決着と同類と握った手
◇
魔王の身体から漂う嫌な匂いが薄れ、焦げた臭いが私の鼻腔を刺激する。
霧散する炎の巨人を見つめながら、私は息を切らした。
全て出し切った。
思考も体力も魔力も何もかも。
地面に両膝を突く。
火花の弾ける音が私の鼓膜を微かに揺らした。
「はぁ……、嬢ちゃん、……はぁ……、大丈夫か?」
私の下に戻ってきたサンタは息を荒上げながら、周囲を見渡す。
そして、不機嫌そうに顔を歪めると、後頭部を掻きつつ、こう言った。
「……やっぱ、さっきの攻撃じゃ、魔王を殺せなかったみたいだな」
霧散した藍色の炎の残り滓が一つの塊になる。
一塊となった藍色の炎は人の形になると、私達から少し離れた所にある瓦礫の上に落っこちてしまった。
「はあ……、はあ……く、くそ……!」
銀髪の少年──魔王は息を荒上げながら、私とサンタを睨みつける。
もう闘う余力が残っていないのか、魔王は脂汗を垂らすと、瓦礫の上から転げ落ち、焼け焦げた地面の上に落下してしまった。
「貴族に自分の力を分け与えたのは、手駒を増やすため……ではなく、負けた時の保険を残すため」
懐から何の変哲もない短剣を取り出しながら、サンタはゆっくり魔王の方に歩み寄る。
「もし俺に殺られても、確実に復活できるよう、お前は貴族に力を分け与えた。そうだろ?」
「はあ、……はあ、……!」
息を切らしながら、魔王は立ち上がろうとする。
全ての力を出し尽くしたらしく、彼は自らの力で起き上がる程の余力を残していなかった。
「そして、今は疲れ果てたフリをする事で、俺の油断を誘おうとしている」
サンタが指摘するや否や、魔王は息を止める。
それを見たサンタは嫌そうな顔をしながら、取り出した短剣の鋒を魔王の方に向けると、腰を少しだけ落とした。
「はは……! 全部お見通しって訳か……!」
知覚を尖らせようとする。
が、殆ど魔力が残っていない上、疲弊し切った身体では匂いを捉える事ができなかった。
「やるな、サンタとやら。神代でもテメェみてぇな強くて賢いヤツは、そういなかったぜ……!」
「あんまり強がるなよ、『ガイアの子』。策は残っていても、余力は殆ど残ってないんだろ?」
凍てついた空気がこの場を支配する。
匂いを捉える事ができなくても理解できた。
サンタも魔王も相手の出方を伺っている事を。
多分、どちらも余力は残っていない。
けど、どちらも相手を屠るだけの策を保持している。
故に、均衡。
先の後を取る事で、確実に相手を殺そうとしている。
『──ソコマデデス』
濁った声と共に黒ずくめの衣装を着込んだ『何か』が私達の前に現れる。
「……魔王、虐者と手を組んでいるのか」
私達の前に現れた黒い衣装を着た『何か』は無地のお面で顔を隠していた。
濁った声の所為で、男なのか女なのか分からない。
だが、『何か』の背に生えた翼が、『何か』のフードを押し上げる角が、『何か』が人間でない事を、『何か』がヴァシリオス達と同類である事を示していた。
「……なんで、お前はオレじゃなくて、そいつを選んだんだよ」
黒い衣装と仮面を着けた『何か』の肩を借りながら、魔王は私の方を見る。
彼の瞳に映っていたのは、私ではなく、私が知らない誰かだった。
「そいつよりも、……オレを選べよ」
その言葉だけを残して、『何か』と魔王は姿を消す。
煙のように消えた彼等を見て、サンタは焼け焦げた地面に額を擦り付けた。
「悪い、嬢ちゃん。ちょっと休ませて貰う」
そう言って、サンタは目を閉じると、寝息を立て始めた。
力尽きた彼を一瞥した後、私は立ち上がる。
そして、残った力を全て振り絞ると、ヴァシリオスの下に向かって歩き始めた。
◇
歩いて、歩いて、歩き続けて。
誰もいない焼け野原の上を黙々と歩き続けて。
ようやく私は噴水広場と思わしき場所に辿り着く。
瓦礫のさばる焦土を一望した私は、微かに呼吸音を漏らす人型の炭を見つけ出す。
人型の炭の正体はヴァシリオスだった。
「お姉、……ちゃ」
虫の息になったヴァシリオスが私の名を呼ぶ。
私は鉛のように重い身体を引き摺るように、彼の下に向かうと、治癒魔術を行使した。
「いたい、……いたい、よぉ……」
黒焦げになったヴァシリオスの身体を癒そうとする。
しかし、幾ら治癒魔術を行使しても、彼の傷は一切治らなかった。
「……大丈夫、私が絶対助けるから」
焼け焦げた彼の手を左手で握り締める。
ヴァシリオスは私の左手を微かに握り返すと、残った力で最期の一言を搾り出した。
「もしも、……もしも良い所、……で産まれてたら、……こんなこと、しなくて済んだの……か、な」
ヴァシリオスの身体から心音が聞こえなくなる。
彼が息を引き取った途端、彼の身体は黒い水に成り果ててしまった。
「…………っ」
火の粉の弾ける音が鼓膜を微かに揺らす。
私は息を短く吐き出すと、焦土に染み込むヴァシリオスだった黒い水をじっと見つめた。
「………っ!」
歯を食い縛り、左手で焦土を殴りつける。
何度地面を殴っても、私の胸の中に留まっている衝動は消えてくれなかった。
◇
瓦礫を燃やしていた藍色の炎が朝日に掻き消される。
朝日に照らされる黒い水を吸った地面をぼんやり見つめながら、左拳から流れる血をぼんやり眺めながら、私は息を短く吐き出す。
背後から足音が聞こえてきた。
サンタの足音だ。
「………」
彼は私の右隣に座り込むと、地面に吸い込まれた黒い水を見つめ始めた。
「………」
「………」
私もサンタも一言も話す事なく、黒い水を吸い込んだ焦土を見続ける。
私達の呼吸音と布の擦れる音しか聞こえない。
四肢を失った焼死体と瓦礫や地面に染み込んだ黒い土が、静寂さを際立たせる。
つい数時間前まで生活音が鳴り響いていた街は、ただ魔王が暴れただけで、貴族達とオーガ達が争っただけで、ただの死地に成り果ててしまった。
「………ん」
私の右隣に座ったサンタが何かを私の頬に押しつける。
『何か』の正体はクッキーだった。
「……いらない」
首を横に振る。
サンタは朝空を仰ぎながら、もう一度『ん』と言った。
「………」
クッキーを貰う。
サンタは何処からともなく、牛乳が入った瓶を取り出すと、それを私の頬に押し付けた。
「……いらない」
「ん」
『拒否する権利なんてないぞ』と言わんばかりの勢いで、サンタは私の頬に牛乳瓶を押しつける。
私はそれを受け取ると、クッキーに齧り付いた。
乾燥した口の中でクッキーの破片が暴れ回る。
私は牛乳を口に含む事で、口の中で暴れるクッキー達を押さえつける。
『ごくん』という音と一緒に牛乳とクッキーの破片が喉を通り抜けた。
目頭が熱くなる。
口から変な音が漏れ始める。
視界が潤み、視線が重力に押し負けてしまう。
「嬢ちゃん」
サンタの言葉が私の視線を引き寄せる。
彼は朝日で焼け焦げた空を仰ぐと、私の顔を一切見ないまま、左手を差し出した。
「好きに使っていいぞ」
恐る恐る右手を伸ばす。
サンタの左手に私の右人差し指が触れる。
触れた瞬間、彼の左手は火傷の跡が色濃く残った私の右手を握り締めた。
温かい感触が私の右手一杯に広がる。
私は再び視線を地面に向けると、再び口から変な音を零し始めた。
霞んだ視界を地面に向けながら、サンタの左手を握り返す。
サンタは私一言も発する事なく、私の右手を握り返す。
そして、私の気が済むまで、ずっと手を握り続けた。
いつも読んでくれている方、ここまで読んでくれた方、ブクマ・評価ポイント・いいね・感想を送ってくれた方、そして、新しくブクマしてくれた方、いいねを送ってくれた方、感想を送ってくれた方に感謝の言葉を申し上げます。
次の更新は8月10日(木)12時頃に予定しております。
次回から四章(=後半戦)始まりますが、これからも更新し続けますので、最後までお付き合いよろしくお願い致します。




