日常が非日常
女神の御力が消え、ツェント・エグランティーヌとの話し合いを終えたわたくしは、本日から講義に復帰します。二週間ほど講義をお休みしていたので、ようやく日常に戻れるのです。自室で座学の自習ばかりだったので久し振りの講義を楽しみにしていましたが、玄関ホールに集合した側近達や婚約者候補達は、非常に心配そうな目でわたくしを見ています。
「大丈夫ですか、ハンネローレ様?」
「確かに心配ですけれど、早く他の方々に追いつかなければなりませんね。実技を少しでも早く進められるように頑張るつもりです」
わたくしが気合いを入れ直すと、ラザンタルクとケントリプスが困ったように笑いました。
「講義の進度より心配なのは、他領の者達との接触です」
「……え?」
「ハンネローレ様は第二の女神の化身と言われるようになり、短期間に嫁盗りディッターの申し込みもたくさんありました。ディッターを有利にするため、接触を図ろうとする領地が多いと予想されています」
わたくしはいくら他領の者から脅されたり説得されたりしても、二度と自ら勝負を投げ出すつもりはありません。これ以上、側近を始め、皆の信用を失うことはできないのです。
「それほど心配はいらないと思うのですけれど……」
「いいえ。初日の今日は特に警戒が必要です。講義のためにハンネローレ様が寮から出てくるのを待ち構えている者がいると報告がありましたし、嫁盗りディッターを申し込んできた者が婚約者候補として交流を持とうと近付いてくると予想されています」
ラザンタルクが珍しく厳しい顔になって玄関扉の向こうを警戒しています。わたくしの護衛騎士達も同様です。わたくしは皆が警戒している様子より、ラザンタルクの言葉に引っかかりを覚えました。
「ラザンタルク、嫁盗りディッターの申請者と婚約者候補は完全に別物でしょう? 交流の持ちようがないと思うのですけれど」
「コリンツダウムの主張によると、嫁盗りディッターを申し込んだ時点で婚約者候補だそうです」
「どうしてそうなるのですか!?」
普通、親もしくは本人の承認があった時点で婚約者となる者を婚約者候補と言います。親への紹介や承認がまだでも、お互いに想い合っている者。または、先に親の許可を得るか親の指示で求婚した者が該当します。ケントリプスとラザンタルクはわたくしのお父様が決めて許可を出しているので婚約者候補です。わたくしに両想いの殿方がいない以上、他に婚約者候補はいません。
「広い意味で考えると、嫁盗りディッターを申し込むことは求婚かもしれません。けれど、ダンケルフェルガーへの宣戦布告の意味合いが強いのですもの。お父様が認めた婚約者候補とは言えませんよね?」
「嫁盗りディッターの申し込みとは求婚であり、それをダンケルフェルガーが受けた時点で、アウブが求婚を認めたと勝手に解釈しているようです」
……ディッターの申し込みを受けたら婚約者候補どころか、撃退すべき敵になるのですけれど?
コリンツダウムの考え方が理解できず、わたくしは首を傾げてしまいました。嫁盗りディッターや求婚に対して認識の齟齬があるようです。おそらくツェント・エグランティーヌと同様に、コリンツダウムも嫁盗りディッターに詳しくないのでしょう。
「その勘違いを誰も訂正しなかったのですか? 食い違いがあるならば、早急に訂正しなければ……」
「残念ながら訂正しても聞き入れられませんでした。嫁盗りディッターを申し込む者は、ハンネローレ様にもアウブ・ダンケルフェルガーにも拒否されているにもかかわらず横恋慕してくる勘違い野郎だというのに、コリンツダウムにはその自覚がないのでしょう。困ったものです」
わたくしと両想いならば「嫁盗り」ではなく「嫁取り」になりますし、お父様の許可があればディッターをしなくても婚約者候補になるので、ラザンタルクの言い分自体は間違っていません。
「間違っていませんけれど、元王族に対して率直に言い過ぎです。外でそのような物言いをしてはなりませんよ」
「ハンネローレ様も重々お気を付けください。あの領地には話が通じません」
ラザンタルクはニッコリと笑っていますが、「了解」を意味する言葉が返ってきません。それに、わたくしの周囲にいる側近達もラザンタルクの言い分を否定したり咎めたりしませんでした。ラザンタルクの言葉に頷きながら、更に注意してきます。
「困った対象はコリンツダウムだけではございません。コリンツダウムに影響された他領にもご注意くださいませ。下位の小領地は乗せられやすいようです」
「あの、外は一体どのようになっているのでしょう? 皆の言葉を聞いていると、何だか出るのが怖くなってきたのですけれど」
わたくしが皆を見回すと、ラザンタルクは誇らしそうに自分の胸を叩きました。
「教室までは他領の者を寄せ付けないように守ります。ご安心ください」
「……全く安心できません。詳細を、詳細を教えてくださいませ」
「必要な説明はしました。これ以上は見ていただくしかないと思います。行きましょう」
外へ出ることが不安になったわたくしの左手をケントリプスが、右手をラザンタルクが取ってエスコートの姿勢になりました。けれど、普段と違ってわたくしの護衛騎士達が前方にも後方にも配置され、講義へ向かうだけなのに彼等の手にはシュタープが握られています。
「ケントリプス、講義へ行くだけなのにこれほどの警戒が必要なのですか?」
「ラザンタルクの指示は少々過剰ですが、警戒は必要だと思います。私も有象無象をハンネローレ様に近付ける気はありませんから」
仕方なさそうな声でそう言った後、ケントリプスが少しだけ身を屈めました。やや声を潜めてニコリと微笑みます。
「神々の世界へ招かれたりツェントに呼び出されたり、忙しくしていたハンネローレ様にとっては記憶の彼方かもしれませんが、東屋で女神が降臨してから初めて外へ出るのです。そこに同席していたヴィルフリート様やオルトヴィーン様と顔を合わせるわけですが、お心の準備はよろしいですか?」
予想もしなかった言葉に、わたくしは血の気が引いていくのを感じました。色々なことがありすぎてすっかり忘れていましたが、わたくしはヴィルフリート様に求婚の課題を求めて拒否されたところなのです。
わたくし自身は女神様のご協力で一年前の世界に行ってもう一度ふられています。それに、色々と起こったことを通してわたくしに望みがないことは理解しました。自分なりに多少は心の整理をしたつもりです。
けれど、わたくしの気持ちと、求婚を拒否してしまったと感じているだろうヴィルフリート様の気まずさは別物でしょう。ヴィルフリート様にとっては突然わたくしから求婚されたと感じたままに違いありません。そのうえ、あの場に同席していたオルトヴィーン様から嫁盗りディッターという形で求婚されているのです。
……わたくし、どういう顔をして教室へ行って、お二人と顔を合わせれば良いのでしょう? 領主候補生らしく何でもない顔で普通にお話ししなければならないのですよね? え? 無理です!
「待ってください。こ、心の準備が……。どうやらわたくしが考えていた日常への復帰とずいぶん差があるようです」
「ハンネローレ姫様、何日もお部屋に籠もっていたというのに今更何をおっしゃるのですか? 遅刻いたしますよ」
非情なコルドゥラの指示により、玄関扉が開かれました。わたくしは抵抗しようとしましたが、両脇をラザンタルクとケントリプスに固められていて逃げられるわけがありません。心の内で悲鳴を上げているうちに、寮から連れ出されてしまいました。
「ハンネローレ様だ!」
「本当だ。ハンネローレ様がいらっしゃったぞ」
「ドレッファングーアが降臨したのだろう?」
「王族や上位領地が欲しがっているらしいぞ。ディッターで嫁ぎ先を決めるそうだ」
わたくし達が寮を出た瞬間、講義へ向かっていたはずの他領の方々が一斉に振り返り、様々な声が上がり始めました。物珍しそうな顔をした学生達が側近達の周囲に近付いてきて、こちらを覗き込もうとしてきます。
あまりにも周囲の様子が変わっていることに息を呑みました。ダンケルフェルガーの領主候補生として育ったわたくしは、今までこれほど不躾な視線を他領の者から向けられたことがありません。
……こちらを見ないでくださいませ!
ランツェナーヴェとの戦いにおいて、アーレンスバッハの礎を得て立場の変わったローゼマイン様を守るために、貴族達との意識を変えさせたり積極的に流す噂の取捨選択をしたりして、フェルディナンド様が色々と根回ししていた理由がよくわかりました。今のケントリプスやラザンタルク、側近達も同じでしょう。
周囲の視線とひそひそと交わされる声がチクチクと肌に刺さるように思えて、わたくしは思わず手に力を入れてしまいました。エスコートをしてくれていた二人には、それでわたくしの動揺が伝わってしまったようです。
「おそらく嫁盗りディッターまでこのような状況は続くでしょうが、先程も言った通り、ハンネローレ様は私が守ります」
わたくしはずっと寮内に、それも自室にいたのであまり自覚がありませんでした。寮内では女神の御力が消えたら普段通りになったからです。女神の御力が消えてからの外出なので、「女神が降臨したと聞いたが、何ということもない」とすぐに周囲も理解するだろうと楽観視していました。どうやら嫁盗りディッターに向けて、これからますます皆の注目が集まるようです。
「ケントリプス、わたくし、もう帰りたくなってきました」
「気持ちはわかりますが、ダンケルフェルガーの姫を留年させるわけにはまいりません。教室までは我々が周囲を固めますから、ハンネローレ様は講義を早く終えられるように頑張ってください」
確かにダンケルフェルガーの領主候補生が五年生の講義を終えられず留年しては大変な汚点になります。おそらく女神の降臨があったことは考慮されません。なぜならば一緒に神々の世界へ招かれたローゼマイン様が優秀すぎて、戻ると同時に次々と試験を受けて合格するはずだからです。わたくしは比較されて「先に戻っているのにハンネローレ様は……」と白い目を向けられるに違いありません。
……ローゼマイン様が戻るまでにできるだけ講義を進めなければ!
奮起するわたくしを見ていたラザンタルクが「できれば私も領主候補生コースの講義には行かせたくないです」と小さく息を吐きました。
「領主候補生コースの教室には領主候補生しか入れません。そこにオルトヴィーン様とダーヴィット様という求婚者がいるのです。しかも、オルトヴィーン様はこの騒動が起こる前にも求婚してきたと聞いています。ドレヴァンヒェルの領主候補生に言いくるめられて、気付いたら求婚に了承していた……なんてことになるかもしれません」
ラザンタルクが憂鬱そうにそう言います。どれだけわたくしのことを流されやすいと思っているのでしょうか。
「わたくし、婚約者候補がいると一度お断りしているのですよ」
「元々それを知った上での求婚でしたし、断られても引かずに嫁盗りディッターまで申し込んできたのですよ」
……それはそうですけれど。
ここで「ディッター前に流されることはありません」と口にするのは簡単ですけれど、わたくしの言葉が信用されないことはよく知っています。一度の信用を裏切ったのはわたくしなのですから。
「ハンネローレ様?」
「……自分の行いの結果ですもの。甘んじるしかないでしょう」
わたくしがそっと息を吐くと、ケントリプスはこちらを労るように微笑みました。
「それほど気負うことはありませんよ。他領の領主候補生から話を聞きたいと求められても、講義を終えたらすぐに教室を出てください。私とラザンタルクが迎えに行きますから」
「……お願いします」
領地や領民を守るダンケルフェルガーの領主一族として育ったわたくしは、誰かに守られる存在になりたいと思っていました。今、それが叶っていることを自覚しました。わたくしは側近達や二人の婚約者候補に心配されて守られているのです。
……うぅ、そういうことに気付くと、ただエスコートされているだけなのに何だか恥ずかしいような気持ちになってしまいますね。
わたくしは自分の手に視線を移しました。わたくしの左手にはケントリプスの腕があり、右手にはラザンタルクの腕があります。領主一族の心得として、いつでも戦えるように必ず片手を開けておけと言われていますが、今わたくしの両手は塞がっています。
……今はわたくしが戦わなくても、二人が守ってくれるのだと考えて良いのでしょうか。
何だか気恥ずかしいような、くすぐったいような心地になってしまったわたくしは、もう周囲の視線や声が気になりませんでした。
「早めに講義を終えて迎えに行きます」
「わかりました。待っていますね」
心配そうな二人に軽く手を振り、わたくしは教室に入りました。その途端、すでに教室にいた方々が笑顔で我先に近付いてきます。
「おはようございます、ハンネローレ様。時の女神ドレッファングーアが降臨したと私の文官見習いから伺いましたが、何が起こったのでしょう?」
「お久し振りですね。ずいぶんと長いお休みでしたが、ハンネローレ様はどのようにお過ごしでしたか?」
「ローゼマイン様と一緒に女神からお招きを受けたのですよね? ローゼマイン様はどうされていらっしゃるのでしょう? ご一緒ではございませんの?」
皆が挨拶に重ねるようにして質問をしてくるのです。笑顔の圧力が強くて、わたくしは面食らってしまいました。今はわたくしを守ってくれる側近も婚約者候補もいません。
「あの、皆様。わたくしは……」
ローゼマイン様を呼び出したい女神様に体を貸しただけ……とわたくしが言葉にするより先に、リンデンタールのダーヴィット様が皆より一歩前に進み出てわたくしに手を差し出しました。
「ハンネローレ様、おはようございます。私の求婚を受け入れてくださって嬉しく思います。今後は婚約者候補としてよろしくお願いします」
そういえば、ラザンタルクが「オルトヴィーン様とダーヴィット様という求婚者がいる」と言っていました。リンデンタールはドレヴァンヒェルやコリンツダウムが申し込んでいるのを知って、申し込んできた小領地の一つということです。
「ダーヴィット様、何か勘違いしていらっしゃいませんか? ディッターを受けたことは求婚を受け入れたことになりません。貴方とリンデンタールはダンケルフェルガーにとって宣戦布告してきた排除すべき敵であって、婚約者候補ではないのです」
手を差し出した体勢のまま、ダーヴィット様が何度か目を瞬かせました。何を言われたのかわからないと、その表情が物語っています。
「ツェントとお話しした際、ダンケルフェルガーと他領では嫁盗りディッターに対する認識が違うことがわかりました」
わたくしは嫁盗りディッターを申し込むことがアウブ・ダンケルフェルガーの決定に異議を唱える無礼であって、普通の求婚ではないことを説明します。ついでに、嫁盗りディッターは貴族院の騎士コースで行われている速さを競うディッターと違い、お互いの親族が協力し合い死力を尽くす戦いであること、死人が出ることも珍しくないことも伝えます。
「それらを理解した上での申し込みでしょうか? もし違うならば、嫁盗りディッターの申請を取り下げることも含めてアウブ・リンデンタールと一度話し合うことをお勧めいたします」
ダーヴィット様は血の気が引いた顔でわたくしから距離を取っていきます。近くにいたレームブルックのエルフリーデ様の顔色も変わりました。もしかすると、ご兄弟に嫁盗りディッターの申請をした方がいるのかもしれません。やはり他領は嫁盗りディッターのことには詳しくなかったようです。
……わたくしに近付く方がいきなり減りましたね。敵対領地をいくつか退けることに成功したと考えても良いのではないでしょうか。
我ながらダンケルフェルガーの領主候補生として良い働きをしました。この調子で嫁盗りディッターに参加する領地を減らしていきたいものです。わたくしが舞い上がっていると、背後からオルトヴィーン様の声がしました。どうやら今教室に入ってきたようです。
「ハンネローレ様、おはようございます。女神の降臨に同席したので、長いお休みを心配しておりました。お体の調子はいかがですか?」
全て調べた上で、自分達が有利になるような情報を小領地に流していそうなドレヴァンヒェルは、嫁盗りディッターの申し込みを取り下げてもらうことが難しい相手です。それに、ラザンタルクからはオルトヴィーン様にわたくしが言いくるめられそうだと警戒されていました。
……わたくし、簡単に言いくるめられませんから!
「おはようございます、オルトヴィーン様。ご心配ありがとう存じます。この通り、体調はもう何ともございません。長期間お休みしてしまったので、今日からは講義に全力を尽くす予定です」
どのように対応すればドレヴァンヒェルに対してディッターを優位に進められるのか悩みつつ、わたくしは笑顔で挨拶します。ここで一旦会話を切り上げられるか、引き留められて情報収集に向かうかでお互いの間に緊張が走りました。その緊張を打ち切るように「其方等、お喋りはそのくらいにしろ。始めるぞ」とアナスタージウス先生が入ってきました。
情報収集でドレヴァンヒェルの領主候補生に勝てる自信はありません。わたくしはホッとして机に向かいます。座学は自室で予習できますが、領主候補生コースの実技は教室に来なければ進められません。二週間ほどの遅れをできるだけ早く取り戻したいものです。
領主候補生コースの実技は魔力を大量に使うため、途中で回復薬を飲んで魔力を回復させる時間があります。わたくしはオルトヴィーン様を避けるようにして回復の時間をずらして取ることにしました。リンデンタールのダーヴィット様を退けたので、この教室で嫁盗りディッターに関して近付いてくるのはオルトヴィーン様くらいでしょう。
……側近達とドレヴァンヒェルへの対策を練らなければ。
回復薬を飲んで、魔力が回復するまで少し休憩します。そこにやって来たのはヴィルフリート様でした。
……ヴィルフリート様からの求婚はなかったとケントリプスが言っていましたね。
嫁盗りディッターで敵対するオルトヴィーン様と違って、ヴィルフリート様を警戒する必要はなさそうです。少しだけ肩の力を抜いたところで、わたくしはケントリプスの言葉を思い出しました。そう、わたくしは求婚の課題を求めてふられたところなのです。
……ちょっと待ってくださいませ! わたくし、どのような顔でヴィルフリート様とお話しすれば良いのでしょう!?
オロオロしている内にヴィルフリート様が近くに座りました。気まずそうに少し視線をさまよわせ、言葉を探しています。
「ハンネローレ様、少しお話ししたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「え、えぇ。もちろん構いません」
わたくしは差し出された盗聴防止の魔術具を受け取りました。あの時のことで何か言いたいことがあるならば、わたくしは事情を知らないまま求婚してしまった者として受け入れるつもりです。覚悟を決め、ギュッと盗聴防止の魔術具を握ると、ヴィルフリート様が優しい深緑の目でわたくしを見つめました。
「私はオルトヴィーンならばハンネローレ様を幸せにしてくれると思います」
「……え?」
ヴィルフリート様は何とおっしゃったのでしょうか。わたくしには理解できませんでした。頭が真っ白になり、盗聴防止の魔術具を握っている手が震えます。わたくしが求婚したことについて何を言われても受け入れるつもりでしたが、その覚悟が吹き飛んでしまった気分です。
「女神の化身という称号は非常に重いものです。私はローゼマインの婚約者だったから知っています。ハンネローレ様の隣に立つ者には相応の覚悟と守れる力が必要なのです。私はオルトヴィーンならば、それがあると思っています」
「そうでしょうか……」
第二の女神の化身をいう称号がわたくしには不相応であることも、配偶者にわたくしを守る力が必要であることも理解できます。けれど、そこでよりにもよってヴィルフリート様にオルトヴィーン様を勧められる理由がわかりません。お父様の選んだケントリプスやラザンタルクにその力がないと言われていることにも納得ができません。
「わたくしには守ろうとしてくれている婚約者候補がいます」
「それはもちろん知っています。一対一で戦えば私やオルトヴィーンは彼等に勝てないと思います。だが、その強さがダンケルフェルガーの領主一族であり、女神の化身と呼ばれるようになったハンネローレ様を守れる力かどうか疑問に思います。物理的な力ではなく、権力や立場が必要になる場面は多いでしょう。上級貴族に越えられない壁があります。現に、彼等にはこの教室に入れません」
わたくしはその言葉にラザンタルクの悔しそうな顔を思い出しました。
「オルトヴィーンは大領地ドレヴァンヒェルの領主候補生ですし、ローゼマインがいなければ最優秀に選ばれるほど優秀です。それに、アドルフィーネ様の関係でコリンツダウムのジギスヴァルト様にも強く出られる立場ですし、女神の騒動が起こる前からハンネローレ様のことを慕っていました」
……ヴィルフリート様、わたくしが貴方に求婚の課題を求めたことは覚えていらっしゃらないのですか?
わたくしのことを思いやってくださっていることはわかりますし、わたくしのせいで気まずい雰囲気にならなかったことに安堵している気持ちも確かにあります。けれど、わたくしの求婚が完全になかったことになっているような言葉の数々には困惑しかありません。
ヴィルフリート様にとっては突然で迷惑な求婚だったかもしれません。けれど、わたくしはものすごく悩んで、一大決心をしたのです。けれど、ヴィルフリート様にとっては次に顔を合わせた時に他の殿方、それも、求婚した場に同席した方を勧められるほど取るに足りない出来事だったのでしょうか。
……本当にわたくしはヴィルフリート様にとって対象外だったのですね。
いかにオルトヴィーン様がわたくしの結婚相手として優れているのか、笑顔で推してくるヴィルフリート様に何と言えば良いのかわかりません。自分なりに気持ちの整理をしたつもりなのに、まだ胸が痛い気がします。
「私はハンネローレ様に幸せになってほしいのです。そのためにも嫁盗りディッターではオルトヴィーンに全面的に協力するつもりです」
……嫁盗りディッターで全面的に協力!? どういうことですか!?
予想もしていなかった言葉に、わたくしはハッとしました。感傷に浸っている場合ではありません。それは嫁盗りディッターでドレヴァンヒェルとエーレンフェストが連合を組むという意味ではないでしょうか。
大領地であり知の領地であるドレヴァンヒェルは決して侮ってはならない相手です。そこにエーレンフェストが全面的に協力するならば、戦略をよく練る必要があります。ダンケルフェルガーはエーレンフェストに負け続けているのですから。今はローゼマイン様もフェルディナンド様もいらっしゃいませんけれど、それでもお二人の戦術などは騎士達に受け継がれているでしょう。油断はできません。
……シャルロッテ様にも探りを入れるべきでしょう。まさかディッターの申し込みをしていない領地にも警戒が必要だなんて思いませんでした。
わたくしは嫁盗りディッターを甘く見ていたようです。どの領地がどの領地と協力関係にあるのか、ダンケルフェルガーの敵に回るのか、もっと情報収集を手広く行わなければなりません。
「ヴィルフリート様、貴重なご意見をありがとう存じます。わたくし、目が覚めた思いです」
「ハンネローレ様にわかっていただけて嬉しいです。私も色々と悩みましたが、思い切って話をして良かったと思います」
ヴィルフリート様と笑顔を交わすと、魔力の回復したわたくしは盗聴防止の魔術具を返して立ち上がりました。
女神降臨と嫁盗りディッターのせいで日常が非日常に。
ハンネローレの脳内もかなりディッター仕様になっています。
乙女心が持続しない。
頑張れ、婚約者候補達&この機会に近付きたかった求婚者達!
次は、ツェントからのお知らせです。




