蛾と勘当と美の再分配
◆ジェリカside
舞踏会が終わってから、誰もワタシを罵倒しなくなった。
多分、聖女──エレナさんと踊ったからだろう。
嘲笑される事はあっても、面と向かって罵倒された事はあれ以来ない。
エレナさんの婚約者である第一王子を敵に回したくないのか、それとも聖女の権力に逆らえないのか。
ただの中流貴族の娘であるワタシには分からない。
どちらにせよ、この状況はエレナさんのお陰だ。
感謝してもし切れない。
「お久しぶりです、ジェリカさん」
貴族学院の一階廊下を歩いていると、聞き覚えのある声がワタシを呼び止める。
振り返れば、そこには見知った顔があった。
「エレナさん……!」
「久しぶりですね。元気にしていましたか」
僧侶服を着た傷だらけの少女──エレナさんは、ワタシの容姿に嫌悪感を抱く事なく、笑顔で話しかけてくれる。
「なんで貴族学院に……? 何か用事でもあるんですか?」
「ちょっと第三王子に孤児園の件で相談があって」
くすくす。
遠巻きにワタシ達の様子を伺っていた女の子達が笑っている。
ワタシとエレナさんの容姿を見て、嘲るように笑う。
その笑い声を聞いているだけで、ワタシの身体は萎縮してしまった。
「何かお話があるのなら聞きますよ?」
ワタシ達に嘲笑を向けている女の子達達に冷たい視線を向ける。
たったそれだけで、彼女達は怯えた表情を浮かべると、足早にその場から立ち去って行った。
「あ、……ありがとうございます、エレナさん」
「………何もできていませんよ」
ちょっとだけ罪悪感を抱いたような顔で、エレナさんは微笑む。
「多分、私がいなくなったら、また同じ事が起きると思います。私がやった事はただのその場しのぎ。根本的な問題を解決できた訳じゃありません」
自虐的な言葉を呟きながら、エレナさんは湿っぽい笑みを浮かべた。
……彼女にこんな顔をさせている自分が嫌になった。
「あの、エレナさん」
「ん? どうしたのですか?」
「……あの、聖女のお仕事って、……ワタシでも手伝えますか?」
彼女の助けになりたい。
彼女の助けになる事で、彼女を喜ばせたい。
そうすれば、こんな表情見ずに済む筈。
彼女の事をもっと知りたい。
彼女という人間の隣にいれば、彼女と同じ事をやれば、より早く彼女みたいな強くて優しい人間になれる筈。
「……お願いします、手伝わせてください」
……多分、この時点でワタシは聖女という灯火に恋焦がれていたんだろう。
ワタシは蛾だ。
いつも光を追い求めている惨めで小っぽけな蛾。
だから、習性に逆らえなかったんだと思う。
だって、ワタシにとって聖女という光はとても眩しくて──
◇
「嬢ちゃん、大丈夫か?」
サンタの呼びかけによって意識を取り戻す。
いつの間にか私の身体はサンタの腕の中に収まっていた。
「頭は…….打ってなさそうだな、良かった」
安堵の溜息を吐き出すサンタをぼんやり眺める。
余裕のある口調とは裏腹に彼の顔は強張っていた。
「……そのハンドベルは神造兵器ですか」
「お、神造兵器を知ってんのか」
鏡の裏からゆっくり出ながら、ジェリカは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
「ええ、この浮島にもありますから」
私を一瞥しながら、ジェリカは歪な鏡の右横へと移動する。
多分、聖女の証であるネックレス状の装飾品を思い出したのだろう。
先代聖女の話が本当だったら、アレも神造兵器だ。
「神造兵器。神代の神々が生み出したアルティマ・ウェポン。魔導を極めた者にしか扱えない『心器』とは似て非なる概念武具。神性を持つ者にしか扱えない究極の兵器……で、合っていますよね?」
「ああ、大正解だ。人喰い姉ちゃん」
サンタとジェリカのやり取りで、サンタが扱ったものが神造兵器で、ジェリカが扱ったものが心器である事を理解する。
「なるほど。いい神造兵器を持っていたから、ワタシの切札を凌げたんですね」
「凌げたのは、お前が心器を使いこなせていねぇからだ。生前、幾度となく心器を見てきたが、お前さんみたいに魔力の塊を飛ばすだけのヤツは見た事ねぇ」
ゆっくり腕の中に収まった私を地面に下ろしながら、サンタはジェリカの出方を伺う。
「──お前、……いや、お前ら、誰から力を分け与えられた?」
「『黒い龍』ですよ」
ジェリカの身体から黒い匂いが放たれる。
危険とか嫌とか、そういった表現で言い表せる事ができないドス黒い匂い。
今まで嗅いだ事のない負の感情が私の脳を掻き乱す。
「魔王が現れ、家族から捨てられた後、ワタシは黒い龍と出会ったんです」
ジェリカは語った。
魔王が現れた後の出来事を。
「魔王が現れて、王都が破壊され、今まで通りの暮らしができなくなったワタシは親から勘当されました」
曰く、魔王の魔の手から逃れ切った彼女と彼女の家族は、王都から少し離れた所にある街に逃げ込んだらしい。
命からがら逃げ延びた彼女達は、そこで新たな生活を始めた。
だけど、資産も何もかも投げ捨てた彼女達が生きるには厳し過ぎた。
日々の生活に困窮し、食べるものもままならない。
ただの中流貴族である彼等にできる事など何一つなかった。
「資産も蓄えていたものも何もかも魔王に破壊され、無一文になった。にも関わらず、ワタシの父も母も兄も贅沢をやめなかった。貴族がする事じゃないという理由で、労働すらしようとしなかった」
ジェリカは笑みを浮かべる。
その表情に喜びはない。
あるのは憎悪のみ。
今まで見た事のない彼女を前にして、私は言葉を失う。
けれど、私は変わり果てた彼女から目を逸らそうとしなかった。
「家族は皆、貴族であり続けました。貴族であり続けるため、家族は大金を手に入れようと、奴隷商人と接触しました。そして、ずっと疎ましく思っていたワタシを奴隷として売ったんです」
「……どう、して……?」
「ワタシの醜い顔は家の名誉を傷つける。ワタシが家にいても百害あって一利ない。でも、ワタシを奴隷として売り飛ばせば、金になる。だから、彼等はワタシを売り飛ばした。貴族としてあり続けるために」
私もサンタも言葉を失ってしまう。
何を言えば、正解なのだろう。
何を言えば、彼女の気持ちを救えるのだろう。
幾ら考えても、私には分からなかった。
「奴隷として売り飛ばされたワタシは、ある日の夜、檻の中で考えました。『何でワタシばっか』、『人並みの容姿だったら、こんな目に遭わずに済んだのか』、と。……そんな時です。ワタシに『力』を与えてくれたあの黒い龍に出会ったのは」
遠巻きで私達の様子を伺うオーガ達が、黒い龍という単語に反応を示す。
もしかしたら、彼等もジェリカと同じように『黒い龍』に力を与えられたのだろうか。
「黒い龍はワタシに沢山の力を与えてくれました。筋力、腕力、魔力、心器を扱うための素質、そして、他者の美貌を奪う力」
そう言うと、ジェリカは愉快そうに頬を歪ませる。
その笑顔は外面だけは美しいけど、中身は全然美しくなかった。
「黒い龍はこう言いました。『その力を使って、世界を正せ』、と。『ちゃんと分配してくれなかった神の代わりに、美貌を分配しろ』、と」
「美の再分配。それが、人を食べようとする理由……いや、美に執着する理由か?」
サンタの言葉を聞いて、ジェリカは黒い匂いを纏った笑みを溢す。
「この世は不公平です。生まれながらに美しい人は無条件に愛され、生まれながらに醜い人は無条件に嫌われる。そんな世の中だったから、エレナさんは醜いワタシを守らざる得ない状況に追い込まれた。不公平だから、ワタシは家族に捨てられた」
「……なるほど、嬢ちゃん達がいた環境は、碌でもねえ場所だったんだな」
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、サンタは後頭部を掻く。
「だから、ワタシは美を持っている者から美を奪い、持っていない物に美を与える。そうする事で、ワタシは、エレナさんとワタシがずっと笑える世界を作り上げつもりです」
「富の再分配、……ねぇ。先人として色々言いてぇ事はある。が、ここは嬢ちゃんに譲るわ」
私の肩を軽く叩きながら、サンタは私の横顔を一瞥する。
それを見て、私は思った。
──サンタが私の価値を確かめている、と。
「……ジェリカ」
サンタを視界から外し、改めてジェリカを見つめる。
外面だけを綺麗にした彼女は、狂気に満ちた正義に酔い続けたまま、黒い匂いを発していた。
息を吸い、腹に力を込める。
そして、眉間に皺を寄せると、今の彼女に一番必要な疑問を投げかけた。
「──それが、美しい人のやる事なの?」
一瞬。
ほんの一瞬だけ、ジェリカの瞳に私の姿が映し出される。
絞り出したかのように、彼女の口から吐息が漏れたかと思うと、彼女は人目を憚る事なく、発狂した。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
獣のような慟哭が廃村から少し離れた所に立っている木々を揺らす。
赤い涙を溢して、髪を振り乱すジェリカの姿は、見ていられない程、無惨で無様だった。
「ちがう! ちがう! ちがう! ちがう! ちがうっ! 貴女にそんな顔をして欲しくないのっ! 笑って欲しいの! ワタシは貴女と笑いながら踊りたいの!」
「……ジェリカ」
「そんな顔で見ないで……! ワタシは……! ワタシは……!!」
思った事をそのまま口に出し続けているのだろう。
ジェリカの吐き出す言葉は論理的に滅茶苦茶で、駄々を捏ねているようにしか見えなかった。
「だから、全部壊さなきゃいけないのよっ! ワタシ達を嘲笑うこの世界をっ! だって、間違っているんだもん! 間違っているから、辛いんだもん!」
ジェリカが地団駄を踏む度、地面が小刻みに揺れる。
異変を察知したのだろう。
今まで遠巻きで私達の事を見ていたオーガ達が撤退を選んだ。
ジェリカの魔力に当てられたのだろうか。
いつの間にか、十字架にかけられた現聖女達は気を失っている。
このまま、彼女が怒りのまま暴れたら、彼等は巻き込まれてしまうだろう。
「…….サンタ」
「いいのか? 現聖女達を守って。あの人喰い姉ちゃんが、ああなったのは、あいつらの偏見が要因なんだろう?」
「死んだら罪を償えない」
「あいあい、言いたい事は分かったよ」
「…….ありがとう」
私の気持ちを一から十まで汲んでくれたサンタに感謝の言葉を述べる。
彼は当然だと言わんばかりの態度で、一歩前に踏み出した。
「嬢ちゃんはそこで待ってろ」
ハンドベルを構えつつ、サンタは重心を少しだけ下ろす。
そして、息を吐き出すと、私から大量の魔力を吸い取った。
「一瞬で終わらせる」
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次の更新は7月24日(月)12時頃に予定しております。




