泥水の味と豪華な食材と自罰
◆side:ヴァシリオス
王都の端の端。
人通りが一切ない裏道で、僕──ヴァシリオスは腹を豪快に鳴らした。
空から降り落ちる雨水が僕の身体全体に吸い込まれる。
沢山雨を吸った所為で、髪はベチャッてなっていた。
何日も着続けた布の服もボロボロになったズボンも雨の吸い過ぎでビチャビチャになっていた。
また腹が鳴る。
雨水で空腹をどうにかしようと思ったけど、全然腹が膨れない。
食べ物を探そうと、ゆっくり首を振る。
泥がこびりついた煉瓦の地面。
落書きだらけの壁。
椅子だったものかもしれない残骸。
食べられそうなものは何処にもなかった。
「大丈夫ですか?」
いつの間にか意識がなくなっていた。
歯をガタガタ鳴らしながら、顔を上げる。
傷だらけの女の人が僕の前に立っていた。
右掌に広がった火傷跡。
癖のある金髪。
右目に刻まれた傷。
夜空を彩る星のように煌めく瞳。
そして、聖女の証である首飾り。
僕はこの人を知っている。
聖女だ。
星屑の聖女──エレナだ。
「……いいよね、聖女様達は。雨水啜らなくても、お腹いっぱいになれるんでしょ」
王族との結婚が確約されている聖女様目掛けて唾を吐く。
お腹が空き過ぎた所為で、吐き出した唾は全然飛ばなかった。
「聖女様って、王子と結婚するんでしょ? 王子と結婚したら毎日豪華なもの食べられるんでしょ? 僕や僕のお母さんみたいにひもじい思いしなくて済むんでしょ?」
聖女様は口を閉じたまま、僕の事を見続けた。
「いいよね。僕のお母さんはお腹空き過ぎて死んじゃった。僕はお母さんみたいになりたくなくて、王都に来た。けど、お金ってヤツを持ってないから、何も食べられなかった」
村で死んだお母さんの事を思い出しながら、思った事をそのまま口にする。
聖女は黙々と僕の話を聞き続けた。
「聖女様は知らないでしょ? 雑草の味も蟻の味も泥水の味も。食べられない人の気持ちなんて分からないでしょ? だから、大丈夫ですかなんて言葉吐けるんでしょ?」
「貴方の気持ちは分かりませんが、雑草と泥水の味なら分かりますよ」
そう言って、聖女様は両膝を地面に着ける。
泥水を啜っていた地面に膝をつけた所為で、聖女様の服が汚れてしまった。
「私も先代聖女に拾われる前は、雑草と泥水啜ってましたから」
僕の目線に合わせた聖女は、じっと僕の目を見つめる。
嘘を言っている目じゃなかった。
◇
「さ、お姉ちゃん! 好きなものを食べてよっ!」
背中に生えた翼を忙しく動かしながら、ヴァシリオスはテーブルの上に並べられた料理を私とサンタに見せつける。
私と向かい合う形で座る彼は、いつも通り人懐っこい笑みを浮かべていた。
「あ、え、えーと……」
豪華なお皿に乗った高そうな肉、滅多に食べられない川魚、そして、私が好きな果物見て、思わず狼狽えてしまう。
……どうして、こんな事になったんだっけ。
ちょっと回想タイムに入る。
確か私はヴァシリオスと再会した後、彼に案内されるがまま、貴族か豪商が所有していたであろう豪邸に来て、流されるがまま客間に案内されて……。
(で、客間でヴァシリオスを待ってたら、ヴァシリオス達が豪華な料理を運んできた……と)
以上、回想お終い。
こんがらがった頭を整理し終えた私は、横に座るサンタに視線を送る。
彼は私の視線に気づくと、『料理には何も問題ないぞ』と目で訴えた。
念の為に料理とヴァシリオス達の匂いを嗅ぐ。
料理にもヴァシリオスにも危険な匂いを放っていなかった。
多分、食べても大丈夫なんだろう。
ヴァシリオス以外の人達に視線を向ける。
肥えた体・緑の肌が特徴的なオーガ十数人は、席に座る事なく、客間の壁に背中を着けるような姿勢で立ち続けていた。
座っているのは、私とサンタとヴァシリオスだけ。
多分、ヴァシリオスの方が立っているオーガ達よりも偉いのだろう。
頭に生えた一本の角を揺らしながら、背中に生えた翼を忙しく動かしながら、私の事をじっと見つめるヴァシリオスをぼんやり眺める。
廃村で再会したジェリカと似たような容姿。
きっとジェリカと同じように他のオーガ達とは違う何かを持っているのだろう。
もしかしたら、ジェリカと同じように心器とやらを使えるのかもしれない。
「どうしたの? 食べないの?」
料理に手をつけない私達を見て、ヴァシリオスは不安そうな表情を浮かべる。
私は首をゆっくり横に振ると、客間の隅で黙々と立ち続けるオーガ達を見ながら、こう言った。
「量が多過ぎて、私達だけでは食べられません。みんなで食べましょう。美味しいものは、みんなで分かち合うべきです。ほら、そこで立っている人達。座ってください。一緒に食べましょう」
「いいよ、僕達は食べ物を食べなくてもいい身体になっちゃったし」
いつも通り愛嬌のある笑みを浮かべながら、ヴァシリオスは私にとって衝撃的な言葉を口にする。
ヴァシリオスから出ている匂いは、目の前に置いてある料理に絡みついていた。
いや、彼だけじゃない。
客間にいたオーガ達も料理を食べたいのか、食欲の匂いを発していた。
「『黒い龍』から力を貰った人はね、お腹空かなくなるんだ。だから、今でも食べ物食べているのは、娯楽目的で食べている人だけだよ。或いは、お姉ちゃん達みたいに『黒い龍』と会ってない人とか」
……本当に食べなくてもいい身体になったのだろうか。
違和感を抱く。
すると、私の隣にいるサンタが唐突に口を開くと、ヴァシリオスにこんな事を尋ね始めた。
「おい、坊主。お前を『虐者』にした『黒い龍』ってのは、『必要悪』か?」
サンタの口から聞き慣れない単語が出てくる。
『必要悪』……?
もしかして、彼は何か知っているのだろうか。
「必要悪? 何それ?」
「……なるほど。お前が虐者になったのは、お前が自分からなりたいって言ったんじゃなく、ただ素質があったからなのか」
虐者。
そういや、サンタはジェリカの事も『虐者』と呼んでいた。
もしかしたら、虐者というのは、翼や角が生えている人の事を指すのだろうか。
あとでサンタに尋ねようと思いつつ、私は咳払いする事で、ヴァシリオスの視線を惹きつける。
「食べる必要がなくても、一緒に食べる事ができる筈です。とてもじゃありませんが、私達ではこの量を食べられませんから、みんなで一緒に食べましょう。美味しいものは皆んなで分かち合うべきです」
「だったら、食べたいだけ食べていいよ。聖女様達が残したものは、僕らが食べるから」
そう言って、ヴァシリオスは罪悪感の匂いを放ち始めている。
いや、ヴァシリオスだけじゃない。
壁に背中を着けるように立っているオーガ十数人も、だ。
まるで自らに罰を与えているかのように、ヴァシリオス達は料理に手をつける事を拒否する。
そんな彼等に違和感を抱きながら、私はヴァシリオスの目をじっと見つめる。
彼は私に見つめられている事に気づくと、視線を明後日の方に向けてしまった。
「んじゃ、遠慮なくいただくわ」
これ以上、話しても無駄だと判断したのだろう。
サンタはフォークとナイフを上品に動かすと、近くにあった肉料理を一口だけ口に含む。
そして、肉料理が詰め込まれた皿を自分から遠ざけると、今度は魚料理を一口だけ口に含んだ。
一口食べては皿を遠ざけ、一口食べては新しい料理に手をつける。
一口だけしか食べていないサンタを見て、ようやく私は彼の意図に気付いた。
私も彼を見習って、出された料理を一口だけ食べる。
一口食べては皿を遠ざけ、一口食べては新しい料理に手をつける。
それを延々と繰り返す。
一通りの料理に手をつけた事を確認した後、私とサンタは『ごちそうさま』と呟いた。
「え、いいの? 聖女様、この果物好きだったよね? 全部食べないの?」
「はい。もうお腹いっぱいです。あとは貴方達が召し上がり下さい」
そう言って、ヴァシリオス達に豪華な料理を食べるように促す。
彼は言った。
食べたいだけ食べていいよ。聖女様達が残したものは、僕らが食べるから、と。
きっとサンタが一口しか料理に手をつけなかったのは、彼等に食べ物を食べさせるためなんだろう。
だから、私もサンタを見習った。
目の前にある食事を皆で分け合うために。
「分かった。んじゃあ、お姉ちゃん達を寝泊まりできる場所に案内してあげるね」
ヴァシリオスは料理に目をくれる事なく、席から立ち上がる。
客間にいたオーガ達も料理に手をつける事なく、黙々と立ち続ける。
相も変わらず、ヴァシリオスとオーガ達から食欲の匂いが漂っていた。
いや、食欲だけじゃない。
この匂いは──
「……あいつら、自分に罰を与えてんな」
席から立ち上がりながら、サンタは感じ取ったものを私にしか聞こえないような小さな声で口にする。
私は小さく首を縦に振ると、客間から出て行くヴァシリオスの後を追い始めた。
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次の更新は7月30日(日)12時頃に予定しております。




