必要な殺しと他の子と罰
◆side:ヴァシリオス
僕が聖女様に拾われて二年以上の月日が経過したある日の昼下がり。
王立孤児園の裏で遊んでいた僕は聖女様──エレナお姉ちゃんに頬を叩かれた。
「……すみません。思わず手が出てしまいました」
赤くなった頬を摩る僕を見て、聖女様は悲しそうな表情を浮かべながら、謝罪の言葉を口にする。
「ですが、この諸行を許す訳にはいきません。貴方は何故このような事をしたのですか?」
今まで見た事ないくらい怖い顔をしながら、聖女様は僕の足下を見る。
そこには、さっきまで僕が遊んでいたモノが転がっていた。
「──何故トカゲの手足を千切ったのですか」
僕の顔と頭だけピクピク動かすトカゲを見ながら、聖女様は眉間に皺を寄せる。
僕は視線を下に向けると、両手で裾をギュッと握り締めた。
「先代の聖女はこう言ってました。『人も命を糧にする獣だ。幾ら綺麗事で濁そうと、生きるために必要な殺しは存在する。それは紛う事なき真理だ』、と」
聖女様がこんな怒ったのは初めてだ。
多分、自分はやったらいけない事をやってしまったんだ。
心臓がドクドクしている。
生きた心地はしなかった。
「……これは必要な殺しでしたか?」
息絶えたトカゲを見つめながら、聖女様は僕に問いかける。
僕はその質問に答えられなかった。
だって、理由がないから。
トカゲの四肢を千切ったのは、尖った石を拾ったから
孤児院の裏でトカゲを見つけたから。
トカゲで遊んでも怒られないと思ったから。
こうしたら楽しいだろうなって思ったから。
「…………ごめん、なさい」
目からポロポロ涙が零れ落ちる。
何を言えばいいのか分からなかった。
なんでトカゲの手足を千切ったんだろう。
しゃくり上げながら、涙をポロポロ流す。
聖女様は口を閉じると、星のように輝く目でじっと僕の顔を見続けた。
◇
「……今回はビンタしないんだね」
地下室の扉を閉めたヴァシリオスは俯いたまま、私に自らの頬を差し出す。
彼の身体からは罪悪感と諦観、そして、少しばかりの憤怒の匂いが放たれていた。
「……はい。今回はその必要がありませんから」
数年前、ヴァシリオスの頬を叩いた事を思い出す。
今と同じように、あの時の私も未熟だった。
感情の昂りに身を任せ、つい彼の頬を殴ってしまった。
その時の後悔を噛み締めながら、私はゆっくり言葉を紡ぐ。
「あの時の貴方は……トカゲを残虐的なやり方で殺した時の貴方は、トカゲを殺した事に対して、罪の意識を抱いていませんでした。ですが、今回は違う。貴方は罪だと自覚した上で、このような凶行に及んだのですね」
顔を顰めながら、ゆっくり振り返る。
糞尿に塗れた貴族の男性が、四肢を失って蓑虫みたいになった貴族の女性が、踏まれた虫のように身を捩る貴族の老人が、喉の渇きを癒そうと舌を突き出す貴族の少年が、私の視界に映し出される。
……この世にある全ての苦を掻き集めたような光景だった。
声鳴き断末魔、鳴り響く腹の音、啜り泣く声、糞尿が飛び跳ねる音、呪詛に似た呻き声、聞いていて心地良くない音が鼓膜に染み込む。
貴族と思わしき人達の目は一人残らず死んでいた。
「……なんで、こんな事をしたのですか?」
「…………こいつらが、他の子を殺したからだよ」
◇
貴族或いは豪商が所有していたであろう豪邸の庭に移動する。
庭は荒れに荒れていた。
生い茂った雑草。
不規則に伸びた樹木。
錆びついたガーデンテーブル。
腰を掛けたら崩れ落ちてしまいそうなガーデンチェア。
長い間、手入れされていないであろう庭園に辿り着いた私とサンタ、ヴァシリオスは沈黙を貫く。
遠くから聞こえるオーク達の生活音と夜風の音が、私達の間に流れ続けた。
「……魔王が現れた後、孤児達は院長に連れられて、この街に避難してきたんだ」
夜風が私の持っている手持ち蝋燭に触れる。
蝋燭の先端で煌めく灯火は軽快に身体を揺らしていた。
「最初は避難してきたみんなで頑張ろうってなってた。この街に住んでいた豪商の人達は、避難してきた僕らに住む場所を与えてくれた。蓄えていた食糧も分けてくれた。働く場所も紹介してくれた。最初の数ヶ月は本当に順調だった。魔王の所為で不安定になった生活も、みんなが協力し合ったお陰で、安定したものになり始めたその時だった」
蝋燭の灯りはヴァシリオスの顔まで照らしてくれない。
彼は闇夜に溶け込みながら、萎れた声で己の罪を、否、自分達の罪を告白する。
「王都から来た貴族達が全部台無しにした。僕達が必死になって積み上げてきたものが全部壊れてしまった」
伸びに伸びた雑草が夜風を浴びる。
一年草と思わしき雑草は葉を豪快に揺らすと、吹き続ける夜風を睨み続けた。
「貴族達は魔法も使えたし、騎士団っていう魔法も魔術も武術も長けていた人達を引き連れていた。僕らは魔法も魔術も武術も扱えなった。だから、力で僕らを押さえつける貴族達に抵抗できなかった」
基本、魔法も魔術も武術も王族貴族関係者以外扱えない。
理由は至って単純。
王族貴族が独占しているからだ。
先天的な才能である魔法は、魔法を扱う訓練を積まなければ使いこなせない。
加えて、王族貴族は人為的に魔法という才能を目覚めさせる技術を持っている──と言っても、その技術を扱えば、みんな魔法を扱えるという訳でもない。私のような才能のない人は、その技術を用いても、魔法の才能に目覚めなかった──。
後天的に会得可能な魔術も基本的に王立貴族学院でしか学べない。
体系化された武術も騎士団でしか学べない。
詰まるところ、王族貴族以外の者は魔法・魔術・武術を会得する機会を与えられないのだ。
いや、法律や権力等で、庶民が戦闘能力を持つ機会を奪っていたと表現した方が適切だろう。
「貴族達は街にある食糧とか水とか生きるために必要なものを独占した。それどころか、自分達が贅沢するために僕らに過酷な労働を強いた。僕らに与えられたのは、僅かばかりの食糧だった。僕らは一食分にもならない食糧を得るため、貴族達が課した過酷な労働をせざるを得なかった」
一応、私は王族や貴族以外にしか魔法・魔術・武術を会得できない現状を問題視していた。
けれど、優先順位はかなり下の方だった。
理由は二つ。
一つは、『貧困問題』と『医療問題』の是正、そして、数年前に王都を襲った『災害の復旧』の方を優先しなきゃいけない状況だったから。
もう一つは、庶民の多くが戦闘能力を必要としていなかったからだ。
この浮島では長らく戦争は起きていない。
先代聖女曰く、最後に起きたのは百数年前。
貴族と貴族同士の小競り合いキッカケで起きた小規模の戦争が最後らしい。
私が知っている限り、庶民・農民は王国に少なからずの不満はあれど、今の生活に満足していた。
もしかしたら、私が知らないだけで、王都以外に住む庶民はかなり大きめの不満を抱えていたかもしれない。
けど、私の目が届く範囲の庶民は現状の生活に満足し切っていた。
詰まるところ、彼等は反乱を起こす力を求めていなかったのだ。
だから、私は問題視はしていても、優先して解決しようと思わなかった。
……手遅れの段階になって、ようやく気づかされる。
王族貴族が魔法・魔術・武術の知識を独占している状態のリスクを。
少し考えたら、馬鹿にでも分かる。
武力を独占している王族貴族が暴走した場合、誰にも止められない事くらい。
……自分の愚かさを、王族や貴族以外にしか魔法・魔術・武術を会得できない現状を放置し続けた自分に嫌悪感を抱く。
何が聖女としての役目は終わった、だ。
まだ私がやらなきゃいけない事は沢山あった。
「貴族達と話し合おうとした院長は殺された。腕と手足を引き千切られた状態で広場に吊るされた。他の孤児も殺された。街の景観を損なうからという理由で孤児殺された」
院長──私と同じ時期に僧侶になった二歳年上の女性──の死を知って、私はかなり動揺してしまう。
彼女が死んだ。
その事実が私の背中に重くのしかかる。
「貴族に雇われた騎士達は逃げる孤児達を追い続けた。騎士達は鬼ごっこするような気楽さで、孤児達を殺していった。ミアも、ケイも、ミリーも、クーも、みんな、みんな、殺されて、僕だけが生き残った」
聞き慣れた子ども達の名前が蝋燭の炎を揺らす。
殺された子ども達の名前は熟知していた。
孤児院で保護していた子達の名前だ。
王都の外れにあるスラムで私が拾った子ども達の名前だ。
無意識のうちに歯を食い縛る。
彼等のピンチに駆けつける事ができなかった自分を心の底から憎んだ。
「逃げて、逃げて、逃げ続けて。一緒に逃げてた子達を皆んな見殺しにして。街の端の端に逃げ込んだ。どうしたらいいのか分からなくて、お腹を鳴らしていたら、僕の前に『黒い龍』が現れた」
「………」
「黒い龍は僕に力を与えた。僕は怪物になった。怪物になった後、僕は騎士団の人達を殺した」
それからヴァシリオスは自らの罪を語り続けた。
襲いかかる騎士団の頭蓋骨を砕いた事。
魔法も魔術も扱えないよう、騎士の舌を引き抜いた事。
二度と剣を振るえないよう、騎士の腕を捥いだ事。
そして、言葉にする事すら躊躇うような所業。
彼は自分が犯した全て罪を暴露した。
「……騎士達を倒した僕の前に、貴族達に虐げられていた人達が集まった。僕はその人達をオーガにした。オーガにする事で、彼等に抗うために必要な力を与えた。そして、……」
「……貴族達に復讐した、と」
地下室の光景を思い浮かべながら、私は目を瞑る。
ヴァシリオスの口から『……うん』という掠れた声が漏れ出た。
「今、思えば自己防衛にしてはやり過ぎたと思う。でも、僕は……僕らは我慢できなかった」
目蓋を開ける。
庭園の奥。
闇夜に溶け込んだヴァシリオスは掠れた声を発しながら、私の方に視線を向ける。
蝋燭の火は彼の顔を照らしてくれなかった。
「今でも貴族を許す事ができない。院長を、他の孤児達を殺した貴族を……地下室が酷い事だってのは分かる。分かっているのに、止める事はできない……あいつらに生き地獄を味わってもらいたいと、……願い続けている」
……きっと、あの廃村で現聖女達を追い詰めたオーガ達も、劇場で貴族達を殺した商人達も、今のヴァシリオスと同じ気持ちを抱いていたのだろう。
「分かってる……僕は、……いや、僕らがとんでもない事をやった事を……だから、……だから、聖女様」
確かに彼等がやった事は過剰防衛だ。
けど、それをやらざる得ない状況を作り出したのは王族貴族達だ。
暴走した王族貴族を止める術を用意してなかった聖女の所為だ。
「……お願い。僕達に罰を与えて」
知らない内に彼等を追い詰める遠因を作った自分自身を嫌悪する。
胸の内に湧き上がる後悔が私の脳を何度も殴りつけた。
いつも読んでくれている方、ここまで読んでくれた方、ブクマ・評価ポイント・いいね・感想を送ってくれた方、そして、新しくブクマしてくれた方に感謝の言葉を申し上げます。
8月の更新は公募小説に注力するので、平日のみ更新致します。
次回のお話は8月1日(火)12時頃に投稿致します。
これからも完結目指して投稿し続けますので、お付き合いよろしくお願い致します。




