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第26章 公子の決意

 

 父親のガイヤール公爵は普段から、ララーティーナ公女のことを娘のように思っていると口にしていた。

 自分の子供が三人とも息子ばかりだったから余計にそう思ったのかもしれない。

 しかし、だからといって息子と彼女を婚約させようとは思わなかった。

 ただでさえ王女を妻としていたので、これ以上力をつけてしまうのは不味いと考えたからだ。

 

 そしてあれは、ララーティーナ公女が第一王子との婚約が決まった数か月後のことだった。

 フランドル公子は両親と共にザンムット公爵家へ訪問した。月に一度は互いの屋敷を行き来していたのだ。

 その際に彼は、ザンムット公爵と夫人が言い争いをしている場面に遭遇してしまった。

 

 彼がご不浄を借りようとガーデンパーティーから抜け出して屋敷の中へ入った際に、たまたまザンムット公爵夫妻のこんな会話を耳にした。


「貴方がもっと早くララーティーナとフランドル公子様を婚約させてくださっていたら、()()()となんて婚約しなくてすんだのに」

 

「仕方ないだろう。本人同士が嫌がっていたんだから」

 

「えっ? あんなに仲が良かったではないですか! お話もいつも盛り上がっていたし」

 

「それは友人としてだ。結婚相手としては見ていない」

 

「それはまだ子供だからでしょ。それに貴族なら政略結婚はあまり前なのですから、父親同士が決めてしまえばあの子だって従いましたわ。今回のように。

 あの子は華やかな容姿で人を魅了させられるし、頭もいいわ。他国語も得意で、外交にも向いていますわ」

 

「だから王太子妃に選ばれたのさ。

 そもそもガイヤール公爵は、フランドル君にどうしても外交をさせたいってわけじゃないしね」

 

「えっ?」

 

「彼の容姿は目立ち過ぎる。他国には彼を利用しようとする輩がわんさかいるんだ。大切な息子をそんな危険な魔物の森に放り込みたい親がどこにいるんだ。

 大体あの優秀な子には、国の中枢で働いてもらわなければみんなが困るんだ」

 

「フランドル公子様は宰相候補ということですか?」

 

「ああ。だから妻となる女性に華やかさはいらん。寧ろ清楚で落ち着きのある才女がいい。しかも中立派で出世欲のない堅実な家のご令嬢が望ましい。立場上誘惑が多くなるからな」

 

「それがモンターレ子爵家のベティス嬢だったということですか?」

 

「その通り」

 

 フランドル公子は一瞬ザンムット公爵と視線が合ったような気がした。


(客をたくさん招いておきながらなぜそんな話をしているんだ)


 その時彼はそう思ったのだが、公爵がわざと自分に聞かせようとしていたのだと、三年も経ってから彼はようやくそのことに気が付いた。


(ザンムット公爵は、父や周りの大人達が僕をどう思っているのか、それを知らせ、自覚させたくてわざとあんな話をしていたのかもしれない。夫人の方は何も知らないで利用されたのだと思うけれど。

 

 ベティーの炯眼(けいがん)の力は、外交をする上で非常に役に立つ。

 相手が過去にどんなことをしてきた人間なのか、今何を考えているのかがわかるのだから、交渉の際に相手より何手も先を読める。それは自国にとってかなり有利だ。

 しかし国際的な問題になると、かなり腹黒い卑怯な交渉も必要になることもあるだろう。

 その時に彼女が魔眼の力を抑えられるかどうかわからないのだから、絶えず危険と隣合わせになる。

 そのリスクも考えて、父上は僕とベティーに外交を任せるのは無理だと判断したのだろう)


 そうフランドル公子は思った。


(父はたしかにベティスの力を利用したいと思っているのだろう。しかしそれと同時に、彼女を守りたいとも思っているはずだ。

 友人の娘だし、そもそも国王から保護を依頼されていたのだし。

 彼女を愛する身としては、父のこの判断は素直に嬉しい。

 そうか。自分は人利用されてしまう恐れがあって外交には向かないのか。この容姿のせいで。

 これからはもっも気を引き締めなければ駄目だな)


 とフランドル公子は苦々しく思った。そして……

 

(どうやらベティの言う通りだったみたいだな。ベティの洞察力って本当に凄いよな。炯眼(けいがん)の力なんて使わなくても)


 改めて自分の婚約者に対してリスペクトすると同時に、自分もこれからますます精進しなければならないと思った。

 彼はこれまでも大人達からは宰相候補だとは言われてきたが、いくらなんでもそれは買いかぶりだろうと本気にしていなかった。

 できればご遠慮したい。自分には荷が重過ぎる。あまり期待しないで欲しいと思っていたのだ。


 ところが、自分には宰相か外務大臣か、その二つの選択肢しかないみたいだ、とここで悟った。

 なぜなら、そのどちらかを選ばなければ、ベティスとは婚約を解消されられてしまう恐れがあることに気付いたからだ。

 父親はこの国のために、彼女の能力を活用したいはずだ。

 そのために彼が役に立たないのならば、別の人間に彼女を添わせようとするに違いない。

 不出来な長男に彼女は宝の持ち腐れだとして。

 もしかしたら、騎士を目指している弟に婚約者を変更されてしまうかもしれない。弟なら騎士団長にだってなれそうだし。

 そうさせないためには、自分が彼女と共に国のために役に立つ人間だと示さなければいけない。


 これからの道のりは、今より一層辛く厳しいものになるだろう。

 けれど、この頼りになる婚約者殿が側にいてくれたら、まあどうにか頑張れるかもしれない。

 穏やかな笑顔で自分を見つめるベティス嬢を見ながら、フランドル公子はそう確信した。


「僕がもし外交官ではなく宰相になると言ったら、協力してくれるかい?」


 フランドル公子がそう訊ねると、ベティス嬢はふわっと微笑んだ。そしてこう言ったのだった。


「はい、もちろんです。でもそれは、フラン様がどんな道に進んでも……ですよ。

 私はどんな時も貴方とずっと共にいて、一緒に頑張るつもりですもの」


 と。




 そして、それから間もなくして、二人は学園に入学したのだ。

 そこでベティス嬢は、想定内ではあったが虐めに遭った。

 薄茶色のチリチリ天パーの髪に、瓶底丸メガネをかけた、令嬢として少々残念な見かけをしていたために、主にご令嬢方からフランドル公子の婚約者には相応しくない、身を引けと口汚く罵られた。

 またご令息方からは女のくせに頭が良いことをひけらして生意気だと、嫌味を言われたり、悪戯をされたりした。


 もちろん彼らは、フランドル公子が彼女の側を離れたほんのわずかな時間を狙って攻撃してくるのだ。

 そのことにベティス嬢はむしろ感心していたくらいだった。

 まあ、いくら虐められても彼女は母親同様のらりくらりとやり過ごした。しかも、母親と違って運動神経と勘が良かったので、何かされそうになると素早く逃げ出したので、大した被害は被らなかった。

 彼女からすれば、自身が虐められることよりも、怒り狂う婚約者を宥めることを難儀に感じていた。

 もっとも、ベティスはフランドル公子と一緒にいられるだけでもう、最高に幸せだったのだが。

 ところが、その愛する婚約者と一緒に学園生活を送れたのはたった一年半だけだった。

 それは、フランドル公子が父親のガイヤール公爵から、隣国へ留学するように命じられたからだった。


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