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売女と「生きるために必要な殺し」と限界

 事実を述べよう。

 飾り気のない言葉で事実を述べよう。

 私──エレナ・クティーラの母は売女だった。

 娼婦の巣窟に生息する寄生虫のような女。

 肉欲に溺れ、男と交わるだけの日々を過ごす淫売。

 金と肉棒に目が眩み、男を誑かしては、自分の肉体を消耗していくだけの刹那的な女。

 それが私の母だった。

 父は不明。

 母曰く、私の父はこの浮島(くに)にいる人だったら、一度は聞いた事がある有名人である可能性が高いらしい。

 

『多分、貴女はあの男の子どもよ』


 私の髪を撫でながら、母は淫らな笑みを浮かべる。

 男の人の体液と母自身の体液、そして、高価な香水の臭いが母の手に纏わりついていた。


『この綺麗な髪はね、彼の血筋特有のもの。少なくとも私達の(もの)じゃないわ。良かったわね、エレナ。貴女は『特別』になれるかもよ』


 くすくす笑いながら、母は口から肉棒の臭いを漂わせる。

 多分、私が匂いに敏感になったのは母の淫臭の所為だろう。

 意識しないと他の臭いを嗅ぎ取れない程、母の放つ臭いは強烈かつ刺激的なものだった。


『貴女にエレナって名前はね、ヘレナ……ううん、ヘレネっていう神代の女性の名が由来なのよ』


 私は母の生き方が好きだった。

 環境や状況に応じて、上手に生き、上手に欲を満たす母の動物的で刹那的な生き方が好みだった。


『ヘレネの美貌はね、美の女神アプロディーテが『世界一の美女』と認める程、美しかったの。女神程に美しくなかったけれど、ヘレネの美貌は他人の人生を狂わせる程の力を持っていた。だから、彼女の美貌は引き起こしてしまったの。神代が終わる遠因の戦争──トロイア戦争を』


 肉を喰らい、肉を貪り、己の欲を満たし続ける。

 その生き方は私の性分に適合していた。

 

『ねえ、エレナ、美しさって何だと思う?』


 性と暴力巣食う夜の街において、母は間違いなく強者だった。


『雌としてではなく、母として言っておくわ。美しさってのはね、顔の造形が整っている事でも、人の悦ばせ方を熟知している事でもない。──所作よ』


 私は母の生き方を身につけたいと思っていた。


『顔の美しさや筋の通った言動を求めるヤツは二流。そいつらは真の美しさを理解できていない。本当の美しさってのはね、所作(さいぶ)に宿るのよ』


 母の柔軟性と対応能力を身につけたいと思った。


『エレナ、自分の一挙手一投足に気を遣いなさい。人の視線だけでなく、五感を引き寄せる所作(ぎじゅつ)を身につけなさい。そうすれば、貴女は何処でも生きていけるわ』


 でも、母の強さが通じるのは夜の街だけだった。

 母はその事を熟知していた。

 熟知しているから、母は自分の性技(わざ)を私に教えなかった。


『エレナ、美しく(つよく)なりなさい。私以上に美しい人間を見つけなさい。私以上に美しい人間から美しさを学びなさい。そうすれば、貴女は私以上に自由に生きられるわ』


 夜の街でしか自由に生きられない母は、私の頭を撫でる。

 特定の場所でしか強者でいられない自分に悲観する事も、この状況を嘆く事もなく、気高く、自由なまま、母は私の背中を押す。


(わたし)から盗めるものは全て盗みなさい。貴女が私から盗めるものがなくなるまで、私が貴女を守ってあげる。だから、貴女は遠慮なく挑戦し続けなさい(好きに生きなさい)。貴女は生まれた時から自由よ』


 母は私を愛していた。

 私も母を愛していた。

 多分、私と母の愛は一般的なものとは違うだろう。

 母の在り方は、一般的な母の在り方ではないだろう。

 それでも、私にとって母は最高の教材(はは)であった。





 母は私の成長を喜んでも、私の誕生日を祝ってくれなかった。

 だから、あの日の私が何歳だったのか分からない。


『……次は、お前だ。お前の血は、許されない』


 でも、あの日の事は覚えている。

 ある雨の日。

 母はお得意様である男に刺殺された。

 男に押し倒される母の姿を見た。

 虚ろな瞳で天井を見つめる母の姿を見た。

 血走った目をした男に刺される母の姿を見た。

 何度も何度も刺される母の姿を見た。

 切り落とされた母の頭部は今でも目に焼きついている。

 血塗れの母の顔はいつものように性に溺れ、肉欲に飢えたケダモノの顔をしていた。

 幸せそうな顔だった。

 母が悔いなく逝けた事に安堵したのは、よく覚えている。

 

『恨みたければ、恨め。お前という存在を生かしてはおけん』


 母の血に塗れたナイフを持つ男の顔は、よく覚えていない。

 あの頃の私にとって、男は弱者だった。

 環境にも適応していないどころか、自分が生み出した状況でさえも呑み込めていない愚か者。

 母を殺した罪から目を背けようとしている咎人。

 生きるために必要な殺しを行ったにも関わらず、母を殺した自分を否定する圧倒的弱者。

 だから、『勝つ』のは簡単だった。

 笑顔を魅せた後、私は男の方に向かって歩き始める。

 呆然と私の顔を見つめる母の仇。

 私はナイフを握る男の指を優しく撫でた後、彼が持っていたナイフを奪った。


『…………へ?』

 

 私の所作に見惚れている男の腹にナイフを突き刺す。

 腹を抱え、蹲った男の姿を一瞥した瞬間、私の幻覚(ゆめ)は終わりを告げた。







「う、……」


 目が覚める。

 何故か私は地面に頬を擦り付けていた。

 身体を起き上がらせ、周囲の様子を伺う。

 先ず目に入ったのは、木。

 次に目に入ったのも、木。

 木、木、木、サンタ、木、木、険しい表情を浮かべる三王子、断末魔を上げる大きな虐者(ワンちゃん)


「よお、嬢ちゃん。自力で幻覚を振り解いたのか」


 苦しむ虐者(ワンちゃん)を気にかける事なく、サンタはいつもの調子で私に声を掛ける。


「が、この程度の幻覚にかかるのは減点だ。もう少し感覚を研ぎ澄ませろ。今の嬢ちゃんだったら、幻覚と現実の区別くらい、余裕でつくと思うぜ」


「ミスター・サンタクロース、油断しないでください。まだ終わっていませんよ」


 顔の筋肉を強張らせながら、第三王子は悶え苦しむ虐者(ワンちゃん)の方を見る。

 虐者(ワンちゃん)は荒い呼吸を繰り返すと、信じられないものを見るような目で私を睨みつけた。


「……そんな、貴女は……聖女は、……幼い頃に人を、殺し……!?」


 訳の分からない事を口にしながら、虐者(ワンちゃん)は私の顔をじっと見つめる。

 その瞳を見た途端、私はある青年の顔を思い出しそうになった。


「いや、違う……! 聖女が汚れている訳がない……! あれは、……あれは幻覚の筈……!」


「今度は演技じゃねぇみてぇだな」


 そう言って、正気を失い始めた虐者(ワンちゃん)を見つめるサンタ。

 彼は溜息を吐き出すと、私に向かって、こう言った。


「──嬢ちゃん、一人でやれるか?」

 

 首を縦に振る。

 私の返答が分かっていたかのか、サンタ腕を組むと、近くにあった木の幹に背中を預けた。


「ミスター・サンタクロース、貴方は何を……!?」


「あの虐者(ワンちゃん)は嬢ちゃんに任せる。いい機会だ。己の限界を超えてこい」


「ミスター・サンタクロースっ!!」


 第三王子の怒声が森中を駆け巡る。

 私は第三王子ではなく、サンタに視線を向けると、虐者(ワンちゃん)の下に向かって歩き始めた。


「……サンタ、行ってくる」


「ああ、気をつけてな」


 私の闘いに割り込もうとした第三王子を足止めするサンタ。

 不適な笑みを浮かべるサンタから目を逸らし、私は虐者(ワンちゃん)の下に歩み寄る。

 虐者(ワンちゃん)──否、顔見知りである騎士は、魔力を捻り出すと、再び私を幻覚(ゆめ)の中に誘った。




 いつも読んでくれている方、ここまで読んでくれた方、ブクマ・評価ポイント・いいね・感想を送ってくれた方に感謝の言葉を申し上げます。

 次の更新は9月27日(水)20時頃に予定しております。

 今月末締め切りの公募小説に注力し過ぎたので、今週の更新は今日でお終いです。

 来週は複数話投稿できるよう頑張りますので、これからもお付き合いよろしくお願い致します。

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厚かましいと自覚しておりますが、感想、レビュー、ブクマ、評価、お待ちしております。 小説家になろう 勝手にランキング
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