飢えた獣と踏んだ指輪と地下室
◆ヴァシリオスside
「お姉ちゃんはさ、何で僕を助けたの?」
僕が聖女様に拾われて一年以上の月日が経過した。
王都からちょっと離れた所にある小高い丘の上にある王立孤児園。
孤児園の隣で佇んでいる大木の枝に手作りブランコを吊るしている聖女様──エレナお姉ちゃんに声をかける。
「それが私の使命だからです」
ブランコの紐を肩にかけながら、聖女様は淡々と僕の疑問に答える。
「いや、使命という言葉はちょっと語弊がありますね。やり甲斐……生き甲斐と表現したら、適切でしょうか。どうやら私という人間は、人を助ける事に生き甲斐を見出しているみたいです」
「生き甲斐を、……見出している? どうして?」
木登りし始めた聖女様を見て、僕は首を傾げる。
「あ! 分かった! みんなの笑顔が見たいからだ!」
「それもありますが、それが原動力じゃありません」
木を登りながら、聖女様は僕の言葉を否定する。
冷たくないのに何故か背筋がぶるっとした。
「私の原動力は、人を助けた後──困難を乗り越えた後に生じる達成感です」
聖女様の言っている事は、よく分からなかった。
でも、いつもよりも優しい声色だったから、何故か安心してしまった。
「その達成感を抱く度、自分の生を実感できる……と言ったら伝わるでしょうか? 私にとって、人助けとは血肉を喰らうようなものです」
聖女様の発する優しい声のお陰で、僕の心は穏やかだった。
でも、何故か知らないけど、身体はビクビクしてた。
暑くないのに汗は止まらないし、寒くないのに指先は震えていた。
「試練を乗り越える度に生じる達成感。あれを感じる度、私はこの上ない悦びを感じ、自分が生きている事を実感します。だから、私は聖女としての役目に生き甲斐を見出しているのだと思います」
太陽が雲の陰に隠れる。
心はリラックスしているのに、心臓はバクバク言ってた。
「…………聖女様はさ、最終的にどんな人間になりたいの?」
「最終的にどんな人間になりたいのか。それに関しては、考えた事がありません」
大樹の枝の上に乗った聖女様は、僕の身体を見下ろす。
聖女様と目が合った。
聖女様はお腹が減った獣のような目をしていた。
「とりあえず、今は先代聖女を目指しております。最終的にどんな人間になるかは、先代聖女を乗り越えた後に考えます」
雲の陰から顔を出す太陽が僕の目の中に飛び込む。
太陽がギラギラ輝く所為で、僕を見下ろす聖女様の姿が見えなくなってしまった。
瞼越しに聖女様を見る。
閉じた瞼に映る聖女様の姿は飢えた獣のように見えた。
◇
貴族か豪商が使っていたであろう寝室は土足厳禁だった。
出入り口で履き物を脱いだ私とサンタは、寝室に上がり込む。
部屋の中は白を基調とした豪華な家具が入り乱れていた。
少量の宝石で彩られた白いタンス。
幾何学的な模様が刻み込まれた白のデスク。
装飾過多な椅子。
高級敷布団と掛け布団で快適な空間を作り出す二つのベッド。
床はシミひとつない煌びやかな絨毯に覆われており、壁には芸術に疎い私でも知っている画家が描いた風景画が飾られている。
「今日は快適に寝られそうだな」
一ヶ月間の野宿生活にうんざりしていたのか、隣にいるサンタは声を弾ませる。
私はゆっくり首を縦に振ると、寝室に足を踏み入れ……
「いて」
何か踏んでしまった。
裸足で踏んづけてしまったものを見る。
私が踏んだのは、ちっちゃな宝石をつけた指輪だった。
「嬢ちゃん、何が起きるのか分からねぇのが人生だ。寝室だからって気を抜くな」
指輪を踏んだ私を横目で見ながら、サンタはベッドの方に向かって歩き始める。
「じゃないと、また指輪踏……あいてっ!」
寝室だから気を抜いていたのだろうか。
サンタは右脚の小指を白い椅子の脚に打つけると、その場で蹲ってしまった。
「サンタ、気をつけて。何が起きるのか分からないのが人生だから」
「いや、それ、俺のセリフ」
指輪を部屋の中心に置いてある机の上に置いた後、窓際に置かれているベッドの方に向かう。
「で、嬢ちゃん。これからどうするつもりだ?」
ぶつけた足の指を押さえながら、サンタは疑問の言葉を口にする。
私は窓から一番近い方のベッドに腰掛けると、サンタの方に視線を向けた。
「あいつら、間違いなく人に言えねぇ事をやっているぞ」
窓の外からオーガ達の声が聞こえてくる。
オーガ達の声は悪意の匂いを纏っていなかった。
この街で普通の生活を送る彼等を窓越しに感じながら、私はサンタをじっと見つめる。
「念のために言っておく。嬢ちゃんがオーガ達を見捨てようが、王族貴族達を見捨てようが、俺は嬢ちゃんを見捨てねぇ」
打った小指に息を吹きかけながら、サンタは言葉を紡ぎ続ける。
「というか、嬢ちゃんがどんな選択肢を選ぼうが、あいつらの運命は決まっている。そして、その運命を覆す力を俺も嬢ちゃんも持っていねぇ」
「運命は決まっている……? それって、一体どういう意味……?」
「今、確実に言える事はたった一つ。今の俺が守れそうなのは嬢ちゃんだけだって事だ」
小指を摩りながら、サンタはキメ顔を私に見せつける。
とてもシリアスな事を言っているんだろうけど、打つけた小指を摩っている所為で、雰囲気がぶち壊れていた。
何で小指ぶつけた後に真面目な話ぶち込んだんだろう、この人。
「サンタ。憶測でもいい。貴方が知っている事を全部教えて欲しい」
「嬢ちゃん、何か冷やすもん持ってない?」
「シリアスな雰囲気をぶち壊さないで欲しい」
「おいおい。俺は痛みと闘ってんだぞ? 俺と嬢ちゃんとの間に漂う空気がシリアスじゃないって言うなら、一体この空気は何て名前だよ? ドシリアスか?」
「コメディだと思う」
ふざけているのか真面目なのか、よく分からないサンタを見つつ、口から溜息を吐き出す。
彼と出会って一ヶ月程の月日が経過したが、未だに彼という人間が何を考えているのか全く分からなかった。
「ま、安心しな嬢ちゃん。嬢ちゃんに伝えなきゃいけねぇ事はちゃんと伝えてる。俺が伝えてねぇ事は、つまり、そういう事だ」
曖昧に言葉を濁した後、サンタは寝室の出入り口を一瞥する。
すると、出入り口の扉が『コンコン』と呟いた。
匂いで扉を叩いた人の正体を把握する。
ヴァシリオスだ。
「……お姉ちゃん、ちょっといい?」
扉越しに聞こえるヴァシリオスの声を聞き、私とサンタは『彼等が覚悟を決めた事』を感覚的に把握する。
私はサンタとアイコンタクトを交わした後、出入り口の扉に向かって歩き始めた。
◇
『……見て欲しい場所があるんだ』
そう言って、ヴァシリオスは私とサンタを豪邸の地下にある空間に連れ込む。
地下に繋がる階段を下っている間、ヴァシリオスもサンタも口を開かなかった。
水滴の跳ねる音が何処からともなく聞こえてくる。
私は手に持っている蝋燭で足元を照らしながら、ゆっくり階段を下り続けた。
「……ここだよ」
下って、降って、下り続けて。
ようやく私達は地下室前まで辿り着く。
ヴァシリオスは木でできた扉の前で立ち止まると、私達に扉を開けるよう促した。
「……中に、入って」
扉の向こうから漂う悪臭が私達に警戒心を抱かせる。
鼻腔を劈く酸っぱい臭い。
何日も放置された糞尿の臭い。
生臭い鉄の臭い。
その他エトセトラ。
扉越しでも吐き気を催してしまう悪臭が私達の鼻を殴りつける。
多分、ヴァシリオスが追い詰めたような表情をしていなかったら、踵を返していただろう。
そんな事を確信させる程、中から漂う臭いは強烈かつ熾烈なものだった。
「……俺が先に入る。嬢ちゃんは後から入れ」
ヴァシリオスと扉の向こうを最大限警戒しながら、サンタはドアノブに手を伸ばす。
ヴァシリオスは私達に敵意や悪意を向けていなかった。
……現聖女を殺した小さいオーガを思い出す。
もしかしたら、あの時のオーガみたいにヴァシリオスは悪意なく私達を罠に嵌めようとしているのかもしれない。
それを警戒しているのか、サンタは私に後から入るよう指示を飛ばした。
「……」
ヴァシリオスを刺激しないよう、私は肯定も否定の言葉を口にする事なく、その場に立ち続ける。
サンタは私の意図に気づくと、勢い良く扉を開けた。
「ん……っ! おえっ……!」
サンタが扉を開けた途端、凄まじまい悪臭が肺の中に流れ込む。
臭いに耐え切れず、思わず私はえづいてしまった。
「こりゃ、ひでぇ」
地下室の中に足を踏み入れた途端、サンタはデカい独り言を口にする。
口元を手で隠しながら、私も地下室の中に足を踏み入れた。
「……っ!?」
地下室の光景を見た瞬間、先程食べた豪華なご馳走が喉を逆流する。
寸前の所で嘔吐を堪えた。
そして、眉間に皺を寄せ、地下室の中にあるものと向かい合う。
地下室の中。
そこにいたのは、
──自身の糞尿に塗れ、
全ての歯を抜かれ、
──四肢を捥がれた、
王族貴族と思わしき老若男女数十人の姿だった。
いつも読んでくれている方、ここまで読んでくれた方、ブクマ・評価ポイント・いいね・感想を送ってくれた方に感謝の言葉を申し上げます。
次の更新は7月31日(月)12時頃に予定しております。




