蜘蛛と皆殺しと噴水広場
◇
貴族或いは豪商が保有していたであろう豪邸が、藍色の炎に包まれる。
藍色の炎は庭園を覆っていた夜の闇を退けると、私、サンタ、ヴァシリオス、そして、銀髪の少年──魔王の顔を青い灯火で照らし始めた。
「──ああ、そうだ、サンタとやら。今のオレじゃ、お前を殺すのは不可能だ」
この浮島を荒廃させたであろう魔王は、肉食獣を想起させる笑みを浮かべながら、私の隣にいるサンタを睨みつける。
「だから、準備させて貰った。お前を確実に殺れるように、な」
藍色の炎に包まれた豪邸から『何か』が飛び出す。
『何か』の正体は、藍色の炎を纏った蜘蛛だった。
「……っ!」
私達の前に現れた蜘蛛の大群を一望する。
炎で象った長くて太い八本の脚を持った蜘蛛の胴体部分。
そこには、自身の糞尿に塗れ、全ての歯を抜かれ、四肢を捥がれた、王族貴族と思わしき老若男女数十人の身体が着いていた。
「なるほど……! 自分の手駒を増やすために、俺の前に現れたのか……!」
「ああ、そうだ、守り人。テメェを確実に殺るために、オレは貴族に力を与えたのさ」
地下室で拷問を受けていた貴族達の身体から糞尿の臭いと魔王の匂いが漂っていた。
どうやら魔王はサンタを確実に殺すため、地下にいた貴族達を自分の配下にしたらしい。
闘いの素人でも分かる。
今のサンタがヤバい状況に追い込まれている事を。
さっきまで魔王と互角の闘いを繰り広げていたのだ。
そんな魔王と一対多数で闘っても勝てる訳がない。
「さぁ! テメェら! オレの後に続きやがれっ!!」
魔王は右腕と一体化した藍色の炎の剣を構えながら、歓喜の声を上げる。
それと同時に魔王の猛攻が始ま──らなかった。
「あり?」
魔王が地面を踏むと同時に、私達から距離を取る藍色の炎を纏った蜘蛛達。
魔王に対する忠誠心なんてないのか、自身の糞尿に塗れた貴族達は、呪詛に近い奇声を上げると、燃え盛る街に向かって跳んで行ってしまった。
「「「…………」」」
私もサンタも、そして、魔王も予想外の出来事が起きた所為で、口を閉じてしまう。
一人残された魔王を見て、何て声を掛けたらいいのか分からなかった。
「…………おい、魔王。お前の手駒、逃げたぞ」
「…………」
燃え盛るレベール街に向かって飛んで行った蜘蛛達を見続ける魔王。
今の彼の姿は、ちょっと哀愁漂うものだった。
人望が、……人望が無さ過ぎる。
「……………」
さっきまでの強者感は何処に行ったんだろう。
遠い目をしながら、魔王は乾いた笑みを浮かべる。
……とてもじゃないが、その、見ていられなかった。
「……まあ、思い通りにならねぇのが人生だ。気を落とすな、魔王。大抵の恥は、後々笑い話になるからよ」
「なら、今笑い飛ばせよ。笑われるよりも同情される方が辛えんだけど」
「すまねえな。俺も嬢ちゃんも、そこまで性格良くねぇんだ」
「サンタ、私を巻き込まないで」
「なら、笑い飛ばせよ聖女様」
何とも言えない空気が私とサンタと魔王の間に流れる。
さっきまでの殺伐した空気が恋しくなる程、今の何とも言えない空気感は私達に心労だけを与え続けた。
「……魔王」
チャンスだ。
今までずっと聴きたかった事を魔王に尋ねようとする。
「貴方が王都を──」
私が尋ねようとしたその時だった。
オーガの悲鳴が聞こえ、蜘蛛と化した貴族の身体から歓喜の匂いが放たれたのは。
オーガ達の青い血の臭いと、血飛沫の音、痛がるオーガ達の声と蜘蛛達の暴力が、私達の頭蓋骨を叩く。
「み、……みんなが襲われて……!」
今の今まで庭園の片隅で震えていたヴァシリオスが口を開く。
サンタも街で行われている殺戮に気づいたのか、顔を顰めていた。
「おい、魔王。今すぐ蜘蛛共を止めろ」
「蜘蛛がオレの言う事を聞くとでも?」
「与えた力を取り上げりゃ終わる話だ」
「かもな。──だが、断る」
一瞬で魔王との距離を詰めたサンタが魔王の顔面目掛けて左拳を叩き込む。
魔王はサンタの左拳を片手で受け止めると、不敵な笑みを浮かべた。
「オレの目的は聖女以外皆殺しだ。聖女以外のヤツらがどうなろうが、知ったこっちゃねぇよ」
「なぜ嬢ちゃんに執着する?」
「お前らが聖女を道具みたいに使っているからだろ」
訳の分からない言葉を口にしながら、魔王はサンタから距離を取る。
そして、両腕に炎の剣を纏うと、親の仇でも見るような目でサンタを睨みつけた。
「オレは聖女を救う。アイツを救う事で、オレは道具じゃねぇって事を証明してやる……!」
「自分に酔ってねぇで、ちゃんと話せ魔王」
サンタの煽りが魔王の胸に突き刺さる。
まんまと彼の煽りに乗った魔王は勢い良く地面を蹴り上げると、一瞬で間合いに入り込んだ。
「嬢ちゃん」
サンタの振り上げた拳が魔王の顎に直撃する。
顎に強烈な一撃を貰った魔王の身体は地上から引き剥がされると、遙か上空に吹き飛ばされた。
「ちょっと場所を変える。嬢ちゃんは安全な場所に避難しろ」
私の返答を聞く事なく、サンタは遙か上空目掛けて跳び上がる。
サンタが私の前から消えた瞬間、藍色の炎と白銀の吹雪が夜空を塗り潰した。
……歯を食い縛り、拳を握り締める。
相棒が窮地に追い込まれているというのに、何もできなかった。
空を睨みつける。
現在進行形で闘っているのか、夜空から爆音と金属の音が鳴り響いていた。
付与魔術で五感を強化すれば、彼等の動きを知覚する事ができる。
けどサンタと魔王の動きを予測する事ができない。
私が予測するよりも先に彼等は動いてしまう。
付与魔術で強化した知覚が彼等の先の先を読むよりも先に、彼等は空を割り、天を砕いてしまう。
正直言って、彼等の闘いに割って入れそうにない。
付与魔術で身体能力を向上させても、彼等の速度には追いつけないだろう。
(生涯費やして鍛錬し続ければ、彼等の闘いに割って入れるだけの力を身につけられるかもしれない。けど、それじゃ遅過ぎる……!)
考えろ。
彼等の闘いに割って入る方法が何かある筈だ。
何でもいい。
サンタを楽にする方法が、私にしかできない何かがきっとあるは………
「──っ!?」
危険な匂いが私の鼻腔を刺激する。
その瞬間、私の脳裏にヴァシリオスの顔が過った。
庭園の奥の奥にいたヴァシリオスの方を見る。
奥の奥にいた筈のヴァシリオスは、いつの間にか何処かに行ってしまっていた。
「しまった……!」
一つの事に集中し過ぎていた。
その所為で、オーガ達の断末魔と蜘蛛達の暴走、そして、ヴァシリオスの動向を見落としてしまった。
「ああ、もう……!」
自分の至らなさを悔やみながら、ヴァシリオスの下に向かい始める。
走って、走って、走り続けて。
全速力で藍色の炎に包まれたレベール街を走り抜ける。
傷ついたオーガ達の姿が、地面に散らばる青い血と黒い水が、蜘蛛の頭蓋骨を叩き割るオーガ等の姿が、蜘蛛の脚を象った藍色の炎でオーガの心臓を貫く貴族の姿が、力尽きた貴族をリンチするオーガ達こ姿が、私の脳を強く揺さぶる。
オーガ達と蜘蛛達は殺し合っていた。
血走った目で互いを罵りながら、暴力の限りを尽くす。
悪意の匂いが、殺意の匂いが、憎悪の匂いが、憤怒の匂いが、レベール街を覆い尽くす。
飛び散る火花が、舞い散る灰が、頭の中を掻き乱した。
様々な選択肢が脳裏を過っては泡のように弾け飛ぶ。
考えて、走って、考えて、走って、考え続けて。
結局、私が選んだのは『ヴァシリオスを止める事』だった
目の前の光景を敢えて見ないフリしながら、私は危険な匂いを放つヴァシリオスの下に向かって走り続ける。
「……っ!」
走って、走って、走り続けて。
レベール街の噴水広場に辿り着く。
そこにいたのは、
──黒い水に変わりつつあるオーガ達の死骸と、四肢を失った貴族の喉仏を齧るヴァシリオスの姿だった。
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次の更新は8月4日(金)12時頃に予定しております。




