この行き場のない怒りに終焉を(6)
◇
「…….ミス・エレナ、初めて会った時から、君は聖女だった」
かつて王城の片隅にあった庭園──を再現した空間。
白いテーブルの向こう側にいる青年──第三王子アルフォンス・エリュシオンが、右手一本で私の首を絞める。
『彼』の顔面は憤怒の匂いで彩られていた。
血走った目で私を睨みつける『彼』を眺めながら、私は鼻で笑う。
「先代聖女は誰かを救う能力どころか、その意思さえもなかった。けれど、貴女は違う。貴女は、貴女だけは聖女として相応しい振る舞いをしていた」
私の首に『彼』の指が食い込む。
痛みどころか、息苦しさも感じなかった。
多分、此処は夢と似て非なる場所だろう。
今際の際、『彼』が観ている幻想。
故に、此処にいる私は私だけどら此処にある私の身体は私のモノではない。
『彼』が生み出した都合のいい器だ。
「そして、貴方だけが僕を見てくれた。僕の目を見て、話してくれた。貴女の星のように煌めく瞳が、複数の人格の下で成り立つ僕を個人としては見てくれた」
ああ、やっと分かった。
今の発言で、ようやく理解できた。
『彼』は自己同一性というものを持っていない。
複数の人格によって形成された人格。
『彼』を形作る幾多の人格にはアイデンティティがあるけど、幾多の人格を素材に作られた『彼』の人格にはアイデンティティというものがない。
故に、『彼』は聖女を使って、アイデンティティを確立していたのだ。
「貴方は僕個人を見てくれた。聖女として人々を救い続けた。孤児園の増設も、浮浪者を対象にした炊き出しも、災害に見舞われた城下町の復旧作業も、王都を襲う魔王から人々を守ったのも、そして、僕が行った凶行の阻止も、全て貴女がいなければ、成し得なかった……!」
一方的に自分の意見を押しつけながら、『彼』は声を震わせる。
すると、『彼』の声が掻き消され、『彼』の口から老若男女の声が出てきた。
「聖女なんかクソって思ってたけど、あんただけ違った。もしあんたがもっと早く生まれていたら、オレは救われていたかもしれない/自分の身を犠牲にしてまで、アナタは魔王を再封印した! アナタ以上の聖女はいないわ!/サンタと一緒に旅していたのって、ワタシ達を救うためなんでしょ!? そうなんでしょ!?/貴女こそが本物の聖女だ! 僕を助けてくれ!」
『彼』の声じゃない数多の声が私の鼓膜を揺るがす、
それを聞いて、私は思い出した、
『彼』と闘っている時に聞いた声を。
◆
『わたし/俺/自分/私/オレは悪くない……! 悪くないんだ……! なのに、何で聖女あなたは聞いてくれないんだよっ! 聖女ってのは、弱者を救ってくれる存在じゃないのかよっ!?』
◆
「なのに、……なのに、なんで聖女をやめたんですか……!? 貴女以上に、聖女に相応しい人はいないというのに……!」
『彼』の震える声が私の脳髄を刺激する。
『彼』のものじゃない老若男女の声、そして、『彼』の声。
その二つの声により、ようやく理解できた。
『彼』を動かしているのは、二つの意思である事を。
一つは、『青い石』の材料として加工された人々の集合意思。
もう一つは、数百の人格を束ねて一つになった『彼』──第三王子アルフォンス・エリュシオン個人の意思。
前者は見捨てられた自分達を聖女に救って欲しい一心で動いているけど、後者は自らのアイデンティティを確立したいがために聖女に固執している。
前者も後者も聖女に見られたいって思っているけど、その根底に秘められた想いは違う。
だが、どちらも求めているのは 聖女だけど、個人じゃない。
此処にいる私ではなく、都合のいい聖女を求めている。
「だから、僕が/わたしが/オレが/ぼくが/ワタシが、もう一度貴女を聖女にする……! この浮島を滅ぼし、ゼロから国を作り直す……! 僕ら/わたし達/オレ達/ワタシ達を見捨てない、善良な人達だけが集う国を作る……! その国を引導できるのは、本物の聖女である貴女だけだ……!」
『彼』の声だけでなく、『彼』のものじゃない老若男女の声も重なる。
それを聞いて、ようやく『彼』と向き合えたと思ってしまう。
「だから、サンタじゃなくて、わたし達/オレ達/ぼく達/ワタシ達/を、……僕を選んでくれ……!」
私の首を絞めながら、『彼』は赤裸々に自らの願望を語る。
それを聞いて、私は『彼』に事実を告げた。
「……貴方は誰も見ていない」
聖女として、私個人として、『彼』に言わなきゃいけない事を伝える。
『彼』という命を真っ直ぐ見つめる。
「貴方が見ているのは、人じゃない。貴方の思い込みが作った妄想だ。命を見ていない。そんな誰も見ようとしていない人が、誰かに見られる訳がない」
「僕は人々の集合無意識だ……! 誰もが胸の内に隠し持っているモノさえ理解でき……」
「できてないよ。だって、貴方は私の本性に気づけなかった」
私の本性。
サンタに気づかされるまで、自覚できなかったもの。
美しくくなりたい。
挑戦を愉しみたい。
困難を乗り越える事で、生きている実感を得たい。
人を救いたいという願望よりも、遥かに強い欲望。
欲望を満たせるなら、人なんてどうでもいい。
人を助けているのは、私にとって救済が愉しい事だから。
つい最近まで自覚できなかった私の本性。
それを『彼』は気づけなかったし、気づこうとしなかった。
「貴方は私という命から、ずっと目を背けている。私の気持ちを考えず、ずっと私に聖女を押しつけているし、他の人達にも理想を押しつけ過ぎている。……自分の命とも向き合おうとしていない。今、貴方や貴方達に必要なのは救いじゃない。命と向き合う時間だ」
「僕が、……わたし達/オレ達/ぼく達/ワタシ達/が、悪いって言いたいんですか……!?」
「善いも悪いもないよ。奪った(おかした)命から目を背けるな、自分の命から目を背けるなって言ってるの」
そう言って、私は『彼』の瞳を見つめる。
身体から匂いを発し、『彼』の視線を引き寄せる。
私の首を絞めている『彼』の手に私の右手を乗せ、ゆっくり言葉を紡ぐ。
「私は貴方達を救えない。私は貴方達が思っているような聖女じゃないし、それをやるだけの力もない。仮に力があったとしても、私の言葉に耳を傾けず、一方的に自分の願望を私や世界に押しつける貴方達を救うなんてできない。貴方達は被害者だったかもしれないけど、命を奪い(おかし)過ぎた。もう被害者だけじゃいられない」
先ず『彼』の中にいる『青い石』──老若男女の声に身体の正面を見せつける。
伝えなきゃいけない言葉を彼等に伝える。
今まで培ってきた聖女と内に秘めている悪女を混ぜ合わせ、私にしか言えない言葉を紡ぐ。
そうする事で、サンタにできなかった救済を私が代行する。
私が、『彼』と『彼等』の中身に終焉を与える。
「貴方達を傷つけた人達は悪い人かもしれないけど、貴方達が傷つけた人達は悪い人だけじゃなかった。貴方達が傷つけた人達の中には、私みたいに表向きは善人を気取っているけど、本性は悪女だったかもしれない。サンタみたいに表向きは悪振っているけど、根っこは善人だった人もいたかもしれない。もしかしたら、商人やヴァシリオス達みたいにピンチに陥った所為で他人に優しくする余裕を無くしていただけかもしれないし、第一王子みたいに心境が変化した人がいたかもしれない」
「………」
「ねぇ、貴方達はちゃんと向き合った? 傷つけた人達と。傷つけた人達が、どんな人間なのか理解できていた?」
『彼』の中にいる老若男女は不満そうな表情を浮かべていた。
でも、私の言葉に反論できる程、傷つけた人達と向き合えていないのだろう。
不満そうな表情を浮かべるだけで、言葉を紡ごうとしなかった。
「もし私が貴方達を救える力があったとしても、貴方達が命と向き合わない限り、貴方達は真の意味で救われない。いつか貴方達が奪った命が、貴方達を苦しめる。貴方達の行き場のない怒りが、貴方達を苦しめる。…………命ってね、思っている以上に重いんだよ」
これまでの道中を振り返る。
商人、ジェリカ、次期聖女、ヴァシリオス、元騎士、そして、魔王。
失われた命を思い出し、私は少しだけ顔を歪める。
「貴方達の怒りは否定しない。けれど、貴方達が怒り(それ)を理由に人を傷つける限り、貴方達の怒りは永遠に潰えない。怒り続けてもいい。怒りを捨ててもいい。ただ、今は私が言った言葉の意味を一度考えて欲しい。もう貴方達を救えるのは、貴方達自身しかいないから」
私の言葉が届いたのか、『彼』の中にいる老若男女の声は身体の正面を私に向けていた。
それを目視した後、老若男女の声に考える時間を与える。
そうする事で、ようやく『彼』──第三王子アルフォンス・エリュシオンと向き合う事ができた。
「第三王子、……いや、アルフォンス。もう第三王子の立場も、必要悪の皮も、脱ぎ捨てていい。貴方に必要なのは、命と向き合う時間だ。──聖女は貴方のアイデンティティになり得ない」
「………」
「誰かのためとかじゃなくて、自分のために動いて。第三王子でも、『必要悪』っていうヤツでもなく、貴方個人の言葉を紡いで。じゃないと、貴方が求めているものは永遠に手に入らない」
じっと『彼』の目を見つめる。
『彼』は驚いたような表情を浮かべていた。
『彼』は驚いたような表情を浮かべた後、怒ったような表情を浮かべた。
怒りの感情を身体から滲ませた後、『彼』は私の首を握る右手を振るわせ、泣きそうな表情を浮かべた。
『彼』の身体から出ている匂いがコロコロ変わる。
怒り、喜び、悲しみ、怒り、哀しみ、悦び、そして、怒り。
生まれて初めて命と向き合っているのだろう。
匂いが変わる度、『彼』の表情もコロコロ変わる。
『彼』の感情の変化は十数分程続いた。
その間、私はずっと口を閉じ、『彼』に身体の正面を見せ続ける。
気持ちの整理が終わったんだろう。
唐突に『彼』の感情の変化が終わる。
『彼』の瞳が私の方に向けられ、ようやく『彼』と私の視線が交わった。
『彼』は無表情のまま、私の目を見つめる。
そして、私の首から手を離すと、両手で私の右手を掴み、こう言った。
「──好きです」
俯きながら、『彼』は私の手を握り締める。
そして、感情が籠った震えた声で愛の言葉を呟いた。
「貴女の事が本当に好きなんです。僕の婚約者になってください」
本当に言いたかった事を、『彼』……いや、アルフォンスは口にする。
彼のアイデンティティが確立した瞬間、私は彼の言葉に応えた。
「ごめん、生理的に無理」
アルフォンスの告白をバッサリ切り捨てる。
「え、その断り方は酷くないですか」
「妥当だよ。どうせ私と交尾したいだとか、赤ちゃんみたいに私の胸にしゃぶりつきたいって思っているんでしょ」
「失礼な。九割くらいしか思っていません」
「九割の時点でアウトだよ。もっと愛を育みたいとか、プラトニックな願望はないの?」
「基本ヤる事しか考えていません」
「そういう所だよ、生理的に無理なところ」
「安心してください。貴方は国王と売女の間に生まれた子ども。貴女は腹違いの妹なんです。故に、血の繋がりはあります」
「何処に安心する要素があるの。その情報が本当だったとしても、嘘だったとしても、気持ち悪さが倍増しただけなんだけど」
「結婚してください」
「ごめん、生理的に無理」
……自分の命と向き合う事は大切だけど、本性は少し隠した方がいいかもしれない。
本性全開は人を不快な気持ちにさせる。
彼を見て、私はそう思いました、まる。
「……本当、なんで私に告白なんかしたの。それが、貴方が本当にやりたい事……貴方の本音なの?」
「今、貴女に惚れたんです」
柔らかな笑みを浮かべながら、アルフォンスは爽やかな声を発する。
「第三王子という立場も、必要悪という役割も投げ捨て、何が一番やりたい事なのか考えました。そしたら、貴女に告白したいって思ったんです。きっと本当の意味で、貴女の事が好きになったのは、今この時だと思います」
アルフォンスの身体の正面は私の方に向いていた。
偽りのない彼の本音が、私の顔に笑みを呼び込む。
気がつくと、私の身体は幼くなっていた。
元の姿──現実世界の今の私のものと同じものになる。
すると、柔らかい光が庭園を包み始めた。
「僕を正面から見てくれた。義理なんてないのに、貴女は最期の最後まで僕と向き合ってくれた。そんな貴女を僕は好きになったんだと思います」
アルフォンスの身体が崩れ始める。
それを見て、終わりが近づいている事を実感する。
私は息を短く吐き出すと、眉間に皺を寄せ、言葉を紡ぐ。
「貴方の事情を一から百まで知らない。同情する所はあったかもしれないし、正義は貴方の方にあるかもしれない」
聖女としての私ではなく、私個人の感情を彼にぶつける。
「けど、私個人は貴方の選択を許さない。沢山の命を苦しめ、虐げ、奪った貴方を許さない。たとえ神が赦したとしても、私だけは貴方の命を許さない」
『はい』と呟くと、彼は怒られた子どものように哀しげな表情を浮かべる。
彼の中にいる老若男女にも届いたのか、彼の口から僅かに苦しげな声が漏れ出た。
「……」
アルフォンスは口を閉じてしまう。
哀しげな表情のまま、立ち続ける私の顔をじっと見つめる。
何を考えているのか、匂いに頼らなくても、手に取るように理解できた。
「……エレナ。貴女はこれからどうするつもりなんですか?」
「とりあえず、貴方がしでかした後処理をやるよ」
皮肉をアルフォンスに打つける。
私の言いたい事を理解したのか、彼は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「……その後は?」
「困ってそうな人を助けるよ。浮島じゃない所でセカンドライフを送ると思う」
「聖女時代と大差ない生き方ですね。本当に、それでいいんですか?」
以前、交わした言葉と同じもの。
きっと彼は敢えて同じ言葉を選んでいるんだろう。
今度こそ、私と綺麗に別れるために。
でも、あの時と同じ言葉を言える程、私は聖女でいられなかった。
「違うよ。聖女だった頃と全然違う。私は、義務とか役目とかじゃなく、自分の愉しみのために人助けをやるの。そっちの方が困難で愉しいから」
そう言って、私はアルフォンスに背を向ける。
此処から立ち去ろうと、歩き始める。
そんな私にアルフォンスは最後の問いを投げかけた。
「最後に一つ聞かせてください。エレナ、──どうして貴女は人を助けるのですか?」
振り返る。
アルフォンスと目が合う。
彼の眼は、こう言っていた。
『本音が知りたい』、と。
だから、私は包み隠す事なく、本音を口にした。
「何回も言った筈だよ。もう答えなくていいでしょ」
私の答えを聞いた途端、アルフォンスは笑みを浮かべる。
そして、ゆっくり瞼を閉じると、首を少しだけ縦に振った。
「……うん、それがいい。貴女には、それが似合っている」
「じゃあ、そろそろ行くよ。じゃあね、アルフォンス。ご冥福、お祈りします」
別れの言葉を告げた私は今度こそ踵を返す。
そして、躊躇いなく、光り輝く庭園を後にしようとした瞬間、湿った声が背中に突き刺さった。
「エレナ」
冷たい風が私の身体を微かに揺らす。
いつもと違うアルフォンスの声が私の視線を惹きつける。
振り返るつもりがなかったのに、反射的に振り返ってしまった。
「いってらっしゃい」
旅行に行く友達を見送る程度の気楽さで、アルフォンスは別れの言葉を口にする。
もう言い残す事はないんだろう。
アルフォンスは満面の笑みを溢していた。
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