ケントリプスの立場
表面は何とか取り繕ったものの、寄せられた好意をお断りするのは楽しいことではありませんでした。どんよりと落ち込んだ気分で奉納舞のお稽古を終えました。ゆっくりとお喋りを楽しむ気分になれず、早々に小広間を後にします。
珍しく迎えの側近の姿がないので周囲を見回すと、音楽のお稽古を終えた側近達が急ぎ足で近付いてくるのが見えました。
「今日はずいぶん早いですね、ハンネローレ様」
「……護衛騎士の姿が少ないようですけれど何かありましたか?」
エスコートのために手を差し出しているのはケントリプスだけでラザンタルクがおらず、ハイルリーゼの姿も見当たりません。
「あぁ、剣舞の選出について説明があるようで、五年生の騎士見習い達は残るように言われていました」
建前として、剣舞は騎士見習いの成績優秀者から二十人が選抜されます。完全に実力だけで選ぶとダンケルフェルガーの騎士見習いばかりになるため、ダンケルフェルガーから選出するのは五名までと決められています。
「大昔は各領地で一人の優秀者を選んでいたそうですから、五名もダンケルフェルガーに枠があってよかったと言うべきでしょうか?」
「火の神ライデンシャフトや武勇の神アングリーフが怒りを露わにされないことを祈る方が良いのではございません?」
大昔は各領地で一人の優秀者を選んでいたそうですが、時代が下って小領地が増えると、大領地と小領地の代表者に技倆の差が生まれるようになったそうです。また、領地から選ばれる一人は剣舞の技倆より政治的な面を重視されるようになりました。
おそらく奉納される剣舞があまりにも見苦しい状況になったのでしょう。その結果、火の神ライデンシャフトや武勇の神アングリーフが怒りを露わにし、領地ではなく貴族院の教師が選出するようになったと言われています。
……今まで昔話にある火の神や武勇の神の怒りは比喩的なものだと思っていたのですけれど……。
「ローゼマイン様を呼ぶという目的でわたくしに時の女神が降臨するのですもの。火の神や武勇の神が怒りにまかせてどなたかに降臨したとしても不思議ではありませんね」
領地に残っている神々にまつわるお話は多少の脚色はあれども事実で、何かしら神々の介入があったのではないかと考えてしまいます。
「……ここ数年で急に神々が身近になりましたね」
「音楽の奉納も真面目にしなければ、女神がお叱りに降臨されるかもしれませんよ」
わたくしが軽い口調でそう言うと、側近達は少し息を呑んで顔を見合わせました。
「今のハンネローレ様が言うと冗談になりませんよ」
「神々が見ていらっしゃると思うと緊張しますね」
「私は真面目にしていますから大丈夫です」
それぞれの反応を揶揄いながら進む内に寮に到着しました。ずっと気を張っていたわたくしは少し緩ませても良いと感じて、フゥと小さく息を吐きます。
「……あの、ケントリプス。どうかしましたか?」
普段は寮に到着するとわたくしの手を外してエスコートを終えるのに、今日はケントリプスが少し身を屈めるようにしてわたくしの顔を見詰めながら考え込んでいます。
「ハンネローレ様、会議室を準備させましょうか? それとも、先に隠し部屋にお一人で籠もられますか?」
「……何ですか?」
ケントリプスはわずかに視線を動かして側近達の様子を気にした後、少し困ったような笑顔になって無言で自分の眉間を指先で二回叩きました。声に出されなくても、「少し眉間に力が入って泣くのを堪えている顔になっていますよ、泣き虫姫」と言われていることがわかります。
コルドゥラが心配そうな視線をわたくしに向けました。わたくしは思わず自分の眉間を空いている片手で押さえます。取り繕えているつもりだったのです。
「側近が同席できない場で行われた他領の者……特に、嫁盗りディッターの求婚者との会話に関しては情報共有が必要です。先に隠し部屋を使いますか?」
「どうでしょう? 自分では先に隠し部屋を使わなければならないほど心が揺れていないと思っていますけれど……」
ただ、話し始めてしまうと感情が揺れて抑え込めない可能性はあります。側近達に感情を乱すところを見せたくありません。
「少々感情が乱れても良いように、会議室に入れる側近を交流会に参加できる者に限りますか? レスティラウト様は時々そうして私的な場所を作っていらっしゃいますよ」
交流会は親族だけが集まる場です。まだ感情を抑えられない洗礼式前から出入りしていた頃を知っている者の前では普段より感情を出しても許されるということでしょう。実際、交流会では気の置けない会話をすることが多いです。
「つまり、会議室を私的な場にするこということですか?」
「そうすることも可能という提案です。どうしますか?」
ケントリプスの提案にわたくしは頷きました。
「……会議室の準備をお願いします」
「かしこまりました。姫様はケントリプス様や護衛騎士達とそちらでお待ちくださいませ」
ケントリプスがコルドゥラの言葉に頷いて玄関ホールの端にある椅子へわたくしをエスコートするのを確認してから、側仕え達が動き出します。
わたくしは自分の傍らに立つケントリプスを見上げました。自分が座っていると、顔が遠くて声が届きそうにありません。わたくしは目の前にある袖を摘まんで軽く引きました。それに気付いたケントリプスが「お呼びですか?」と跪きます。
「……あの、わたくし、それほど顔に出ていましたか?」
「いいえ。よく見なければわからない程度です」
……それでもケントリプスにはわかったではありませんか。
心の中で反論しただけなのに、まるでそれが聞こえていたようにケントリプスが肩を竦めました。
「私がオルトヴィーン様の立場であっても、邪魔をしようとする婚約者候補がいない時を狙います。今日か明日の講義中に何かしら接触があると思っていたので、ハンネローレ様の様子を注意してみていただけですよ」
……あまり見ないでくださいませ。
反射的に反論したくなる衝動をググッと呑み込めたのですから、我ながらずいぶん成長したと思います。
「姫様はこちらへ。ケントリプス様はそちらにおかけください」
コルドゥラに案内されて会議室に入ると、指示通りに席に着きました。ここに残すのはわたくしが感情的になっても受け入れてくれるとわかっている者……言い換えれば、少々甘えて感情的になったわたくしの対処に慣れている者だけです。
「側近はコルドゥラだけを残してください。必要な記録はケントリプスにお願いします。護衛騎士は扉の外側で待機を。それから、ラザンタルクが帰ってきたらこちらへ案内してください」
「かしこまりました」
今までこういう形で私的な場を作ることがなかったので、側近達に戸惑いが見えますが、特に反論することなく退室していきました。
三人だけになったので、わたくしは「私的な場なので」とコルドゥラにも座ってもらいます。
「本当にお兄様はこんなふうに感情を露わにする場を作っているのですか?」
「アウブやジークリンデ様も特定の者だけを自室に残し、それ以外を退出させるという形で似たような場を作ります。……感情を抑えることを学んでいる途中の子供に教えないだけですよ」
コルドゥラはそう言いながら余計なことを教えたケントリプスを軽く睨み、わたくしにも「多用は許しませんよ」と釘を刺しました。
今回は、普通の状態ならば感情を抑えられているけれど、情報共有のために説明し始めると感情が乱れるかもしれないと、わたくしが自分の精神状態を把握できていたので許されたそうです。
「それに、嫁盗りディッターの準備期間に起こった他領の領主候補生からの求愛について話すのでしょう? 詳細を知ることが挑発行為に繋がると困ります。姫様から詳細を伺い、どこまでの情報を誰と共有するのか詰めておくことが大事です。わかりましたね」
側近仲間であっても勝手に吹聴するなとケントリプスに釘を刺しています。わたくしがほとんどの側近を排したのですから相応の配慮を求めるのは当然でしょう。
「それで、わたくしはどこから話せば良いですか?」
「ハンネローレ様の話したいところからで構いませんよ。その眉間から力を抜くのが一番大事です。泣きそうなくらいに憂鬱な気分になった原因は何ですか?」
ケントリプスに指摘された眉間を軽く押さえて、わたくしはゆっくりと息を吐きました。それほど長くはない休憩時間の間に交わした言葉が頭の中をグルグルと回っています。
「他者の想いを断たなければならないのは、本当に気が重いことだと知ったせいでしょうか」
「……まぁ、重いですよね」
「えぇ。想いを寄せてくださること自体は嬉しいのですけれど、受け入れることはできませんから」
ケントリプスが「嬉しかったのですか?」と軽く眉を上げました。ダンケルフェルガーを出ることを望んでいるのではないかと、灰色の目に疑われているような気がしてわたくしは首を横に振りました。
「恋物語のようで求愛の言葉を嬉しく思いましたが、わたくし、お断り自体は最初からずっとしていたのですよ。別に領地を出たいなど考えていませんから」
ケントリプスは「わかっていますよ」とわたくしを安心させるように微笑んで先を促しました。
「気が重かった原因はそれだけですか?」
「他には……できれば奉納舞の休憩中のような他者の視線が多い場所で求愛のお断りをするのは避けたかった、と思っていて……」
盗聴防止の魔術具を使っていましたが、周囲の視線は気になります。それぞれの領地にとっても、人生にとっても重要なお話ですから、公衆の面前ではなくもう少し人目のない場所がよかったと思ってしまうのです。
考えれば考えるほど眉尻の下がってしまうわたくしと違って、ケントリプスは理解できないと言わんばかりに首を傾げました。
「我々がいない方が良いと奉納舞の休憩時間に重要なお話を始めたのは、ハンネローレ様ではなくオルトヴィーン様なのでしょう?」
「そうですね。ダンケルフェルガーのお茶会室を準備するとわたくしは提案したのですけれど、断られてしまいました」
「ならば、公衆の面前で断られることを選んだのはオルトヴィーン様です。場所についてハンネローレ様が思い悩む必要はありません」
ケントリプスにわたくしが思い悩むことではないと言われ、少しはホッとした気持ちになれればよかったのですが、全くなれませんでした。モヤモヤとして落ち着かない気分が続いたままです。
「……場所だけの問題ではなかったのかもしれません」
「まだ姫様の気が重いままでしたら、他に原因があるのでしょうね」
コルドゥラの言葉にケントリプスも頷きます。
「きっとハンネローレ様にとっては口にし難いことなのでは?」
……口にし難いこと?
「曖昧で言葉にするのが難しいというより、口にするとオルトヴィーン様に悪いと思ってしまうから言葉にしたくないことではありませんか?」
……あぁ。それです。
ケントリプスの指摘でモヤモヤの正体が明かされました。
「求愛のお言葉が嬉しかったのは本当ですし、それによって気付けたこともありました。でも、少しだけ……本当に少しだけ、言わないでいてくれれば良かったのに……とも思ってしまいました。あまりにも我儘ですが、オルトヴィーン様が言わずにいてくださったら、わたくしは断らなくてもよかったのですもの」
せっかく想いを寄せてくださったのに「言わないでほしかった」と感じるなんて、とても自分勝手だと思うのです。けれど、言わずにいてくださったら、想いを受け入れられないと拒絶することも、オルトヴィーン様が握りしめた拳の震える様を見ることもなかったのに……と感じることを止めることはできません。
「あのお茶会で時間が欲しいと一度答えたのです。本当に我儘であれば、求愛の言葉を向けられたとしても真っ直ぐ向き合わず、嫁盗りディッターまで逃げ続けて放置することもできましたよ」
「待ってくださいませ。ディッターまで取り合おうともしないなんて、あまりにも誠実さが足りないのでは?」
ケントリプスの提案があまりにも自分勝手で、わたくしは目を丸くしました。そのような非道が許されると思えません。
「向き合いたくないならば可能な手段でした。ディッターで敗北を突きつけ、冬の目前にエーヴィリーベを排したシュツェーリアのように振る舞うこともできましたから」
「わたくし、とてもそのような振る舞いはできませんし、オルトヴィーン様はそのように扱って良い方ではありません」
あまりにも酷いことを言うケントリプスをキッと睨みましたが、ケントリプスは睨まれても怯むのではなく、まるでわたくしを甘やかすように微笑みました。
「逃げずに真正面から向き合ったから重かったのですよ」
「……え?」
「相手の想いが真剣であればあるほど、気持ちは重いものです。それを受け止めて、お返しして……。頑張りましたよ、ハンネローレ様は」
まさかそんなふうに肯定されると思わなくて、わたくしはケントリプスを見つめながら何度か目を瞬かせました。ケントリプスが更に笑みを深めます。その表情には拒絶や非難の色が全く見当たりません。
「頑張った……と言ってしまって良いのでしょうか? だって、わたくし、オルトヴィーン様を傷つけることしかできなくて……」
「ハンネローレ様がご自分でそう思えないならば、私が言って差し上げます。正面から向き合ってよく頑張りました」
重かった気分をケントリプスがスッと持ち上げてくれたような気分になりました。その少し軽くなった心地のまま、わたくしはオルトヴィーン様の言葉に去年の自分が救われたことをポツリポツリと零します。
その中で、わたくしはオルトヴィーン様との会話の発端を思い出しました。
「……そういえば、ケントリプスの卒業式のエスコート相手はわたくしですよね?」
「は!?」
それまで柔らかく目を細めてわたくしの話を聞いていたケントリプスが、素っ頓狂な声を出してビクッとしました。
「もしケントリプスが卒業式に親族や別の方を伴えば、アウブの定めた婚約者候補という立場に不満があると受け取られる可能性があるでしょう? 領地での立場を考えると、わたくしがエスコート相手を務めるべきだと思うのですけれど……」
わたくしの前には灰色の目を丸くしたままのケントリプスと、赤い目を伏せて額を押さえているコルドゥラがいます。
「え? 違うのですか? もしかしてオルトヴィーン様がおっしゃったように、他の求婚者やもう一人の婚約者候補のことも考えると、今年の卒業式にわたくしがケントリプスのエスコート相手を務めるべきではない……のでしょうか?」
ダンケルフェルガーの貴族である二人にそのような反応をされると思わなくて、わたくしはオロオロとしながら二人の様子を窺います。
「オルトヴィーン様の意見は関係ありません。ずいぶんと唐突であったことと、姫様の視野が狭いことに改めて驚いたと言えば良いでしょうか……」
コルドゥラとケントリプスが顔を見合わせてハァと儘ならない感じの溜息を吐きました。
「唐突と言われても、わたくしの中では別に唐突ではないのですけれど……。では、ケントリプスは誰をエスコートする予定だったのです?」
「わたくしです」
「待ってくださいませ。コルドゥラはケントリプスの親族ではありませんよね?」
どうして? と混乱するわたくしにコルドゥラは呆れた顔で説明してくれます。
「姫様の判断によってどうなるかわからない以上、親族にも頼みにくいのですよ。衣装の準備なども必要ですからね」
そこで、お母様が「貴族院に同行する成人側近の中でケントリプスの母親より年嵩の者が引き受けるのが良いでしょう」とおっしゃって、コルドゥラが引き受けることになったそうです。
「わたくしであれば卒業式前日にハンネローレ姫様の気が変わっても対応できますから」
「そこまで周囲に迷惑をかける気はありませんよ」
「……姫様は思い込んだら周囲が見えなくなることが多々ございますし、姫様の決断をできるだけ尊重したいと考えたから引き受けたのです。まさに今、わたくしは引き受けておいて良かったと思っていますよ」
コルドゥラがニコリと笑っていますが、わたくしが失敗して後始末をする時の笑顔です。
「あの、わたくしがケントリプスの卒業式に同行するのは、それほど周囲に迷惑をかけることなのですか?」
「いいえ。姫様のおっしゃる通り、領地の貴族に対しては姫様をエスコートしておいた方が良いと思いますよ」
領地の貴族に対してはわたくしをエスコートした方が良いならば、二人にとっては何が問題なのでしょうか。けれど、コルドゥラが「ケントリプスはどうしたいですか?」と問いかけたことで、わたくしは疑問を頭の隅に追いやってケントリプスの答えを待つことにしました。
「私としてはありがたいですが……ラザンタルクの許可があれば、ですね。オルトヴィーン様の意見も尤もと言えますから」
そこへオルドナンツが飛んできました。わたくしの手に降り立ち、嘴を開きます。ちょうど話題に上がっていたラザンタルクからでした。
「ラザンタルクです。ただいま戻りました。今からそちらへ向かいます」
会議室に入ってきたラザンタルクに、わたくしは早速「ケントリプスの卒業式でエスコート相手になっても良いですか?」と尋ねました。
「オルトヴィーン様も同意見だったのですが、ケントリプスは求婚者やもう一人の婚約者候補の気持ちを考えると、エスコート相手になるべきではないと考えているようです。ラザンタルクの気持ちを聞かせてくださいませ」
「ハンネローレ様をエスコートすれば良いと思いますよ。他領の方々に対して、ハンネローレ様がダンケルフェルガーに残るつもりだという意思表示にも繋がりますから、私からもお願いするつもりでした」
ラザンタルクはあっさりと了承してくれました。ケントリプスとコルドゥラには頭を抱えられたり呆れた顔をされたりしたので、自分と同意見の者を見つけて、わたくしは嬉しくなりました。
「ラザンタルクもやはりそう思いますよね?」
「はい。それに、私は来年があるけれど、ケントリプスにはありませんから。きっと良い思い出になると思います」
「え? ケントリプスにないのは何故ですか?」
まるでラザンタルクが婚約者に決まっているような言い方に驚いたわたくしに、ラザンタルクはキョトンとした顔になりました。
「文官見習いのケントリプスには嫁盗りディッターへの出場権利がありませんから」
「婚約者候補ですのに!?」
婚約者候補ならば求婚者と同じ立場です。当然ケントリプスも出場するものだと思っていたわたくしに、ラザンタルクは「ツェントが出した条件のせいですよ」と嫌そうな顔で言いました。
「ケントリプスは文官見習いなので、領主一族でも護衛騎士でもありません。ツェントのせいで嫁盗りディッターに出場できなくなりました。このままでは婚約者候補でありながら嫁を守らなかった男になってしまうので、ハンネローレ様の婿と領地では認められないでしょう」
ディッターに出場できるラザンタルクが自動的に婚約者となると言われ、わたくしは目を見開きました。婚約者候補でありながら戦いの場にさえ立てないなどあり得ません。
「本来ならば婚約者候補である彼が出場できないなんておかしいではありませんか! ツェントに条件を変更してもらうべきでしょう。お父様は何とおっしゃったのですか?」
せめて、すでに婚約者候補として決められている二人に関しては、求婚者の立場で嫁盗りディッターに出場しても良いとツェントに認めてもらえば良いのです。お父様ならばそのくらいの交渉は可能でしょう。
「アウブは婚約者候補が一人出場できる以上、領地としては特に問題ないとお考えです」
コルドゥラの言葉にわたくしは息を呑みました。
「最終的にどちらになっても問題はないから、アウブは二人を婚約者候補としたのです。姫様が選んでいないのだから、ラザンタルクを婚約者とすれば良い……と」
ツェントの管理下で行うことが決まり、すでに全領地に向けて発表された条件を今更わたくしが覆せるわけがありません。同時に、ディッターにおける常識が覆されるはずもないのです。嫁盗りディッターに出ないケントリプスがダンケルフェルガーで結婚相手として認められるわけがありません。
「ですが、このままではケントリプスが……」
「落ち着いてください、ハンネローレ様。ツェントのお知らせがあった時からわかっていたことです」
わたくしが振り向いた先にあるケントリプスの顔には、ここ最近何度も見ていた諦観を帯びた笑みがありました。
「ハンネローレ様にとっては私でもラザンタルクでも大して変わらないでしょう?」
ケントリプスの諦観の理由が明らかになりました。
婚約者候補だけれど、婚約者になることはない立場。
婚約者候補は求婚者と同じ立場なので、当然出場できると思っていたハンネローレにとっては青天の霹靂です。
次は、責任と約束です。




