第22章 シルヘスターン王国の動揺(フランドール公子の過去)
シルヘスターン王国の宰相がガイヤール公爵家からの要望書を読み上げると、議会室の中に大きなざわめきが起きた。
そして小さな声で、いくらなんでもそれは強欲過ぎではないか、こちらの足元を見て狡いのではないか、という囁き声があちらこちらから漏れ聞こえた。
「不満ですか? その財産とやらは、罪のないまだ幼い子ども達を犠牲して得た醜悪な金なんですよ?
それを貴方方は自分達の国の予算として使うつもりですか?
それとも教会のお布施にでもするつもりですか?
子ども達を見殺しにして救いの手も差し伸べなかったくせに。それはかなり図々しいですよ。
これはそもそも孤児院の実態調査をきちんとしていれば防げた案件ですよね? それをしなかったのは国と教会の責任ではないのですか?」
近衛騎士団の副団長のハーバル伯爵は軽蔑の眼差しで、王族を初めとするこの国の重鎮達の顔をゆっくりと見回しながらこう吐き捨てるように言った。
その後を継いで宰相は淡々と説明を続けた。
「その慰謝料で、売り飛ばされた子ども達を追跡調査して、できうる限り探し出して保護して下さるおつもりだそうです。
そしてそれだけでなく被害に遭った子ども達のメンタルケアと、体のリハビリ、そして教育も考えていらっしゃるそうです。
この国ではそれらのことを、国家予算を使ってまで行うとは到底思えないからと」
それを聞かされれば、さすがにそれ以上不満を口にする者はいなかった。
ガイヤール子爵は、何もこの国からお金を巻き上げて自国へ持ち帰ろうとしていたわけではなかったのだから。
この国が気付きもしなかった子供達の救済のために、慰謝料を請求したのだ。
そのことにようやく気付いたこの国の貴族達は、情けなさや惨めさで居た堪れない気分になった。
しかし、なぜ国の重鎮達が集った議会室で近衛騎士団の副団長のハーバル伯爵が発言したのかというと、それは新王妃からの口添えがあったからだった。
「この国の中でガイヤール公爵家から信頼されているのは、情けないことにハーバル伯爵しかいないようです。
今後の自己処理は、彼を抜きにはできません」
と。
実は誘拐事件の翌日、ガイヤール公爵家一同が帰国の途に着こうと、ホテルを出て駅へ向かおうとしているところへハーバル伯爵が現れて、駅までの護衛を買って出た。
そして子供達の側までやって来てこう言った。
「ガイヤール公爵令息様、ガイヤール子爵令息様とご令嬢様、この度は辛く苦しい思いをおかけして誠に申し訳ありませんでした。
しかし、皆様のおかげで遅ればせながら極悪人どもを捕まえ、子ども達を救い出すことができました。心より感謝いたします。
そして、被害にあった全ての子供達を地の果てまで探し出し、出来うる限りの救済をすることを誓います」
フランドル公子と双子の従兄弟達はその騎士を見上げて、ただ頷いた。
彼の誓いがいかに困難であるか、子供心にもよくわかっていたから、なんと返事をすればよいのかわからなかったからだ。
ただこの人がいれば、あの慰謝料が間違いなく被害者の子供達に使われるだろう。そう信じることができて、少しだけ気持ちが軽くなったのだった。
フランドル公子は帰国後ずっと、近衛騎士団の副団長のハーバル伯爵と手紙のやり取りをしていた。
伯爵がまめに経過報告をしてくれたので、その返事を書いていただけなのだが。
その後まもなく、彼は伯爵ではなく侯爵となり、近衛騎士団の副団長から第一騎士団長となった。
それもみな、フランドル公子がシルヘスターン王国の新しい王妃へ手紙を認めた結果だった。
国王は当初、近衛の中でも一番腕がたち、誰よりも信頼できるハーバル卿を失うことを頑なに拒否していた。
ところが
「陛下と縁切りをされたガイヤール公爵閣下は、近頃ビンカル帝国の皇太子殿下との交流を深めていらっしゃるそうですよ。
そりゃあ我が国に見切りをつけるでしょうな。実のお子様の命を狙われ、実際甥子様まで王族に誘拐されたのですから。
しかも、あの事件を公にせず温情をかけていただいたにも係わらず、反省も誠意も見せないのですから、どちらと親しくしたいかは一目瞭然ですからな」
宰相のこの一言で心がぐらついたところに、王妃からさらに追い討ちをかけられて、彼を手放す決意をせざるを得なくなった。
「ガイヤール公爵閣下の信頼を今のうちに少しでも回復しておかないと、あと十年もしたら、完全にコーギラス王国との同盟は反故にされますよ。
閣下の後継者であるフランドル公子様は、この国の王侯貴族達をよく思っていらっしゃいませんからね。
ご存知ですか? 第一王子殿下は大変見目麗しい方ですが、上に立つ器量はないというのがもっぱらの噂ですのよ。
そうなれば、実質誰が国の実権を握るのか、簡単にわかりますよね?」
この新しい王妃は元侯爵令嬢で、才媛と名高い女性だった。しかも、十六歳まで彼女の方が王太子の婚約者だったのだ。
ところが学園入学後に別の侯爵令嬢と恋に落ち、しかも卒業前に子供を作ってしまったことで、婚約解消となったのだ。
ところが、その王妃は王女を難産の末に産んだ後で子ができない身体になってしまった。
そのために、婚約解消された元婚約者は、その解消をさらに解消された揚句に、無理やりに側妃にさせられてしまったのだ。
まったくもって理不尽で彼女の人権を全く無視したものだった。
とはいえ王家には逆らえず二人は結婚し、二人の間には立て続けに男子が二人生まれた。そのことで側妃は、国王だけでなく家臣からも実質正妻、王妃と見なされていた。
もちろんそれはただ後継者を産んだからというわけではなかった。
彼女は幼い頃からお妃教育をしっかり受けていた上に、元々優秀な女性だったために、国王の仕事の補助までこなしていたからだった。
それに比べて前王妃は見目が良く、甘え上手な愛らしい女性ではあったが、元々勉強嫌いだった上に、お妃教育を受ける時間がなかったので、妃としての仕事は全くこなせていなかったのだ。
それならばせめて福祉活動にでも熱心に取り組んでいればよかったのだ。
そうすれば少なくとも国民の支持を得られたし、教会付属の孤児院の実態にも気付くことができただろう。
それなのに彼女はその正反対なことをし続けた。そして最終的にはあの教会の悪人達と手を結んで、誘拐事件を起こしたのだ……
新しい王妃は国王の愛などすでに求めていなかった。ただ王妃として国のために力の限り尽くそうと決意していた。
その目標に向かってわずかでも前進できたのは、隣国のフランドル=ガイヤール公爵令息のおかげだと彼女は思った。
夫である国王が唯一愛する女性の息子であり、彼の実の息子達と違ってシルヘスターン王国の王族の色を持つ少年。
正直胸中には複雑な思いが渦巻いていた。
しかし、彼の手紙によってこれまで長年この国が変えられずいた事案を、次々と着手することができたのだ。
彼を自分個人の嫉妬の対象などにしては罰が当たる。彼は尊い存在なのだと、王妃は次第に純粋にそう思えるようになっていったのだった。




