■scene 4-3■
■scene 4-3. 盲目の信者は幻想に縋るよりほか術を存ぜず■
煤んだ青空が広がっていた。遠くには巨大な魔物の姿が見え、近くには罵倒し続ける怪鳥があった。飽きもせず、阿呆々々と煩かった。
結局のところ、ヨハンは変装などせずに、真正面から商団との接触を試みた。その、接触まで数日の間といえば、ヘンリエッタが焚書の対象とした書籍や文書の目録、種々の書類作りに忙殺され、大司教への報告も儘ならかったほどだった。左の義手の整備にオイルを注すことさえ出来ず、少し、軋んでいた。その軋んだ音を隠したいのか、両手に手袋をはめていた。
「ああ、恵に感謝せざるを、得ません、ね。」
商団が帝都の門を潜ってしまえば、それぞれ散ってしまう。であれば接触の機会は、帝都の入門審査のために待機している間だと決めていた。その待機の場、門の前は軍隊の整列なども行われるため、かなり大きな広場となっていて、商団は比較的中央付近にまとまっていた。
ヨハンが活気が有ると口にしたのも無理はない。商団にいち早く接触を試みる、下心を隠さない商人や、物見遊山の人影が見える。その中に混じって、教会の者として正しく喜捨を求めに参った、というのがヨハンの筋書きである。
「……おや、帝都の神父さまかい?」
長身痩躯のヨハンに声をかけたのは、いかにも行商人という風体の、荷馬車の御者台に座った小肥りの男だった。御者台が低いのか、行商人の男の身長が低いのか、猫背のためか、視線の高さはヨハンと同じくらいであった。
活気のある商団の中にいて、商談を持ち掛けられていない様と、麦が詰まった袋だと思われる積み荷を見るに、徴収した税を運んでいるのかもしれない。
「ええ、ええ。サン=パトリツィア・デル・フィオーレ街の、教会で、司祭を任されている、ヨハネス・コルネリウスと、申します。」
「そうでしたか。」
男の、話ながら帽子を取る様子から、ヨハンを世間話の相手と見たか。おそらく、長らく暇だったのだろうことが想像された。
「所用で近くに参った帰り、遠くから見える6気筒機関の白煙です、から。ついでとばかりに、立ち話でも、と。」
「なるほど。……では花街に参る際には、出会いを期待したいですから、立ち寄らせてもらいましょうか。」
「教会は、常に迷える信徒に門扉を開いております、が、迷いを求める信徒はいつだって、外の世界に答えを求めているもの、でしょう、ね。」
「はぁ、はぁ。なるほど?」
「出会いに迷われるならば、いっそ、迷うことを楽しむのも、良いでしょう、ね。」
言外に、そういった理由で教会に来るなと告げるヨハンは、丸眼鏡の奥で眼光を鋭く、周囲を見ていた。すでに、この商団に潜む違法奴隷商人の下に、情報は伝わっている。ヨハンの姿を認めたところで馬脚を顕すような間抜けではないだろう。
だとしても、ささいな違和感を捉えることができれば、あるいは違法奴隷商の組織を、芋づる式に掘り起こす糸口を得られるかもしれない。
「司祭さまの説教は難しくて敵いませんな。」
「そうでしょう、か。」
「ええ、まあ、私のような一介の荷運び屋は、学が無いもので、算盤を叩けたことが唯一の幸運ってものでして。」
商人風の男は、言って肩を竦める。
「ぼったくられないのだけが、取り柄になっちまいましたよ。」
「そうです、か。」
ヨハンの目には、奴隷商が3組いるように見えた。その、遠くを眺める仕種を、小肥りの男はなんだと思ったか、同じく視線を辿って、頷いてみせた。
「司祭さま。」
「はい。」
「確か、歓楽街の近くの教会の、司祭さまだって言ってましたか。」
「ええ。」
「……あの中の、誰かがいつか、司祭さまの下に来ないと、良いですねえ。」
「いい出会いが、あることを願うばかりです、ね。」
小肥りの男は悟ったのだ。ヨハンが、これから花街にやって来るかもしれない娘たちの顔を、先に覚えておくために来たのだと。ゆえに、男はそっとヨハンから距離を置くような仕種で以って、ヨハンと別れるのであった。ヨハンも、足が赴くままに任せて男と別れる。
小肥りの男の予想も、あながち間違いではなかった。確かに、様々な理由から、花街を抜け出して教会に駆け込む奴隷は、いる。そして職業柄、ヨハンはそういった娘たちの世話をすることもあった。それでも、毎回見に来る、などという助祭が陥りがちな、純朴な正義感を持ち合わせてはいなかった。
単純に、その姿が純朴な助祭の姿に重なるほどであったのだ。
では、ヨハンは何を見ていたか。それはやはり、娘たちであった。およそ、娘たちでさえ、自身が違法奴隷として売り飛ばされるとは想像していないだろう。その日は、突然やってくるものだ。しかし、今はその売り飛ばす先が騒がしい。違法奴隷商も、ヨハンとアリスが起こした騒動が収まるまで、違法奴隷として予約が入っている娘を売り払うことができない。
結果、偽装のために連れて来た男ばかりが先に売れていく奴隷商が残るハズだった。逆説的に、眉目麗しい娘を早くに売った奴隷商は、健全な奴隷商である、ということである。そして、違法奴隷として売ることができない間が長ければ長いほど、娘たちの生命も永くなっていくのだ。それを知っているから、ヨハンはじっと娘たちの顔を見て、覚えた。
そして、そのヨハンの姿を奴隷商もまた、盗み見ているハズだった。しかし、娘が売れずに残って、愉快なのはヨハンだ。違法奴隷商は、娘が売れずに残る期間が伸びれば伸びるほど、自らの首に縄がかかって、しかもそれが絞まっていくような姿を幻視するだろう。そのために、いずれ別の謀りを用意して対処するより他は、ない。
それを、用意させる期間でさえ、ヨハンにとっては貴重な、違法奴隷商を追い詰めるために充てられる時間となる。
二つ三つ、ケープをはためかせる風が吹いて、ヨハンは懐から櫛を取り出して、髪の毛の乱れを整える。長身痩躯のミドルエイジの、様に入った手つきは、指揮棒を振るかのごとく軽やかで、はっと息を飲ませるような仕種であった。
そんな折、ヨハンに近づく者があった。
「あっ! 神父さま!」
声の主は、ヨハンの鳩尾ほどの背の少年であった。少年は、いかにも地方の都市から歩いてきたと言わんばかりの、使い込まれた旅装束だった。しかし、その色使いや布の織り目などが時代遅れで無いところを見るに、イェリンガの、もしくは交易中継都市コロナの市民ではないかと考えられた。
「どうかしました、か?」
先までの鋭い眼光を収め、ヨハンは努めて優しい視線を心掛けた。己が心の在り様など、信徒には無関係のことである。神父は、いつだって神父で在らねばならなかった。
「僕は、アーサー! 姉さんに会いに来たんです!」
少年は、溌剌と答えた。くりくりとした目の、半隣人であった。髪の毛が特徴的にフサフサとしている他は、耳がわずかに獣じみている、と言う程度の半隣人であった。
ヨハンの姿を認め、帝都の神父であるなら姉の事を存じているのではないか、という、狭い都市での思い違いから、ヨハンに訊ねたのだ。同じく半隣人であるが、ほとんど人間と変わらぬ見た目だという姉は、見習いとして帝都の教皇庁にいるという。口調は、逸る気持ちを抑えられず、期待が声に乗って、昂揚したような歓喜と、僅かな不安のような色が見えるかのようだった。
アーサーは、半年前に姉に、成人したら帝都に遊びに来ないかと誘われた。それは、労働奴隷として教会に雇われ、1年間の労役から解放され、正式に修道女として教会に入るという、姉の節目を祝うためでもあった。そしてアーサーはこの前ちょうど成人を迎え、両親に見送られて、知り合いの商人と共に帝都までやって来たという。
「ああ、そういえばまだ、姉さんのことを聞いていませんでした、ヨハン司祭さま。」
「ええ、いえ。構いません、よ。」
「はい、僕の姉さんは、ミーシャ・ロウ。確か、ザルトリアス様という偉いお方の下で、」
「ミーシャ・ロウ!?」
ヨハンは、柄にもなく驚きを隠せなかった。
それは、例のリストにあった、名前のわかる数少ない犠牲者の一人で、すでに、尊厳を穢され、この世の生を奪われ、そして魂の抜け殻すら辱められて、蛆虫の苗床になって朽ちかけていた、少女の名前だった。
同時期に捕らえられ、辛うじて生を保てた子らが、忘れまいと覚えていた幾人かの者たちの一人だった。
すでに、聖母葬が執り行われ、遺灰を風に紛れさせる最上の日和を待っているところであった。
「知っているのですか!」
その、弾けるような笑顔に、ヨハンは、何と告げたら良いのか、皆目検討がつかなかった。願わくば、アーサーと出会う前に戻り、そして奴隷商と共にあった娘らの顔を覚えたところで踵を返したかった。
ヨハンは、自身の口が告げたとおり、外に惑ったから、運命がアーサーに出会わせたのだ。
~to be continued~







