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ブリュンヒルデの日記より

 

初等部一年 10ノ月〇×日

 鬱々とした気分が抜けない。

 笑えなくなった自分が情けない。

 おじいさまに習った絵画、気晴らしにいろいろ描いたけれど。

 昔、王都へ新婚旅行したという祖父母。祖母のために王宮の絵を描いて差しあげようといろいろ描いた。

 水墨画を酷評された。

 腹が立った。

 そんなんじゃ画家にはなれないって何?

 画家になる気なんてない。

 ただ好きで描いていただけ。それを好き勝手言わないで欲しい。

 パトロンのニーズに合わせて描くのが画家?

 そんな窮屈なもの、わたくしはならない!



(略)



初等部二年 5ノ月××日

 紫の瞳の綺麗な男子学生が微笑んで言った『凄いね!』という単純なことばが。


 とても嬉しかった。



初等部二年 6ノ月×日

 あの紫の瞳の男子学生によく似た子が『また会ったね』と笑った。目が碧。あの子と違う。

 イザベラが兄さまと呼ぶ。なるほど、双子の兄がいると聞いたことがある。彼が双子の片割れか。紫の瞳の。

 あっちの彼にはもう一度会いたいと思う。



初等部二年 7ノ月××日

 碧眼の彼が鬱陶しい。本人に悪気がないのはよくわかるけれど、軽々しく画家になって欲しいなんて、言って欲しくない。

 あのこ、苦手。



(略)



初等部三年 5ノ月×日

 君、ちゃんと笑っているよ。

 大丈夫、笑える。


 そう言って、笑いかけてくれたオリヴァーさま。


 なんと。

 彼は紫の瞳の人だった。

 碧眼の彼と同一人物だとは思わなかった。


 そんな事って、ある?

 わたくしが鬱陶しいと思っていた碧眼の彼と。

 もう一度会いたいと思っていた紫眼の彼と。

 同じ人間だったなんて。一年以上、気が付かなかったなんて。


 わたくしは色々と見落としているのかもしれない。

 (かたく)なになって、見るべきものを見落としてきたのかもしれない。



初等部三年 6ノ月〇日

 オリヴァーさま


 鬱陶しくわたくしを誘うのも、

 美しい瞳でわたくしを魅了するのも。

 欲しいことばをくださるのも。


 あれもこれもそれも。全部、彼だ。


 貴方はいつも、わたくしが欲しいことばをくれる。

 深淵の夜の淵から朝に切り変わる瞬間の、朝焼けのほんの一瞬の空の色、あの紫の瞳を持つ貴方。

 とても美しい人。


 闇を切り裂く人。

 光を連れてくる人。

 わたくしには眩しすぎて、直接本人を見ることができない。


 でも、絵なら。

 記憶の中から引っ張り出した貴方を描くのは出来るから。

 絵の中の貴方となら、じっくり見つめ合えるから。

 だから、描く。



初等部三年 11ノ月〇日

 いろいろあって日記を書くことを忘れていた。

 気がつけば、リクエストに応えて絵を描いている。

 なんと! あんなに嫌だと思っていたのに、このわたくしが、ひとのリクエストに応えて絵を描くなんて!

 好きなものを、描きたいものをリクエストされるなら、こんなにも嬉しいものなのか! 楽しいものなのか。初めて知った。

 皆がわたくしの絵を見て喜んでくれる。わたくしも嬉しい。

 嬉しいの連鎖。なんて素敵なことだろう。



初等部三年 12ノ月××日

 わたくしの描くオリヴァーさまには愛が込められてるとエルフリーデさまが仰る。

 あなたなら、わたくしも納得ですって。

 どういうことなのでしょう。



初等部三年 1ノ月〇日

 美しい殿方同士が一緒にいる光景は、なんて夢とロマンが溢れているのでしょう!

 エルフリーデさまや皆様がいらっしゃらなければ、こんな楽しみ方は知らないままでした。

 人の数だけ楽しみがあるのですねぇ。

 やはりわたくしはいろいろと見落としている。

 もっと気をつけて辺りを見回すようにしよう。



初等部三年 2ノ月×〇日

 わたくし、いつのまにか笑っている。

 皆と笑っている。みんな嬉しそう。

 あの子の笑顔が正解だと思っていた。あぁじゃなければダメだと。

 100点満点の笑顔でなくてもいいのだ。そんな簡単なことに、ようやく気が付いた。



初等部三年 3ノ月〇日

 分かってしまった。

 殿方と殿方の恋愛事情が楽しかったのは、そこにわたくし自身が介入しなかったから。

 自分がそこに入ったら、きっと、恋の悩みが自分のものになってしまう。

 誰か知らない女性に心奪われるオリヴァーさまなんて見たくない。

 それならいっそ、美しく逞しい殿方がオリヴァーさまを奪っていってしまえばいい。そうすれば、わたくしの手の届かないところ。わたくしのいない世界。どうにもならない高みにいらっしゃるのだもの。

 わたくしのモノにならなくても、致し方のないこと。

 手の届かない遠いところにいる彼の幸せを祈れる。



初等部三年 3ノ月〇×日

 アーデルハイド殿下とエルフリーデさまといつものとおり男子禁制のお茶会をしていたら、ラインハルト殿下が急に訪れた。

 慌てて畏まったわたくしたちに、楽にしてと言いつつ、その場に仲間入りするラインハルト殿下。

 わたくしたちは、なんとなく気まずくなる。どうしましょう。あなたさまの弟君をネタにしています、なんて知られたら不敬になって牢屋に入れられるかもしれない。

 ここは妹君であられるアーデルハイド殿下だけが頼りです! そう思って見詰めると、わかったわというように頷かれる。とても頼もしい!

 アーデルハイド殿下が兄上に突然の来訪の理由を伺ってくれた。

 どうやら去年の春にわたくしとアーデルハイド殿下が揉めたと聞き、お心を痛めておられたらしい。

 “揉めてなどおりません。現にこうして仲良くしておりましてよ”

 アーデルハイド殿下のはっきりとしたお言葉が有難いです。

 “そうか。では私から騒がせたお詫びとして、ブリュンヒルデ君のデビュタントではセカンドダンスを申し込もう”

 なんてお言葉には思考停止してしまった。

 断る理由もなく受け入れた。

 なんと恐れ多いことだろう。

 だが、アーデルハイド殿下から、デビュタントの令嬢は王族と踊る権利があるのだと伺い納得した。でもそれならまだ話す機会の多いジークフリート殿下の方が緊張しないだろうな、とは思う。

 ダンスステップの復習をしなければ!



高等部一年 4ノ月〇×日

 もしかしたら。

 オリヴァーさまは、わたくしに心を寄せてくださっているの?

 わたくしと踊りたいのですって。

 いつもは自信満々な方が、眉毛を下げて。

 わたくし如きの機嫌を伺っているだなんて。

 思わずわたくしの方から誘ってしまった。なんとかしてあげたい、心の憂いを取り払って差し上げたい。そんなふうに思ってしまったから。

 これが母性というものなのかしら。


 でも、あとから気が付いた。

 なんて恥ずかしい申し出をしたの! 自分から殿方にダンスを申し込むなんて! なんて、はしたないの、わたくしは。

 あの場は喜んでくださったけど、はしたない女だと呆れられていたらどうしよう。



高等部一年 9ノ月×日

 イザベラからリクエスト。

 懐中時計のふた裏にわたくしの肖像画が欲しいという。オリヴァーさまへの年越し誕生プレゼントにすると言う。

 わたくしの描く、わたくしの肖像画?

 鏡が必要じゃない!

 大丈夫なの? 鏡を見ながら自分自身に問い掛ける。

 自分を描くなんて初めてだ。



高等部一年 9ノ月×〇日

 デビュタントの夜会で。

 全てがキラキラ輝いていた。初めて見る王宮の内部は素晴らしかった。じっくりと絵に描いてみたい。

 キラキラの王宮にキラキラのイザベラはとてもよく似合うと思う。

 初めて近くで拝見した国王両陛下。あまりにも神々しくて膝が震えた。

 約束していたラインハルト殿下とのダンス。ステップのことばかり考えていたら殿下に笑われた。もっと気楽にねと言われたけど“気楽”がなんなのかさえ朧気だった。ヒルデガルドさまの(もと)に戻って、やっと喉が渇いてることに気が付いた。オリヴァーさまがさりげなくわたくしに果実水の入ったグラスを渡してくれたから。

 彼はいつもわたくしに気を遣ってくださる。

 今日も疲れているだろうからってテラスで休憩させてくれた。

 あんなにわたくしと踊ることを望んでいらしたのに。

 自分のしたいことよりも、わたくしの事情を優先してくれる。

 優しい人。


 その場で求婚された。

 婚約者に俺を考えてって。選択肢が途方もなくあるだろうって。

 なにそれ?

 オリヴァーさまには悩んでいいって言われたけど、わたくしに求婚してくれる殿方なんて、他にはいない。

 たぶん。


 その日、オリヴァーさまの足を何度も踏んだ。

 焦れば焦るほど、踏むようになっているのかもしれない。

 オリヴァーさまが終始いい笑顔だったのが救いかも。



高等部一年 12ノ月×日

 王都に来た父に質問した。

 わたくしと結婚して、うちの婿になりたい、なんて申し出はあるのかと。

 答えはいくつか受けている、とのこと。そして年末の年越しパーティのパートナーをロイエンタール侯爵経由でオリヴァーさまから依頼されている、とも。

 了解と返答してもいいかと問われ、諾と言った。イザベラから頼まれた懐中時計はできている。それを年越しパーティで渡そうと思う。



高等部一年 1ノ月×日

 オリヴァーさまは体調不良のため、夜会に出席しなかった。がっかり。

 ロイエンタール侯爵家の皆々さまからとても気を遣われた。

 とてもダンディな侯爵閣下から見事なお花を直接いただき、侯爵夫人お手製のわたくしの名前入りのレースのハンカチをいただき、クラウス次期侯爵さまから有名パティシエ作の焼き菓子をいただき、イザベラから自分とお揃いだというブローチを貰った。

 あとで知ったがこのブローチ、ロイエンタール侯爵家の家宝級の宝石だった。

 イザベラ、そんな恐ろしいものをホイホイと簡単に渡さないで欲しい。そしてご家族のみなさまも、見過ごさないでいただきたい。その場にいたのに、ご覧になっていたはずなのに、皆さま見事に何もおっしゃらなかった。

 あとでイザベラが怒られていなければいいけど。

 ダンディな侯爵閣下が“不肖の息子からはこれを”といって渡してくださった箱にはマグノーリエのコサージュが入っていた。

 マグノーリエは我がクルーガー家の家紋として使われる我が家の象徴。

 とても、嬉しかった。



高等部一年 2ノ月××日

 父からの手紙が鬱陶しい。

 “オリヴァー君みたいな優秀な子は他にいないよ。早く返事をしないとすぐ貰い手がつくよ”

 なんて、犬の仔じゃあるまいに。



高等部一年 3ノ月××日

 卒業式。

 エルフリーデさまがご卒業された。わたくしが渡したスケッチブックは家宝にすると仰っていた。それは止めて欲しい。

 そして、“貴女なら、オリヴァーさまを譲っても良くてよ”と言って貰えた。

 “逆に貴女以外なら納得しないわ”とも。


 返事をしてもいいのだろうか。



高等部二年 5ノ月×日

 とうとうイザベラに渡してしまった。

 マグノーリエのコサージュが嬉しかったから、マグノーリエを模した象嵌細工のロケットペンダントを作った。その中にオリヴァーさまの肖像画を入れた。オリヴァーさまの絵の後ろに自分の絵も入れた。

 ずっとお側に居させてください。

 そんな気持ちを込めた。

 実はこのペンダント、自分用にもう一つ作った。烏滸(おこ)がましいが、お揃いにしてしまった。中にはオリヴァーさまの肖像画。後ろは空白。

 もしかしたら、ここにはわたくしたちの……。早計だ。まだわからない。

 イザベラには“テストが終わったら渡すわね”と言われた。先に渡したらとてもテストなんて手に付かないだろうから、と。


 父にも返事を出さなければ。



高等部二年 8ノ月〇日

 婚約の手続きが、あれよあれよという間に済んだ。どうやら両家では内々に話が済んでいたようだ。わたくしの決意待ちだっただけで。

 人目につくことを良しとしなかった我が家の事情に、ロイエンタール家を付き合わせてしまい、申し訳なかった。


 我が家は国の経済の根源を支える魔石が採掘される土地と世間では認識されている。だが実際は採掘されない。魔石から魔鉱石になる過程を担っているだけだ。そして使い終わった魔鉱石に、またエネルギーを再注入する施設を持つ。この技術は王妃さまのご実家、ベッケンバウワー公爵家の天才科学者ルークさまが開発した技術。この秘密を守るために、ある程度の能力のある次代が必要だった。

 技術を理解する頭脳、自分の身を守れるだけの武術。そして口の堅さと社交界を渡れるだけの表向きを装うことができる強かさ。そのどれをも併せ持つオリヴァーさまは父のお眼鏡に適ったらしい。


 大切にしたい次代を害されては堪らない。

 わたくしの婿は生半な人間には務まらないのだ。

 もし、オリヴァーさまという人材がいなかったら、恐らく領地で施設運営に携わっている家門の人間が選ばれたと思う。それだけ我がクルーガーはよそ者を拒む土地でもある。そんなところでオリヴァーさまのような人間は生活していけるのだろうか。



高等部二年 8ノ月△日

 ロイエンタール家滞在中。

 夜の庭園は昼間の暑さを感じない。涼しい風が吹き心地良かった。

 オリヴァーさまとふたりで庭園を散策した。

 オリヴァーさまの真摯なお心をいただいた。


 嬉しい。


 でも、くちづけのひとつくらい、と思ってしまったわたくしは、はしたない女なのかもしれない。



◇◇◇◇◇◇



 荷物整理をしていたわたくしは、学生時代の日記帳を発見しました。

 中を見れば懐かしく、そしてあまりにも子どもだった日々を思い出します。心の中に浮かんだことばの羅列をただただ綴り、そこに気持ちを発散させていました。


「わたくし、昔はオリヴァーさまのこと、鬱陶しいと思っていたこともあったのね」


 今もたまに、思うけれど。

 でもあの時とは種類の違う“鬱陶しさ”。


 だって。


 わたくしの愛情を疑うことはないけれど、ご自分の子どもと張り合うのは如何(いかが)なものかと思いますのよ?


 オリヴァーさま。

 わたくしの最愛の旦那さま。

 胸元からロケットペンダントを取り出して、蓋を開けばそこにあるのは若かりしころの旦那さまの肖像画。スライドさせれば小さな子どもたち。わたくしの愛すべき者たち。


 あんなにも心配していたのはなんだったのだろうと思うほど、オリヴァーさまはあっさりとクルーガーの土地に馴染みました。施設の人間にも信頼され、今ではすっかり領主としての重責を担っています。

 わたくしは彼の希望を聞き入れ、毎日好きな絵を描いています。わたくしの描く絵は、エルフリーデさまが経営する画商をとおして売られています。リクエストどおりに描かない頑固な画家として、それなりに売れていますのよ。ふふっ。萌え絵だけでなく、普通の風景画も売れてますわ。

 そういえば、創立記念祭で着たドレス。

 イザベラったらプライベートでたまに着てくれているらしいのよね。そのお陰でドレスの図案依頼も来るし、こちらとしては有り難い限り。持つべきものは広告塔たる親友だわ。――なんてね。


 さて。

 学生時代の思い出に耽っているのもいいけれど、いい加減始末しなければなりませんね。数あるスケッチブックの中身は、おおよそ若かりしころの旦那さまだけど、一部、旦那さま以外の筋肉の素晴らしい殿方のみのスケッチブックもあります。騎士科の皆さまのお身体を観察したのは、とてもいい勉強になりましたね。

 こんな昔のスケッチ、本当に売れるのかしらと思案しつつ、エルフリーデさまにいつもどおり売却依頼の手紙をしたためたいと存じます。


 みなさま、ごきげんよう。

 いつかまた会う日まで、お健やかにお過ごしくださいませ。




【おしまい】


ここまでのお付き合い、ありがとうございました。

m(_ _)m

☆の評価を頂ければ幸いです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 砂臥 環 様 のイラストを脳内発生させて楽しく拝読しました♪ オリヴァー格好良かったです! 剣術試合はとても迫力がありました! どの登場人物もキャラが立っていて、それぞれ良いキャラだなぁと…
[一言] 可愛い──────────!!!!!
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