ユレーヴェの再調合とツェントの意向
わたくしがユレーヴェの調合のために側近達と寮内にある調合室へ移動していると、ラザンタルクが駆け寄ってきました。
「ラザンタルク、どうかしましたか?」
「ハンネローレ様、ご一緒させてください。素材採集の時は無理でも、調合中ならば時間がありますよね? やはり会話が大事だと思うのです」
採集場所では同行者を守りながら採集したり魔獣を討伐したり解体したりします。いつ魔獣が襲ってくるかわからず、緊張感に満ちた中で悠長にお喋りはできません。指示を出す以外に会話はほとんどないのが常です。逆に、調合中はひたすら素材を掻き混ぜる時間があるため、会話くらいならば可能です。
「わたくしは別に構いませんけれど……」
「我々も構いませんよ。ユレーヴェの作製には時間がかかりますから」
文官見習いに補佐を頼んでいるため、ラザンタルクと二人きりになることはありません。側近達も許可をくれました。
「ハンネローレ様、こちらを……」
調合室で素材の下準備を終え、調合を始めようとしたところでラザンタルクが盗聴防止の魔術具を取り出しました。これを使って会話をしたいという意図は理解できますが、調合を始めるのに魔術具を手に取ることはできません。
「盗聴防止の魔術具は使えませんよ。わたくしは調合をするのですから」
わたくしが断ると、ラザンタルクは思ってもみないことを言われたように栗色の目を瞬かせました。
「え? オルトヴィーン様と調合の講義中に盗聴防止の魔術具を使って話をしたとケントリプスが言っていましたが……」
「それは後片付けの時だけです。調合中は魔力の流れが乱れるので余計な魔術具など使えません」
「領主候補生のハンネローレ様ならばできるのかと思っていました……」
わたくしは無理ですが、もしかするとローゼマイン様ならばできるかもしれません。調合の講義の度に時間短縮まで使える巧みさを思い出していると、ラザンタルクが明らかにしょげた顔になりました。
「ラザンタルクは何の話をしたいのですか? わたくしはツェントからの呼び出しがあるので、ユレーヴェを最優先で作らなければなりません。魔術具は使えませんが、側近達に聞かれても問題のないお喋りならば大丈夫ですよ」
パッと笑顔になったラザンタルクが近付いてきます。
「できれば側近を排せませんか? 調合の補佐ならば私でもできますが……」
「側近を排さなければならない理由がありませんし、わたくしは側近に聞かれても問題のないお喋りならば、と言いましたよね?」
「本当は二人だけで話をしたいのですが、仕方ありませんね」
ラザンタルクは全く退く気のない側近達を見回して降参するように息を吐き、調合室内にある椅子に座りました。
「一緒に出かけた素材採集が楽しかったので次の機会があれば、また誘ってほしいと思ったのです。嫁盗りディッターに向けて文官見習い達が色々と魔術具の作製をしているので、今回みたいに素材採集に付き合ってあげれば喜ぶ者は多いはずです」
素材採集に行くと魔獣が襲ってくるため、魔獣退治と植物系の採集をする者に分かれます。文官見習いが採集に行く時は騎士見習いに護衛を頼まなければなりません。領主候補生の護衛騎士がいると、自分で雇わなくてよいので喜ばれるのです。
……とはいえ、特に用がないのに付き合うことはできませんけれど。
わたくしは季節の素材を調合鍋に入れて掻き混ぜながらラザンタルクの話を聞きます。この魔獣を倒す時のあれがよかった、これがよかったとわたくしの行動の細かい部分をよく見ていたことがわかりました。褒め言葉が並ぶのが少し面映ゆく思えてなりません。
「魔獣に斬りかかるラザンタルクが生き生きしているのがわたくしにもわかりましたよ」
「ハンネローレ様も生き生きしていましたよ。私は今後もあのように肩を並べて一緒に戦っていたいのだと改めて思いました」
ラザンタルクの言葉に、わたくしはわずかに首を傾げました。寮内ディッターの準備中に口説かれた時にも耳にした言葉です。あの時は嬉しかった言葉なのに、今は何とも言えない違和感を覚えます。
……今後も戦う……?
今回の素材採集でラザンタルクと共に魔獣を討伐するのに何の問題がなかったにもかかわらず、わたくしは今後の様子を上手く想像することができません。
「わたくし、戦う際にラザンタルクならば背を預けることも肩を並べることもできると思います」
「え? あ、ハンネローレ様。それは私を……」
期待に満ちた目で見られて、わたくしは全てを言わせずに言葉を続け、自分の違和感を口にします。
「でも、将来像としてあまり現実的ではありませんよね。領主一族のわたくし達がどこで何と戦うのでしょう? 領地における魔獣退治は騎士団の仕事です。わたくし達の仕事ではありません」
「あ、それでは土の日に魔獣退治に行きますか?」
「違います。そういう意味ではありません。……どう言えば伝わるかしら?」
戦う姿が美しいと褒めてくれるラザンタルクですが、どうにも将来を軽く考えているというか、領主一族の配偶者に求められる役割を理解できているのか心配になるのです。
……きっと周囲の者がわたくしを見て不安を感じたり、心配していたりしていた心情と同じだと思うのです。
ラザンタルクが真剣な顔でやや前のめりになり、聞く姿勢になっているのをチラリと見た後、わたくしは調合鍋から目を離さずに口を開きました。
「わたくしが領地に一時帰還した日、お兄様が言ったのですよ。ケントリプスとラザンタルクのどちらでも構うまい、と」
二人ともわたくしを大事にしてくれますし、どちらと結婚してもそれなりに上手く付き合っていけるでしょう。
「わたくし個人としてはどちらと結婚してもそれなりに幸せに過ごせると思います。けれど、領主一族としては? 女神の化身の夫としてはどうでしょう? ラザンタルクはわたくしの夫という立場をどのように考えていますか?」
「ハンネローレ様の夫という立場……?」
怪訝そうな響きの声に、今まで深く考えたことがないのだろうと予想できました。わたくしも指摘されるまで同じだったからです。
「わたくしに任される仕事はおそらくお兄様やアインリーベの補佐になりますから、今までとそれほど変わらないように思えるかもしれません。けれど、わたくしに婿入りするのですから、配偶者はお兄様の側近ではなく領主一族の一員に数えられます」
わたくしの配偶者は上級貴族のままではありません。アインリーベと同じように婚姻によって領主一族になるのです。ケントリプスやラザンタルクの父親は領主候補生として育ったので、それなりの教育を受けていると思いますが、婿入りに際して様々な準備が必要です。
「アインリーベ同様に結婚後は側近を持つ立場になるわけですが、側近候補に目星を付けていますか? それに、わたくしの側近達とも上手く付き合い、連携を取れなければ困ります。大丈夫そうですか?」
ラザンタルクは周囲にいるわたくしの側近達を見回し、困ったように眉を下げました。
「側近がいると話しにくいのか二人きりになることを望みますが、結婚後も領主一族であるわたくしから側近が離れることはありません。それはお兄様やアインリーベを見ればわかるでしょう?」
「そうか……。ハンネローレ様だけではなく私からも側近が離れることはない……」
考えもしなかったことを言われたようにラザンタルクが「私に側近が付くのか? え?」と困惑しています。
「仕えることには慣れていても、仕えられる立場は想像が難しいでしょう? わたくしも他領へ嫁ぐことを前提に育ったので、自領に残る領主候補生に求められる役割や能力がわからなくて今も戸惑っているのが実情です」
「え? ハンネローレ様は今まで通りで何の問題もないのでは? ずっとダンケルフェルガーで育ったわけですし……」
ラザンタルクの意外そうな声に、わたくしはクスクスと笑いながら素材を加えます。
「いいえ、わたくしは他領へ嫁ぐまでのことだからと疎かにしてきたところを見直さなければなりません。側近達との関係構築もそうですし、情報共有から外されている情報がどのくらいあるのか把握するとか……。正直なところ、お兄様の第二夫人になることを前提に教育されたアインリーベより自領の詳細を知らされていないと思っています」
「そのようなことはないと思いますが……」
自信がなさそうなラザンタルクの顔をチラリと確認すると、わたくしは調合鍋をぐるぐると掻き混ぜ続けます。
「ねぇ、ラザンタルク。わたくしを取り巻く周囲の状況は目まぐるしく変わっています。その変化を認識できていますか? 第二の女神の化身という立場が消えることはないでしょう。それを利用しようとする他領に目を光らせ、対応することがわたくしの配偶者には求められるはずです」
わたくしはランツェナーヴェとの戦いの中でローゼマイン様の立場を守るために立ち回っていたフェルディナンド様の様子や、今回わたくしに女神を再降臨させても情報を得ようとしていた姿を思い出します。
「わたくし、ラザンタルクが想いを寄せてくれていることは嬉しいですし、ダンケルフェルガーの領主候補生として相応しいと言ってくれたことで、色々と折られていた自尊心や失っていた自信を取り戻せた気がしました」
「ハンネローレ様……」
わたくしはラザンタルクに顔を向け、ニコリと微笑みました。落ち込ませたいわけではないのです。立場や役割を自覚してほしいのです。
「多分あの時であればケントリプスではなく、ラザンタルクを選べたと思います。けれど、領地に残る領主候補生としての不足を突きつけられ、課題を必死に熟すために側近達と努力している今、ラザンタルクがわたくしに求める将来像に疑問を覚えます。領主一族に配偶者として名を連ねる者に求められる役割が魔獣退治でないことはわかりますよね?」
「正直なところ、ハンネローレ様と一緒にいることしか考えていませんでした。そういう現実的な視点では全く……。これから考えます。私に時間をください」
グッと拳を握ったラザンタルクは立ち上がると、「失礼します」と調合室を後にしました。その背中を見送り、わたくしは調合鍋に視線を戻します。
「ルイポルト、そろそろフィグアルを準備してくださいませ」
「わかりました。それにしても、ラザンタルク様にあのような助言をしてもよろしいのですか? ケントリプス様が私を選んでくださったのではないのですかと嘆くと思いますよ」
ルイポルトの心配そうな声にわたくしは小さく笑いました。ラザンタルクの成長に必要な助言をしただけでケントリプスが嘆くわけがありません。
「大丈夫ですよ。ケントリプスには嫁盗りディッターに出場するための道筋、ラザンタルクには配偶者の役割、どちらにも助言を一つずつですもの。それに……」
わたくしは掻き混ぜる手を止めず、その場にいる自分の側近達を見回しました。
「わたくしの側近達が推している以上、今の時点ではケントリプスの方が優勢でしょう? 側近に認められない配偶者では困りますものね」
ルイポルトが「あ~……」と納得の声を上げながらフィグアルを調合鍋に注ぎます。魔力を込めてゆっくり掻き混ぜ、最後にルトヒーカを一滴垂らせばユレーヴェは完成です。
「これでツェントとのお話し合いが何事もなく終わればよいのですけれど……」
「姫様、不吉なことを言わないでくださいませ」
ツェントとお約束した日時になると、わたくし達は寮を出ました。何をツェントに願い出るべきか、どのように話を持っていくのか打ち合わせながら王宮に向かいます。
「ハンネローレ様、ようこそいらっしゃいました」
王宮で出迎えてくださったツェントの側近が、側近の待機室と応接室の間で案内の足を止めました。
「側近を排さないでほしいという要望ですが、神々のことについて話し合うところに他者を同席させられないとツェントはおっしゃいました。衝立で隔てるのが最大限の譲歩と……。いかがいたしますか?」
コルドゥラは少し考え、「ツェントの譲歩に感謝申し上げます」と仕方なさそうに微笑みました。別室で待機と強制されなかったことで納得できたようです。
わたくし達が応接室に通されると、ツェントが出迎えてくださいました。部屋の中に衝立が見えます。
「こちらで側近達には待機していただきます。わたくし達は奥で話を……。よろしいですね?」
一旦奥に入って危険などがないか確認し、お茶の準備をした後、ツェントの側近達も含めて衝立の向こうへ戻らせます。ツェントはすぐさま盗聴防止の魔術具を差し出しました。わたくしはそれを受け取ります。
「側近からの要望でお手数をおかけして申し訳ございません。わたくしがツェントの前で意識を失ったことでお父様から側近に目を離すなとお叱りもあったようで……」
こちらが悪いとは全く思っていませんが、形式上ひとまず謝っておきます。ツェント・エグランティーヌもわかっているのでしょう。軽く息を吐きました。
「お気になさらず。女神の降臨を強要したフェルディナンド様が悪いのです。側近が排された場……それもツェントの前で主が意識を失ったなど、側近は気が気ではなかったでしょう。対策を練るのは当然です」
ツェントは側近達に同情した上で、「対価を得るとはいえ、不用心に他者の願いを受け入れてはなりませんよ」とわたくしに注意しました。
「あの状況でしたから、おそらくフェルディナンド様は手段を厭わずハンネローレ様に女神を降臨させたでしょう。それでも、一応ハンネローレ様に選択権がありました。対価を得た以上、婚約者候補を慌てさせ、側近がアウブに叱られた原因はご自身の選択であることを自覚なさいませ」
「申し訳ございませんでした」
ツェントのおっしゃる通りです。わたくしはフェルディナンド様から得た対価に満足しています。ならば、女神の再降臨によって起こる不利益にも見知らぬ振りをしてはならないでしょう。
「女神が降臨していた間の出来事は婚約者候補から聞いていますね?」
「はい。過去に起こった事柄を前提に会話が進んでいたため理解の及ばない部分があったようですけれど、概ねは。わたくしが知っておかなければならないことはございますか?」
わたくしが知っておいた方が良いこと悪いことに関しては教えておいてほしいです。
「過去に起こった神々関連の出来事は言えませんから、特にお伝えすることはございません。ハンネローレ様は神々の世界で何か新しい情報を得ましたか?」
「神々の視点ではフェルディナンド様がひどい方だと言われていたので、人の視点でどう感じるのか説明して取り成していました。あとは神々が対価を重視していると感じたくらいでしょうか」
わたくしは神々の世界で起こったことを思い返しますが、報告すべきことはそれほどありません。ケントリプスに不要と言われた事柄は黙っておきます。
わたくしの言葉にツェントが木札を手に取りました。
「ハンネローレ様、こちらの報告には嫁盗りディッターの中止を目論む者がいるとありましたけれど、神々の世界は関係ないことでしょうか?」
「いいえ。神々の世界で星の神シュテルラートから忠告を受けました」
わたくしはディッターの中止を目論む者がいると領地に報告したこと、側近達と中止せざるを得ない状況について話し合ったこと、オルトヴィーン様が要となると予想していることなどを報告します。
「嫁盗りディッターを中止させないためにどうするべきかツェントの意見を伺いたいと思っています。できれば、オルトヴィーン様の保護を……」
「ごめんなさいね、ハンネローレ様。ディッターは中止になった方が平和ではございません? 中止になって何か困ることがありますか?」
わたくしはツェントが何を言っているのか咄嗟に理解できませんでした。目を瞬かせる以外に何も言えないわたくしにツェントも困惑気味の顔をしています。
……おかしいです。わたくし、神々の世界で忠告を受けたと言いましたよね? もしかすると男神達がディッターを望んでいることを伝え忘れたでしょうか?
何とかしてツェントにも嫁盗りディッターの中止を回避しなければならないとご理解いただかなければなりません。神々の苛立ちをユルゲンシュミットに向けられるとツェントも困るはずですから。
「ツェント・エグランティーヌ。エーレンフェストとの共同研究で明らかになった通り、ディッターは前後に神々に祈りを捧げる神事の一種です。男神達がその祈りを心待ちにしているようで、ディッターを潰そうとする者に苛立っていると星の神シュテルラートはおっしゃいました」
わたくしの説明に「そうですか……」とツェントは頷きました。けれど、その動作はわたくしの意見を聞いたことを示しただけで、同意を意味していなかったようです。
「男神達が苛立っているとおっしゃいますが、ディッターを潰した方個人が神々に嫌われる程度であれば別にユルゲンシュミットに問題はないでしょう?」
ツェントの予想外過ぎる言葉に、わたくしは言葉を失いました。
……え? えーと、問題ないのでしょうか?
「神々はディッターを中止すればユルゲンシュミットを壊すとか、歴史が消えるとおっしゃったのですか?」
「いいえ、男神達が苛立っているとだけ……」
わたくしが星の神シュテルラートの言葉をできるだけ正確に伝えると、ツェントは「苛立ちが個人に向かう分には構いません」と言い切りました。
「あの、神々が事を起こすと影響が大きくなると聞いていますが、本当に問題ないのでしょうか?」
「神々はユルゲンシュミットを消す気はないのですよ。やり過ぎた時は対価として何らかの形で返してくださることもあるようですし、フェルディナンド様の不敬を受け流してくださる程度には寛容です」
……わたくしには神々と関わりのあるツェントの判断基準がわかりません!
「ディッターが中止になってもその責が及ぶのは個人の範囲内ですし、特に問題ありませんね。死亡者の出る可能性のある嫁盗りディッターがなくなれば貴重な人材が減ることはありませんし、戦いによって土地が荒れることもありません。困窮する領地もなくなるでしょう。政治的なやり取りで片が付くならば、その方が平和ではありませんか」
ツェントは嫁盗りディッターが中止になった際の利点を並べます。中止を目論むジギスヴァルト様に男神達の苛立ちが向かうことには何も感じないようです。同時に、政治的なやり取りでダンケルフェルガーが敗北し、わたくしがコリンツダウムに嫁ぐことになるならば、それはそれで仕方ないとお考えなのでしょう。
……エグランティーヌ様は政治的な駆け引きの結果、ユルゲンシュミットを守るためにツェントとして立った方ですから。
けれど、わたくしはツェントの意見を呑むことはできません。ダンケルフェルガーは嫁盗りディッターでジギスヴァルト様からの求婚を断ると決めたのですから。
わたくしはニコリと微笑んで「そうですね」と頷きます。先程のツェントと同じように意見を聞いたことを示すだけで同意はしません。
「……貴族の婚姻は政略で当然ですから、話し合いで片が付くならば最良だとわたくしも思います。でも、権能を失った神では御加護を授けられないのです」
ジギスヴァルト様に元王族の威光以外に示せる利があれば、話し合いできる道もあったかもしれませんとわたくしは微笑みました。お互いに何らかの利を示せない政略結婚などあり得ません。
「どのような利を得るかも政治的なやり取りの一部だと思いますけれど……。それはわたくしの個人的に意見ですから共感を求めているわけではありません」
あくまで話し合いでジギスヴァルト様から利を勝ち取ればよいとおっしゃるツェントに、わたくしは軽く息を吐きました。
「嫁盗りディッターの中止のために一領主候補生が害されるかもしれませんが、それに関してツェントはどのようにお考えですか?」
「あぁ、オルトヴィーン様の保護を……とおっしゃいましたね。けれど、わたくしは何もいたしません。中止させたい者、阻止したい者、それぞれが動くのは当然でしょう。わたくしはその行方を待つだけです。どちらにも肩入れはいたしません」
ツェントは嫁盗りディッターが中止になっても開催されても構わないとおっしゃいます。中止になった方が平和だと思うけれど、中止させるために動くことも開催継続のために動くこともないそうです。
「わたくしは辞退者を促す立場で全領地の学生達に嫁盗りディッターについて話をしました。ドレヴァンヒェルでは次期領主争いが激化しているとは聞いていますが、仮にオルトヴィーン様に何かが起こってドレヴァンヒェルが辞退を申し出てきたとしてもそれを禁じられません」
わたくしはその言葉に軽く息を呑みました。ツェントはすでにドレヴァンヒェルで次期領主争いが激化していることを把握しているようです。
「相手がオルトヴィーン様であっても、ジギスヴァルト様であっても、ダンケルフェルガーであっても、管理者であるわたくしが一領地、一個人に肩入れしてはならないと思いませんか?」
「……思います」
管理者として非常に公平な意見です。けれど、いくらドレヴァンヒェルの寮内が荒れたとしてもツェントがオルトヴィーン様を保護してくださることは絶対にないということです。
……中止させたい者、阻止したい者、それぞれが動くのが当然ならば……。
「では、エグランティーヌ様はダンケルフェルガーが嫁盗りディッターを行うために行動することも止めないということですね」
「えぇ。ダンケルフェルガーをわたくしが止められるとは思っていません」
ツェントはそう言ってクスッと笑いました。
「それに、非常に個人的な意見ですが、ジギスヴァルト様と縁付きたくない気持ちは経験上理解できます。ハンネローレ様がジギスヴァルト様を退け、ご自身の望む未来のために尽力することを止めようとは思いませんし、望む未来を勝ち取ってほしいと思っています」
平和のためにディッターの中止を望む気持ちと、嫁盗りディッターを望むわたくしを応援する気持ちの両方がツェントにはあるようです。
「ツェントのお考えは理解しました」
ダンケルフェルガーとしては嫁盗りディッターを中止される方が後々面倒になると断言できます。何より、わたくしはジギスヴァルト様に嫁ぎたくないので全力で抗いたいと思います。
……たとえ貴族院の土地が荒れようとも、敵対する領地の領主一族や護衛騎士が死に至ることがあろうとも、嫁盗りディッターを開催し、わたくしの望む未来を手にしてみせます。
ハンネローレを想っているのも、結婚したいのも本当。
でも、結婚によって階級が変わることを現実的に考えていなかったラザンタルク。
そして、ディッターの中止に対するエグランティーヌの意向。
ディッターは危険なので中止が望ましいけれど、ジギスヴァルトが痛い目を見ても問題ない。
次は、エーレンフェストへの協力要請です。




