第二夫人の娘
コードハンツが差し出した木札を受け取ったのは、一歩前に出たコルドゥラでした。
「人払いもせず、盗聴防止の魔術具も使わずに話を進めるのでよろしいですか?」
「ケントリプス様にも確認していただいていますし、アウブにも相談中なのでレスティラウト様に報告されても、側近達と共有しても問題ない内容です」
むしろ積極的に多くの者に周知して巻き込みたいという顔でコードハンツは言いました。
……それにしても、ルングターゼは一体何を?
わたくしの脳裏に淡い紫の髪をしているルングターゼの姿が思い浮かびます。理知的な濃い紫色の目が印象的で、顔立ちはライヒレーヌ様によく似ています。接する回数は多くないのですが、あまり自分の意見を口にしません。「それで良いのではありませんか」と受け流している印象なので、わざわざ木札を送ってくることに驚きました。
ルングターゼが送ってきた内容とその後のわたくしの判断が気になるのでしょう。ラザンタルクとフェシュテルトも立ち去ろうとしません。共有しても問題ないと言われ、コルドゥラが木札を読み上げます。
「突然で不躾なお願いになりますが、わたくしをハンネローレ様の庇護下に入れてくださいませ」
「……わ、わたくしの庇護下ですか!? どういうことでしょう?」
第一夫人であるわたくしのお母様と、第二夫人であるルングターゼのお母様では派閥が違います。これまでほとんど個人的な交流がなかった中でのお願いに、わたくしは面食らいました。
「もちろんラオフェレーグの失態でルングターゼの立場も危ういことはわかるのですけれど、同母妹としてラオフェレーグを支えるのではありませんか? 先程提出されたラオフェレーグ側のディッターの参加希望者にルングターゼの護衛騎士見習いの名前がありましたよね?」
わたくしはラザンタルク達より先に提出されたリストを手に取って、コードハンツに見せました。苦い顔になったコードハンツが別の木札を出しました。
「それについてはこちらを。元々は私がルングターゼ様に送った書簡です。ハンネローレ様への説明に必要だろうと送り返されてきました」
……ルングターゼはよく気が回るのですね。
側近が助言しているのでしょうけれど、優秀だと言われている理由がよくわかるような気がします。
「中立の立場でディッターに関与せず状況を見守ることはできなくなりました。ルングターゼ様の許可なく、本人の同意もないまま、ディッターの参加希望者に名前が入っています。抗議しましたが、同母妹なのだから当然だろうと聞き入れていただけません」
コルドゥラの淡々とした口調で読まれている木札ですが、内容は抜き差しならない状況です。
「主の許可も護衛騎士見習い本人の同意もないまま、ラオフェレーグの判断で自陣の参加希望者のリストに入れるなんて……。非常に困ったことになっていますね」
わたくしは項垂れて深く溜息を吐きました。コードハンツが「ハンネローレ様に共感いただけて安堵いたしました」と肩の力を抜きました。
お父様の意図を理解してディッターに関与せず状況を見守ろうと思ったのに側近を巻き込まれたのです。主であるルングターゼ当人が貴族院入学前で寮にいない以上、書簡でラオフェレーグを説得するしかありません。納得してくれない場合、ルングターゼは同母妹として自らの意志でラオフェレーグに加勢を決意したと見られます。
……ディッターの参加希望者に名を連ねている以上、周囲からはそう見える状況になっています。
「ディッターのお話があり、ルングターゼ様にどういう立場を取るのかお伺いの書簡を送っている間のことでした。主からの回答が戻ってくるより先に、作戦を練って連携訓練だとラオフェレーグ様が護衛騎士見習い達を連れていこうとしたのです。おまけに、その手にはライヒレーヌ様からの書簡がありました。ラオフェレーグ様を絶対に勝たせるようにルングターゼ様の側近も全力を尽くしなさいと命令が下りまして……」
ほとほと困り果てたようにコードハンツが眉を下げました。ラオフェレーグの独走ではなく、母親である第二夫人の後押しまであったようです。貴族院に側近しかいない現状では抵抗するのも難しいと察せられます。三年生の文官見習いには荷が重かったに違いありません。その場にいる者達が同情の籠もった眼差しでコードハンツを見ます。
「おかしいですね。ライヒレーヌ様はお父様の意図を受け入れ、ディッターの後にラオフェレーグが上級貴族になることに同意していたはずですけれど……」
「アウブから指示が出た以上、ディッターで勝つ以外にラオフェレーグ様が領主候補生として残れる道はありません。だからこそ、ディッターでは娘の側近も全力を尽くせ……と。負けた場合は致し方なし、とお考えのようです」
「どうしてそうなるのですか!? お父様の意図と反対方向に全力疾走ですよね?」
ダンケルフェルガーらしい情熱の傾け方というか、思い切りの良さが困った形で噴出している気がしてなりません。母親と兄の愚行で立場を危うくするルングターゼにとってはひどい巻き添えでしょう。
「このままではライヒレーヌ様までラオフェレーグ様と共に切り捨てられかねませんね」
ボソリと呟いたコルドゥラにわたくしは同意して小さく頷きました。寮内ディッターを行ってラオフェレーグを潰すのは、アウブであるお父様が決めたことです。ライヒレーヌ様がその意図を正確につかめず、領地のためにならない存在だと判断されれば第二夫人失格とされても不思議ではありません。
「母親であるライヒレーヌ様が我が子を守りたいと思い詰める気持ちはわかりますけれど、止める者はいなかったのですか? 何より母親であってもこれほど重要な局面で他者の側近に命じるのはダメでしょう。巻き込まれたルングターゼまで責任を負うことになるのですよ」
主の言動で側近の立場が変わるように、側近の言動は主の責任とされます。そのため、洗礼式を終えて北の離れに移った後は、親であっても自由に子供の側近を使えるわけではありません。子供の生活の報告をさせたり、子供を呼び出したり、子育ての方針を摺り合わせたりするくらいでしょうか。
「ラオフェレーグ様が継承の儀式に同行を許されず、貴族院入学を前にして上級貴族との養子縁組をアウブに打診されたところで、ライヒレーヌ様が受け入れてくださっていればよかったのですが……」
コードハンツが項垂れて大きな溜息を吐きました。ラオフェレーグが筆頭側仕えに領主候補生としての素質はないと判断されていることは知っていましたが、貴族院入学前にお父様が上級貴族との養子縁組を考えていたことは知りませんでした。
……それならば、筆頭側仕えの態度にも納得です。
筆頭側仕えがラオフェレーグを見捨てているように感じましたが、もしかすると最初のラオフェレーグの求婚は寮内で問題を起こして、早々に上級貴族に落とそうと側近達が主導したのかもしれません。お父様から指示があった可能性もあります。貴族院の寮内でお父様の決めた婚約者候補がいるのにわたくしに求婚しただけならば、領地の家族にも他領の貴族にも迷惑をかけずに済ませられたはずですから。
「コードハンツはライヒレーヌ様が貴族院入学前の養子縁組を受け入れなかった理由を知っていますか?」
「……それは……」
コードハンツがわたくしを見て困ったように口を噤み、視線を下げました。知っていても言えないような態度に、わたくし自身が関わっている気配を察します。おそらく貴族院の嫁盗りディッターが原因でしょう。
……こちらから言ってあげた方が良いでしょうか?
わたくしがチラリと振り返ると、コルドゥラが軽く息を吐いて口を開きました。
「わたくしはレスティラウト様やハンネローレ姫様が嫁盗りディッターでの敗北や裏切りに対して汚名返上の機会を与えられたことから、ラオフェレーグ様にも同様の温情を求めたのではないかと推測しましたが、いかがでしょう?」
「おおよそ正解です」
貴族院の嫁盗りディッターでお兄様とわたくしに汚点がついた結果、領地の貴族達は第二夫人の子供達を次期領主候補にしてはどうかと言い出しました。突如として我が子が次期領主候補に躍り出たことに、ライヒレーヌ様が妙な野心を持ってしまったそうです。
「本物のディッターで恥を雪ぎ、レスティラウト様が礎の魔術を継承したことである程度貴族達を落ち着かせることはできましたが、ライヒレーヌ様とその親族は諦めきれないようですね」
わたくしを次期領主にして婿にラオフェレーグを、と最初に言い出したのもその方々ではないでしょうか。
「お父様は汚点がついていてもラオフェレーグよりお兄様の方が次期領主に向いていると考えていらっしゃったはずです。継承の儀式に同行を許されない時点でわかるでしょう?」
「それでも一縷の望みを捨てきれなかったのでしょうし、我が子の階級を下げたくないという親心もあったのだと思います。我が主を巻き込むのは止めてほしいですが……」
コードハンツは一度大きく息を吐き、わたくしに向き直りました。
「だからこそ、ルングターゼ様は継承の儀式以降、些細なことに関しても母親のライヒレーヌ様ではなく、アウブに相談を持ちかけています。貴族院の状況やライヒレーヌ様の命令を知った今は、ルングターゼ様はハンネローレ様の庇護を求めていらっしゃいます」
ディッター前に庇護下に入らなければ道連れになるルングターゼの状況は理解できました。しかし、今すぐにわたくしの一存では決められません。最低限、お父様やお兄様に確認が必要でしょう。
「庇護が必要な経緯はわかりましたけれど、どうしてわたくしの庇護を求めるのか不思議でなりません。領主であるお父様や次期領主であるお兄様、その第一夫人であるお母様やアインリーベではないのでしょう?」
わたくしの疑問にわたくしの側近達は賛同してくれました。庇護を求めるならば他に適任者がいます。わたくしはじっとコードハンツを見つめ、答えを促しました。
「それはこちらに」
「コードハンツ、書簡は小出しにせず全て出してくださいませ」
「ルングターゼ様にもよく言われるのですが、お話に合わせて出す方がわかりやすいかと……」
ニコリと笑ったコードハンツは木札を一枚だけコルドゥラに渡しました。まだ隠している気がします。
「アインリーベ様と程良い距離を保つため。ハンネローレ様に第二夫人の派閥全体を冷遇する意図はないと周知するため。寮内ディッターまでに時間がなさ過ぎるため。……庇護を求める理由でしょうけれど、わかりにくいですね。アインリーベ様と程良い距離とは?」
コルドゥラの言う通り、簡潔すぎてよくわかりません。わたくしは頷いてコードハンツに説明を求めます。
「ライヒレーヌ様が第二夫人として旧ベルケシュトックの管理を優先的に行っていたことはご存じですよね?」
「えぇ、もちろん存じています」
政変後、ダンケルフェルガーは旧ベルケシュトックの半分の管理を任されましたが、そこは境界線に隔てられている土地でした。魔術具を使って乏しい土地の魔力をなるべく補わなければならないという点でも、オルドナンツでの連絡が難しいという点でも細やかな管理が必要だったと聞いています。そのため、旧ベルケシュトックの貴族がライヒレーヌ様の派閥には多いです。
「今は境界線が引き直されたので、わざわざライヒレーヌ様がそちらに足を運ぶ必要もなくなり、アインリーベ様に仕事の引き継ぎが始まっています」
ダンケルフェルガーでは第一夫人が他領との交流を、第二夫人が領地内の貴族の管理をすると仕事を分けて、第二夫人は第一夫人の補佐と明確に位置づけています。他領から嫁いでくる領主候補生にダンケルフェルガーの貴族をまとめるのは難しいようで、棲み分けができて上手くいっていました。
けれど、政変の影響で第二夫人の予定だったお母様が第一夫人とされました。そのため、すでに領地の貴族の把握ができていたのです。ライヒレーヌ様はお母様の補佐として旧ベルケシュトックの管理のために娶られました。こうして、旧ベルケシュトックの貴族や親族を中心としたライヒレーヌ様の派閥ができたのです。
「境界線が消えた今、アウブは旧ベルケシュトックの貴族をアインリーベ様の下にまとめたいとお考えです。それなのに、ルングターゼ様がアインリーベ様に近付きすぎると、貴族達をまとめにくくなります」
婚姻によって領主一族に名を連ねたアインリーベは地盤を固めるために努力しています。その邪魔になるのではお兄様にとっても困るでしょう。
「なるほど。しばらくは直接の関与を避けた方が良いということですね。では、わたくしに第二夫人の派閥全体を冷遇する意図はないと周知するため、というのは?」
「ラオフェレーグ様に求婚されて断ったハンネローレ様がルングターゼ様を庇護することで、第二夫人の派閥であっても冷遇はしないと見せることができます」
コードハンツは当たり前のように言いますが、よくわかりません。
「ディッターをしますのに?」
「あの、それは根からダンケルフェルガーでなければ当てはまりません。第二夫人の派閥の大半は旧ベルケシュトックの貴族ですから」
「え? そんな……」
ダンケルフェルガーが管理してもう十年以上経つのに、旧ベルケシュトックの貴族とは思った以上に意識に差があるようです。
「あの、でも、寮内ディッターまでに時間がなさ過ぎるのはわかりますよ。護衛騎士見習いを始め、貴族院にいる側近を守るためにはディッターを取り仕切るわたくしに采配をお願いするのが一番早いということですよね?」
アウブの庇護を得られても、貴族院に周知されるまでに時間がかかりすぎてディッターが始まってしまうと、ルングターゼの側近達はラオフェレーグ側に立つことが可視化されてしまうため取り返しがつきません。
「尤もな理由ではありますけれど……」
「ルングターゼ様が積極的にラオフェレーグ様に協力するためにハンネローレ様を利用するという状況も考えられますよね?」
「本当に勝手に書かれただけなのか、自主的に参加したのかリストだけでは断定できません」
周囲にいる側近の声にコードハンツは「あり得ません」と即座に否定しました。
「ルングターゼ様は……」
「コードハンツ、ルングターゼが大変な状況にあることはわかっていますし、ディッターまで時間がないのも事実です。けれど、ルングターゼがお父様に問い合わせたように、わたくしもお父様からの言葉がなければ動けません。側近達の心配を否定する材料が手元にないのですもの」
ダンケルフェルガーの領主候補生としては、「貴族院に入学もしていないルングターゼに利用されただけの間抜け」になるよりは「ラオフェレーグの同母妹として警戒して切り捨てた」方が評価は高いのです。ラオフェレーグの切り捨てがお父様の中で決まっていると知っている以上、わたくしがルングターゼの扱いに慎重になるのは当然でしょう。
「ディッター開始までに返事が来るかどうかわかりませんが、お父様に問い合わせてみますね。ルングターゼが本当にお父様に相談しているならば、そろそろお父様から書簡が届くと思いますけれど」
そこにオルドナンツが飛んできました。転移陣の間の騎士からです。
「ハンネローレ様、アウブから書簡が届きました。受け取りに来てください」
「ルイポルト」
「はい! 行って参ります」
ルイポルトが持ってきたお父様から書簡を確認すると、ルングターゼの書簡やコードハンツの説明と同様のことが書いてありました。
「お父様もわたくしにルングターゼの庇護をするのが最善だとお考えです」
ホッとした空気が流れると同時にコードハンツが「では、こちらを」と言って、また木札を差し出しました。コルドゥラが少し苛立った笑みで受け取ります。
「寮内ディッターにおけるわたくしの側近達の采配は、ハンネローレ様にお任せいたします。……まぁ、側近達を守るためとはいえ、采配や命令の権利を委ねるとはずいぶんと大胆ですね」
ここでラオフェレーグや母親と距離を取らなければ一蓮托生になるので後がないのですけれど、ダンケルフェルガーの女らしい思い切りの良さが感じられることでわたくしはルングターゼに好感を抱きました。
「ルングターゼがラオフェレーグではなくこちらに付いたことをディッターで効果的に知らしめたいと思います」
わたくしがその場にいる者達を見回すと、側近達だけではなくケントリプスやラザンタルクも頷きました。
「ラザンタルク、フェシュテルト。ディッターでルングターゼの護衛騎士見習いをどのように扱うのか決めて指示を出してください。味方の顔をさせてラオフェレーグ側の情報を得るのは当然として、ディッター開始と同時に内部から瓦解させるのか、訓練を兼ねてしばらくは戦ってもらうのか、ラオフェレーグに見つからない形でコードハンツと打ち合わせをお願いします」
「かしこまりました」
ディッターを率いるラザンタルクと補佐するフェシュテルトに、実際のディッターでの動きを任せます。
「ケントリプス、内部から瓦解させるのであればラオフェレーグの筆頭側仕えに声をかけることも考えてはどうでしょう?」
「ラオフェレーグの筆頭側仕えですか?」
筆頭側仕えはライヒレーヌ様のお願いによって領主候補生の立場が続いているだけで、ラオフェレーグは領主候補生に相応しくないと考えていたことは間違いないようです。ならば他の側近達も一年生の間だけ、とお父様から話があった可能性は高いです。
「ラオフェレーグの側近達にどの程度お父様から指示が出ているのか情報を得られれば、今後の扱いを考えられますから。ケントリプスが情報を得られれば、の話ですけれど……できるでしょう?」
「お任せください」
ケントリプスがクスッと笑って了承しました。筆頭側仕えを任じられる相手から情報を得るのは簡単ではないかもしれませんが、何とかしてくれるでしょう。
「コードハンツ、わたくしからルングターゼに書簡を送ります。その方が安心できるでしょう」
「恐れ入ります。どうぞよろしくお願いします。あぁ、ハンネローレ様。最後にこちらを。庇護下に入れていただけることが決まれば渡してほしいと言われていました」
コードハンツが最後に出した木札には「今後は庇護してくださるハンネローレ様をお姉様と呼ばせていただいてよろしいですか?」と書かれています。
……わたくしがお姉様ですか。
何となくローゼマイン様とシャルロッテ様の姿が思い浮かび上がりました。アウブの養女と実子とは思えないほど仲の良い姉妹です。わたくしとルングターゼも同母の姉妹ではありませんが、あのような関係になれるでしょうか。
そして、夕食後に寮内ディッターが行われました。今回は宝盗りディッターです。講義などで行う宝盗りディッターに比べると、二つの違いがあります。
まず、攻撃用魔術具の使用が禁止されました。他領との嫁盗りディッターに向けて文官見習い達が考案している最強の攻撃用魔術具の実験をする絶好の機会にされると困るからです。広大な貴族院全体で行われる嫁盗りディッターを想定して作られた攻撃用魔術具は、寮の訓練場内で使うにはあまりにも威力が強すぎます。魔術具一つで勝負が決まるとか、観覧席にも被害が出る可能性とか、死者が多数出る可能性など不安要素が多いのです。
文官見習い達から不満が上がりましたが、攻撃用魔術具の品評会を後日行うことで納得してもらえました。
それから、今回はゲヴィンネンの駒が宝として扱われることになりました。とっくに日が落ちて暗くなっている森へ魔獣狩りに行くのをルーフェン先生が止めたからです。
これは普通のゲヴィンネンの駒ではなく、貴族院で宝盗りディッターが行われていた時の反省会で使われていた物で、子供くらいの大きさがあります。ラザンタルクが槍の駒を、ラオフェレーグが剣の駒を自陣に置くことになりました。
ゲヴィンネンの駒なので魔力を込めると操れるため、敵に奪われそうになっても魔力を込めた者が遠隔操作をすれば逃がすことが可能です。もちろん宝盗りディッターなので、逃がすためであっても陣から駒を出してしまえば敗北になります。
……ラオフェレーグの陣でその駒を守るのがルングターゼの護衛騎士見習いなのですよね。
どう考えてもラオフェレーグに勝ち目はありません。
「アウブから訓練と同様のディッターとお言葉をいただいた。後々に予定されている嫁盗りディッターの領地代表を決めるためのディッターだ。勝敗を決めるだけで、この戦いで死者を出すことは許されていない。両者、良いな?」
ラザンタルクとラオフェレーグに約束させ、敗者の扱いについて再度念を押し、ディッターの開始です。それぞれの陣に騎士見習い達が入ります。
「では、始め!」
ルーフェン先生はそう言うと同時に大きく両腕を振りました。その動きに合わせるように今回の宝となるゲヴィンネンの青く透き通った駒が大きく上空に向かって飛び上がりました。ルーフェン先生の魔力で満たされて逃げる青い駒を、自陣の誰かの魔力で染め替えて陣に置くところから始まるのです。
両陣営からたくさんの騎獣が勢いよく飛び出して青い駒を捕らえに行きますが、すぐに捕らえられないようにルーフェン先生が両腕を動かしながら青い駒を操って騎士達を翻弄します。ゲヴィンネンの駒の魔力を完全に染め替えるまではルーフェン先生も動かせるので、騎士見習い達が翻弄される様子が面白く、観覧席から「ほら、早く捕まえろ!」「逃げられるぞ!」と野次が飛び始めました。
自陣に宝を入れると、攻撃に転じます。敵を屠るために我先に駆ける騎獣達の先頭にラザンタルクの姿が見えました。反対の陣からはラオフェレーグが嬉々として飛び出します。
「思ったよりラオフェレーグ様側の騎士達がやる気に満ちていますね」
「ラオフェレーグの入学前から側近が解散になることはわかっていたようですからね。せっかくだから最後のディッターを楽しもうと張り切っているのですって」
ケントリプスがラオフェレーグの筆頭側仕えに話を聞くとそう言われたそうです。貴族院入学前に上級貴族になるはずだったラオフェレーグの体裁を整えるために、側近を継続させることになりました。そのため、よほど見どころのない側近以外はラオフェレーグの側近の一部はお父様やルングターゼの側近になるとすでに決まっています。使える者と使えない者の選別もすでに済んでいると筆頭側仕えは言っていました。
……ラオフェレーグが完全に道化者ですね。
嫁盗りディッターにさえ発展しなければ……。コリンツダウムの求婚さえなければ……。そもそもライヒレーヌ様が入学前に養子縁組を受け入れていれば……と今更考えても仕方のないことを考えてしまいます。けれど、領主一族に向かない素質であれば上級貴族に落とすしかありません。
……わたくしだっていつ不適格とされるかわかりませんもの。
そう思いながら観覧席から見ていると、ラザンタルク側もラオフェレーグ側も自陣の守りを最低限にして突っ込んでいくのが見えました。ラザンタルク達は敵を捕らえて数を減らしていくことに腐心しているようです。
……捕らえた敵の数でも競っているのでしょうか?
勢いだけは良いけれど、一人だけ一年生で体格が小さく、まだまだ拙いラオフェレーグを守るように周囲を取り囲んでいた騎士見習い達が一人ずつ削られていきます。
……最終的にラザンタルクとラオフェレーグの一騎打ちに持ち込むのでしょうか?
一年生のラオフェレーグが嫁盗りディッターを申し込むなど、どれだけ無謀なことをしたのか、自分の実力を知るには良い機会かもしれません。それに、ここで吹っ切ることができれば、上級貴族として騎士になった時に周囲の実力を直視できるでしょうし、少しは謙虚になれるでしょう。
わたくしはそう考えてゆったりと構えて見ていたのですが、ラオフェレーグではなくラザンタルクが何だか可哀想な状況になってきました。いくら叩きのめされもラオフェレーグが立ち上がるのです。
「ラオフェレーグの気が済むまで……と思いましたけれど、完全に弱い者苛めになっていませんか? ラザンタルクがやりにくそうで可哀想です」
わたくしの言葉に側近達も同意します。
「さすがにラオフェレーグ様を死なせることはできませんからね」
「ここまでボロボロになっているのに回復薬に手を伸ばさないのですから、手加減するラザンタルクも大変でしょう」
「引き際を見誤った者は見苦しいだけですし、このようなディッターを見ても面白くありません」
「姫様、もう終わらせてあげた方が良いのでは?」
わたくしはシュタープを出すと、先を緑に光らせてクルクルと手元で回しました。ラオフェレーグの宝を守るルングターゼの護衛騎士見習いはその合図に気付くと、ブンと大きく腕を動かしました。青いゲヴィンネンの駒が勢いよく飛び上がり、陣を飛び出します。
「ラザンタルクの勝利!」
ルーフェン先生の宣言により、勝敗は決しました。
領地のルングターゼ。
「スパイ扱いされても困りますし、わたくしの側近は中立で」
「お兄様が勝手にリストに入れたですって!?」
「お母様がわたくしの側近に命令を!?……お父様ー!」
貴族院に行けないルングターゼにとっても大変な一日でした。
次は、奉納舞の講義です。




