第34章 本当の婚約破棄
想定外のことばかり起きて、シャルール王子は、パニックに近い状態になっていた。
まさか婚約者と従兄弟が現れるとは思っていなかったのだ。
しかも従兄弟とあの醜女が王命によって婚約していたなんて全く知らなかったのだ。
二人が婚約してからというもの、この王子はずっとベティスに嫌がらせを続けてきた。
彼女が自分の補佐である従兄弟のフランドル妻になるということは、つまりは自分の補佐になることと同義だ。
しかもあんな醜い女と親類になると考えただけで、虫唾が走るほどに嫌悪感が湧いた。
それ故に王子は、二人の婚約をどうにかして破棄させたかったのだ。
そのために、これまで色々と陰で嫌がらせや妨害工作をしてきたのだが、それらを全て従兄弟によって阻止、いや、返り討ちに遭ってしまった。
しかし、フランドルが留学して居なくなったことで、ようやくチャンスが訪れたと彼は喜んだのだ。
ところが、その後も結局なかなか上手くいかないうちに一年半年が経過してしまった。
そして、ついに学院の卒業式を迎えてしまい、この婚約者破棄宣言をしたのだった。
何故彼の計画が上手くいかなかったのかといえば、当然ベティスには炯眼(物事の本質をを見抜ける力)という特殊な目を持っていたからだったのだが、そんなことを王子が知るはずもなかった。
呆然として自分達を見つめるシャルール王子を見つめながら、フランドル公子は大きなため息を吐いた。
フランドル公子の祖母であるコーギラス王国の元王妃は、シルヘスターン王国の絶世の美貌を誇った王女だった。
彼はその祖母に瓜二つで、シルヘスターン王国の王族特有の薄紫色の髪と、アメジスト色の輝くような瞳を持つ、人間離れした美しい容姿をした絶世の美男子だった。
そのために、昔からシルヘスターン王国から目を付けられて、散々危険な目に遭ってきた。
今回の留学も、少年期のとある事件の後始末を兼ねたものだったのだが、大学の卒業をする前に王家に一矢報いることができた。しかも沢山の恩まで売ってきた。
それ故に、今後たとえビンカル帝国から横槍を入れられたとしても、シルヘスターン王国がこちら側に付いてくれるはずだから、なんとか対抗できるだろう。
フランドルはそんな大きな功績を上げて帰国したのだ。これでもう糞王子にちょっかいを出される心配もないだろうと、少し明るい希望を持って。
ところがなんと帰国すると、ビンカル帝国の皇帝は危篤状態になっていて、その跡を継ぐであろう皇太子とはすでに親密になって友好関係になっていると知らされたのだ。
父上やるな!と感心すると同時に、公子は心底安堵したのだ。
それなのに、まさか皇帝が亡くなったその翌日に、彼の孫であるシャルール王子がこんな茶番劇を始めるとは思わなかった。
(まあ、何か嫌な予感はあったんだが、まさか本当にやるとは)
と、公子は呆れた。そしてそれと同時に、父親や国王、そして宰相に足留めを食わなければ阻止できたものをと、歯噛みをした。
いくら散々迷惑をかけられてきたとはいえ、従兄弟としての情は多少あったのだ。
とはいえ、すでに幕は上がってしまったのだから仕方がない。この際だから、その芝居の続きを最後まで演じてやろうじゃないか。
舞台の後方からぞろぞろとやって来た来賓客達に目をやってから、彼はそう決意した。
そして幼なじみに目で合図を送った。
すると彼女は口角を少しだけ上げるとこう言った。
「まあ、フランドル公子様、勘違いをしてはいけませんわ。
シャルール殿下はベティス嬢にではなく、この私に婚約破棄を告げようとして間違えただけなのですから。
ほら、私は殿下には相応しくありませんでしょ? 価値観が違うし、面白味もありませんし。
それに比べて、マリーベル伯爵令嬢は殿下と価値観がよく似ていてお話が合うそうですものね。
彼女がフランドル公子様ではなくて殿下の恋人だということは、皆様もご存知ですわよね?」
公女の問いかけに、回りに居た者達は思わず全員頷いてしまった。
この一年半、二人は気の合う友人と称して付き合っていた。しかもあちらこちらで、友人以上の行為をしているところを、大勢の人間に目撃されていたのだから。
それを学院の教師だけでなく、侍従や側近、そして護衛さえも何度も注意をしてきたのだから……もちろん、留学前のララーティーナ公女も。
「違う。彼女は同じ美意識を持つ貴重な友人、ただそれだけだ。
君ほど美しくて優秀な女性など他にいるわけがないじゃないか!
私に相応しい女性は君以外にはいない。
そもそも私達の婚約は王命なのだから、勝手に破棄などできないことくらい、君にもわかるだろう?」
「フランドル様とベティス様の王命はあっさりと無視されたのに?」
「あれは撤回する。王命だとは知らなかったんだ!」
「撤回ですか。それは良かったですわ。血の雨が降るかもと怯えていたものですから。
けれども、殿下と私の婚約は解消で構いませんわ。
いいえ、すでに今朝、貴方の有責で解消されたのです。ですから殿下はどうか愛する方と結婚して下さいませ」
「解消されただと? 私はそんなことを了承した覚えはないぞ。父上だってそんな簡単に王命を取り下げるはずはない」
「私達の婚約は王命などではありませんでしたわ。それにどちらか片方が解消を望めば解消できると、婚約証明書にちゃんと明記されていましたのよ。ちゃんとお読みにならなかったのですか?」
このララーティーナ公女の言葉に殿下は唖然とした。
「王命じゃない?」
「ええ。ですから円満に解消されました」
「駄目だ。君とは解消なんてしない。絶対に! 私に相応しいのはこの国最高の美を持つ君の他にはいないのだから。
そして君も、王太子妃に相応しいのは自分だと思っているだろう?」
彼の必死の問いに答えたのは、ララーティーナ公女ではなくフランドル公子だった。
「たしかに大切な我が幼なじみは、正しく王太子妃、未来の王妃に相応しい人物です。
だからこそ、シャルール殿下との婚約は解消されたのだと思いますよ。
何故なら、王命によって結ばれた僕達の婚約を勝手に破棄するように命じた殿下は、陛下に対して反逆したことと同義なのですから。そんな方が王太子になどなれるわけがないでしょう」
「あれは、ほんの冗談だ。卒業パーティーのための単なる余興だ。それを真に受けて反逆だなんて大仰なことを言うな。いくら従兄弟とはいえ不敬だぞ」
シャルール王子は怒りながらこう叫んだ。
しかし、彼の背後から地を這うような低い声がした。
「不敬はお前だ、シャルール!
私の出した王命を勝手に撤回するとはな!
不敬どころかフランドルの言う通りに王に対する反逆罪だ。
そもそも、お前の後ろ盾になってくれていたザンムット公爵のご令嬢という、ありがたい婚約者がいながら、不貞をしていたなんて許しがたい。
王命だろうとなかろうと、王家が交わした婚約という契約を蔑ろにするような者を、この国の王太子にできるはずがないだろう。
王太子になるのはお前の弟だ。
お前の王子という身分は残してやるが、王位継承権は永久に剥奪する。
今から北の離宮にて暮らすがいい」
父親である国王の言葉に、シャルール王子は真っ青になりながらも、激しく頭を振って抵抗を示した。
「そんな些細な過ちを理由に、第一王子である私を陥れるだなんて、母上やお祖父様がお許しになるわけがありません」
「お前の母親ならば、数日前に父親の見舞いのために祖国へ帰ったぞ。
残念ながらお前の祖父である皇帝陛下が昨晩亡くなられたから、二度とこちらに戻ることはないだろう。
お前も葬儀に参列したいのなら一緒に行くか? お前は大好きな母親の側にいてやりたいだろうから、こちらに戻ってこなくても構わないぞ。
ただし、お前達二人は、あちらの国民の血税を好き勝手に使っていたから、彼らの恨みを相当買っている。
だから、向こうの暮らしはかなり厳しいものになるだろう。それを覚悟しておけよ。
お前の伯父である、新しい皇帝陛下から守ってもらえるとは思うな」
シャルール王子は絶句した。
そしてしばらく間を空けてからこう言った。
「北の離宮は古くて質素だと聞いています。私の部屋のインテリアや絵画を運んでもいいですか?」
「今現在、お前と王妃の部屋の中にある高価な品々は全て換金して、ビンカル帝国へお返しするつもりだ。
不用品を回収してもらうお詫びも兼ねている。
それに、そもそも華美過ぎるものはあの離宮には似合わないしな。
しかし、この国で二番目に美しいご令嬢が側にいてくれるのだから、それで十分ではないのか?」
「父上……
許して下さい。私は、私は……」
「陛下、私は殿下とはそういう仲ではありません。私がお慕いしているのは別の方で……」
これまで一言も口を挟めなかったマリーベル嬢だったが、さすがにこれは大変なことに巻き込まれそうだと気付いて慌てた。
彼女は第一王子とは無関係だと主張し、誤解を解こうとした。自分達はただの友人だと。
そして王子と共に最後までそう訴えたが、近衛騎士達によって講堂から外へ連れ出されてしまったのだった。
次章で最終章になります。本日19時に投稿予定です。




