表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
51/54

エーレンフェストへの協力要請(前編)

 寮に戻ると、わたくしは側近達にツェントの意向を伝えました。お父様にも報告してもらわなければなりません。


「中止になっても構わないとツェントは本当におっしゃったのですか? 神々が苛立っているようですのに?」


 側近達はわたくしと同じ意見のようです。わたくしは胸を撫で下ろしました。


「個人に責が向かう分には構わないそうですし、一領地、一個人に肩入れはできない、とおっしゃいました」

「……つまり、中止を目論む方々がシュタープを封じられたり、腕や足を動かせなくなったり、いくら祈っても子孫まで祝福を得られなくなったり、礎に触れられなくなるアウブが出たりしても構わないということですか?」


 コルドゥラが神話の中で神々が罰を与えた例をいくつか出してきます。ディッターの中止を画策しただけで受けるには重い罰ですが、ツェントのおっしゃる通り、ユルゲンシュミット全体が困ることはなさそうです。


「えぇ。それに、ツェントはどちらにも肩入れしないだけで、ダンケルフェルガーがディッターの中止を阻止するのは構わないそうです。公平ではあると思いますよ」


 わたくしの言葉に側近達は「それならば、まぁ……」と納得の顔になりました。


「嫁盗りディッターの中止を阻止するためには早急に他領の様子とオルトヴィーン様の状況を探らなければなりません。ツェントはドレヴァンヒェルの次期領主争いが激化しているとおっしゃったのです。でも、その発言の根拠がわからなくて……」


 ダンケルフェルガーの学生が集めた情報ではオルトヴィーン様に特に異常は見当たりませんでした。おそらく嫁盗りディッターにおける敵対領地の情報が入りにくくなっているのでしょう。ドレヴァンヒェルだけではなく、コリンツダウム、ギレッセンマイアー、ハウフレッツェの情報もおそらく表面的なものしか収集できていないと考えられます。


「お父様から他領の情報は届いていませんか?」

「まだ届いていません。それに、どのような形で届くのかも定かではありませんよ」


 相手の領地が情報を一度取りまとめてからダンケルフェルガーに送るのであれば日数がかかるとアンドレアが言いました。ルイポルトも頷きます。


「手っ取り早いのは相手の領地の学生から我々が直接話を聞くことですが、どこが情報収集を受け入れたのか、いつから誰に接触すればよいのか今の時点で不明です」

「どういう形にせよ、少し時間がかかるということですか。ひとまず嫁盗りディッターに関係のない領地との交流を強化しましょう。そこからドレヴァンヒェルの情報を得るより、わたくしが講義に出られるようになる方が早いかもしれませんね」


 わたくしは頬に手を当てると、コルドゥラがわたくしの様子をじっと見つめた後、ほとんど女神の御力は感じられなくなったと言いました。


「再降臨を完全に伏せるのであれば、明後日から講義に戻るのが無難ですね。それから、姫様。こちらはエーレンフェストからのお返事です。三日後にお茶会を……と」

「わかりました」

「最近はツェントから緊急で呼び出されることが多かったので、前もって準備のできる通常の社交は側仕えとしてありがたいです」


 イドナリッテがしみじみとした口調で言いました。わたくしは少しでも早く情報を得たいので、三日後と言われると何となく待ちきれないような焦燥感を覚えるのですが、側仕え達の間には同意を込めた苦笑が広がりました。




「今日から講義ですね」


 そう言いながら手を差し出したラザンタルクの表情が沈んでいて、わたくしは首を傾げます。


「困った顔になっていますよ、ラザンタルク」

「ハンネローレ様に言われたことを色々考えているのですが、難しいです。自分の不足が多いことはわかるのですが、どうすれば不足を埋められるのか、それにどのくらいかかるのか見当がつかないのです。ケントリプスが羨ましいです」


 落ち込んでいるのはわかりますが、どう慰めればよいのかわかりません。そもそもわたくし自身も不足が多いのです。


「ラザンタルクはケントリプスが羨ましいと言いますが、昔からケントリプスは自分と違ってラザンタルクは騎士見習いになれるのに……とか、ラザンタルクみたいにさっぱり割り切れる考え方ができれば生きやすいだろうとか羨んでいましたよ」

「でも、今は違うでしょう。目標が定まって脇目も振らずに突き進んでいるせいで忙しくて相談にも乗ってくれません」


 ケントリプスは次々と騎士コースの試験を受けているようで、しばらく講義の送り迎えは難しいと聞いています。ルーフェン先生と試験の計画について話し合っている姿が食堂でよく見られるようになりました。そして、何とか婚約者候補として嫁盗りディッターに出たいと尽力するケントリプスの姿はダンケルフェルガー内で非常に好意的に見られています。


 ……うぅ、フェルディナンド様が「愚直な馬鹿を好む」とおっしゃった通りではありませんか。


 悪口としか思えなかった言葉ですが、完全に事実でした。わたくしも必死に努力するケントリプスを応援していますし、次々と試験に合格している様子を好ましく思います。このようなことで自分のダンケルフェルガーらしさを自覚したくありませんでした。


「私だってハンネローレ様に少しでも良いところを見せたいのに……」

「では、頑張ってくださいませ。少なくともいじけているラザンタルクを見て素敵とは思いません」

「うぐっ……」


 情けない顔でわたくしを見下ろすラザンタルクを見上げ、わたくしはクスッと笑いました。


「悩みは誰にだってあるものです。第二の女神の化身になったことを他領の方から羨ましがられますが、それによって起こったことで悩みますもの。講義は無事に終わるのか、嫁盗りディッターはどうなるのか、自領の領主候補生としてどう不足を埋めていくべきか……。少しずつでも解決していくつもりです」


 ラザンタルクが何度か目を瞬かせた後、じんわりと嬉しさが広がっていくような笑みを浮かべました。


「私も諦めません。できる限り前に進みます」


 栗色の目に明るさが戻り、ラザンタルクがグッと顔を上げたところで領主候補生コースの教室が見えてきました。


「姫様、わたくしの注意を覚えていますね?」


 わたくしはコルドゥラの確認にコクリと頷きます。わたくしは一つの物事しか見えなくなる傾向があるため、講義中はオルトヴィーン様と不用意に接触しないように殊更気を付けるように、と言われました。情報収集のために接触を試みて周囲から共闘を悟られそうになった場合、ダンケルフェルガーからオルトヴィーン様を切り捨てることになりかねないそうです。


 コルドゥラは心配そうですが、領主候補生コースの講義中はアナスタージウス先生が見張っているので接触できません。ツェントの配偶者であっても神々に関するお話し合いから排除されていることもせいか、アナスタージウス先生のわたくしに向ける視線は非常に厳しいものです。


 ……それでも、オルトヴィーン様の様子を自分の目で確認できれば多少は気持ちが落ち着くでしょう。


 そう考えながらわたくしは領主候補生コースの教室に入りました。




「ハンネローレ様、おはようございます」

「あら、ヴィルフリート様……。おはようございます。もう体調はよろしいのですか?」


 教室に入ると同時に声をかけられ、わたくしは振り向きます。わたくしの記憶にある最後の講義は調合で、その時はヴィルフリート様もお休みしていました。わたくしの問いかけに「もう大丈夫です」と頷きます。


「ハンネローレ様、こちらを……。謝罪させてください」


 ヴィルフリート様は盗聴防止の魔術具を使いたいようで差し出します。謝罪のためと言われれば断ることはできません。わたくしが受け取ると、ヴィルフリート様はホッとしたように一つ息を吐いた後、表情を改めました。


「先日は私の失言でダンケルフェルガーを混乱させてしまい、申し訳ございませんでした」

「エーレンフェストからの謝罪は受け入れました。もうお気になさらず。……それより、ヴィルフリート様は嫁盗りディッターで味方をしようと考えたほど親しいのでしょう? 最近のドレヴァンヒェルについて何かご存じのことがあれば教えてくださいませんか?」


 わたくしはせっかくの機会なのでヴィルフリート様からドレヴァンヒェルの情報を得ようと問いかけました。ここでオルトヴィーン様個人の名前を出すことはできません。


「あ……。申し訳ありません。その、私はアウブから領地への帰還を命じられていて、講義に復帰したのが昨日なのです」


 ヴィルフリート様は躊躇いを見せつつ、アウブからの命令で帰還していたことを教えてくれました。どうやらダンケルフェルガーと溝を作るところだったヴィルフリート様の発言をアウブは問題視したようです。


「それに、オルトヴィーンはすでに領主候補生コースの講義を終えたようです」

「……あ!」


 何ということでしょう。わたくしの意識がない内にオルトヴィーン様が講義を終えてしまっているなんて思いませんでした。しかし、考えてみればお兄様が五年生の時もこのくらいの時期に講義を終えていた気がします。オルトヴィーン様が終えても不思議ではありません。


 ……困りましたね。


 これではオルトヴィーン様の無事を自分の目で確認することさえできませんし、講義を終えた彼が何をしているのか、誰かに何かされているのかダンケルフェルガーが知ることは非常に難しくなりました。


「あの、ハンネローレ様。オルトヴィーンに何かあったのですか?」

「何かあったわけではなく、ドレヴァンヒェルで次期領主争いが激化していると耳にしたので少し気になったのです。何かご存じのことがあれば、と……」


 ヴィルフリート様は心配そうな顔で少し考えた後、「シャルロッテに聞いてみます」と言いました。


「ずっと貴族院にいたシャルロッテならば何か知っているかもしれません。お茶会で質問してみてください。私は……嫁盗りディッターが終わるまでオルトヴィーンと関わらないようにアウブから言われました。ハンネローレ様とも謝罪以外の接触を禁じられています。お力になれず申し訳ありません」


 ヴィルフリート様はそう言うと、盗聴防止の魔術具を回収します。背を向けて去っていく姿を見て、わたくしはそっと息を吐きました。エーレンフェストの警戒はわかりますが、あからさまに距離を取られるとどうにも寂しく感じます。


 ……これほど簡単にバラバラになるものなのですね。


 嫁盗りディッターが終わるまで、以前のように気安く交流できないでしょう。全ての始まりとなった東屋に行ったことがあまりにも昔のことに思えてなりません。


 ……それに、教室の空気が……。


 交流が難しいのはヴィルフリート様やオルトヴィーン様だけではありませんでした。嫁盗りディッターに一度でも申し込んだ領地の領主候補生はわたくしから少し距離を取ります。彼等と仲の良かった者達はわたくしの前で仲良くする姿を見せないようにしているようです。今の教室には和やかな雑談はなく、お互いの出方を窺うような緊張感と重い沈黙が満ちています。


 ……ダンケルフェルガーの目を意識して緊張した空気がわたくし個人ではなく、ダンケルフェルガーに向けられるものであれば、他領からの情報収集が難しいのも当然ですね。


 教室の大半から様子を窺う視線を感じながら、魔力回復中のお喋りさえない沈黙の教室でわたくしは休んでいた期間を埋めるように講義を進めました。




 教室の雰囲気が悪くて情報収集ができないため、わたくしはシャルロッテ様とのお茶会を心待ちにしていました。


「改めてお兄様の失言について謝罪させてくださいませ。アウブからの叱責もあり、本人も反省しています」


 お茶会で盗聴防止の魔術具を渡されると同時にまたもや謝罪をいただきました。


「ヴィルフリート様ご本人からも謝罪をいただきましたし、わたくしは気にしていません。……けれど、講堂でシャルロッテ様が領地を代表して謝罪する姿を見て、ヴィルフリート様が次期領主でなくなっていることに気付きました」


 それより前にヴィルフリート様の口から聞いていますが、それは求婚の条件を得る時だったので口にはしません。


「次期領主の変更は今回の一件とは関係ありません。お兄様の選択の結果ですから」

「ヴィルフリート様の選択……? あぁ、同母の兄妹なのにアウブのご判断でおばあ様を育て親としたことでヴィルフリート様だけ派閥が違うため、自ら次期領主の座を降りることが領地の利になると判断したと伺っています。ご立派ですよね」


 求婚した時に言われたことを思い出し、わたくしはヴィルフリート様の決断を褒めました。確かに領地間に溝を作るような失言でしたが、彼の美点も知っているから今後の領地関係に問題はないのだと伝えたかったのです。

 けれど、シャルロッテ様は思いも寄らなかったことを言われたという顔を一瞬だけ見せた後、取り繕った微笑みを浮かべました。


「あら、違ったのでしょうか? わたくしの聞き間違いや重大な齟齬でなければよいのですけれど……」


 エーレンフェストとは些細な行き違いが後々大きな問題に繋がったことがあります。わたくしが確認すると、シャルロッテ様は非常に困った顔になりました。テーブルの上にある指先に力が入っているのがわかります。


「……完全に間違っているとは言えませんし、お兄様から見るとそうなのでしょう。けれど、お兄様にとって都合の悪い部分が隠されていて、お父様だけが悪く聞こえるので少々驚いてしまいました。領地とアウブの名誉のために訂正させてくださいませ」


 できれば他領の者には言いたくないけれど、わたくしの聞いたヴィルフリート様の言葉を真実にされると困るということでしょう。


「詳細を申し上げることはできません。……ただ、お兄様の派閥はアウブであるお父様と同じでした。最終的にお兄様の派閥だけが家族の中で違ってしまったのですが、それはお父様が領地を改善するために行動した後もお兄様がずっと断つべき悪縁に縋りつき、楽な方向に流された結果です」


 ……元々はアウブと同じ派閥? 断つべき悪縁?


 濁されているので、詳細はわかりません。けれど、アウブの選択と別の方向にヴィルフリート様が進んでしまったことは伝わってきました。シャルロッテ様から見ると、ヴィルフリート様にも非があるようです。

 ヴィルフリート様の言葉をどこまで信じてよいのか困惑しているわたくしに、シャルロッテ様は少しの間だけ目を伏せてそっと息を吐きました。


「何と言えばよいのでしょうか。……お兄様には少々独りよがりで周囲が見えていないところがございまして、今回ダンケルフェルガーにご迷惑をおかけしたのもその一面が強く出たからでした」


 ……うぅ、ものすごく耳に痛い言葉です。


 色々とあって反省しましたが、わたくしも独りよがりの言動で周囲に迷惑をかけたことが多々ございます。シャルロッテ様がヴィルフリート様のことをおっしゃっているのだとわかっていてもグサグサと言葉が刺さるような心地になりました。


「性根や意地が悪いのであれば警戒も対処も容易ですが、お兄様の場合はそうではないため失言で周囲が振り回されたり困ったりするのです」


 苦笑気味におっしゃるシャルロッテ様の藍色の目は柔らかくて、ヴィルフリート様の失言に困っていても嫌っていないことがわかります。


 ……けれど、ヴィルフリート様の失言が珍しくないのであれば、領地間や派閥間の溝を深めたり余計な敵意を向けられたりするのではないかしら?


 派閥関係の前に、性質がアウブに向いていないように思えます。領主会議で悪意なく失言して領地間の関係を壊す可能性があるアウブなど考えたくありません。


「今回は友人であるハンネローレ様とオルトヴィーン様のお二人に多大な迷惑をかけたことで気付きを得たらしく、お兄様なりに失敗が身に沁みたようです」

「そうですか……。何らかの気付きを得られたならばよかったです。その、わたくしも色々とございました。ヴィルフリート様から気付きを得たこともありますから……」


 わたくしの言葉にシャルロッテ様は驚いたように何度か目を瞬かせました。それから、少し肩の力を抜いてお茶を口に運びます。


「誤解が解けたようで何よりです。今後もよろしくお願いしますね。……それから、お兄様から伺いました。オルトヴィーン様の情報をハンネローレ様が求めていると……」


 わたくしは思わず息を呑んでしまいました。オルトヴィーン様個人の情報を得ようとしていると思われないように、ヴィルフリート様にはわざわざ「ドレヴァンヒェルの情報」と言ったはずです。それなのに、何故オルトヴィーン様の情報とされたのでしょう。


「あの、シャルロッテ様。わたくしはオルトヴィーン様個人の情報に限っていません。嫁盗りディッターに関連してドレヴァンヒェルの次期領主争いが激化していると耳にしたので、その辺りの情報がないかヴィルフリート様にお伺いしたのです」

「あら、それではずいぶん違って聞こえますね。お兄様ったら……」


 シャルロッテ様が呆れたように息を吐きました。こうした些細な違いで誤解や妙な噂が生まれるのです。わたくしがオルトヴィーン様を気にしていると思われてはなりません。

 わたくしは必要なのはドレヴァンヒェルの情報であることを強調すると、ニコリと微笑んでロウレ入りのお菓子を口に運びました。ダンケルフェルガーにとって本命の話題になったことを伝える合図です。アンドレアがシャルロッテ様達の反応が見やすい位置にさりげなく移動しました。


「困ったことに、今のダンケルフェルガーでは敵対する領地と直接関わったり、情報を集めたりすることが難しいのです」


 何か思い当たることがあるのか、シャルロッテ様はわたくしの視線を避けるように目を伏せ、再びカップを手に取りました。わたくしはその反応を見て、わずかに身を乗り出します。


「具体的にはドレヴァンヒェル、コリンツダウム、ハウフレッツェ、ギレッセンマイアーの情報を求めています」


 わたくしの言葉にシャルロッテ様は少し考えた後で視線を上げ、「何故その四領地なのでしょう?」とゆっくりと首を傾げました。

 求婚による嫁盗りディッターの申し込みを受けたり、辞退の連絡があったりしたのはダンケルフェルガーだけです。おそらく他領の方々は今の時点で嫁盗りディッターの参加領地がどこなのか、どれだけあるのかご存じないのでしょう。


「ツェントからのお知らせがあった後、未だに嫁盗りディッターの申し込みを取り下げていない領地がその四領地なのです」

「……少々お待ちください。マリアンネ、取ってきてください」


 シャルロッテ様は盗聴防止の魔術具を手放すと、文官見習いに声をかけました。マリアンネが身を翻してお茶会室を出て行きます。少しして戻ってきた彼女は紙の束を抱えていました。


「こちらは……?」

「エーレンフェストに集まっている情報をまとめたものです。元々はお姉様、ローゼマイン様が始めたやり方なのですよ」


 誇らしそうに言いながらシャルロッテ様は手早く紙の束を捲ります。けれど、その藍色の目は情報を読んでいるというより、どの情報をどれだけ出すのか吟味しているように見えます。


「申し訳ございません、ハンネローレ様。こちらの情報を伝える間は盗聴防止の魔術具を使えませんけれど、よろしいですか?」

「えぇ、わたくしは問題ございません」


 盗聴防止の魔術具を返し、わたくしと側近達はシャルロッテ様からもたらされる情報に耳を澄ませます。書き留めようとする文官見習い達に緊張が走ったのがわかりました。


「えーと……そうですね。ドレヴァンヒェルの情報の中で嫁盗りディッターに関わるのは、オルトヴィーン様に辞退を迫る者が増えているというものでしょうか。わたくしも最近耳にしました」


 ……ランスリット様を含めた異母兄弟だけではなく?


 増えているという言葉に、わたくしは少し目を細めました。次期領主争いが激化しているとは聞いていましたが、辞退を迫る者が増えているというのは初耳です。


「シャルロッテ様はどなたがオルトヴィーン様に辞退を迫っているのかわかりますか?」


 わたくしはニコリと微笑みました。シャルロッテ様もニコリと微笑みます。お互いにどこまで情報を出すか、相手から引き出せるか、どういう形に誘導していくか探り合っていることが伝わってきます。


「最も多いのはドレヴァンヒェルの者ですね。アウブにも命の危険があること、ダンケルフェルガーから睨まれるのを危惧する意見が生まれ、誰が領地のことを最も考えているかなどの対立に繋がり、現在では次期領主争いが激化しているようです」


 わたくしは眉を寄せました。オルトヴィーン様がずいぶんと追い詰められているように聞こえます。


「それにドレヴァンヒェル以外の領地が関わっているという情報はございますか? わたくしの予想ではコリンツダウムの影響が大きいのですけれど……」


 シャルロッテ様は驚いたように軽く目を見張り、わたくしの様子を探るように視線を動かしながらコクリと頷きます。


「えぇ、コリンツダウムの影響は大きいようです。ハウフレッツェ、ギレッセンマイアーもオルトヴィーン様に辞退を促していますね。辞退を迫って敵対者を減らすのは嫁盗りディッターを優位に進めるためだとハンネローレ様はお考えになるかもしれませんが、彼等は嫁盗りディッターを中止するために行っているそうです」


 やはりコリンツダウム、ハウフレッツェ、ギレッセンマイアーの三領地は協力関係にあり、嫁盗りディッターを中止するために動いているので間違いないようです。予想通りといえば予想通りですが、こうして情報として聞くと、思っていたよりずっと多くの者からオルトヴィーン様は圧力をかけられているようです。


「……ハンネローレ様はどう思いまして?」


 シャルロッテ様がお菓子を口に運び、わたくしに意見を求めます。笑顔ですが、ずいぶんと緊張しているようにも見えます。彼女には彼女の思惑があり、わたくしやダンケルフェルガーの情報を集めているのでしょう。


「不思議に思います。どうして他者に辞退を迫ってまで嫁盗りディッターを中止させたいと考えるのでしょう? オルトヴィーン様に辞退を迫る前に自分達が辞退すべきでしょう。辞退すれば嫁盗りディッターに関わることはありませんのに……」


 嫁盗りディッターを中止することに対しては賛成とも反対とも言わず、わたくしはコリンツダウムと手を組んでいると推測されているハウフレッツェとギレッセンマイアーを責める物言いをしました。

 正直なところ、その二領地が辞退してくだされば、オルトヴィーン様とは共闘がきまっているのですからディッターの決着は簡単につきます。できれば、さっさと辞退してほしい領地なのです。


「……辞退したくてもできない領地があると聞きました。ドレヴァンヒェルより先に辞退するのはジギスヴァルト様との関係上どうしても難しいようで……」


 集められた情報の書かれている紙を握っている手が小さく震えています。相手の事情を伝えることでダンケルフェルガーの怒りを少しでも和らげたいのでしょうか。わたくしはシャルロッテ様の交流関係から彼女が庇いそうな相手を考えます。


「あぁ、シャルロッテ様はギレッセンマイアーのルーツィンデ様と仲良しでしたね。そちら領地の事情に詳しいのでしょうか? わたくし、何かお力になれるかもしれません」


 わたくしができるだけ心配そうな顔をしてじっと見つめると、シャルロッテ様が緊張したようにコクリと息を呑みました。


「……ルーツィンデ様はジギスヴァルト様の命令には逆らえないと嘆いていました。大変なことに巻き込まれ、そのせいで様々な交流が断たれてしまったそうです。アウブの判断に領主候補生は従うしかありませんし、貴族ならば王族の言葉には逆らえません。それはダンケルフェルガーの方々もご存じでしょう?」


 ルーツィンデ様個人は悪くないのに辛い立場に置かれているという訴えに、わたくしは一つ頷き、「ジギスヴァルト様に困らされている方は多いのですね」と軽く息を吐きます。思った通り、元王族の威光を存分に使っているようです。


 ……けれど、シャルロッテ様の言葉を鵜呑みにはできませんね。


 ギレッセンマイアーやハウフレッツェが求婚してきたことは揺るぎない事実です。それに、辞退の申し出がなく、ダンケルフェルガーやツェントに「ジギスヴァルト様の命令で困っている」という訴えがあったわけでもありません。見返りがあるのか、すでに領地としての利を得ていることでアウブが自発的にジギスヴァルト様へ協力している可能性もあります。


 ……この場で信用して問題ないのは「ルーツィンデ様個人が困っている」ということだけでしょう。


「あの、ハンネローレ様。嫁盗りディッターの起点となったオルトヴィーン様さえ辞退させることができればディッターを中止させられるとルーツィンデ様から伺いました。それは本当なのでしょうか?」

「ギレッセンマイアーやハウフレッツェがコリンツダウムの協力者であり、わたくしに対する求婚者でないならば、中止にできるかもしれません」


 ……ジギスヴァルト様は嫁盗りディッターではなく元王族の威光で求婚したいでしょうからね。


 わたくしが中止にできる条件を示すと、シャルロッテ様は「まぁ、本当ですか?」と表情を明るくしました。その弾んだ声から彼女が二領地はジギスヴァルト様の命令で協力していると信じていること、それから、嫁盗りディッターの中止を望ましく思っていることが伝わってきます。


「できるだけ早く中止になってほしいですね。今となってはオルトヴィーン様とその側近以外のどなたも嫁盗りディッターを望んでいませんもの」


 ……どなたも、ですって!?


 わたくしは驚きに軽く息を呑みました。シャルロッテ様の言葉が大袈裟なのか、事実に基づく発言なのか確認しなければなりません。彼女の手にある情報の数々を自分の目で確かめたい誘惑に駆られながら、少しでも多くの情報を引き出せる言葉を考えます。


「シャルロッテ様、どなたもと言い切ってしまうと大袈裟過ぎませんか? 嫁盗りディッターを望まない者がそれほど多くいらっしゃるのでしょうか?」


シャルロッテとのお茶会は女の戦場っぽくなりました。

お互い情報収集と協力を得るために色々と考えています。

ローゼマインといい、ヴィルフリートといい、シャルロッテといい、お友達のために頑張ってしまうのはエーレンフェストの特徴なのかもしれません。


次は、後編です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
フェルディナンドのときは領地のために他領の領主候補生をあっちへこっちへしてたのにって考えるとローゼマインとしては思うところあるんだろうか
何でもペラペラ漏らすのが将来のアウブ候補だって本当に子供の教育ができない無能アウブ夫婦だよな
エーレンフェストの連中はどいつもこいつもやる気スイッチが自分以外の何かにあって、そこから自分の利益を見出して自己完結して満足するタイプなもんで他所の連中から見たら理解が難しいのよね だから本人は割と満…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ