求婚の条件
……あら?
求婚の条件を得ようと思ったら頭の心配をされました。先程ケントリプスが抱え込んでくれたので、わたくしはどこも打っていません。別に抱え込まれなくても大丈夫でしたが、心配してくれたことは間違いないので、わたくしは笑顔で答えます。
「大丈夫です。わたくしに怪我はありません。それより、求婚の条件をくださいませ」
ケントリプスは言葉を探すように困った顔でわたくしを数秒間見つめ、深い溜息と一緒に一度目を閉じました。
「……ハンネローレ様にお怪我がないようで何よりです。先に腕の縛めを解いていただきたいのですが……」
「それは求婚の条件をくださった後ですね。腕だけではなく、全身を縛り上げてもわたくしは構いませんよ」
ここでケントリプスを解放する気はありません。せっかく押さえ込んだのに条件を得る前に反撃されると困ります。体格が違うのでどうしてもわたくしは不利なのです。もう一度押さえ込もうと思えば、次は確実に警戒と防御をされるでしょう。
「ハァ……。正直なところ、ハンネローレ様の側近がこのようなことに協力するとは思いませんでした」
わたくし達の計画はとても上手くいったようです。再びの溜息と共にケントリプスの体から力が抜けていきます。ひとまず抜け出すのを諦めてくれたようで、わたくしは作戦成功を感じて笑みを深めました。逆にケントリプスは更に嫌そうな顔になります。
「……得意そうにしないでください」
「あら、側近達と考えた作戦が成功したのですもの。嬉しくもなります。ねぇ?」
わたくしは動向を見守っている側近達に同意を求めましたが、少し離れて見守る側近達はそれほど嬉しそうでもありません。
「ハンネローレ様、早く話を進めてください」
「条件を得るまで成功ではありませんよ」
他に何か言いたいけれど言えないような顔で、油断しないように注意されました。確かにわたくしはまだ求婚の条件を得たわけではありません。気合いを入れて再びケントリプスを見下ろしました。
「ケントリプス……」
「まず、ハンネローレ様に確認させてください。先日お話ししたはずです。私が嫁盗りディッターに出場できないため、婚約者はラザンタルクに内定した……と。何故このような状況になっているのでしょう?」
「お父様が決めた婚約者に不満がある場合、それを覆して自分の求める方との結婚を勝ち取る方法が求婚の条件を得ることだからですよ」
求婚の条件を求める状況など一つしかありません。お父様の決めた将来ではよくないとわたくしが思ったからです。
「いえ、それはわかっていますが、これは恋愛感情から発した求婚ではありませんよね? ハンネローレ様にとって私もラザンタルクも恋愛感情という意味では大して変わらないでしょう?」
「まぁ、そうですね」
わたくしは頷いて肯定しました。二人ともお兄様の側近で、伯父様の息子です。幼い頃から親しくしていた幼馴染みで、わたくしに心を寄せてくださっていることは理解しましたが、わたくしがどちらかに恋愛感情を抱いているわけではありません。心を求められても応じられませんし、どちらが夫になっても大きな差違はないと感じていました。だからこそ、わたくしは今まで選べませんでした。
「ケントリプスの指摘通り、今のところわたくしは恋愛感情がよくわかりません。婚約者候補の二人に対する好意はあるのですが、恋愛感情ではないと思うのです。ローゼマイン様のように何を置いても……という気持ちを持っていても恋ではないと言われましたし、どういうものが恋愛感情なのでしょうね?」
「ローゼマイン様がそのようなことを?」
ケントリプスが目を閉じてぎゅっと眉を寄せました。非常に不本意な状況のようです。
「それほど恋愛感情がわからない状態……ラザンタルクも私も大して違わないと思っていた中で、突然私から求婚の条件を得ようとしたのは何故ですか? アウブの内定に逆らってまで私を積極的に選ぶ理由というか、動機がわかりません」
「先程お母様から書簡が届き、領主候補生としての課題について教えられたのです」
課題のこと、将来の道、側近達からの希望など、お母様の木札が届いてからこの会議室で話していたことをケントリプスに説明します。
「それに、側近達から領主候補生が伴侶を選ぶ際にまだ芽生えてもいない恋愛感情を考慮する必要はないとか、瞬間的な判断力も領主候補生に必要な能力だと言われまして……。選ばれなかった方がどう思うかとか、今後の距離感とか、貴族達が噂しそうなこととか、わたくしの感情など、色々と考えていた部分を全て排除して将来の道だけを考えたところ、ケントリプスの能力が必要だという結果になりました」
「止めるどころか、側近が主導したのですか。アウブの決定に逆らうような行為を……?」
ケントリプスが顔を横に向けて側近達をジロリと睨みます。何が何でもディッターの金庫番を回避したい側近達は作った笑顔のまま何も答えません。
「ハンネローレ様、求婚の条件を求めるのは父親の決定に逆らう行為です。条件を達成すれば結婚だけは認められますが、婚姻後に女性の父親から睨まれたり、女性にとっては父親の後ろ盾がなくなったりする可能性が高いことは理解していますか?」
「えぇ。もちろん存じています。ですから、殿方はこれが達成されれば結婚しても構わないと思える条件を出すのですよね?」
「私は次期領主であるレスティラウト様の側近です。アウブ・ダンケルフェルガーの意向に逆らい、ハンネローレ様を娶ろうとしたラオフェレーグ様と同じような愚行を犯す気はありませんし、主の足を引っ張る行動はできません」
わたくしはコテリと首を傾げました。そのようなことはわかっています。
「お父様が納得する、もしくは、ケントリプスを再びラザンタルクと対等な婚約者候補として扱ってもよいと思うような条件を出せば問題ありませんよね?」
「ハンネローレ様、それはそうですが……。つまりアウブが納得できるような条件を私に考えろと……?」
頭の痛そうな顔になったケントリプスに確認されて、わたくしは笑顔で頷きます。
「えぇ。だって、ケントリプスはわたくしのことが好きでしょう?」
その途端、ケントリプスが「んっ!」と息を呑んで光の帯で縛られたままの腕をグッと動かしました。突然の反抗に焦ったところで、腕に少し隠れたケントリプスの顔が赤くなって横を向いていることに気付いてしまい、わたくしは目を見張りました。
……ど、どうしましょう?
赤面した顔を隠したくて動かしたであろう腕を元の位置に戻してもよいのでしょうか。それとも、このまま隠してあげる方がよいのでしょうか。どうするべきか咄嗟に判断できません。
……しゅ、瞬時の判断……。領主候補生として、その……。
「好きですよ」
……ひぁっ!?
一瞬で頭が真っ白になりました。以前「お慕いしています」と言われた時は普通の顔でサラリと言われた上に「信用できません」という言葉も一緒だったので、それほど動揺しなかったのですが、このような至近距離で、赤面した状態で、直接言われると衝撃が強すぎます。
……誰か、助け……コルドゥラ!
心の中で叫んで顔を上げようとしたところで、ケントリプスが「好きなのですが……」と声を落としました。見下ろせば、ケントリプスの表情や態度から赤面や必至に腕で隠そうとしていたような焦りが消えています。
……あ、これは「信用できません」が来る流れでしょうか。
そう考えた瞬間、わたくしの跳ね上がっていた鼓動がスッと落ち着きました。ケントリプスの意識がわたくしではなく、少し離れたところから見守っている側近達へ向きます。
「求婚の条件を得ると言えば聞こえはよいかもしれませんが、ハンネローレ様の気付きや決断が遅かった後始末と、本来ならばハンネローレ様がご自身の側近である其方等と考えなければならないことを私に丸投げされている気がしてならないのですが……」
ケントリプスが側近達を睨みます。側近達との話し合いでは満場一致でケントリプスから求婚の条件を得ることになりました。けれど、それがケントリプスへの丸投げと言われると、わたくしには反論できる言葉を見つけられません。
……もしかしてわたくしと側近だけで考え直した方がよいのでしょうか。ケントリプスから条件を得て達成しても、お父様は認めてくださらないかもしれません。
ケントリプスを押さえ込む力を弱め、わたくしはコルドゥラに視線を向けます。気弱になったわたくしに気付いたようで、コルドゥラが片方の眉を上げ、開いていた手をグッと握ります。「手を緩めてはならない」という指示に、わたくしはハッとしてケントリプスに向き直りました。
「ケントリプス、確かに側近がハンネローレ姫様に選択を迫ったのは間違いありません。けれど、今回貴方に求婚すると決断したのは姫様です」
コルドゥラの言葉にケントリプスが疑わしそうな顔をしたので、わたくしは「本当のことですからね」と頷きました。コルドゥラが後押ししてくれるならば全力で便乗するのが一番です。
「それに、わたくしはケントリプスならば姫様の後始末を率先して行うと思っていましたから絶好の機会になると……」
……コルドゥラ、後始末という言い方はひどくないですか? 背中から刺されている気分なのですが……。
「もちろん気に障ったならば、条件を出さずにお断りしても構いませんよ。グリュックリテートの御加護は試練を乗り越えた者にしか得られませんけれど、ケントリプスは婚約者候補である前にレスティラウト様の側近ですからね」
コルドゥラが挑発的にニコリと微笑むと、ケントリプスは「うぐぅっ……」と呻き声を上げました。思い通りになるのが悔しくてならないようですけれど、ケントリプスがコルドゥラに勝てるとは思えません。
「あぁ……。本当にハンネローレ様は間が悪いというか、いくら何でも遅すぎます。何故今なのですか? もっと早く……せめて、ツェントの条件が出る前ならば……」
ケントリプスに恨みがましい目で見られましたが、仕方ありません。どうにも早くに決断できない性分なのです。ツェントの条件ができた原因が嫁盗りディッターにツェントを巻き込んだわたくしであることも今は理解しています。嫁盗りディッターに対する常識が違うとわかっていたのに、細かい条件付けをお父様に任せた上に出場者に制限をかけられた時に気付きませんでしたから。
「でも、まだラザンタルクだと公表されたわけではありません。今ならば、わたくしがケントリプスを選んだと先に公表すれば、まだギリギリ巻き返せるのではないかと思います」
お母様から課題について知らされ、側近達と将来の道について考えた時にディッターの金庫番になりたくないという声が上がったおかげではありますが、まだ完全に全てが終わったわけではないのです。
「確かに今のところ私はまだアウブが定めた婚約者候補の一人なので先に公表することは可能かもしれません。けれど、レスティラウト様から知らされている私が知らない振りをするのは、レスティラウト様とアウブからの心証は良くないでしょう。何より、ダンケルフェルガーで嫁盗りディッターに出られない者がハンネローレ様の婿だと認められることはありません」
……そこなのですよね。
ツェントの条件によって領主一族の護衛騎士ではないケントリプスに出場権がなくならなければ、側近達はこれほど急いで決断を迫らなかったでしょう。
「つまり、私が嫁盗りディッターに出場できる状況になれば、婚約者の内定をハンネローレ様の選択で覆すことができます。私が嫁盗りディッターに出場できるように、ラザンタルクと並べるように、ハンネローレ様が道を作ってください。それを私からの求婚の条件とします」
「わかりました。その条件を達成できるように尽力いたします」
……ツェントの出した条件が原因ですから、ツェントと交渉すれば何とかなるでしょうか?
求婚の条件をどのようにして達成するか考えていると、ケントリプスに「そこで考え込まず、解放してください」と声をかけられました。
「あぁ、そうですね」
わたくしはすぐにケントリプスの腕を拘束していた光の帯を消し、胸元についていた手に力を入れてそのまま立ち上がろうとしました。
「うわっ!」
次の瞬間、ケントリプスが慌てた様子で勢いよく上体を起こしました。わたくしは手をついていたところが急に動いたせいで立ち上がれず、「きゃあっ!」と声を上げながら無様にも尻餅をつく形でケントリプスの太腿に座り込みました。
「あ、危ないではありませんか」
文句を言おうと顔を上げると、先程まで押さえ込んでいたときと違ってあまりにも近くにケントリプスの顔があったことに驚いてわたくしは思わず顔を逸らしました。
「急に動かないでくださいませ」
「……ハンネローレ様こそ昔から何度も言っているように動き出す前に周囲をよく確認してください」
ケントリプスの声には明らかに詰る響きがあり、わたくしは首を傾げました。
……何か叱られるような要素があったでしょうか?
チラリとケントリプスを見れば、彼の方も何やら恥ずかしそうな居たたまれなそうな顔をしています。よほど言い難いのか少し逡巡した後、手をごそごそと動かして盗聴防止の魔術具を渡してきました。わたくしはそれを握ります。
「何ですか?」
「全く気付いていないようですが、あのまま立ち上がっていたらスカートの中が見えましたよ」
盗聴防止の魔術具を使っていても尚、小声でボソリと言われた言葉がすぐに理解できず、わたくしは何度か目を瞬かせました。それから、自分が立ち上がろうとしていた位置、スカートの長さと広がり、ケントリプスの顔があった位置などに視線を移します。最後に自分の目元を片手で覆っているケントリプスに行き着いたところで、カッと自分の顔が熱くなったのがわかりました。
「あっ……。そ、それは、大変失礼いたしました」
……まだ見えていませんよね? 大丈夫ですよね?
バッと自分のスカートを押さえ、乱れた裾から足が見えていないか確認します。尻餅をついてしまいましたが、スカートは下着が見える形ではありません。大丈夫です。
「ハンネローレ様のお転婆振りは変わっていませんね。膝の上に乗った後にどう降りればよいのか、立ち上がる時に何に気を付けるのか、お教えしたでしょう?」
「覚えていますけれど、洗礼式前のことを持ち出さないでくださいませ」
……聞こえていないはずですのに、側近達の目が! 目が! 居たたまれません!
盗聴防止の魔術具をギュッと握り締めているので、わたくし達の会話は聞こえていないはずなのに、側近達が何とも言えない生温かい目で見てくるというか、笑いを堪えている顔になっているのです。
……コルドゥラだけは呆れ顔ですけれど。
「では、ハンネローレ様。私との約束を覚えているならば、品良く立ち上がれますよね?」
クスッとからかうように笑われて、わたくしは恥ずかしさのあまり涙目でケントリプスを睨みながら幼い頃に教えられた通りに膝立ちの状態でケントリプスの膝の上から退きました。一旦膝立ちから腰を落としてスカートの中で立ち上がりやすいように足の位置を変え、裾を整えながらケントリプスが立ち上がるのを待ちます。
「どうぞ、泣き虫姫」
わたくしは差し出された手に自分の手を重ねました。クイッと引かれる力に合わせてスッと立ち上がります。それからスカートの裾に乱れがないか確認し、ケントリプスに「ありがとう存じます」とお礼を言うのです。
……あの頃は立ち上がってお礼を言う時には、ケントリプスの顔が近くにあったのですけれど……。
今は目の前に見えるのは胸元です。一歩離れて見上げなければ顔が見えません。そう思っていると、ケントリプスが少し屈むようにして顔を近付けてきました。
……あ、あの頃と一緒。
よく考えてみると、幼い頃もそれなりに身長差がありました。昔からケントリプスはこうしてわたくしに近付いてくれていたのでしょう。しばらく距離があって間近に接する機会がなくなっていたのですっかり忘れていました。
「ありがとう存じます、ケントリプス」
懐かしい気持ちになりながらわたくしはお礼を言って、「こちらをお返しいたしますね」と盗聴防止の魔術具を差し出します。小さく頷いた後、ケントリプスが何か考えるように少しだけ視線を上げました。
「どうかしましたか?」
声をかけると、ケントリプスは少しばかり寂しそうに微笑んで盗聴防止の魔術具を置いたままのわたくしの手を取ります。
「一応約束自体は果たされたのでしょうが、できればあの頃と同じ理由で選んでほしかったものです」
「……え?」
わたくしの手から盗聴防止の魔術具を取りながら、ケントリプスがわたくしの耳元に囁きます。
「ケントリプスが大好きですから……と言っていたことは、もう覚えていませんか?」
周囲の側近達から「近すぎます」「離れてください!」「ハンネローレ様が大好きと言ったのですか!?」などの悲鳴と歓声が上がっているのに、わたくしの頭の中には入ってきませんでした。
わたくしの脳裏には幼い頃の自分の声が蘇っていたからです。
「わたくしだって選べるならば、絶対にケントリプスを選びます! 約束です! だって、わたくし、ケントリプスが大好きですから!」
理不尽な状況に怒っていた感情と涙混じりの声で交わした約束……。
……たった今、思い出しました。
追い込み漁のような有様でしたが、ケントリプスからの条件を得ました。
ケントリプスもハンネローレも色々とダメージを負いましたが……。
ようやくハンネローレが約束を思い出しました。
次は、思い出と現実です。




