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底が空いた容器と黒い水と届かないもの


「今さっきのは俺の想像を上回ってたぜ」


 光の粒となって消えていく鏡を眺めながら、私の前に降り立ったサンタの声に耳を傾ける。


「まさか攻撃を躱すだけじゃなく、俺の右腕の振るう速度を底上げするとは」


 ジェリカの身体には傷一つついていなかった。

 だが、鏡が壊れた事で膨大な魔力を消費したのだろう。

 彼女は仰向けの体勢で地面に寝転んでいた。

 魔力の匂いは一切感じられない。

 指一本動かす事なく、曇天を仰ぐ彼女を見て、彼女の凶行を止める事ができたと確信した。


「嬢ちゃんが俺の腕力を強化してくれたお陰で、ヤツの認知速度を上回る速度で攻撃を繰り出す事ができた。感謝するぜ。嬢ちゃんのお陰で、手札を温存できた」


「…….まだ本気じゃなかったの?」


 額についた汗を流しながら、溜息を吐き出す。

 彼等の動きを知覚するだけで、かなりの体力と気力を消耗してしまった。

 多分、気を抜いたら、一瞬で眠ってしまうと思う。

 

「ああ。まだ本気を出す程、俺は嬢ちゃんを認めた訳じゃねぇしな」


 ──俺の力を借り続けたいんだったら、自らの価値を示しな。

 サンタと出会った時、言われた言葉を思い出す。

 ああ、そういや、そういう取引(やくそく)だったっけ。


「本気を出さなかったのは他にも理由はあるが……まあ、俺の想定を超えた事だけは確かだ。よくやった、嬢ちゃん」


 そう言って、何処からともなく取り出したクッキーを私の口に押し付ける。

 ……もしかして、この人は私の事を愛玩動物か何かと思っているのでは?

 少なくともレディに対する扱いじゃないような気がする。

 口元に押し付けられたクッキーを齧りながら、不満を顔全体で表現する。

 文句は口にしなかった。

 ……まあ、私が彼の足を引っ張った事は事実な訳だし、今回の愛玩動物扱いは大人しく受け入れよう。

 クッキーの味を堪能しながら、『いつか人間扱いさせてやる』と心の中で呟く。


「……嬢ちゃん、あいつに言いたい事あるんだったら、さっさと言った方がいい」


 サンタは気まずそうに後頭部を掻くと、寝転んでいるジェリカの方に視線を向ける。


「あいつの身体、魔力の使い過ぎで身体が崩れかけてる。多分、持って数分だろう」


「え……?」


 気まずそうに私から視線を逸らしながら、サンタは必要最低限の情報を私に教える。


「俺もあいつも魔力でできた身体があるお陰で、この世に留まる事ができている。だから、魔力を失ってしまえば、魂をこの世に留める事ができず、あの世に行ってしまう」


「じゃあ、私の魔力を与えれば、彼女は……」


「無駄だ。魔力を溜める所がぶっ壊れてやがる。多分、心器(アニマ)を酷使したからだろう。或いは、まだ心器(アニマ)を扱える器じゃなかったか。どっちにしろ、今のアイツは底が空いた容器(ピトス)みてぇなものだ。嬢ちゃんが魔力を注いだ所で、すぐ外に魔力が漏れちまう」


 顎でジェリカを差しつつ、サンタは『早く行ってやれ』と目で訴える。

 きっと私達の気持ちを汲んでくれているのだろう。

 

「……分かった、ありがとう」


 息を短く吸い、お礼の言葉を口にする。

 サンタは『ん』とだけ言うと、ジェリカの下に向かう私を見送った。


「………」


 歩いて、歩いて、歩き続けて。

 仰向けの体勢で寝転んでいるジェリカの下に辿り着く。

 彼女の身体を見る。

 彼女の指先は溶けて、黒い水に成り果てていた。

 魔力を与えるため、彼女の手を握る。

 自分の魔力を注ぎ込んだ。

 が、サンタの言った通り、幾ら魔力を注いでも、注いだ魔力は彼女の中に留まる事なく、外に流れ出した。


「……美しくなりたいって、思うのは罪ですか……?」


 ジェリカの身体を纏っている危険な匂いが徐々に消えていく。


「醜いって言われたくないって、思うのは悪い事なんですか?」


 彼女の疑問に答えられなかった。

 もし先代聖女だったら、彼女の心を解す一言を言えたのだろう。

 黒い水に変わりつつあるジェリカの手を両手で握り締める。

 そして、息を短く吸い込むと、謝罪の言葉を口にした。


「……ごめん。君の事をちゃんと理解できていなかった」


「……でも、ちゃんと見てくれた」


 霞んだ視界でジェリカは空を仰ぐ。

 息を荒上げる彼女の姿を見た途端、身体が強張ってしまった。

 反射的に彼女の手を握り締める。

 黒い水が私の掌を伝った。


「……ああ、そうだった。それで、十分だった。なのに……ワタシは、もっと求めてしまった……もっと見て欲しい、……と思ってしまった……」


 ……どうしたら、彼女を救えたのだろうか。

 考える。

 私の足りない頭では、答えが出ないような気がした。


「ああ、……また貴女と踊りたかっただけなのに、……どうしてこんな事になったんだろう……」


 きっと彼女の願い──『また私と踊りたい』という願いを私が理解していれば、この状況を避けられただろう。

 歯を食い縛る。

 友人が息絶えそうになっているというのに、何て声を掛けたらいいのか分からなかった。


「……ねえ、エレナさん……こんなワタシでも、もう一度踊ってくれ……」


 肯定の言葉を口にするよりも先に、ジェリカの身体は黒い水に変わってしまった。

 彼女だった黒い水が地面に染み込んでいく。

 それを眺めながら、私は黒い水がついた両手を握り締めた。


「……ねえ、サンタ」


 商人の時と同じように、涙は出てこなかった。

 泣きたくないという気持ちよりも、泣く資格がないという想いの方が強かった。


「もし、……私が……ちゃんとジェリカや商人を理解していたら、……いや、私が聖女としての器を持っていたら、この事態は避けられたのかな」


 私の下に辿り着いたサンタは、両拳を握り締める私の頭を撫でる。

 荒っぽい撫で方だった。


「一瞬で終わらせなかった俺も悪いし、環境が悪かったとはいえ、道を踏み外した人喰い姉ちゃんも悪い。嬢ちゃんだけが罪悪感抱く必要はねぇよ。この結果は色んな事が積み重なって起きたものだ」


「……でも、」


「嬢ちゃんよりも、強くて、賢くて、人生経験豊富な俺でさえも無理だったんだ。最善を尽くしたって救えねぇもんはある。だから、あんまり自分を責めんな。嬢ちゃんだけが悪い訳じゃねぇ」

 

 そう言って、サンタは私の頭を撫で続ける。

 幼い頃、先代聖女に褒められた時の記憶を思い出してしまった。


「──世界を救う事よりも、人一人救う方が圧倒的に難しい」


 掌についた黒い水を見つめながら、サンタの言葉に耳を傾ける。


「最善を尽くしたから。命を賭けたから。そんな理由で確実に救える程、命は単純なものじゃねぇ。手を伸ばしても、届かない(もの)もある」


 サンタの言葉が私の背中にのしかかる。

 彼の言葉はとても重く、今の私じゃ背負える代物じゃなかった。


「………」


 掌に付着した黒い水が地面に滴る。

 遠くから漂う冷たい風が私とサンタの間に雪崩れ込んだ。


 

 いつも読んでくれている方、ここまで読んでくれた方、ブクマ・評価ポイント・いいね・感想を送ってくれた方、そして、新しくブクマしてくれた方に感謝の言葉を申し上げます。

 次の更新は7月26日(水)12時頃に予定しております。


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