借りて自室で側近達に見てもらえばよかったのでは? と一瞬考えたところで「婚約者候補と交流を」と言われたことを思い出します。今回の目的は卒業式の衣装を口実にケントリプスと交流を持つことなのです。
……でも、衣装に関してわたくしやケントリプスが意見する隙などなさそうで……。
意見を出し合う女性側近達から一歩引いてしまったわたくしに気付いたのか、ケントリプスがわたくしのところへやってきました。
「ハンネローレ様に意見はないのですか?」
「……わたくしはケントリプスの隣に立つのに相応であれば、それでよいと思っています。正直なところ、側仕え達と違って自分の衣装を全て把握しているわけではないのです。ケントリプスこそ、わたくしの衣装に意見や希望はないのですか?」
アンドレアが「後か希望があったと言われても困る」と言っていたのを思い出し、わたくしは尋ねました。
「統一感についても側仕え達が考えてくれていますし、私より詳しそうなので彼女達に任せて構わないと思います。ただ、来年の、ハンネローレ様の卒業式に誂える衣装には意見させてほしいですし、ローゼマイン様へ髪飾りの注文もお願いしたいです」
今年ではなく来年の希望を出され、わたくしは何とも言えないもやもやとした気分になりました。ほんの少しのことで思い描いていた未来が次々と姿を変えることにわたくしが翻弄されているのに、軽い調子で来年のことを持ち出すケントリプスが諸々を真面目に取り合っていないような気がしたのです。
……まだ騎士資格が得られるかどうかわかりませんし、嫁盗りディッターだって絶対に勝てると勝負前から断言できないのですよ!
武に長けた領地として全力で挑みますが、それはそれ。何度もエーレンフェストに敗北しているわたくしは、今回の嫁盗りディッターでどのような奇策が使われ、どのような番狂わせが起こるかわからないと思っています。
「来年のことは嫁盗りディッターに勝ってから言ってくださいませ」
「おや、ずいぶんな自信ですが、ケントリプス様は騎士コースの資格を得られる目処がついたのですか?」
突然会話に割って入られたことにわたくしがビクッとすると、ケントリプスは「無作法だぞ」とルイポルトを窘めました。
「申し訳ございません。お二人とも恋人同士の語らいに盗聴防止の魔術具を使うことも知らないのかと思ったものですから」
「ケントリプスは婚約者候補ですが、恋人ではございません。それに、わたくし達は側近に聞かれて困るような話なんていたしませんよ!?」
恋人同士と言われたことに驚いてしまいましたが、今は卒業式の衣装について意見を言うだけです。むしろ、側近にお互いの意見を伝える必要があるでしょう。
けれど、ルイポルトはわたくしの反論を意にも介さず、ジトッとした目でケントリプスを見ています。
「なるほど。それは悪かった。使わせてもらおう」
負けを認めるように軽く手を上げたケントリプスはわたくしに盗聴防止の魔術具を差し出しました。
「少しは婚約者らしい振る舞いをしろという意味ですよ」
わたくしが魔術具を握ると同時にケントリプスが言いました。
「あとは、ハンネローレ様がラザンタルクではなく私を婚約者として選ぶ際に恋愛感情を理由にできるように、恋人らしい振る舞いをしろと以前ルイポルトから言われたので」
ルイポルトが領主候補生として感情を排して選べと言ったのに、恋愛感情を理由にしろと言うなんて意味がわかりません。
「わたくし、未だに恋愛感情がわかりませんのに!? 領主一族として望む条件を並べた結果ではいけませんの!?」
「それを貴族達に大っぴらにするのは、ラザンタルクに能力が足りていないと公言するようなものです。実態はともかく、恋愛感情を理由にした方が色々なところが丸く収まります」
……こうして偽りの恋愛感情が広められるのですね。
ローゼマイン様がフェルディナンド様に恋愛感情を抱いていない時期であっても、恋のお話が一人歩きした理由がわかったような気がします。色々なところを丸く収めるため、恋のお話に何かを紛れさせるため、どなたかの暗躍が見えるような気がします。
……そんなローゼマイン様も恋心を自覚したというのに……。
お茶会での様子を思い出したわたくしは芋蔓式に、ローゼマイン様の助言を思い出しました。
「……そういえば、わたくし、恋愛感情について相談した時に、少なくとも口付ければ合うか合わないかわかると言われたのですけれど」
グッと息を呑んだケントリプスが信じられないものを見るような目でわたくしを見ました。
「一体どこのどなたがハンネローレ様にそのような低俗なことを!?」
「アレキサンドリアのアウブであるローゼマイン様です」
「ローゼマイン様!」
ケントリプスの叫びは、クラリッサの暴走を知らされたわたくし達の叫びによく似ていました。この後は「まさか試すおつもりですか?」とお説教されるに違いありません。わたくしは先手を打って言い訳をします。
「同い年の友人がすでにしていると聞いたので気になっただけです。破廉恥であることはわかっています。絶対に叱られるのでコルドゥラには内緒にしてくださいね」
「コルドゥラに内緒ということは、本心では試してみたいとお考えなのではありませんか?」
すっと真顔になったケントリプスに見つめられ、わたくしはそっと視線を逸らしました。
「ハンネローレ様、本心では?」
「……試してみて恋愛感情がわかるならば……と少しだけ思いました。思っただけです。まだ実行していませんし、実行しないことに決めたので、これ以上怖い目でこちらを見ないでくださいませ」
わたくしが少し早口で「実行はしません」と何度か繰り返すと、ケントリプスは一つ息を吐いて表情を改めてくれました。
「本当に、本当にお止めくださいね。ハンネローレ様は妙なことに影響を受けやすいですし、思い込んだら周囲の忠告を聞かずに行動に移すことが多々あるので心配でなりません」
色々と心当たりがあるわたくしにはとても反論できません。それでも、ローゼマイン様が「試してみれば」という言葉が耳にこびりついています。
……あれほど恋愛感情を否定していたローゼマイン様が自覚されたのですもの。試してみればわたくしにも何かしら育っている想いがあるかもしれないし、わかるかもしれないでしょう?
むむむっと考え込んでいると、ケントリプスが呆れたような顔になりました。
「まだどうにもご不満そうですが、ローゼマイン様とハンネローレ様では決定的な違いがあります。それはおわかりですか?」
「違いですか?」
アウブと領主候補生、神々の問題の解決できる女神の化身と伝言しかできない第二の女神の化身など、決定的な違いは色々とあります。
「ローゼマイン様とフェルディナンド様は婚約者同士ですが、ハンネローレ様は正確に言うとまだ婚約していません。求婚の条件を達成しましたが、嫁盗りディッターが終わるまで私はあくまで婚約者候補です」
「あ……。そういえば、そうですね」
……求婚の条件を達成したので、もうケントリプスが婚約者のつもりでした。
婚約しているか否かで口付けに対する周囲の反応が全く変わります。すでに婚約しているローゼマイン様は口付けしていても、大っぴらに公言したり人前でしたりするのでなければ「婚約者同士ですから、恋愛感情による婚約であればそういうこともありますよね」と周囲はある程度見て見ぬ振りをしてくれます。
けれど、まだ婚約していないわたくしは婚約予定の者が相手であっても「倫理観に欠ける身持ちの悪い娘」として見られてしまうのです。
「それに、ハンネローレ様は婚約者候補を同等に扱うとおっしゃいました。私と同じようにラザンタルクとも確認されるおつもりですか? 婚約前から二人の男と口付けを交わすのは外聞があまりにも……」
「待ってくださいませ。わたくし、ラザンタルクと口付けて確認するなんて全く考えていませんでした」
恋愛感情があるわけではありません。それでも、自分でケントリプスを選んだのです。他の者と魔力を確かめるわけがないでしょう。
わたくしが睨むと、ケントリプスは「それは安心いたしました」とニコリと笑います。何となく言わされたような気がしたのですが、気のせいでしょうか。
「ハンネローレ様、それほど魔力の相性が気になるならば色合わせをしませんか? あの魔術具はそのためにあるのですから」
色合わせは婚姻における魔力量の釣り合い、魔力を染め合う上での馴染み方、属性の相性などを魔術具で確認することです。婚約が正式に整うまでに三回の色合わせを行うのが一般的です。最初は両家の親が結婚相手を決めるために親同士で、次に顔合わせをして当人同士で確認するために、最後に婚約のお披露目で皆に見せるために行います。
……王命の婚約の場合は魔力が合わなくても結婚しなければならないので、婚約式で色合わせを行うことはないと聞いています。だから、ローゼマイン様は口付けて確認したのでしょうか? いえ、別に婚約式で行わなくても魔術具を使って確認はできますよね?
わたくしの場合、ケントリプスとラザンタルクが婚約者候補に決まる過程でお父様と伯父様が色合わせをしているはずです。二人から婚約者を選ぶ前に貴族院へ来たので、わたくしはまだケントリプスと色合わせをしていません。
「嫁盗りディッターに勝利すれば、婚約のお披露目はおそらく春を寿ぐ宴で行うことになります。それまでに色合わせをしておいた方がよいでしょうし、ハンネローレ様が魔力の相性を気にするならば試してみてもよいのでは? 必要ならば領地から魔術具を取り寄せますよ」
「……色合わせをするのは構いませんが、それでわかるのでしょうか? わたくしが個人的に一番知りたいのは恋愛感情なのですけれど」
わたくしの言葉にケントリプスは「本当にローゼマイン様と何をお話ししたのですか?」と非常に困惑した顔になりました。
「魔術具による色合わせと口付けなどで直接魔力を流すのでは感覚的に全く違うでしょうが、魔術具でも魔力の相性だけならばわかります。それに、同調薬を渡し合える関係になるまで直接魔力を交わすのはお勧めできないと言われています。お互いに結構反発があるそうですから」
ケントリプスの言葉に、わたくしは「ダンケルフェルガーで儀式に使うフェアフューレメーアの杖はどのように覚えるのですか?」とローゼマイン様に問われた時のことを思い出しました。
フェアフューレメーアの杖は両親が作った杖に触れ、魔力を流すことで作れるようになります。同じことをローゼマイン様と試みて、わたくしの作った杖に魔力を流された時、反発すると思っていなかったので驚いたものです。
「ぞわっとするというか、馴染みのない異物が入ってくる感じが不快で驚きますよね」
「魔力の反発を経験済みとはどういうことでしょう、ハンネローレ様? いつ、どなたに魔力を流されたのですか?」
ケントリプスの顔が怖いほど真剣になりました。講義中にローゼマイン様が口を滑らせた時のヴィルフリート様の反応と同じです。大した出来事ではなかったのだと早々に弁解しなければなりません。
「貴族院三年生の時に……。その、わたくしとしてはローゼマイン様のご質問にお答えしようとしただけで、わざとではないのですよ。そのようなことになるとは知らなくて……」
わたくしがあわあわとしながら急いで説明すると、ケントリプスがググッと眉間に皺を刻み、力一杯に拳を握りました。
「またしても、ローゼマイン様!」
「ケントリプス、またしてもとは何ですか? その、事故のようなものですよ。ただ、あの出来事で肉親と他者の魔力が違うと身を以て知りました。わたくしもローゼマイン様もお互いに無知だったのです」
恨みがましそうな目をしてわたくしの言い訳を聞いていたケントリプスが深い深い溜息を吐きました。
「私にとって一番の恋敵はローゼマイン様かもしれません」
「はい?」
「魔力を流され、髪飾りを贈られ……。婚約者と行うことを先にローゼマイン様と経験済みとは思いませんでした」
……そのような、そのようなつもりはなかったのです。
「ケントリプス、その、わたくし……」
「何もかもローゼマイン様に先を越されているわけですから、少々面白くないというか、あまりにも不甲斐ないというか……。正直なことを述べれば、ハンネローレ様への悪影響が大きすぎるというのに、女神の化身としての先達で、アウブ・アレキサンドリアである以上、交流を止めることもできないとは……」
想像もしていなかった落ち込み具合にわたくしはオロオロしながら近付いてケントリプスの顔を覗き込みます。
「ケントリプスを落ち込ませるつもりはなかったのです。本当です。以後、気を付けますから……」
「では、これからは私以外の魔力を受け入れないでください。約束ですよ?」
「わかりました。約束します」
幼い頃と同じ会話の流れだったせいで深く考えずに頷いて約束してしまったわたくしに、ケントリプスがとろけるような笑みを見せました。
「嬉しいです」
「ふぇ!?」
……急にそういう甘い笑顔をされるとビックリするのです。心臓に悪いので止めてくださいませ!
顔を覗き込むようにして近付いていたのは自分なので、文句を言いたいのに言えなくて、何だかそのままケントリプスと話を続けることもできなくて、わたくしは「衣装について意見を述べてきます」と盗聴防止の魔術具を押しつけるようにしてその場を逃げ出しました。
「あら、ハンネローレ様。ケントリプス様とどのようなお話をしていたのですか?」
「え?」
早足で女性側近達の集まっているところへ飛び込んだわたくしを見て、アンドレアが目を丸くしました。その声に皆がわたくしに視線を向けます。
「お顔が真っ赤になっていますよ」
「会議室から出る前に平静を装えるようになってくださいね、姫様」
ハイルリーゼとコルドゥラの指摘に、わたくしは思わず自分の頬を両手で隠しました。
「……わたくし、もしかしたら風邪を引いたかもしれません」
「風邪ではない病のようですけれど……」
「早く何の病かわかるとよいですね」
体調がよくないと言っているのに、側近達にはさほど心配もされず、衣装を決めるのを優先されてしまいました。
そして、講義に出て「本当に其方等が二人揃った途端に面倒事が起こる」とアナスタージウス先生に文句を言われたり、他領の方々の「早く嫁盗りディッターが中止になればよいのに」という空気や動向を観察したり、「エーレンフェストのお茶会室にオルトヴィーン様が招かれたらしい」という噂を耳にしたりする中、土の日になりました。
試してみたいお年頃のハンネローレですが、周囲にガッチリ止められました。
そして、色々とローゼマインに先を越されているケントリプス、ドンマイ!
恋の病を何となく感じていた一部の女性側近はのんびりと見守っています。
変に突いてヴィルフリートの時のように意固地になられても困るので。
次は、会合の報告です。




