朽ちた喫茶店と第一王子と婚約破棄
◇
王国劇場から少し離れた所にある建物の中。
かつて王都の人達が紅茶を飲むために酷使していた店の中で、私──エレナは時間を潰していた。
(魔王、何処に行ったんだろう)
サンタと話し合う前、時計塔最上階で起きた出来事──魔王と話し合った事、彼の手を握った事──を思い出す。
あの後、魔王は再び姿を眩ませた。
彼が何処にいるのか、そもそも何を考えているのか一切不明。
感覚を尖らせても、魔王の『ま』の文字さえ嗅ぎ取れなかった。
もしかしたら、もう二度と私の前に姿を現さないかもしれない。
そんな事を考えながら、錆びた鉄椅子に腰掛ける。
かつて人で賑わっていたであろう店内は静寂と埃によって覆われていた。
もう二度と本来の用途で使われる事はない店内を眺めながら、息を吸う。
錆びた空気が肺の中を満たした。
(まあ、魔王の事は後でいいとして……今は第三王子……いや、『必要悪』をなんとかしないと。このままじゃ、誰も救われない)
強引に思考を切り替える。
と言っても、今の私にできる事は殆どなかった。
(サンタが準備している間に、私も対策を練らないといけないんだけど……情報が少な過ぎる上、できる事も限られているから、何をどうすれば……)
第三王子……あの黒くて大きな蛇は底どころか手の内を見せていなかった。
ただ膨大な魔力で私達を潰そうとしていただけで、技を使うどころか頭さえ使っていなかった。
多分、あの雑な動きで私達を倒せると判断したから、第三王子はあんな動きをしていたんだろう。
『彼』が雑な動きをしていなかったら、逃げ切る事さえできなかったんだろう。
第三王子との戦闘の際、サンタに任せっきりだった自分に腹を立てる。
幾ら力の差があるとはいえ、私にもできる事があった筈だ。
なのに、私はそれをやろうとしなかった。
いや、できる事が何一つ思いつかなかった。
今もできる事が何一つ思いつかず、サンタに全てを押しつけている。
このままじゃいけない。
でも、何をしたらいいのか分からない。
どうやったら、第三王子との力の差を埋められるのか皆目見当つかない。
(……でも、これは私の挑戦だ。幾ら私の実力が足りないとはいえ、この挑戦をサンタに譲りたくない)
私の手で異形と化した第三王子をメチャメチャにしたい。
この浮島の危機とか、第一王子達の身の安全の確保とか、浮島の大地が朽ちかけているとか、全部どうでもいい。
私は、私の愉しみのためだけに、圧倒的な力を持つ第三王子をメチャクチャにしたい。
第三王子という挑戦を乗り越える事で、今以上に美し(つよ)くなりたい。
そんな不謹慎な事を思いながら、私は今にも朽ち果てそうな店内で時間を潰す。
近い将来訪れる第三王子との決戦に備え、私は対策を練り続ける。
その時だ。
包帯男が埃塗れの店内に入ってきたのは。
「……時間をくれ。話がしたい」
そう言って、包帯男──第一王子アルベルト・エリュシオンは私に声を掛ける。
私は『どうぞ』と告げると、自分が座っている椅子を彼に譲ろうとした。
「いや、いい。そのまま座っててくれ」
小さくなった私の身体を見下ろしながら、第一王子は壁に寄りかかる。
まだ魔王にやられた傷が回復していないらしく、彼の身体から疲労や痛みといった匂いが滲み出ていた。
「……まだ傷が治っていないのでは。無理したら、傷の治りが遅くなりますよ」
「敬語はいい。今の俺はただのアルベルトだ。王族でも貴族でも、お前の婚約者でもない」
第一王子──否、アルベルトは辛そうに息を吐き出すと、自嘲するかのように包帯塗れの身体を私に見せつける。
それを見て、私は思った。
何故か思ってしまった。
『この人と話すのは、これで最期になる』、と。
「で、何の用?」
「どうしても聞きたい事があってな」
「それは今聞かなきゃいけない事なの」
「ああ」
私が敬語を使っていないにも関わらず、アルベルトは不快感を示す事なく、言葉を紡ぎ続けた。
その姿を見て、『ああ。これは私が知っている第一王子じゃないな』と思ってしまう。
でも、彼の変化は私の心を動かす程じゃなかった。
「お前、戻ってくるつもりはないだろ」
「……何でそう思ったの」
「何となくそんな気がするんだよ。お前は俺達の下に戻って来ない。俺達の手が届かない、何処か遠くに行ってしまうんだなって」
「…………」
「別にお前が死ぬとは思っていない。負けるとも思っていない。けど、何となく二度と会えなくなるような気がするんだよ。だから、最後に聞いておこうって思ってな」
アルベルトの指摘を否定できる程、私はできた人間じゃなかった。
「……」
先ほどサンタは言っていた。
アルベルト達──私以外の生き残った人達を浮島ここから追い出す、と。
アルベルト達を別世界に送りつける、と。
浮島よりも条件の良い所に移住させる、と言い切った。
もし。
もしもサンタの試みが上手くいったら。
異形と化した第三王子を倒し、アルベルト達の生存が確定したら。
彼等は移住先で新しい生活を営むだろう。
移住先は彼等に様々な試練を課すだろう。
彼等は生き続けるため、移住先に適応しなきゃいけなくなるだろう。
浮島ではない新天地で新生活を営む第一王子達を想像してみる。
彼等を支える私の姿も想像してみる。
彼等の新生活を支えるという挑戦は、そこそこ面白そうだった。
(でも、……)
もし。
もしも第三王子──必要悪を倒した先に、挑戦があったら。
新天地に移住した彼等を手伝うという挑戦よりも、もっと面白い難関かつ困難な挑戦があったら。
私は──
「なぁ、エレナ」
アルベルトの視線が私の方に向けられる。
生まれて初めて、彼の事をちゃんと見たような気がした。
もしかしたら、先代聖女に記憶を消されただけで、アルベルトを直視した事があったかもしれない。
でも、今の私の脳味噌に彼を直視した記憶は残されていなかった。
「お前、何で人を助けているんだ」
「美し(つよ)くなりたいから」
彼の疑問に即答する。
彼は『どういう意味だよ』と呟くと、少しだけ歓喜の匂いを身体から漏らした。
「自分のため……いや、自分の愉しみのためって言ったらピンと来るかな。私にとって聖女の仕事は、……人を助けるって行為は、ちょうどいい挑戦だったんだよ」
「………」
私の答えを聞いて、第一王子は黙ってしまった。
私の目をじっと見つめたまま、自嘲するかのように身体の筋肉を緩ませる。
そして、溜息を吐き出すと、彼は言った。
「……なるほど。俺はお前の挑戦になれなかったんだな」
「挑戦になりたかったの?」
「お前に見て欲しかっただけだ」
そう言って、アルベルトはそっぽを向く。
包帯の下に隠れた火傷の痕が疼いているのか、彼はちょっと辛そうに息を吐き出していた。
その姿を見て、私は掴む。
必要悪……いや、第三王子に有効的な一手を。
「…………ある程度、落ち着いたら、俺、告白しようと思っている」
「誰に? 知らないだろうけど、貴方が結婚しようとしていた次期聖女は……」
「とっくの昔に次期聖女には振られている。俺が告白しようと思っているのは、レベッカだ」
侍女レベッカの名前を挙げながら、アルベルトは私の目を一瞥する。
そして、照れ臭そうに明後日の方を見ると、『色々あったんだよ』と呟いた。
「……魔王が復活して、国王との縁を切ってから、アイツは……レベッカは俺の事をずっと見てくれた。王族じゃない、ただのアルベルトになった俺を、な。だから、俺は応えなきゃいけない」
「応えなきゃいけない、なの?」
「………応えたいと思っている」
私は『そう』と呟くと、『これから色々あるだろうけど、頑張って』と告げる。
「だから、その……アレだ。──エレナ、お前との婚約を破棄させてもらう」
かつての自分を嘲笑うかのように、凛とした声でアルベルトは私の視線を惹きつける。
「お前は俺に相応しい人間ではない。よって今この時をもって、お前との婚約を破棄し、お前から聖女の肩書きを剥奪する」
「そう。で、これから、貴方はどうするつもりなの」
流れに逆らう事なく、私は茶番に付き合うため、王子に疑問を呈する。
彼は鼻で笑うと、私の疑問に答えた。
「俺が考えなしでお前を辞めさせると思ったのか? これからの事は、ちゃんと考えている」
「本当?」
「ああ、今回は本当だ。ちゃんと考えている。……上手くいくかどうか分からないけどな」
そして、アルベルトは私に背を向ける。
埃っぽい喫茶店から出るため、火傷塗れの身体を動かす。
それを見て、これが今生の別れになる事を感覚的に理解した。
「お前は聖女でもなければ、俺の婚約者でもない。だから、好きに生きろ。俺達の下に来たければ、来ればいい。遠くに行きたければ、行けばいい。もう浮島は滅びた。お前を縛るものは何処にもない」
ぎこちない足取りで、アルベルトは喫茶店の外に向かう。
振り返る事なく、弱々しい姿を惜しみなく晒しながら、アルベルトは喫茶店の外にいるレベッカの下に向かう。
敢えて私は彼に声を掛けなかった。
理由は至って明瞭。
もうその必要はなかったから。
「じゃあな、エレナ。できる限り長生きしろよ」
アルベルト──第一王子だった男の匂いが遠退く。
私はそれを知覚しながら、椅子に体重を預けると、ゆっくり目蓋を閉じた。
これから来る終わりに備えるために。
──必要悪が王都に到着するまで、残り三十分。
いつも読んでくれている方、ここまで読んでくれた方、ブクマ・評価ポイント・いいね・感想を送ってくれた方に感謝の言葉を申し上げます。
公募小説に応募するので、来週の更新はお休みします。
次の更新は10月9日(水)20時頃にする予定です。
完結まで残り僅かですが、最後までお付き合いよろしくお願いいたします。




