売女と「生きるために必要な殺し」と限界
◇
事実を述べよう。
飾り気のない言葉で事実を述べよう。
私──エレナ・クティーラの母は売女だった。
娼婦の巣窟に生息する寄生虫のような女。
肉欲に溺れ、男と交わるだけの日々を過ごす淫売。
金と肉棒に目が眩み、男を誑かしては、自分の肉体を消耗していくだけの刹那的な女。
それが私の母だった。
父は不明。
母曰く、私の父はこの浮島にいる人だったら、一度は聞いた事がある有名人である可能性が高いらしい。
『多分、貴女はあの男の子どもよ』
私の髪を撫でながら、母は淫らな笑みを浮かべる。
男の人の体液と母自身の体液、そして、高価な香水の臭いが母の手に纏わりついていた。
『この綺麗な髪はね、彼の血筋特有のもの。少なくとも私達の血じゃないわ。良かったわね、エレナ。貴女は『特別』になれるかもよ』
くすくす笑いながら、母は口から肉棒の臭いを漂わせる。
多分、私が匂いに敏感になったのは母の淫臭の所為だろう。
意識しないと他の臭いを嗅ぎ取れない程、母の放つ臭いは強烈かつ刺激的なものだった。
『貴女にエレナって名前はね、ヘレナ……ううん、ヘレネっていう神代の女性の名が由来なのよ』
私は母の生き方が好きだった。
環境や状況に応じて、上手に生き、上手に欲を満たす母の動物的で刹那的な生き方が好みだった。
『ヘレネの美貌はね、美の女神アプロディーテが『世界一の美女』と認める程、美しかったの。女神程に美しくなかったけれど、ヘレネの美貌は他人の人生を狂わせる程の力を持っていた。だから、彼女の美貌は引き起こしてしまったの。神代が終わる遠因の戦争──トロイア戦争を』
肉を喰らい、肉を貪り、己の欲を満たし続ける。
その生き方は私の性分に適合していた。
『ねえ、エレナ、美しさって何だと思う?』
性と暴力巣食う夜の街において、母は間違いなく強者だった。
『雌としてではなく、母として言っておくわ。美しさってのはね、顔の造形が整っている事でも、人の悦ばせ方を熟知している事でもない。──所作よ』
私は母の生き方を身につけたいと思っていた。
『顔の美しさや筋の通った言動を求めるヤツは二流。そいつらは真の美しさを理解できていない。本当の美しさってのはね、所作に宿るのよ』
母の柔軟性と対応能力を身につけたいと思った。
『エレナ、自分の一挙手一投足に気を遣いなさい。人の視線だけでなく、五感を引き寄せる所作を身につけなさい。そうすれば、貴女は何処でも生きていけるわ』
でも、母の強さが通じるのは夜の街だけだった。
母はその事を熟知していた。
熟知しているから、母は自分の性技を私に教えなかった。
『エレナ、美しくなりなさい。私以上に美しい人間を見つけなさい。私以上に美しい人間から美しさを学びなさい。そうすれば、貴女は私以上に自由に生きられるわ』
夜の街でしか自由に生きられない母は、私の頭を撫でる。
特定の場所でしか強者でいられない自分に悲観する事も、この状況を嘆く事もなく、気高く、自由なまま、母は私の背中を押す。
『母から盗めるものは全て盗みなさい。貴女が私から盗めるものがなくなるまで、私が貴女を守ってあげる。だから、貴女は遠慮なく挑戦し続けなさい。貴女は生まれた時から自由よ』
母は私を愛していた。
私も母を愛していた。
多分、私と母の愛は一般的なものとは違うだろう。
母の在り方は、一般的な母の在り方ではないだろう。
それでも、私にとって母は最高の教材であった。
◇
母は私の成長を喜んでも、私の誕生日を祝ってくれなかった。
だから、あの日の私が何歳だったのか分からない。
『……次は、お前だ。お前の血は、許されない』
でも、あの日の事は覚えている。
ある雨の日。
母はお得意様である男に刺殺された。
男に押し倒される母の姿を見た。
虚ろな瞳で天井を見つめる母の姿を見た。
血走った目をした男に刺される母の姿を見た。
何度も何度も刺される母の姿を見た。
切り落とされた母の頭部は今でも目に焼きついている。
血塗れの母の顔はいつものように性に溺れ、肉欲に飢えたケダモノの顔をしていた。
幸せそうな顔だった。
母が悔いなく逝けた事に安堵したのは、よく覚えている。
『恨みたければ、恨め。お前という存在を生かしてはおけん』
母の血に塗れたナイフを持つ男の顔は、よく覚えていない。
あの頃の私にとって、男は弱者だった。
環境にも適応していないどころか、自分が生み出した状況でさえも呑み込めていない愚か者。
母を殺した罪から目を背けようとしている咎人。
生きるために必要な殺しを行ったにも関わらず、母を殺した自分を否定する圧倒的弱者。
だから、『勝つ』のは簡単だった。
笑顔を魅せた後、私は男の方に向かって歩き始める。
呆然と私の顔を見つめる母の仇。
私はナイフを握る男の指を優しく撫でた後、彼が持っていたナイフを奪った。
『…………へ?』
私の所作に見惚れている男の腹にナイフを突き刺す。
腹を抱え、蹲った男の姿を一瞥した瞬間、私の幻覚は終わりを告げた。
◇
「う、……」
目が覚める。
何故か私は地面に頬を擦り付けていた。
身体を起き上がらせ、周囲の様子を伺う。
先ず目に入ったのは、木。
次に目に入ったのも、木。
木、木、木、サンタ、木、木、険しい表情を浮かべる三王子、断末魔を上げる大きな虐者。
「よお、嬢ちゃん。自力で幻覚を振り解いたのか」
苦しむ虐者を気にかける事なく、サンタはいつもの調子で私に声を掛ける。
「が、この程度の幻覚にかかるのは減点だ。もう少し感覚を研ぎ澄ませろ。今の嬢ちゃんだったら、幻覚と現実の区別くらい、余裕でつくと思うぜ」
「ミスター・サンタクロース、油断しないでください。まだ終わっていませんよ」
顔の筋肉を強張らせながら、第三王子は悶え苦しむ虐者の方を見る。
虐者は荒い呼吸を繰り返すと、信じられないものを見るような目で私を睨みつけた。
「……そんな、貴女は……聖女は、……幼い頃に人を、殺し……!?」
訳の分からない事を口にしながら、虐者は私の顔をじっと見つめる。
その瞳を見た途端、私はある青年の顔を思い出しそうになった。
「いや、違う……! 聖女が汚れている訳がない……! あれは、……あれは幻覚の筈……!」
「今度は演技じゃねぇみてぇだな」
そう言って、正気を失い始めた虐者を見つめるサンタ。
彼は溜息を吐き出すと、私に向かって、こう言った。
「──嬢ちゃん、一人でやれるか?」
首を縦に振る。
私の返答が分かっていたかのか、サンタ腕を組むと、近くにあった木の幹に背中を預けた。
「ミスター・サンタクロース、貴方は何を……!?」
「あの虐者は嬢ちゃんに任せる。いい機会だ。己の限界を超えてこい」
「ミスター・サンタクロースっ!!」
第三王子の怒声が森中を駆け巡る。
私は第三王子ではなく、サンタに視線を向けると、虐者の下に向かって歩き始めた。
「……サンタ、行ってくる」
「ああ、気をつけてな」
私の闘いに割り込もうとした第三王子を足止めするサンタ。
不適な笑みを浮かべるサンタから目を逸らし、私は虐者の下に歩み寄る。
虐者──否、顔見知りである騎士は、魔力を捻り出すと、再び私を幻覚の中に誘った。
いつも読んでくれている方、ここまで読んでくれた方、ブクマ・評価ポイント・いいね・感想を送ってくれた方に感謝の言葉を申し上げます。
次の更新は9月27日(水)20時頃に予定しております。
今月末締め切りの公募小説に注力し過ぎたので、今週の更新は今日でお終いです。
来週は複数話投稿できるよう頑張りますので、これからもお付き合いよろしくお願い致します。




