封印されている記憶と『それよりも』と生きた屍
◇
『どうしたんですか、エレナ』
一瞬、ほんの一瞬だけ先代聖女の声が脳裏を過ぎる。
『また嫌な事があったのですか?』
頭の中に辛うじて残っていた先代聖女が幼い頃の私の頭を撫でる。
『大丈夫、嫌な事はすぐ忘れますよ』
先代聖女の掌から生暖かい魔力が流れ込む。
『だから、目を瞑って。大丈夫、明日にはアリレルから受けた嫌がらせを全て忘れる事ができますよ』
先代聖女から頭を撫でられる度、嫌な記憶が薄れていく。
そして、先代聖女の胸に身体を預けると、私は睡魔に身を委ね──
◇
「──っ!?」
白昼夢から解放された私は首を左右に振る。
さっきの夢は何だったのだろう。
それを考察するよりも先に、私の頭を撫でたデカいワンちゃん──元騎士が口を開く。
「なるほど……封印されているのか」
「封印? どういう事ですか?」
「──誰かさんの手によって、嬢ちゃんの記憶の一部は封印されているんだよ」
先陣を切っていたサンタが振り返る事なく、私達に事実を突きつける。
「今まで伏せていたが、この際だ。敢えて言わせてもらう。今の嬢ちゃんはな、一部の記憶を思い出せない状態に陥っているんだよ」
衝撃的な事実がサンタの口から飛び出る。
衝撃的過ぎて、私は思わず目を見開いた。
えー、ちょービックリー。
「……ミスター・サンタクロース、なぜその事実を今まで黙っていたのですか? いや、貴方はいつからその事実に気づいていたんですか?」
「嬢ちゃんと出会った時点で気づいていた。一部の記憶が封印されているのは、一眼見ただけで看破できたからな。今まで黙っていたのは、言っても意味がなかったからだ」
第三王子の質問に淡々と答えるサンタ。
第三王子は怒りと敵意の匂いを放つと、腰に着けている神造兵器に手を伸ばした。
「……ミスター・サンタクロース、貴方なら彼女の封印されていた記憶をどうにかできた筈だ。なぜ今まで何もしなかったのですか?」
「封印されている記憶の中身が分からないからだよ。俺が分かったのは、一部の記憶が封印されている事実だけだ」
「………」
第三王子の身体から匂いが放たれる。
彼から放たれる匂いは怒気と嫌悪が入り混じっていた。
「その封印されている記憶が何なのか分からない以上、迂闊に手を出す訳にはいかねぇ。その記憶が嬢ちゃんにとって良くないものである可能性も考えられるからな」
「……そう、ですね。ミスター・サンタクロースの言う通りです。にしても、誰がミス・エレナの記憶に細工を……」
サンタの言葉を嫌々飲み干しながら、第三王子は顔を歪める。
私はというと、特に何とも思わなかった。
「あ、あの、第三王子、そんなに考え込まなくても大丈夫です。仮に一部の記憶が封じられていたとしても、私は私ですし」
たとえ記憶を弄られたとしても、私は私だ。
これからに支障は出るかもしれないが、『今』に支障が出る訳じゃない。
そもそも、封じられた記憶も、記憶が封じられた事実も、全て過去の話だ。
過去は変えられない。
今や未来とは違い、変えられるものじゃない。
それに今は私の記憶如きでとやかく言っている場合じゃない。
魔王や異形、そして、黒い龍とやらの所為で、多くの人が困っている。
今の私は聖女ではない。
が、この状況を見過ごす程、私は人でなしではない。
「それよりも、この状況を何とかしましょう。私の記憶よりも魔王や黒い龍を先に片付けないといけません。早く何とかしないと、もっと犠牲者が出てしまいます」
複雑そうな表情で私を見つめる第三王子と元騎士。
サンタはというと、不適な笑みを浮かべるだけで、何も言わなかった。
◇side:元騎士
『それよりも、この状況を何とかしましょう。私の記憶よりも魔王や黒い龍を先に片付けないといけません。早く何とかしないと、もっと犠牲者が出てしまいます』
隣を歩く聖女を横目で見つめる。
自分の頭の中が弄られているにも関わらず、聖女は『それよりも』の一言で終わらせてしまった。
……理解できない。
弄られているんだぞ?
自分の頭を、記憶を。
なのに、それを『それよりも』の一言で終わらせていいのか?
隣を歩く聖女を横目で見続ける。
星のように煌めく彼女の瞳には、目の前の脅威しか映っていなかった。
……理解できない。
本当に聖女の事を理解できない。
一体、聖女は何を考えて生きているんだ?
(もしかして、この人は……壊れているのか?)
記憶を弄られた所為なのか、それとも最初から壊れているのか。
どっちにしろ、聖女エレナの精神は普通ではない状態だった。
(……この人に、縋っていいんだろうか)
聖女エレナの事、これからの自分の事、憧れ、王族貴族への恨み、現状、犯した罪、様々なものが頭の中を埋め尽くす。
今の自分は間違っていないのだろうか。
これからの自分はどうなるのだろうか。
聖女エレナ達に着いていくのが正解なのだろうか。
私はこれまで通り騎士団長のような騎士を目指すべきなのか。
様々な疑問が私の手脚に縋り付く。
考えなきゃいけない事が多過ぎて、何から考えたらいいのか分からなかった。
歩いて、歩いて、歩き続けて。
道中、何度か聖女エレナと言葉を交わして。
私達は今にも朽ち果てそうな遺跡に辿り着く。
聖女エレナの声を聞き流し、サンタと呼ばれる赤い服を着た男性と第三王子の口喧嘩を聞き流し、私は彼等と共に遺跡の中に足を踏み入れる。
歩いて、歩いて、歩き続けて。
遺跡の最奥部。
かつてこの浮島を建国した国王が使っていた王間に辿り着く。
そこには第二王子と高等騎士十数名、そして、騎士団長が鎮座していた。
サンタと聖女エレナが第二王子と言葉を交わす。
第三王子と騎士団長が言葉を交わす。
私はそれをじっと見つめながら、頭の中にある数多の疑問を抱えたまま、口を閉じ続けていた。
「んじゃあ、死刑」
私を指差した第二王子の口から言葉が漏れ出る。
何故か知らないが、第二王子の言葉が私の耳に届いた。
さっきまで聖女達の声は聞こえていなかったにも関わらず、第二王子の声だけが私の耳に届いてしまった。
「見た目がキモい。騎士団長、さっさとあの犬みたいなヤツを殺して」
第二王子の言葉が私の頭の中を駆け巡る。
気がつくと、私の手脚は真っ赤に染まっていた。
聖女と第三王子の声が聞こえてくる。
彼等の言葉の意味は理解できなかった。
足下に散らばる高等騎士達の死骸と、目の前で右目を押さえる騎士団長の姿が、私の視線を惹きつける。
私の憧れの存在だった騎士団長は、血に塗れた私の姿を見ると、怯えた顔で、私を仰ぎながら、引き攣った声を、発した。
「やっぱ、化け物じゃないか」
騎士団長の言葉が脳を揺さぶる。
気がつくと、私の視界は真っ赤に染まっていた。
◇
「なっ……!?」
今の今まで押し黙っていた元騎士が暴れ始める。
彼は無造作に床を蹴り上げると、腕力だけで高等騎士数名を戦闘不能状態に追いやった。
「ひぃ!!」
第二王子の短い悲鳴が、騎士団長の驚きの声が、第三王子の冷めた視線が、サンタの溜息が、かつて王間だった空間を満たし始める。
「があっ!」
高等騎士の頭蓋骨を踏み砕く元騎士の瞳が、私の視線を惹きつける。
彼の瞳は黒く澱んでいる上、粉々に砕け散っていた。
(ああ、そうか)
楽しそうに人の命を殺める彼を見て、私はようやく理解する。
彼が、いや、彼だけじゃない、ジェリカもヴァシリオスも商人も、みんな異形になった時点で壊れていた事を。
(サンタは気づいていたんだ。彼等の中身が壊れている事を)
『オーガ(そのすがた)になった時点で、そいつらは死んでる。そいつらは生きた屍なんだよ』
初めて会った時──息絶える商人を見つめながら呟いたサンタの言葉を思い出す。
私と違って、サンタは一眼見た時に気づいていたのだろう。
異形と化した人達の精神が壊れている事を。
彼等を突き動かす狂気が一時的なものじゃない事を。
オーガと化した人達の価値観が、精神構造が、私達のものとかけ離れている事を。
「どうやら黒い龍──必要悪から与えられた力は、身と心を歪ませるみてぇだな」
騎士団長を襲おうとする元騎士。
サンタは何処からともなく鐘を取り出すと、一瞬で元騎士の身体を氷の中に封じ込めた。
「イースト病とやらと同じだ。力を長期的に摂り(つかい)続けてた所為で、症状が悪化してしまっている。そして、イースト病と違い、力を除去する方法も時間も俺達は持っていねぇ」
デカい犬と化した元騎士を纏う氷にヒビが入る。
氷の中にいる彼の瞳が狂気によって歪み落ちる。
それを見た途端、私は理解してしまった。
もう彼が手遅れである事を。
「嬢ちゃん、覚悟を決めろ。──今の俺達じゃ、誰も救えない」
サンタが事実を呟いた瞬間、氷の中から畜生と化した元騎士が飛び出る。
私は息を短く吐き出すと、元騎士の方に身体の正面を向けた。
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次の更新は10月18日(水)20時頃に予定しております。




