ツェントからの緊急呼び出し
「わたくしがご案内いたします」
「寮の前を通りますよね? 連絡したので側近が待機してくれるはずなのです」
「わかりました」
わたくしは案内役の文官と共に教室を出て移動します。思っていたより急ぎ足です。教室からツェントの王宮へ繋がる転移扉へ向かう途中にダンケルフェルガーの寮に繋がる扉はありますが、コルドゥラ達は間に合うでしょうか。
視界に寮の扉が見えてきたところで扉が開き、コルドゥラやアンドレア、低学年の側近数人が出てきました。すぐに集められる側近を何とか掻き集めたのがよくわかる顔ぶれです。何故か側近達の後ろからケントリプスも出てきました。
「ハンネローレ様の側近ですか?」
「はい。ツェントの緊急呼び出しと伺いました。主に同行いたします」
コルドゥラはツェントの文官にそう言うと、共に歩き始めます。スッとケントリプスがわたくしの手を取りました。
「何故ケントリプスがいるのですか? ずいぶん忙しそうだとラザンタルクに聞きましたけれど」
「先生にお願いしていた試験を終えて戻ったら、たまたまコルドゥラ様が急ぎ足で階段を降りてくるのが見えて……」
すぐに集められた側近の人数が少ないので頭数を増やすためにも婚約者候補として同行を求められたそうです。
「それにしても、何があったのですか?」
「わたくしにもわかりません。講義中にオルドナンツで緊急呼び出しを受けただけですから。ただ、急ぎでわたくしを呼ぶならば、女神の降臨とかローゼマイン様に関する用件だと思いますけれど」
各寮の扉、使われていない扉、以前は王族が使っていた離宮や王宮への扉、全てを通り過ぎた一番奥にツェント・エグランティーヌが王宮としている建物への転移扉があります。案内役の文官が騎士に声をかけると、扉を開いてくださいました。
中に入ると、玄関ホールの左側にある応接室の扉の前で文官は足を止めました。扉の前に立つ護衛騎士に到着を告げ、彼が扉を開ける前にわたくし達に向き直ります。
「本日お部屋に入れるのは王族と領主一族のみと言われています。側近の皆様はあちらにある二番目の待機室でお待ちいただきます」
……二番目の待機室ということは、すでに一番目の待機室を使っている方がいるのでしょうか?
文官が示す手の先、ホールの反対側にいくつか並ぶ部屋の扉へチラリと視線を向けました。ツェントが内密の話をする際に側近を排することは珍しくありませんが、案内時に部屋の中にさえ入れないのは珍しいように思えます。
「どうぞ、ハンネローレ様。わたくし達も中へ入ることは許されていません」
まさかツェントの側近も排されていると思いませんでした。騎士は扉を開けるだけ、文官は中に入るように促すだけ、扉の範囲から見えるのは衝立だけ。
その場にいる者はわたくしが中に入るのを待っています。側近達の心配そうな目に見送られながら一人で部屋に踏み入り、わたくしは衝立の奥へ回り込みました。
何があるのかとドキドキしながら入った応接室には、ツェント・エグランティーヌとフェルディナンド様のお姿がありました。存在が消えかかっているとレティーツィア様から聞いていたので、まさかここで元気そうなお姿を拝見できると思わず、わたくしは息を呑みました。
……フェルディナンド様!? あら、でも、ローゼマイン様は……?
そこでわたくしは気付きました。ツェントと話し合うのに、アウブであるローゼマイン様を外して婚約者であるフェルディナンド様だけがいらっしゃるのは普通ではありません。フェルディナンド様の糸を繋ぐためにローゼマイン様は神々の導きで過去へ赴いたのです。彼が戻ったのであればローゼマイン様のお役目も終わったはずです。
……何故ローゼマイン様が同席していらっしゃらないのでしょう? 何だか嫌な予感がします。
「ハンネローレ様、こちらへどうぞ」
ツェントに声をかけられたわたくしは二人に挨拶をして、示された席に座りました。側近を排しているにもかかわらず、盗聴防止の魔術具まで作動させています。よほど内密の話なのでしょう。顔ぶれを見る限りですが、ローゼマイン様のことに間違いないと思います。わたくしはツェントに勧められ、礼儀として一口お茶を飲むと、すぐさまフェルディナンド様に尋ねました。
「フェルディナンド様、戻られたのですね。あの、ローゼマイン様はどちらに……?」
「アウブ・アレキサンドリアはまだ戻っていません。そのため、ハンネローレ様にお伺いします」
「何でしょう?」
やはり女神が降臨した時の事情聴取のようです。何度も聞かれているので説明は慣れています。わたくしがやや前のめりになったところでフェルディナンド様がスッと目を細めました。顔はにこやかに微笑んでいるのに目が全く笑っていません。ぞわりとした感覚と共に鳥肌が立ち、思わずその場を飛び退いて盾を出したい衝動に駆られるわたくしに、フェルディナンド様は笑顔で問いました。
「貴女は女神に何を願いましたか?」
「……女神に?」
わたくしはそっと頬に手を当てて、首を傾げます。心当たりを探すような仕草で少し視線を逸らしつつ、わたくしは冷や汗が噴き出す心地になりました。わたくしはどうやら神々に願いすぎたようです。
……心当たりが多すぎて……いつの、どの願いのことを問われているのでしょう!?
婚約者候補に不満を持っていて選択肢が欲しいと願ったことでしょうか。それとも、神々が関係するならばローゼマイン様が過去の世界に行った後で一年前の世界に行きたいと直接願ったことかもしれません。そうそう、最近ではケントリプスを諦めたくないと願いました。
……どの願いかわかりませんが、どの願いも他者に知られたくないのですけれど!
「あの、フェルディナンド様。どうしてわたくしの願いを聞き出す必要があるのですか? その、非常に個人的なことですから、理由や目的もわからないまま他者に教えたくございません」
わたくしが回答をやんわりと拒否すると、フェルディナンド様はぞわぞわとする怖い笑みを深め、ツェントが「それはそうでしょうね」と同意してくださいました。
「側近達を排したのは説明が必要になると思ったからですもの。フェルディナンド様、ハンネローレ様に説明を」
ツェントは説明を促すと、お茶をゆっくりと飲み始めました。あまり関心のなさそうな様子を見て、彼女はすでに事情を把握した後なのだとわかります。フェルディナンド様は一口お茶を飲んでから口を開きました。
「私の身に起こったことをレティーツィアやリーゼレータから聴いたそうですね」
「はい。突然フェルディナンド様が意識を失い、透けて見える状態になっていること、領地に戻ったローゼマイン様が神々の関与を疑ったところで女神から呼び出しを受けたことくらいですけれど……。それらは側近にも領地にも報告していません」
わたくしは自分が得た情報と、その扱いを伝えました。フェルディナンド様は「ふむ」と何やら吟味するように頷いています。
「……フェルディナンド様はいつ意識が戻ったのでしょう?」
「昨日の午前中です」
フェルディナンド様は目覚めるとすぐにアレキサンドリアの寮に連絡したけれど、ローゼマイン様はまだ神々の世界から戻られていないと返事が来たそうです。
「それから寮へ移動し、レティーツィアから貴族院の現状について説明を受けたり、ツェントにも連絡をしたりしました」
「ローゼマイン様はフェルディナンド様の糸を繋ぐために過去に行ったでしょう? ならば、糸を繋ぎ終わった時点で意識の戻ったフェルディナンド様と神々の世界に一旦戻るローゼマイン様が貴族院に帰ってくるまでの時間に差があっても不思議ではないと思いませんか?」
ツェントが苦笑気味にそう言いました。わたくしは神々の世界で複数の神々とお話ししたので納得してしまいます。無事に糸を繋ぎ終わってもすぐにローゼマイン様が解放されるとは限りません。
「わたくしは待つように言ったのですよ。それなのに、フェルディナンド様は本日の昼食時まで待ってもローゼマイン様が戻らなければ神々にお伺いを立てるとおっしゃって……」
「神々にお伺いを……? ローゼマイン様がいなくても可能なのですか?」
「ツェントの継承の儀式でご覧になったでしょう? 始まりの庭に行けばお伺いを立てることはできます」
……祭壇を上がって消えたアレですか? つまり、フェルディナンド様の個人的な願いのためにツェントが動いたということですよね?
わたくしはツェント・エグランティーヌに視線を向けました。嫁盗りディッターの諸々で忙しく、わたくしは面会依頼も拒否されました。ツェント自身は「しばらく待てば戻ってくるのでは……」と考えたにもかかわらず、神々にお伺いを立てるためにわざわざ動いたのは何故なのでしょうか。まるでフェルディナンド様がツェントの弱みでも握っているようで、どうにも不思議でなりません。
「本当ならば昨日の内に動きたかったのですが……」
「フェルディナンド様が本日の午後まで待ってくださったのは、講堂を空けるためでしたからね」
貴族院の講堂は学生達が講義で使用します。そろそろ人数が減っている頃合いなので、残っている学生を小さめの教室に移動させても問題はないでしょう。けれど、ツェントはそれに必要な根回しや手続きを一日でさせられたようです。
……お疲れ様です。
「それで、フェルディナンド様は神々にお伺いしたのですか?」
「お伺いを立てたのはツェントです。ツェントは神と人との仲立ちをする存在ですから」
フェルディナンド様にニコリと微笑まれ、わたくしは「そうですね」と頷きました。フェルディナンド様ならば神々にお伺いくらい自力でできそうだと思いますが、深く追及しない方がよさそうです。
「わたくし、フェルディナンド様の糸を繋ぎ終わったローゼマイン様が戻らないけれど、どうしていらっしゃるのかエアヴェルミーン様に尋ねました」
けれど、それに対する回答は「時の女神を受け入れた娘の願いを女神の代わりに叶える助力をせよ。それを対価に此度の始点に娘を連れて行け」だったそうです。
「時の女神を降臨させたのはハンネローレ様です。ハンネローレ様の願いを叶えた上で、あの東屋に連れて行くことでローゼマイン様の動向がわかるのだと思います。何かお言葉をいただけるのか、ローゼマイン様を神々の世界に迎えに行くことになるのか詳細はわかりませんけれど……」
ツェントの言葉にわたくしはパァッと目の前が開けたような心地がしました。女神様にお願いして未だに叶っていないのはケントリプスのことだけです。これでケントリプスを嫁盗りディッターに出場させることができます。
「つまり、わたくしの願いを女神の代わりに叶えてくださるということですか? ツェント、わたくしは……」
「ハンネローレ様、ローゼマイン様の動向を求め、神々にお伺いを立てることを望んだのはわたくしではありません。フェルディナンド様ですよ」
わたくしの願いを叶えるのは自分ではないと言い、ツェントはニコリとした笑顔でフェルディナンド様を示します。わたくしが視線を向けると、フェルディナンド様は軽く頭を振りました。
「願いを叶える助力をするだけです。完全に叶えろとは言われていません。そこをお間違えなく」
「ハンネローレ様、フェルディナンド様に願いを叶えてもらうと、対価として東屋に赴かなければなりません。それに関してもよくよく考えた上で判断してくださいませ」
「あ……。はい」
二人から丁寧に釘を刺され、わたくしは一瞬で興奮が落ち着きました。しかし、答えは一つです。わたくし一人では何も良い考えが浮かばないのです。神々にお伺いを立てるという普通では考えないことをツェントに強要できるフェルディナンド様ならば、嫁盗りディッターにケントリプスを出場させるくらいは簡単でしょう。
「フェルディナンド様に助力をお願いします。わたくし、婚約者候補であるケントリプスを嫁盗りディッターに出場させたいのです。何か良い方法はございませんか?」
「……申し訳ありませんが、詳細をお願いします。何故ダンケルフェルガーの婚約者候補が嫁盗りディッターに出場できないのでしょう?」
どうやらフェルディナンド様はダンケルフェルガーの常識に詳しいようです。わたくしは女神が降臨してから今までに起こったことを説明し、嫁盗りディッターをツェントの管理下で行うため予想外の制約ができたことやお父様の判断について説明しました。
「わたくしは制限を設けたツェントにお願いすれば……と安易に考えたのですが、お断りされまして……」
「それはツェントの言い分が正しいです。動いてほしいならば、それなりの根回しや建前が必須になります。正面から頼んでも断られるのは当然です」
教育係のようなことを言いながらフェルディナンド様がこめかみを軽く指先で叩きます。
「わざわざ前言を翻したり特例を設けたりしなくても可能な方法があるにはあるが……」
「え? 何か方法があるのですか!?」
わたくしは全く思い浮かびませんでしたが、フェルディナンド様は簡単に思いついたようです。
「その婚約者候補からも話を聞いてみなければ何とも言えません。ここに呼べますか?」
「はい。待合室にいますから」
わたくしがオルドナンツを出そうとしたところで、ツェントが「わたくしが呼びましょう」と止めました。
「この場に入れるにはツェントの招きであることが大事ですから。あぁ、側仕えも呼んで席を増やしてもらわなければなりませんね。お茶も淹れかえてもらいましょうか」
ツェントがオルドナンツを飛ばしました。
「失礼いたします」
ケントリプスが緊張した面持ちで入ってきました。ツェントの側仕えが急いで準備してくれた席に座り、少々居心地が悪そうにわたくしを見ました。説明を求めているのはわかりますが、フェルディナンド様が何をするつもりなのかわかりません。
「其方がハンネローレ様の婚約者候補で間違いないな? いくつか質問がある。其方は武寄りの文官か?」
「はい」
まだお茶を淹れてくれる側仕えがいますが、フェルディナンド様は特に気にした様子もなくケントリプスを上から下まで見た後、一つ頷きました。
「騎士の選抜には漏れたのか? 落ちたのか?」
「漏れました」
「その後も訓練をしているのか? 現在の騎士としての実力は?」
「ある程度の訓練には参加していますが、さすがに側近仲間の騎士達に一対一では敵いません」
矢継ぎ早に出てくる質問にケントリプスが困惑気味に答えています。ツェントはお茶を淹れ終わった側仕え達に退室を命じています。
「文官としての成績、及び卒業資格までの残りは?」
「あと二つ試験が残っていますが、予約は終えています。今週中に終了予定です。領地対抗戦の準備は終わっていますが、仕上げにあと少し手を入れたいと考えています」
「なるほど。問題なさそうだな」
フェルディナンド様は一つ頷いて質問を終えました。一体何ための質問だったのでしょうか。不思議に思うわたくしの前で、フェルディナンド様はケントリプスに命じました。
「では、文官の卒業資格を得たら、騎士コースの卒業資格を取りなさい」
「はい!?」
わたくしとケントリプスは目を見開いてフェルディナンド様を見て、それからお互いに顔を見合わせました。
「騎士でなければ嫁盗りディッターに出場できないならば、其方が騎士になればよいだけだ。貴族院で複数の資格を得ることも、学年を超えた試験を行うことも珍しくなかろう」
「……いえ、非常に珍しいと思います。特に学年を超えた試験など、アウブになるために卒業資格が必要だったローゼマイン様以外にわたくしは存じません」
ツェントの言葉に心の中で同意しつつ、わたくしはギュッとスカートを握りました。フェルディナンド様は簡単におっしゃいますが、ケントリプスにはできないことです。
「提案はありがたいのですが、ケントリプスにはできません。正確に言うと、他領では可能であってもダンケルフェルガーの文官見習いにはできません。武寄りの文官や側仕えが騎士コースの講義を取ることは禁じられていますから」
わたくしの言葉にフェルディナンド様は軽く眉を上げました。
「禁じられているのは同時に講義を取ることです」
「え?」
「ダンケルフェルガーの学生が本業である文官や側仕えの講義を放り出し、騎士の資格だけを得て貴族院を卒業し、強引に騎士になろうとしたことから本業と同時に並行して騎士コースの卒業資格を取ることは禁じられました。本業の資格を得た後で騎士の資格を得ることは禁じられていないはずです」
……禁じられていないと言うよりは、わざわざ明言されていない穴を突いたという感じですよね。
本業の資格を得た後ということは、最終学年の試験を全て終えてからです。残りの短時間で全ての騎士コースの試験を受けるのは簡単ではありません。わざわざ禁じられていないのは、挑戦する者がいないからでしょう。
「選抜に漏れると落ちるの違いといい、騎士資格の扱いといい、フェルディナンド様はダンケルフェルガーの内情をよくご存じですね」
探りを入れるようなケントリプスの言葉に、フェルディナンド様は「私の貴族院時代に始終語っている者がいたせいだ」と少しばかり嫌そうに眉を寄せました。
……ハイスヒッツェですね。
フェルディナンド様とのディッターを心待ちにしているダンケルフェルガーの騎士を思い出して、わたくしは納得しました。
「禁じられていないとおっしゃいますが、お父様はそのような例外を許してくださるでしょうか?」
貴族院の制度としては可能で、ダンケルフェルガーの禁止事項の穴を突いた方法とはいえ、アウブ・ダンケルフェルガーであるお父様の許可が本当に得られるかどうかわかりません。わたくしはどうにも不安ですが、フェルディナンド様は確信を持っているように「アウブ・ダンケルフェルガーはおそらく許可をくださるでしょう」と言い切りました。
「たとえ騎士の資格を取得できても領地では本業の仕事しかできず、騎士としては扱わない。ただ、嫁盗りディッターの出場資格を得られるだけ……とすれば、アウブに禁じる理由がありません」
確かに本業の資格を得た後で必死に騎士の資格を得ても将来的に騎士になれないならば、領地の貴族も文句を言わないでしょうし、続いて資格を得ようとする者も現れないと思います。
「何より、ダンケルフェルガーの者は嫁盗りディッターに出場するためだけに文官資格を得てから全学年の騎士コースの試験を受けるような愚直な馬鹿を好む傾向があります。経験上、先に騎士達に熱血と努力の話を広げて盛り上げてからアウブに話を持っていけば、頭ごなしに禁じられることはありません」
……あの、「愚直な馬鹿を好む」は悪口ではありませんか?
しれっとした顔で悪口を言われているのに反論できません。「経験上」でどれだけダンケルフェルガーがフェルディナンド様にご迷惑をおかけしてきたか理解してしまったせいです。
「ツェント、ケントリプスが騎士資格を得るのは問題ありませんか? この方法ならば嫁盗りディッターに出場できますか?」
「……そうですね。わたくしが前言を翻す必要もありませんし、ダンケルフェルガーだけ文官を認める特例を出すわけでもありません。彼が文官見習いであることに他領から文句を言われたとしても、今からディッター開始までに騎士資格を得てくださいと返せますから問題ありません」
ツェントの許可を得るという大きな問題を片付けられたことに、わたくしは胸を撫で下ろしました。
「けれど、大丈夫ですか? 彼の負担は非常に大きいと思いますよ」
フェルディナンド様は「負担が大きいのは当然です」と言うと、ケントリプスの方を向きました。
「騎士の資格を得られるかどうかは其方次第だ。だが、私はダンケルフェルガーの騎士が文官の資格を得るのは無謀だが、武寄りの文官が騎士資格を得るのは不可能ではないと思っている。必要なのはダンケルフェルガーの騎士の水準ではなく、貴族院の合格点だからな。それに、どうせ側近仲間の騎士の座学も面倒を見ているのであろう?」
思い当たることがあるのでしょう。ケントリプスが苦笑気味に頷きました。
「貴族院の合格点ならば余裕ですが、時間的に間に合うかどうか……。そこが問題ですね」
「あぁ、ルーフェン先生に騎士コースの試験日程を組ませろ。ツェントの制約を乗り越えて嫁盗りディッターに参加したいと望めば、全力で協力してくれるはずだ。それに加えて、ツェントの口添えがあれば、他の先生方も協力してくれるであろう」
フェルディナンド様がチラリと視線を向けると、仕方なさそうにツェントが微笑みました。
「貴族院の教師に口添えだけならばいたしますよ。わたくしがかけた制限が原因ですから」
「恐れ入ります」
ケントリプスと一緒にわたくしもツェントにお礼を述べます。フェルディナンド様のおかげで嫁盗りディッターに出場できる道筋が見えました。これほど簡単に方法を提示されてしまうと、今までのわたくしの悩みは何だったのかと落ち込んでしまいそうですが、悩みは解決しました。後はケントリプスの努力次第です。
「ケントリプス、やれますね?」
「お任せください」
ケントリプスの確信に満ちた返事にわたくしが笑顔で頷いていると、フェルディナンド様から「ハンネローレ様」と呼ばれました。
「これで私は願いを叶える助力をしたとして問題ございませんか?」
「はい。ありがとう存じます」
「では、参りましょう」
フェルディナンド様は茶器を置いて立ち上がり、わたくしにも立つように指示します。
「……え? あの……」
「私の助力を対価として此度の始点に向かう。そういう話だったはずです」
「それはそうですが……」
……もう少し喜びの余韻に浸らせてくださってもよいと思うのですけれど。
少しだけ不満を抱きつつ、わたくしは立ち上がります。ツェントも立ちました。事情がわからないケントリプスは立ち上がりながらわたくしに説明を求めます。
「ハンネローレ様、どういうことですか? 対価とは?」
「私の助力を対価としてハンネローレ様は女神の降臨した東屋に向かう。それ以上の説明はできぬ。他者に説明できない話をするためにツェントはこの場を設けたのだ。弁えよ」
フェルディナンド様はそれだけでケントリプスの質問を終わらせると、わたくしに視線を向けました。
「ハンネローレ様、急がなければ講義を終えた学生が出てきます。学生ではない私が貴族院内を歩き回るのは本来好ましくありません。その者は以前も東屋に同席していたと聞いています。この先に同行させるか寮へ帰すかの判断は貴女にお任せいたします」
どうやらフェルディナンド様やツェントが講義中のわたくしを呼び出したのは、他の教師や学生の注目から逃れるためだったようです。扉に向かって歩き出したフェルディナンド様の背中からケントリプスに視線を移し、わたくしはエスコートを求めて手を差し出しました。
「ケントリプスは行くでしょう?」
わたくし達は時の女神の降臨した東屋に向かうことになりました。
やっとフェルディナンドを戻すことができました。長かった!
ダンケルフェルガーの禁止事項の穴を突くフェルディナンド。
ケントリプス、頑張れ。
フェルディナンドの暴走に関してツェントはもう諦めています。
次は、時の女神の東屋です。




