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ツェントからの呼び出し 後編

 

「そういえば、わたくしの筆頭側仕えからも助言を受けました。ダンケルフェルガーと他領ではディッターに対する意識や考え方に差があるため、ツェントと摺り合わせが必要ではないか、と……」


 フフッと笑って誤魔化しつつ、わたくしはコルドゥラに言われたことを口にしました。エグランティーヌ様は困ったように微笑んで、「それはとても大切だと思います」とおっしゃいます。


「ハンネローレ様が今回の嫁盗りディッターをどのように思っているのか、聞かせてくださいませ」

「どのように、とおっしゃられても……。神々の世界から戻った時にはすでに複数の領地から嫁盗りディッターの申し込みを受けていて、寮内はもちろんですけれど、領地も大変な騒ぎになっていました。正直なところ、わたくしには本当に何が何だかわからず、周囲に流されている状態なのです」


 目が覚めたらラオフェレーグが参戦表明をしていたり、婚約者候補のラザンタルクが張り切りすぎていて自分の側近が少し反感を覚えていたりと、寮内は大変なことになっていました。目覚めてすぐにコルドゥラからコリンツダウム、ドレヴァンヒェルなど複数の領地から求婚されていると言われて目を白黒させていました。


 ……それで、ケントリプスから説明を受けて……。


「婿入りを希望する領主候補生を叩き潰しても、ハンネローレ様には傷一つ付けません。最終的に次期領主を諦めてくださったら、私が責任を取ります。ご安心ください」


 ……違います! あれは口説かれ、たのではなく……。あああぁぁぁっ! 助けてくださいませ、コルドゥラ!


 不意にケントリプスに言われたことと、真っ直ぐにこちらを見ていた灰色の目を思い出してしまい、わたくしは急いで頭を左右に振って記憶を散らします。思い出してはなりません。コルドゥラのお説教を思い出して冷静になるのです。


「あの、ハンネローレ様。どうかされましたか?」

「いいえ。まったく、何ともありません。実は、複数の領地から同時に嫁盗りディッターを申し込まれること自体、ダンケルフェルガーにとっても前例がないことです。準備は進めていますが、わたくし達も戸惑っています」

「まぁ、そうなのですか?」


 エグランティーヌ様は不思議そうに目を瞬かせていらっしゃいますが、これでわたくしの挙動不審は誤魔化せたでしょうか。誤魔化せたことにしましょう。


「ツェント、普通は父親の決めた婚約者候補のいる女性に対し、複数の方が求婚することはありません。それも、婚約の打診ではなく嫁盗りディッターの申し込みが殺到したのですもの。ダンケルフェルガーにとっても初めてのことです」


 どの領地が来ても返り討ちにしてくれると、皆が張り切っていますが、本当に初めての出来事なのです。正直なところ、女神の化身という立場を望まれたところで、わたくしには何もできないので困ります。


「そうそう、側仕えに常識の摺り合わせを頼まれた件ですけれど、嫁盗りディッターでは死者が出ることも珍しくありません。その辺りを他領の方々が理解されているかどうか……。あの、ツェント?」


 突然エグランティーヌ様の顔から微笑みが消えて真顔になりました。予想外の反応に、わたくしの方が動揺します。


「その、側仕えが心配しているだけで、さすがにそのくらいは他領の方もご存じだと、わたくしも理解しています。これは一応の確認なのです」


 ……当たり前のことを尋ねられても困りますよね。わたくしもコルドゥラが何を言い出したのかと思いましたもの。


 動揺した心情に共感してわたくしはニコリと微笑みます。けれど、エグランティーヌ様は何度か目を瞬かせた後、そっと視線を逸らしました。


「ハンネローレ様、嫁盗りディッターでは死者が出るのですか?」

「えぇ、ディッターですもの。大怪我で済むことが大半ですが、自力で回復薬を飲めず、死に至る方もいます。真剣に戦えば死者が出てもそれほど不思議ではありませんよね?」


 死者が出ることもあるので、ダンケルフェルガーの暴走で他領へディッターを仕掛けようとする時は女性が必死に止めようとするのです。


「わたくしは死者が出ることは想定していませんでした」

「え? 想定していないのですか?」


 まさかコルドゥラの心配が当たると思いませんでした。他領の方々はディッターを何だと思っているのでしょう。


「騎士コースの講義中も死者は出ていませんし、ダンケルフェルガーとエーレンフェストの宝盗りディッターでも大怪我をした者がいたという報告さえなかったと聞いています」

「講義中に死者がないのは、粛清後に神殿から還俗させるほど貴族の人数が減ったため、教育課程を宝盗りディッターから速さを競うディッターに変更したからです。それに、エーレンフェストとのディッターでは、ローゼマイン様の癒しがありました。結果的に死者が出なかっただけで、危険な状態の者はいましたよ」


 貴族院二年生の時に巻き込まれたディッターではハイスヒッツェが大怪我を負いましたし、三年生の嫁盗りディッターでは中央騎士団の攻撃を受けて墜落した騎士見習いが意識のない状態に陥っていました。


「今回の嫁盗りディッターは多くの領地が同時に申し込んできたので混戦状態になります。隙を突いて勝てれば儲けものという意識で参加される領地が非常に危険でしょう。わたくしの嫁入りに相応しくない領地として真っ先に、そして、徹底的に潰されると思います」


 ディッターの魔王が隙を突いて勝利を得るような戦いをする方だったようです。混戦になる以上、ダンケルフェルガーではそういう形でフェアベルッケンの功を狙う領地を最も警戒することになっています。


「あの、ハンネローレ様。速さを競うディッターで勝負を付けるのではダメなのでしょうか?」

「え? 速さを競うディッターと嫁盗りディッターは別物ですよね?」


 エグランティーヌ様がまるで言葉が通じなくて困っているように首を傾げました。わたくしも首を傾げてしまいます。何をおっしゃっているのかわかりません。ディッターに種類があることさえ、他領の方はご存じないということでしょうか。わたくしは何だかとても不安になってきました。


 ……どうしましょう、コルドゥラ! 予想以上に溝があります!


 どこから他領と認識が違うのでしょうか。この場でコルドゥラに助けを求められない以上、わたくしが自分で探るしかありません。


「どこから摺り合わせが必要なのでしょう?……エグランティーヌ様、アウブが自領のことに関して決定したことに、他領の者が異議を唱えることは無礼だと咎められます。それは共通の認識で間違いありませんか?」

「えぇ、そうですね。それは間違いないでしょう。ユルゲンシュミット内のことを決めるならば、ツェントが立ち会って領主会議で全ての領主の言い分を聞きますが、それぞれの領地のことはアウブが決めることですから」


 アウブの決定までに上位領地が圧力をかける姿も珍しくないようですし、下位領地は上位領地の意向を窺うことが多いです。それでも、建前上は上位領地が下位領地に異議を唱えることも無礼ことだとされています。

 それはそれとして、ようやく共通の認識を発見しました。エグランティーヌ様と顔を見合わせて、お互いにホッと安堵の息を吐きます。


「では、嫁盗りディッターを申し込むことは、アウブ・ダンケルフェルガーが決めた婚約者候補に異議を唱える行為です。嫁盗りディッターを申し込まれれば受けますが、それがアウブ・ダンケルフェルガーに対する無礼だという認識は他領の方にございますか?」

「今、理解いたしました」


 噛んで含めるように説明すると、エグランティーヌ様はこめかみを押さえました。現在のダンケルフェルガーは第一位の大領地です。そこへ嫁盗りディッターを申し込むのですから、他領の方々はそれなりの覚悟をしていると思っていました。ですが、どうやら違うようです。


「今のエグランティーヌ様の反応を拝見していると、嫁盗りディッターを領地対抗戦の競技と同様に考えていらっしゃるように見えます。けれど、ダンケルフェルガーにとっては領主の誇りと領主候補生であるわたくしの将来を賭けた真剣勝負です」


 三年生の時のエーレンフェストとのディッターもローゼマイン様とわたくしの結婚を賭けた次期領主同士の真剣勝負でした。エーレンフェストも真剣で、順位が付く程度の競技という認識ではなかったはずです。


「嫁盗りディッターの申し込みと、アウブに対する無礼が結びつきませんでした。……その、ダンケルフェルガーの方々は嬉々として申し込みを受けているように見えるものですから」

「申し込まれれば受けるものでしょう。無礼者を教育する絶好の機会ですもの」


 再び沈黙が流れました。またもやエグランティーヌ様と共感し合えなかったようです。


 ……おかしいですね。ディッターで叩き潰すことで無礼に対する制裁は終了しますし、後腐れはありません。ネチネチと長年謝罪を要求して賠償をむしり取り続けるクラッセンブルクに比べると、それなりに平和な解決手段だと思っていたのですけれど。


「エグランティーヌ様、どうやらわたくしの想像以上に他領の方々とダンケルフェルガーの間に認識の溝があるようです。常識が違いますね?」

「……本当にずいぶんと思い違いがあるというか、わたくし達に嫁盗りディッターの知識がないというか……」


 眉を寄せて少し考え込んだ後、エグランティーヌ様が真面目な顔でわたくしを見つめました。


「ハンネローレ様、もっと被害を軽減するための提案をしなければ、嫁盗りディッターによって今後立ち行かない領地も出てくるかもしれません。大領地であるダンケルフェルガーには相手を見て、損害が少なくなるように対処をしていただきたいと思います」


 真剣勝負中に相手の損害へ気を配れということでしょうか。そのような難しいことを言われても困ります。


「ダンケルフェルガーとしてはディッター中にどのような損害があったところで、相手の損害に気を配ることはありません。ディッターを申し込むのに損害を想定しない方が悪いですし、戦闘時に敵が強ければ損害を受けるのは当然ではございませんか」


 ディッター中に領地の宝である黒の盾を金粉化されたところで、悪いのは攻撃したローゼマイン様ではなく、持ち出したお兄様と許可を出したお父様です。壊されたり奪われたりしたくない物をディッターに持ち込んではなりません。勝つための戦力として強い騎士を投入することは大事ですが、戦闘中に彼等が怪我をしたり死んだりする可能性も考えておくのは当然のことです。


「他領ではおそらく貴族院のディッターくらいしか想定していないと思います。嫁盗りディッターはダンケルフェルガー特有のディッターですし、他領への考慮が必要ではございませんか?」


 エグランティーヌ様が何とか譲歩を引き出そうとしていることはわかりますが、とても頷けません。どうして申し込まれたダンケルフェルガーが譲歩しなければならないのか全く理解できないのです。


「嫁盗りディッターは領地内でもそうそう行われませんし、ダンケルフェルガー特有と言われればそうでしょう。けれど、嫁盗りディッターで勝負だと申し込んできた相手が嫁盗りディッターを知らないなんて普通は考えないでしょう?」


 おそらく正式に申し込んできたドレヴァンヒェルはご存じだと思います。オルトヴィーン様が何も調べずに申し込んでくるとは思えませんから。けれど、勝機がありそうだという理由で何も調べずに無知なままで乗っかってきた有象無象は少々無謀が過ぎるでしょう。


「困りましたね。……今からディッターを取り止められるような方策はございませんか?」

「そのような素晴らしい方策があるならば、わたくしが伺いたいです。エグランティーヌ様は何か素敵な案を思いつきませんか?」


 すでに準備中のディッターを穏便に取り止められるような方策があれば、ダンケルフェルガーの女性全員が涙を流して喜ぶでしょう。わたくしは期待を込めてエグランティーヌ様を見つめます。


「たとえば、ハンネローレ様が婚約者候補のどちらかを選び、わたくしが王命で結婚を命じればディッターを回避できませんか? その、ハンネローレ様の恋を叶えるという形ならばダンケルフェルガーの方々にも納得いただけるのではないか、と……」


 ……リーベスクヒルフェ様のようなことを言い出さないでくださいませ!


 わたくしの祈りを手ぐすね引いて待っている女神様のことを思い出し、わたくしの方が真顔になってしまいます。


「ツェントが王命を出す領主会議までに嫁盗りディッターは行われます。それに、そのような形でディッターを中止して王命を出せば、おそらくツェントに対するダンケルフェルガーの忠誠心が損なわれると思います」


 エグランティーヌ様は特に残念そうでもなく、「やはりダメですか」と呟きました。


「わたくしが貴族院でのディッターを許可しなければ、今回の嫁盗りディッターを止められるでしょうか?」

「どうして貴族院が関係あるのでしょう? わたくしの嫁盗りディッターはダンケルフェルガーで行われますけれど……」


 意味がよくわからなくて、わたくしは首を傾げました。何かすれ違いがあるようです。エグランティーヌ様も首を傾げています。


「ダンケルフェルガーとエーレンフェストの勝負は、ルーフェンやアナスタージウス様の許可を得て貴族院で行われましたよね?」

「あれは……両親やアウブ・エーレンフェストの介入を阻止したかったお兄様が、強引に貴族院で行うと決めました。けれど、本来は嫁を奪うために領地を訪れ、親族同士が戦います。貴族院は関係ありません」


 当時の、エーレンフェストの領主候補生であったローゼマイン様を求めるディッターならば、エーレンフェストへ求婚者であるお兄様が赴くべきでした。わたくしを求める嫁盗りディッターならば、求婚者がダンケルフェルガーへやって来てディッターが行われます。


 ……これだけディッターに対する認識に差があったのでしたら、エーレンフェストとの齟齬も当然でしたね。


 以前のことを思い出すと、直接は関係ない上に理解できていない嫁盗りディッターのことで思い悩んでいるエグランティーヌ様が非常に気の毒になってきました。


「ハンネローレ様は何か思い浮かびませんか?」

「いくら考えたところで、ディッターの申し込みを受けて盛り上がっているダンケルフェルガーの殿方を止められるわけがありません。止めるならば申し込みの前でなければ……」


 エーレンフェストとのディッターでお母様が頭を抱えていた気持ちと、何故お兄様をしっかり見張っていなかったのかと怒っていた気持ちがよくわかるようになってしまいました。


「ツェントに働きかけることができるとすればダンケルフェルガーではなく、求婚してきた他領の方だと思います。今回の嫁盗りディッターを望んでいるのは求婚者側です。ダンケルフェルガーが仕掛けたことではございませんから」


 エグランティーヌ様は深い溜息を吐き、わたくしを見つめました。


「本来ならば筋違いですし、非常に不本意ではございますが、わたくしはツェントとしてハンネローレ様の嫁盗りディッターに介入させていただきます。参加表明した多くの領地で大きな損害が出ることは防がなければなりません」


 ツェントの介入宣言に、わたくしは頬に手を当てて少し考えます。


「ディッターを中止しろと命じれば、内政干渉だと反感を買うでしょう。けれど、ツェントの監視下で行わせるとか、死者が出ないように魔術具の攻撃力に制限を設けるとか、契約に立ち会って両者に不都合がないように見張るなど条件を上手く設定すれば、ツェントの介入は抑止力になります。ダンケルフェルガーの女性には間違いなく歓迎されると思います」


 わたくしがダンケルフェルガーとツェントの望みが折り合いそうなところを述べると、エグランティーヌ様はホッとしたように表情を和らげました。


「ダンケルフェルガーの女性に歓迎していただけると心強いですね。では、嫁盗りディッターの開催をわたくしの監視下……貴族院で行い、多数の死者を出さないように危険過ぎる魔術具の使用に制限をかけさせていただきます。ディッターの契約もわたくしが締結に立ち会いましょう。それらを記した介入打診の手紙をアウブ・ダンケルフェルガーに渡していただけますか?」

「かしこまりました」


 ツェントが立ち会うことになれば、思い違いや常識の違いに対する筋違いの文句を封じることができるでしょう。また、立場を笠に着る元王族のジギスヴァルト様の横暴も防いでいただくことができます。その辺りを前面に出して説得すれば、おそらくお父様も否とは言わないでしょう。


「ハンネローレ様はお辛くございませんか? 父親が娘のために吟味した相手でもなく、勝負事で結婚相手が変わるなんて……」

「だからこそ、ダンケルフェルガーの女性には男性に求婚の課題を求める権利がございます。……どうやらそれも領地特有のもので、あまり他領には知られていないようですけれど」


 わたくしはヴィルフリート様に求婚の課題を迫ったことを思い出しました。今の常識の齟齬を認識すれば、ヴィルフリート様の呆然としていた顔にも納得できます。


 ……あの時は何とか状況を打破しようと必死でしたけれど、冷静になるととても恥ずかしいですね。


「求婚の課題も大領地や古くからある領地、かつてダンケルフェルガーから分かれた周辺領地ならば知っているかもしれませんが、それでもあまり詳しくはないでしょうね。わたくしも嫁盗りディッターの存在は知っていましたが、これほど考え方に齟齬があると思っていませんでしたから」


 一年前の世界でわたくしを諭し、適切な措置を講じてくださったエグランティーヌ様でさえ嫁盗りディッターについてはこれだけ認識の差があるのです。他領は本当に嫁盗りディッターのことを知らないでしょう。


「……エグランティーヌ様が介入を決意したならば、求婚者側に認識の齟齬について説明をして覚悟を問い、求婚を取り下げさせるように働きかけることが可能かもしれません」


 挑戦は全て受ける! という心構えでいるダンケルフェルガーにディッターを中止しろと言っても反感を買うだけですが、求婚を取り止めた者に嫁盗りディッターを強要することはできません。相手が嫁を望んでいないので、契約の条件が成立しないからです。


「ただ、それはダンケルフェルガーから内政干渉と反感を買わないように、ツェントとして嫁盗りディッターへの介入を宣言し、お父様とある程度の条件を協議した上でのお話になりますけれど」

「ハンネローレ様、求婚の取り下げをアウブ・ダンケルフェルガーは受け入れてくださると思いますか?」


 心配そうなエグランティーヌ様に向かって、わたくしはニコリと微笑みました。


「求婚者達はダンケルフェルガーへの謝罪や無礼に対する償いを要求されるでしょうけれど、求婚の取り下げを引き留められることはないと思いますよ」




 こうして、わたくしはエグランティーヌ様との話し合いを終えて、寮へ戻りました。銀の布も返却しましたし、預かってきたツェントからお父様宛てのお手紙はすぐに領地へ送ってもらいます。


「お疲れ様でした、ハンネローレ様」

「ツェントとはどのような話し合いをしたのですか?」


 話し合いが思ったよりも長引いて昼食の時間になっていたため、寮には学生達が戻っていました。食堂へ向かうと、午前中は講義へ行っていた側近達や婚約者候補達が迎えてくれます。


「神々の世界の報告と嫁盗りディッターについてです。ダンケルフェルガーの常識と他領の知識に大きな隔たりがあることについて話し合った結果、ツェントが介入することになりました。お父様へ打診の手紙を預かりました」

「ツェントが嫁盗りディッターに介入ですか!? それは内政干渉ですよ!」


 ラザンタルクが嫌そうに顔を顰めました。騎士達はラザンタルクに同調して不満そうにしていますが、ケントリプスは難しい顔をしてわたくしを見下ろしました。


「もしかしてハンネローレ様が勧めたのですか?」

「えぇ、ツェントが介入するしかないと感じるように多少誘導はいたしました。まだお父様に打診の手紙を送っただけですけれど、お父様は受け入れると思いますよ」


 わたくしの言葉にラザンタルクが不可解そうに腕を組みました。根っからの騎士なので、他者の介入によってディッターの条件などを歪められることが許せないのでしょう。


「ハンネローレ様が何のためにツェントの介入を望んだのか伺ってもよろしいですか?」

「ツェントの介入によって他領との齟齬が埋められ、嫁盗りディッターの実態を知った他領が求婚取り消しをして減ればダンケルフェルガーが助かると考えたからです」


 複数の領地が参戦する嫁盗りディッターでは、宝となるわたくしが全ての求婚者に狙われ、ダンケルフェルガーは一斉に攻撃を受けるのです。フェアベルッケンの功を狙う領地が減れば、防御が楽になります。


「敵同士が手を組んで集中砲火を浴びると、自陣にいるわたくしも苦労するでしょう? ですから、敵同士で手を組む領地が少なくなるように調整しただけです。ディッターは戦う前から始まっていますものね」


 危険だから辞退しろとダンケルフェルガーから忠告したところで、何の罠かと警戒されるだけでしょう。けれど、ツェントが危険を理由に介入すれば、その危険さが目で見てわかりますし、ツェントから辞退を促されれば下位領地には粛々と受け入れる領地もあるでしょう。


「わたくしだって負ける気は全くございません。取るに足らない領地へ嫁ぐ気などないので、使える手段を増やしただけです。ツェントの介入があれば、元王族の横暴を防げるのです。上手く使えれば強力な味方になりますよ」


 ニコリと笑うと、騎士達が「うおおおお!」と雄叫びを上げました。


「わたくしはこれから昼食です。騒ぐならば多目的ホールへ移動してくださいませ」


 盛り上がっている騎士達を追い払っていると、不意にラザンタルクがガシッとわたくしの左手を握りました。感極まったように栗色の瞳が興奮で潤んでキラキラと輝いています。


「ハンネローレ様、私は今非常に興奮しています! ツェントを味方に引き込めるなんて感動しました!」

「興奮していることは見ればわかります、ラザンタルク。少し有利な状態にできただけで、実際に戦うのはお父様や貴方達です。油断しないでくださいね」

「お任せください!」


 わたくしはポンポンと軽く右手でラザンタルクの手を叩き、握っている手を離すように促します。ラザンタルクは無意識に握っていたのか、「うわっ」と小さく驚きの声を上げて食堂を足早に出て行きます。


「ハンネローレ様にそれだけの立ち回りができたことに驚きました」

「わたくしだって成長しているのです、ケントリプス。もう頼りないとか泣き虫姫とは言わせません」


 クッと笑ったケントリプスがわたくしの左手を取り、わたくしがラザンタルクにしたようにポンポンを軽く叩きます。


「あまり無理はしないでください」

「……大丈夫です」


 ケントリプスが食堂から出て行くのを見送り、わたくしは食事を摂り始めます。食事を終えた者達が一気に移動したことで閑散とした食堂にいると、脳裏にエグランティーヌ様の注意が蘇ってきました。


「ハンネローレ様、第二の女神の化身と呼ばれるようになった貴女の些細な言動で、ユルゲンシュミットが揺れることになります。ローゼマイン様がお戻りになるまで、どなたかに肩入れするような言動には殊更お気を付けくださいませ」


 カトラリーを持つ左手に視線を向けた後、わたくしは軽く頭を左右に振りました。


 ……肩入れする方なんて、わたくしにはいません。



ツェントとハンネローレによって常識の齟齬が明白に。

そして、ツェントが嫁盗りディッターに介入することになりました。

ハンネローレなりの策略は成功。

同時に、エグランティーヌからも釘を刺されました。


次は、講義への復帰です。

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― 新着の感想 ―
原義が忘れられてるだけでこれディッターって古語で“戦争”って意味なんじゃなかろうか…
エーレンフェストとのディッターはまだ齟齬が少ない方だったかもしれないですね…… 政変の前の時の宝とりディッターはかなり危なかったはず。 服の下につける鎧はできて当たり前で身を守るお守りもみんなもってる…
>他領の方々はディッターを何だと思っているのでしょう。 貴族院で騎士見習いが練習する競技、ですかね。人生の一部になってるダンケルフェルガーとは違うと思うよ! >嫁盗りディッターを申し込むことは、…
感想一覧
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