第23章 心が繋がった二人
(✽ 話はフランドル公子が父親の跡を継ぎたくないと漏らした、学園入学直前の時間に戻ります)
フランドル公子の頭の中に浮かんだ悲惨な映像は、彼の従弟であるランティス子爵令息の目を通した映像だ。
公子は双子の従兄弟のような強いエンパス(共感力保持者)ではなかったが、身内の中で唯一双子と映像を共感できたのだ。
そして公子の頭に浮かんだその映像だけでなく彼の思考まで、ベティス嬢は自分の炯眼の力で、覗いてしまった。
古くて壊れそうな教会の建物の中。二十人ほどの子供と、五人の聖職者。それは凄まじく悍ましい映像だった。
男女関係なく、まだ十歳前後と思われる幼気な子供が素手や棒や鞭で殴られ蹴られ、そしてあらゆる暴行を受けている。
それがニ年前に実際に彼女が目にした映像と重なった。
眼前で繰り広げられている暴力行為に対して「やめて!」と必死に叫んでいる少年が一人だけいた。
いや、実際は猿轡をされているから声は出ていなかった。涙を流し、必死に暴力をやめさせようともがいていたが、手足も縛られていたために、彼らの暴力を止めることはできない。
いや、たとえ身体が拘束されていなくても、子供の力ではどうしようもできなかっただろう。
彼以外の子達は死んだような目をして、ただその場にしゃがみ込んでいた。逃げることもなく。
そう。逃げる気力さえ無くしていたのだ。長年暴力を受けてきて。
やがてそこに数人の騎士が一斉に突入して、あっという間にその悍ましい映像は消えた。
助かったという安堵感……そんなものはそこにはなかった。
何もできなかったという焦燥感だけが残った。それは攫われていた少年のものなのか、それとも彼の目を通して同じ映像を共有していた少年達だったのか。
その思いはかつてのベティス嬢と同じであった。
しかし、彼女と彼らというか、フランドル公子との違いは、彼が感情のまま報復するのではなく、知恵と人脈とコネを使って時間をかけても法の下で悪人どもを裁いたことだった。
母親がかつて自分に教えたかったことはこういうことだったのね、と二年の時を経てベティス嬢はようやく理解できたのだった。
(公子様と私は同じ頃、闇を見たのね。
でも私はいけないことだけど爆発させてしまったから、後悔はあるけれど、ある意味モヤモヤはない。
けれど公子様は、その場で何もできなかったという空虚感を抱いたままで、それを拭えていないみたい。
とても辛そうだわ。でも、それっておかしいわ)
ベティス嬢の心の中に、ふとそんなもどかしい感情が湧き出てきた。
自分はともかく、公子様は罪を犯したわけでもないのに、何故そんな思いにずっと囚われなければならないのか。
だから思わずこう口にしてしまったのだ。
「公子様は堕天使などではなく本当の天使様ですわ。
私だけではなく、公子様の従弟様もシルヘスターン王国の孤児院に住む皆様もみんなそう思っていらっしゃるわ」
今度はフランドル公子の方が瞠目した。
(なぜ、それを知っているんだ。あの二年前の事件は闇に葬られたのに!
これが炯眼の力なのか?)
と。
そして、少し間を置いてから今度は彼がこう言った。
「僕が天使だというのなら、君だって天使だよ。私刑はたしかによくないことなんだろうね。でも、自己防衛は私刑とは違うのだから許されるべきだろう?
君はその被害者の女性の代わりに防御態勢をとったに過ぎないよ。加害者の男を殺そうと思ったわけじゃないんだろう?
僕や従兄弟達が持つエンパスと君の持つ炯眼の力って、威力にはかなり差があるけれど、似たようなものなんじゃないかな。
君は被害者女性の感情を共感してしまった。だから目の前の男を今すぐ排除したいと強く思ったんじゃないかな」
ベティス嬢は喫驚した。そんなことを考えたこともなかったからだ。彼女の気持ちを共感した? 確かに……そうかもしれない。
だから自分は何もされていないのに、あんなに怒りが湧いたんだ。そして苦痛や憎しみや悲しみや羞恥、そして絶望。
被害にあった彼女に思い人がいたと知ったのは、事件から大分後になってからだった。彼女の切ない思いが再び甦ってきて、涙が溢れてきた。
それは彼女だけでなく、被害にあった多くの女性達も同じ辛い思いをしたのだろう。
「君は裁判官になったつもりで人を裁いたわけじゃない。驕ってなんかいないよ。
でも不安なんだろう? いつその力を暴走させてしまうかって。
大丈夫。僕が君のブレーキになってあげるよ。あげるって、上から目線かな? 言い換えよう。お互い助け合って行こうよ。
僕ね、色々と狙われるんだ。政治絡みや変な嗜好の持ち主、そしてよくわからない女性達に。
でも怖がってばかりいたら何もできないでしょ? だから君に協力してもらえるととても助かると思うんだ。
そして君のことは僕が、というより、このガイヤール公爵家が守れると思う。君の力のことを知った上で陛下や父がこの縁談を勧めてきたんだと思うから」
「ギブアンドテイクということですか?」
「まあ、そうなんだけど、誤解はしないでね。これは僕は決して政略的な意味で婚約を受けようと思ったわけじゃないだよ。
だって僕は、君の能力を知る前から君を好きになっていたんだから」
ベティス嬢は再び目を大きく見開いた。そして涙をさらに溢れさせながら、真っ赤な顔になって
「私も貴方が好きです。初恋です。
でも、あの眼鏡をかけた状態の私に好意を持ってくださったなんて信じられない」
と言った。すると、フランドル公子も嬉しそうな顔をしてこう告白した。
「信じてよ。それに僕の容姿を見ないで好意を持ってくれた人も君が初めてなんだよ」
と……
闇を抱えたベティス嬢とフランドル公子は、その全てを見せ合い、理解し合った後で、二人で手を繋いでこれから共に生きることを誓ったのだ。
その時、二人はまだ十二歳だった。




