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摺り合わせと根回し

「ハンネローレ様、ケントリプスには話せるのに我々には話せないのですか?」


 ケントリプスを会議室に呼んでもらったはずなのに、何故かラザンタルクを初めとしたお兄様の側近達もやって来ました。わたくしは思わずコルドゥラの様子を窺いましたが、わずかに眉を上げただけで彼等の無作法さを窘めようとはしません。どうやらわたくしに判断と対応をさせるつもりのようです。


 ……おそらくコルドゥラはわたくしが失敗して彼等に押し切られたとしても、情報が得られるならばそれはそれで構わないと考えているのでしょうね。


 ツェントが側近を排した王宮内でわたくしに女神が再降臨するという異常事態が起こったにもかかわらず、ツェントやケントリプスはすぐに側近を呼びませんでした。事情があることは理解した上で、わたくしの筆頭側仕えとしてやり場のない怒りを抱いているに違いありません。


「ケントリプス、ツェントはどうおっしゃったのです?」

「あの場で起こったこと同席した者以外には全て内密に……と」

「ツェントがそうおっしゃったのに、わたくしがケントリプス以外と話をすると思いますか?」


 ケントリプスの答えを得たわたくしがお兄様の側近達を見回すと、ラザンタルクが「ディッターが関わるのですよね? ならば……」と一歩前に出ました。わたくしはそれを押し止めるように軽く手を動かします。


「いいえ。わたくしがケントリプスと摺り合わせを行いたい内容にディッターは関係ありません。呼んでもいないのに押しかけてくるなんて無作法ですよ」

「ですが、我々は次期領主であるレスティラウト様の側近です。我々には貴族院で何が起こったのかレスティラウト様に報告する義務があります」


 フェシュテルトがラザンタルクの後押しをするように口を開きましたが、どうにも意味がわかりません。


「貴方達が知り得たことをお兄様に報告する義務はあるでしょうけれど、何故わたくしが貴方達に全て報告しなければならないのでしょう?」

「何故って……ハンネローレ様はダンケルフェルガーの領主候補生で、レスティラウト様は次期領主ではありませんか」


 フェシュテルトは当然のように言いますが、何故それが理由になるのかわからないのです。


「皆も知っての通り、情報共有する対象を限るのは珍しいことではありません。ダンケルフェルガーでも当然のように行われています」


 領地でアウブであるお父様の決めた詳細がお母様やお兄様、その側近に知らされても、他領へ嫁ぐ予定だったわたくしに知らされないことはいくらでもありました。寮内でもお兄様がいた頃はお兄様とその側近だけで決めていたし、情報の選別をしていました。


「情報共有する対象が選別されることを貴方達は当然だと考えているはずです。秘匿することで守れるものがあることは領主一族やその側近ならば理解できるでしょう? それなのに、何故このように報告を求めるのですか? 今回お兄様は情報共有の対象外です」

「レスティラウト様が対象外……?」


 あまりにも意外そうな顔をされて、わたくしの方がビックリしてしまいました。


「神々について知らせるべき対象をツェントが選別するのは当然ではありませんか。今回ツェントから見たわたくしはダンケルフェルガーの領主候補生ではなく、第二の女神の化身です。わたくしは自分の側近にも自領にも不用意に伝えるべきではないと判断しました」


 わたくしはそう言いながら自分の側近達に視線を向けます。何が起こったのか切実に知りたいと感じているのは、王宮まで同行しておきながら待機室に隔離されていたわたくしの側近達でしょう。わたくしの側近達はツェントの側近でさえ排されていたことを知っているので、できるだけ不満を出さないようにしているだけです。


「ツェントの許可がなければ、わたくしからは何も言えません。神々に関することは本当に、不用意に口にすべきではないのです。それとも、貴方達はツェントの指示に従う必要はないと考えているのですか?」

「いいえ、決してそのようなことは……」


 口ではそう言っていても何だか不満そうに見えます。わたくしはそっと溜息を吐きました。


「グルトリスハイトを持っていなかったトラオクヴァール様の時代から変わったことを理解なさいませ。大領地の支持がなければツェントがどうにも動けなかった時代は終わったのです。ダンケルフェルガーだからという理由で押せばツェントが譲ってくださるということはもうありません」


 ……ツェント・エグランティーヌが譲るとすればアレキサンドリアくらいでしょう。


 第一位のダンケルフェルガーを軽んじることはないでしょうけれど、神々が絡む重要な局面で無理が押し通せることはないと思います。

 わたくしとお兄様は同じようにグルトリスハイトのないツェントの時代に育ちました。けれど、他領へ嫁がされる予定だったわたくしは自領の権威を振りかざしすぎないように厳しく注意され、次期領主になる前提で育ったお兄様は自領の権威をいかに使うか教えられました。ツェントや他領に対する意識には大きな差があると思います。それが側近達の態度にも大きく影響しているのでしょう。


「お兄様が卒業して寮にいない今、側近である貴方達は領主候補生であるわたくしに何か命じたり強引に押しつけたりできる立場ではありません。何より、ツェントが口外を禁じたと知っていて尚、情報を得ようする自分達の態度がどれほど傲慢に見えるか、周囲を意識していますか?」


 わたくしの言葉に彼等が周囲を見回しました。わたくしの側近達は誰しも厳しい目をしています。上級貴族がツェントの指示を覆そうとし、領主候補生であるわたくしにしつこく食い下がっているのですから当然でしょう。


「申し訳ございませんでした。失礼します」


 お兄様の側近達は引く気配を見せましたが、ラザンタルクだけはまだ納得できないようでケントリプスを睨んでいます。


「ならば、何故ケントリプスだけが……。婚約者候補だからツェントに招かれたのであれば、私にも聞く権利はあるはずです」

「ありません。ケントリプスがあの場に招かれたのは、嫁盗りディッターに出場させる方法がないか相談していたからです。たとえラザンタルクが王宮まで同行できても、ツェントから招かれることはなく側近達と待合室で待機するだけだったでしょう」


 誰に相談したとも何のための相談だったかとも言わず、わたくしはラザンタルクがこの場に残ろうとするのを拒絶しました。


「……これ以上の問答は無用です。お下がりなさい。わたくしが呼んだのは現場にいたケントリプスだけです」


 お兄様の側近達を会議室から追い出し、わたくしはケントリプスに盗聴防止の魔術具を渡しました。自分の側近達もこうして会話から閉め出します。


「ハンネローレ様、お手数をおかけいたしました。本当に助かりました」


 ケントリプスによると、わたくしが呼び出された時にラザンタルクは調合中で抜けられなかったのに、講義前にエスコートできないほど試験で忙しくしていたケントリプスが現場にいたことに納得できなかったそうです。いくらツェントからの指示だと言っても、何故秘匿するのかしつこく食い下がってきて、そこに情報を得たい側近仲間が便乗したため、ケントリプスは非常に面倒なことになっていたと言います。


「それより、ツェントから伝言です。あの場にいた者以外には口外禁止。それから、こちらで時の女神ドレッファングーアが口にしていた以外の情報を神々の世界で得たならば教えてほしい、と」


 ツェントも忙しいのです。同じ内容であれば報告は省略して構わないとお考えなのでしょう。


「わかりました。では、お互いに何があったのか摺り合わせをしましょう。時の女神ドレッファングーアはフェルディナンド様とどのような話し合いを?」


 わたくしが問うと、ケントリプスは考えるように少し目を伏せました。


「基本的にはフェルディナンド様が女神に詰られていましたね」

「それは何となくわかります。神々の世界では女神様達がフェルディナンド様の文句を並べていらっしゃいましたから」


 ケントリプスも何となく想像がつくようで「あぁ……」と納得の声を出しました。


「今回の元凶はフェルディナンド様ご自身だそうです。中途半端な知識で挑んだ呪い返しの影響が大きい、と」

「呪い返しとは何でしょう?」


 何か神々に関係することなのでしょうけれど、わたくしは聞いたことがありません。ケントリプスは軽く肩を竦めました。


「私も今の時点で詳細を調べていません。私にとっての最優先は嫁盗りディッターに出場することで、試験を終える方が重要なので……。ツェントも余裕ができたら調べるそうです」

「後回しにして大丈夫なのですか?」


 わたくしの問いにケントリプスが頷きました。


「時の女神ドレッファングーアによると、フェルディナンド様が正しい作法や文言ではなく何やら余計なことを言ったことが最大の原因のようです。すでに終わったことだそうで、普通の者が行うことではないし、影響もローゼマイン様とフェルディナンド様に限られるらしく、ローゼマイン様が戻れば終わるそうです」

「……それは後回しになりますね」


 気になることであっても、今のケントリプスやツェントが時間をかけることではありません。


「私以外の方々はわかっていることとしてお話ししていて……。申し訳ありませんが、私一人だけ何も理解できていない状況でした」


 それは仕方ないでしょう。わたくしは前回の女神の降臨やその後ツェントと二人だけでお話しした中で知ったことが色々とありますが、ケントリプスが神々とユルゲンシュミットの関わりについて知っていることはほとんどありません。


「わかったことや気付いたことだけで構いませんよ」

「フェルディナンド様の切れた糸を繋ぐためにローゼマイン様の糸を使ったらしいこと。ローゼマイン様の糸を補う方法があるらしく、その素材を得るため戻らないことがわかりました。それと、どうやらローゼマイン様の糸の補充をフェルディナンド様が認めるか否かを時の女神は結構重視しているように感じました。念を押していた印象がありましたから」

「そうなのですね。でも、フェルディナンド様が認めてくださってよかったです。ローゼマイン様の糸を使っておきながら補うことも許さないひどい方のような言い方をされていましたし、噛みつくように文句を言うはずなどと言われていましたから……」


 女神から見たフェルディナンド様の印象について思わず零すと、ケントリプスが少し遠い目になりました。


「さすが女神様ですね。ローゼマイン様が一人で素材を集めるなど無謀なので、せめて同行を……とフェルディナンド様は願い出て、時の女神に却下されるとハンネローレ様の体に向けて武器を構えようとしましたからね」

「えぇ!?」


 わたくしは思わず自分の体を見下ろしました。どこにも怪我や痛いところはありませんが、何とも怖くなります。


「私は止めたいのに側に寄ることもできず、フェルディナンド様に攻撃して止めるべきかと魔術具を手にした時に時の女神ドレッファングーアがおっしゃったのです。素材を採りに行けるのはローゼマイン様だけだと」


 どうやら神々がローゼマイン様に何か迷惑をかけたことがあるらしく、そのお詫びとしてローゼマイン様お一人ならば素材やレシピを集めることを認めさせることは可能だけれど、他の誰にも許可は出ないそうです。


「ずっと険しい顔をしていたフェルディナンド様ですが、目印を作れば東屋ではなく彼のところにローゼマイン様を戻せると言われた後は落ち着かれました。苛立たしそうな感情を見せていたのも、神々に対して少しでも優位な状況にしたり、譲歩を引き出したりできるからという印象を受けましたね」


 そういう交渉を神々相手に平気でするから神々からの評価が散々なことになるのではないでしょうか。


「とりあえず、あのくらいの交渉を神々とできなければ女神の化身の配偶者ではいられないのだと理解しました。何手も先を読まなければ守り切れないとおっしゃったヴィルフリート様のお言葉は正しいです。ハンネローレ様はいかがでしたか?」


 わたくしは神々の世界で起こったことを思い返しますが、フェルディナンド様に対する文句がほとんどだった気がします。


「わたくしはフェルディナンド様の言動に悪気はないと一生懸命に擁護していたくらいです。あとは、星の神シュテルラートが男神達の承諾を得たとか……ケントリプスから聞いた内容とさほど変わりはありませんでした。フェルディナンド様が疑問点を口にして回答を得ている分、そちらの報告が詳細なくらいです」


 話しながら、ツェントに報告すべき事柄かどうか悩むことを思い出しました。


「あの、ケントリプス。星の神シュテルラートへの対価が機織りの女神ヴェントゥヒーテの膝枕になるかもしれないという報告はツェントに必要でしょうか?」


 ぐふっと噴き出すのを必死に堪えるような音がしてケントリプスを見ると、口元を押さえています。


「ケントリプス、大丈夫ですか?」

「不要です。私にも報告しなくてよかったです。一体どうしたら神々とそのような話をすることになるのですか?」

「……対価のお話ですけれど、どうしてそうなったのかわたくしにもわかりません」


 わたくしが「膝の提供」を膝蹴りと考えたことは呆れられそうなので内緒にしつつ、今回の対価について話し合っておくことにします。


「わたくし、再降臨の対価としてフェルディナンド様に助力していただいたでしょう? お父様と交渉しなければならないので、ケントリプスと話し合わなければならないと思っていました。フェルディナンド様から助言を得たと正直に言っても大丈夫かどうか……」

「良い判断です。フェルディナンド様は表に出ることをお望みではありません」


 ケントリプスがニコリと微笑んで「よく気付きました」と褒めてくれました。


「では、どのようにお父様と話しましょう?」

「問題ありません。すでにアウブとは交渉済みです。文官コースの卒業資格取得後、騎士コースの卒業資格を得ても構わないと許可をいただきました」

「え!?」


 目覚めて一番驚きました。まさか意識のない間にお父様との交渉が終わっていると思いませんでした。


「ハンネローレ様がいつ目覚めるかわかりませんでしたし、できるだけ早く試験の日程を決める必要がありましたから」


 確かに十日も待てない気持ちはわかりますけれど、わたくしが得た求婚の条件なのにケントリプスがお父様と交渉するのは何か違う気がします。


「ハンネローレ様に求めたのは、嫁盗りディッターに出場する方法です。それを示してくださったのですから問題ありません」


 ケントリプスは文官コースの卒業資格を本日の午前中に取り終えたそうです。ルーフェン先生のおかげで試験の予定も埋まっているようで、これから領地対抗戦までは騎士コースの卒業資格のために忙しくなると今後の予定について話してくれます。


「では、フェルディナンド様から助言を得たことはどのように伏せるのですか? 口裏を合わせる必要があるでしょう?」

「自分で思いついたことにせよ、と言われましたが、さすがに無理があるのでツェントから助言を得たことになりました」


 ……それはそうですね。


 ダンケルフェルガーの者では気付かない穴を突く方法です。わたくしやケントリプスだと自分で気付けません。助言してくれた第三者の存在は絶対に必要です。ツェントは試験の日程調整に協力してくださるので完全に嘘ではありません。わたくしはあまり嘘が得意ではないのです。いつもコルドゥラに見破られますから。


「フェルディナンド様は今回の再降臨に関わっていることをダンケルフェルガーに知られたくないのだと思われます」

「何故でしょう?」


 わたくしが首を傾げると、ケントリプスは軽く息を吐いて教えてくれます。


「フェルディナンド様は新領地アレキサンドリアを支えるエーレンフェスト籍の領主一族です。ダンケルフェルガーに借りを作りたいとは思わないでしょう」

「借りですか? 貸しではなく?」


 わたくしに助言することが何故フェルディナンド様にとって借りになるのかわからず、わたくしは首を傾げました。


「フェルディナンド様ご自身がローゼマイン様の現状を探るためだけに女神の再降臨を望み、ダンケルフェルガーの領主候補生の体を利用したのです。文官見習いを嫁盗りディッターに出場させるための助言と、ダンケルフェルガーの領主候補生の体に女神を再降臨させることが対価として釣り合うとは思いますか? 領地間の関係で考えれば大きな借りでしょう」

「……そう言われるとそうかもしれません」


 わたくし個人としては自分にできないことを助けてもらうという点で利を得ていますが、第三者から見ると、わたくしの負担とフェルディナンド様の負担が釣り合っているとは思わないでしょう。


「アレキサンドリアの都合で二度も女神を降臨させられ、長期間意識を失ったり嫁盗りディッターが起こったりして生活に大きな影響があるのですから、アレキサンドリアに対する貸しに数えて当然ですよ。ハンネローレ様は対価として納得しているようですが、いくら何でもハンネローレ様の負担が大きすぎます」


 最初はローゼマイン様を呼ぶために、次はローゼマイン様の現状について問うためにフェルディナンド様から女神の降臨を求められたのです。原因もフェルディナンド様だったようですし、アレキサンドリアの都合と言われれば否定はできません。


「ケントリプスの主張も理解はできますけれど、わたくし、どちらの降臨でも対価をいただきました。欲張ると碌なことになりませんよ」


 第三者からどのように見られようとも、わたくしは対価をいただきました。自力では得られなかったものを得ています。それなのに、領地の利まで後から得ようとするのは強欲が過ぎないでしょうか。


「……ハンネローレ様はそれを本能的に理解しているところが素晴らしいですね。私は女神降臨におけるハンネローレ様の負担を軽く考えているらしいフェルディナンド様を不愉快に思いましたし、レスティラウト様が次期領主としてアレキサンドリアに対して少しでも優位になれるように画策しようとしたのですが……」

「え? フェルディナンド様に画策? え? 無謀ではございません?」


 わたくしは何度か目を瞬かせながらケントリプスを見つめます。ケントリプスが無能だとは思っていませんが、今の時点でフェルディナンド様に対抗できるとは全く思えません。

 わたくしの評価にケントリプスは深々と溜息を吐いた後、「おっしゃる通り、無謀でした」と遠い目になりました。


「小賢しい真似をするのは構わぬが、欲張ると得られるはずだった利まで失うぞ、と冷ややかな目で忠告されましたよ。時の女神の再降臨を可能な限り内密にしておくべきだと理解できぬ愚か者が配偶者ではハンネローレ様が痛い目に遭うそうです。前回の降臨が広範囲に知られたから嫁盗りディッターが起こったと、まだ理解できていないのか? とも言われましたね」


 時の女神への八つ当たりも込めてケントリプスの心を折っていくフェルディナンド様の姿が見えるようです。


「……今の内にフェルディナンド様の怖さを知れてよかったですね。神々に喧嘩を売ったり、扱いを面倒がられたりする方ですよ。今のケントリプスでは太刀打ちできません」

「思い知りました。言葉は厳しいですが、間違ってはいないのです。成人前とはいえ視野が狭すぎると叱られましたし、ダンケルフェルガーの文官見習いの程度が知れるとも言われました。この程度で女神の化身となってしまったハンネローレ様を守れると本気で考えているのか、と」


 フェルディナンド様は「再降臨の事実が広がれば、他者からハンネローレ様は容易に女神を降臨させられるように見られるのだ。巻き込まれただけで何もできないというのに周囲から勝手に期待され、勝手に失望される彼女の立場を、情報を操る文官見習いである其方が想像できないのか?」と無能を見る目でケントリプスに言ったそうです。


 実際に女神の降臨で周囲からの期待や失望が重くのしかかることをわたくしは知っています。あの視線や期待から隠され、守ってくれる存在がいればどれだけ安心できるでしょう。わたくし、ローゼマイン様がフェルディナンド様を頼りにする気持ちはよく理解できます。


「今回の件について側近達にも漏らせないくらい大きな釘を刺されましたよ」

「え?」

「今回の件をダンケルフェルガーが利用するならば、こちらも相応に動かせてもらう。ハンネローレ様はローゼマインの隠れ蓑にちょうどよい立場だから、と言われました」


 わたくしはひっと息を呑みました。フェルディナンド様が「動く」と宣言した時にはもう道筋が見えているのです。わたくしを利用してローゼマイン様を守るための道筋が。


「ケントリプス、お願いですからフェルディナンド様と敵対するような真似は止めてくださいね。自分の首を絞めるだけですよ。あの方は踏んでいる場数が違います。神々にも喧嘩を売るような方なのですから」

「全面的に降伏しました。これ以上ハンネローレ様を利用させるわけにはまいりません。何より女神の化身を守るための立ち回りに関しては非常に勉強になったと思います」


 ツェントが立ち会う中で、ケントリプスは今回の再降臨に関して口外禁止と隠蔽を約束させられたそうです。フェルディナンド様はその場におらず、わたくし達は王宮から出ていない、と。


「ツェントとの話し合いの途中で女神が再降臨したことになっているため、ハンネローレ様の記憶が少々曖昧でも誤魔化しが効くでしょう。すでに私はアウブとの交渉でそのように述べました」

「……助かります。では、わたくしがケントリプスに求婚の条件を求めたことに関してはどういう扱いになりましたか?」


 お父様との交渉の中で求婚の条件を達成したことを伝えたかどうか、わたくしの側近達がどうしているのか尋ねます。


「それに関しては、ハンネローレ様の側近達も含めて話し合いましょう」


 ケントリプスは盗聴防止の魔術具をわたくしに返すと、側近達に求婚の条件について話し合いたいと言いました。


「ケントリプスはアウブにまだ求婚の条件を求められたことも、ハンネローレ様が一応達成したことも言っていませんよね?」

「言っていません。私が騎士コースの卒業資格を得ていない今の時点では意味がありませんから」


 求婚の条件とされたのは「嫁盗りディッターに出場できるように、ラザンタルクと並べるように道を作る」なので達成できているのですが、ケントリプスが嫁盗りディッターに出場できなければ、ダンケルフェルガー内で婚約者候補として認められず、ラザンタルクと並べているとは言えません。ケントリプスの望みが叶っているとは言えないのです。


「わたくし達も口を噤んでいます。ケントリプスから求婚の条件を得たことはアウブの内々の決定に逆らうことですから公にはできませんもの」

「何より、とうとうケントリプス様が本気になってくれたとラザンタルク様が喜んでいます。ハンネローレ様が求婚したこと自体をなかったことにした方がよいのでは?」

「ルイポルト、それはどういう意味ですか?」


 神々の世界から戻ってすぐだからでしょうか。自分の行動をなかったことにされるという言葉がどうにも受け入れ難くて少し厳しい声で意図を問うと、ルイポルトは腕を組みました。


「アンドレアが言った通り、ケントリプス様から求婚の条件を得るのはアウブの内々の決定に逆らう行為です。それはわかりますよね?」

「えぇ」

「現状はツェントからの助言を得て、ケントリプス様がアウブに交渉して、試験の状況次第では嫁盗りディッターに出場できる道筋ができました。嫁盗りディッターに出場できる婚約者候補が二人になった時点で、ハンネローレ様がケントリプス様を選べば良いだけです。わざわざケントリプスから求婚の条件を得たと公言する意味などないでしょう?」


 ルイポルトの言葉にケントリプスは頷きました。


「意味はありませんが、ハンネローレ様が今の時点で私を選んだと公言するためであれば言ってくださっても構いませんよ」

「……お父様からの反感を買うだけで意味のない行為をしようとは思いません」


 わたくしが求婚の条件を得たこと自体を隠蔽することに同意すると、側近達も頷きました。


「本気でケントリプス様と対等になることを望んでいたラザンタルク様に、ハンネローレ様がすでにケントリプス様を選んでいることを隠すのは罪悪感を覚えますけれど……」


 アンドレアの言葉をルイポルトが鼻で笑いました。


「罪悪感も何も……。ラザンタルク様が本気で対等を望むならば、文官見習いコースの試験に合格するべきでしょう。ハンネローレ様を含めて、我々が配偶者に求めるのは領主会議で補佐できる能力なのですから」


 ……騎士コースの座学でもケントリプスに助けを求めているラザンタルクに文官見習いコースは無理だと思いますよ。


「求婚の条件に関しては隠蔽。ラザンタルク様が何か言ってきたら文官見習いコースを取得してもらうということにして、ハンネローレ様が神から忠告を受けたディッターを潰そうと企む者がいるについて考えませんか?」


 ハイルリーゼの言葉に皆の表情が厳しいものになりました。神の忠告を聞いたわたくしに視線が集まります。


「ディッターを潰そうとしている者について神々は詳細を教えてくださいませんでした。本当に去り際の一瞬だったので……。でも、今の時点で嫁盗りディッターを潰すなど、できるのですか?」


 わたくしが問うと、コルドゥラが軽く息を吐きました。


「今の時点で姫様の身に何かあれば、成立しませんよ。だからこそ、今は特に側近を離される状態を警戒しているのではございませんか」


 命を失えば、身を汚されれば、神々の怒りを買って女神の化身としての価値を失えば……など、わたくしにとって怖い予想が並びます。ツェントが王宮で側近を排したことにコルドゥラが強い怒りと警戒を抱く理由がわかりました。


「もしくは、申し込みした者が全員辞退すれば嫁盗りディッターが成立しませんね」

「ツェントのお知らせがあって尚、辞退しなかった者達が今更辞退しますか?」


 エルーシアとハイルリーゼの会話に、ケントリプスが何かに気付いたように目を見開きました。


「全員の辞退が狙われている場合、おそらく要はオルトヴィーン様になると思います」

「……そういえば、私が潰されなければ……とユレーヴェの調合時に言っているのを聞きました。オルトヴィーン様に変化はありませんか?」


周囲の状況の変化に追いついていない一面はレスティラウトの側近にもあります。

それを指摘してケントリプスとの摺り合わせを行いました。

フェルディナンドに厳しい指導を受けたケントリプス、ドンマイ。

そして、側近達との隠蔽工作&根回し。

求婚の条件を得たことはなかったことになりました。


次は、狙われたオルトヴィーンです。

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